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作者: 喉飴かりん
残酷な描写あり
5.戦史を紐解く
 お父さんを探すなんて無理だよと突っぱねられるだろうなという予想を裏切られ、私は驚く。

「ど、どうやって探すの」

「ここの本棚にある本、全部十数年前の戦況報告とか、戦闘地域の調査資料ばっかりなんだ。この国の軍の観点から見たものばかりで情報に偏りがあるけれど、戦争当時に書かれたものも多いから調べる価値はあるよ」

「最近⋯⋯というか、十数年前の資料、一般の人たちに公開してもいいの?」

「一般人には公開されてないけれど、政府の特例で戦争調査の範囲で使用、複製してもよいって決まりがあるんだ」

「そうなんですねぇ⋯⋯」

 私は本棚に並んだ背表紙を見回した。『×××戦区戦況報告書』『×××村郡戦闘状況資料』など、確かに帝共戦争の資料ばかりだ。これらを調べて本当に父のいた分遣隊基地を特定できるのだろうか。

「本当にわかるんですか」

「わかるかどうかは知らないけれど、無駄ではないと思う。じゃあ、調べてみようよ」

 チャグは立ち上がり、本棚を見回した。

「えっと、ヤケ村は⋯⋯年に占領区から戦区になったから⋯⋯第四十五戦区破壊作戦報告書がいいかな」

 ぶつぶつ呟きながら、チャグは一冊の本を取り出して開き、ぱらぱらと頁を捲っていく。彼はある頁で手を止めて顔を文面に近づけ、うーん、これかなぁと言いい、床に本を置いた。

「この本は帝国による破壊作戦の報告をまとめた文書だよ。破壊作戦っていうのは、帝国が村を滅茶苦茶に荒らした作戦のことね。⋯⋯あ、その前にこの地域での戦争がどのように行われたか説明しておかないとわからないことが出てくるかもしれないから、教えておくね」

 チャグは床に膝をついて続けた。

「僕達が住んでいる北部地方は標高高い山がたくさんあって、広い場所で兵隊の大群がぶつかり合うような戦はできない。だから共和国軍北部方面部隊は遊撃隊を結成して、山を自由自在に動き回りながら奇襲とかする遊撃戦をやって戦っていたんだ。

 だから戦線がぐっちゃぐちゃになって、敵と味方の根拠地がばらばらだった。そこで帝国軍はあちこちの町、村、山に分遣隊を配置して、共和国軍の遊撃戦に対応できるようにした。そして共和国軍に協力したり、民兵部隊を密かに結成し派兵している農村や町などを見つけては掃討し、従う村は監視下に置いて常に検閲した。

 共和国民も国を守るために立ち上がって義勇隊や小さな後方支援基地を創ったけれど、それが結果的に帝国軍による農村地帯の虐殺を招いてしまった」

 よくわからない単語がたくさん出てきて混乱するけれど、敵と味方の配置がばらばらで背後を取られる危険性があるため、帝国軍も守る所をばらばらにしていたというのはわかった。

 チャグは報告書の紙面をなぞる指をぴたりと止め、弾んだ声で言った。

「あった、第三村郡の情報」

 第三村郡はヤケ村を含む村の集合体のことだ。どんぴしゃの情報が出てきたか? と期待に心臓を高鳴らせながら私は報告書を覗き込む。チャグは二段構成の頁に書かれた文の一文を指差した。

「ほら、被害村名⋯⋯ヤケ村。帝国陸軍混成歩兵第七大隊の第四中隊が⋯⋯あぁ、そんな⋯⋯第四中隊としか書かれてないやっ!」

 拍子抜けして私達は項垂れた。せっかくヤケ村を警備していた分遣隊が見つかると思ったのに、報告書を書いた人が中隊以下の説明を省いたせいで分遣隊単位のことまでは不明だった。
 チャグはあちゃーとでも言えように片手で頭を抱えながら、愚痴を吐く。

「作戦はどこの軍隊でも基本的に中隊単位で行うんだ。だから中隊以下は省かれちゃったのかなぁ。歴史書読んでいるとたまにあるんだよねぇ、細かいところが知りたいのに書かれていなくて痒い所に手が届かないもどかしさ! そして別の資料に当たらなければならなくなる面倒くささ! うぅ⋯⋯」

 チャグが細かいことはわからないと言うので、私はどうしようもなくなり焦った。だがここで諦めたら、一生父の居場所へ続く道が閉ざされてしまう。そんな危機感が胸を過ぎって、焦りが爆発するのをなんとか堪えながら私は首を横に振った。

「私、諦めないわ」

 本当に父の情報がわかるのかどうかわかりもしないくせに強がりつつ、拳を頑なに握りしめて、私は立ち上がった。

「歴史の授業の先生が言っていたの。歴史ってパズルみたいなものだって。一つ一つの欠片を埋めていって、初めて一つのことの全体像が見えてくるんだって。だから、色んな資料から情報の断片を集めて調べれば⋯⋯」

「簡単に言ってくれるよ」

 呆れたようにチャグは両掌を上げた。諦めろと言われたようで悔しくなり、私は首を横に振った。

「でも、私はやるわ。何が何でも、今夜中に父のいた分遣隊基地を探し出してやるの」

 チャグは呆然と私を見つめた後、額に片手を当ててやれやれと呟いた。

「ふぅ⋯⋯君の熱意には負けたよ。わかった、本棚から好きなだけ本を取り出したまえ」

「ありがとう、お兄さん」

「お兄さんじゃなくて、僕はチャグ・ホル。チャグでいい」

「はい⋯⋯チャグさん」

「⋯⋯ところでユミンちゃん、こんな難しい本読める?」

「大丈夫です。歴史は好きなので」

「へぇ、歴史好きなのね。⋯⋯じゃ、いけるかな」

 本当に大丈夫か? と言わんばかりにチャグの口調は不安げだった。

 私はチャグと一緒に、第三村郡の破壊作戦に関係のありそうな書物を見つけては床に積み上げ、読んでいった。

 歴史はパズルみたいなもの。まずは外部枠の情報から埋めていき、徐々に内部の細かな情報を攻めていくのだ。外部枠の重要単語は破壊作戦、第四十五戦区、内部粋は第三村郡、帝国陸軍混成歩兵第七大隊の第四中隊属の部隊になるだろう。

 私は数冊の本の目次を見て、外部粋の単語を発見するとすぐその項目を開き、内部粋の単語があるかどうかを文を指でなぞって探す。単語を見つけたら、その説明が書かれている箇所に紙切れの付箋を挟んでおく。三時間後には、三十冊の報告書に数十枚の付箋を挟めることができた。

 だいぶ付箋が溜まったところで、今度は白紙の帳面に内部粋単語該当箇所の説明を書き綴っていく。

『第四十三戦区帝国兵捕虜尋問報告書』では、帝国陸軍混成歩兵第七大隊に属していた各帝国兵の証言を元に、第四十三戦区の帝国側の作戦内容をまとめている。別々の部隊の色んな帝国兵がみんな共通の証言をしているので、資料としての信憑性は高いと見る。

 まずは証言の内容を基に、帝国陸軍混成歩兵第七大隊の守備範囲と各部隊の分布図を調べて帳面に書いてみた。帝国陸軍混成歩兵第七大隊は第三村郡を含むアサ町全体を守備しており、第四中隊が第三村郡を、第一小隊が東区、第二小隊が西区、第三小隊が北区を守備し、分遣隊十名が各区間の村三つの検閲、警備を行っている。ヤケ村は東区を担当する第一小隊が守備している。

 東区の分遣隊をまとめた第一小隊に属していた一人の捕虜が、ヤケ村での破壊作戦のことを語っている。民家の地下から敵のものと思しき弾薬を発見したことで隊長が掃討命令を出し、畑に農民を並べて彼らを機関銃で撃ち殺したと書かれており、ぞっとした。こうして資料として読むと本当にそんなことがあったのだなと実感できる。

 農民を畑に並べて殺戮した彼らの中に、父もいたに違いない。機関銃で肉片にされる人々を見ながら笑う父の顔を想像してしまい、胸の悪くなるような嫌悪感を覚えた。

 チャグは眠気を堪えられなくなったのか大あくびして立ち上がり、おやすみと告げて梯子を降りていった。良き戦史解説者がいなくなって不安に駆られたが、彼に無理させるのも申し訳ないので、独りで頑張ることにした。

 捕虜証言集を最後の頁まで読んでみたが、残念ながら第一小隊に関わる記述は少なかった。仕方ないので、東区、第一小隊という単語を目当てに別の資料に当たってみる。

 片っ端から資料を漁り、目次から二つの重要単語がありそうな項目を探す。項目の頁を開いて何もなければ次の資料へ。手がかりになりそうなもの、気になるもの、分遣隊と共和国軍の分布図は見つけ次第帳面にすかさず書き込んでいく。書き込んだ帳面の頁数はいつの間にか全体の半分ぐらいにまで達していた。
 作業を続けていくうちに、気がつけば五十冊も読んでいた。私の周りには分厚い書物の塔がいくつも並び、古本の濃厚な匂いを漂わせている。

 時計を見ると時刻は深夜三時になっており、あと二時間でお日様が顔を出す。それまでに答えを見つけ出さなければならない。

 一時間後、ようやく有力な資料を見つけた。『第四十五戦区遊撃隊戦況』という共和国軍側の報告書には、帝国軍でいう第三村郡東区に当たる地域での戦況が書かれていた。

 ヤケ村破壊作戦が起きた年、帝国と他国との戦いで戦力が低下し、補充のため帝国陸軍混成歩兵第七大隊の大量異動が起きた。共和国軍は敵の兵力過疎化の隙を突いて、味方の軍が大規模な遊撃作戦を仕掛けた。第三村郡全体も遊撃作戦区内に含まれており、作戦終了後には共和国軍の占領区になった。破壊作戦から数日経って母が監禁され、約三週間後に共和国軍によって助けられたという証言と遊撃作戦期間が一致する。

 東区の遊撃作戦を担当したのは第一遊撃大隊で、母を救助したのは彼らと思われる。東区の遊撃作戦の内容を見てみると、第一遊撃中隊がヤケ村とその周辺にいる分遣隊を掃討したと書かれていた。

 私は固唾を呑んだ。ヤケ村近辺を警備していた分遣隊――父のいた部隊ではないか。緊張で心臓が高鳴り、脇汗が滲み出てきていた。

 第一遊撃中隊の遊撃作戦内容を記述した項目の最後に、帝国共和国両軍の被害状況と戦果が記されていた。共和国側の戦死者二十名、戦傷者五十名。帝国側の戦死者三十名、捕虜が一名。

 高鳴っていた心臓が、ばくっと一瞬破裂しそうなほどに激しく脈打った。

 捕虜が一名。

 母の話では、父は分遣隊の不寝番を任されたため独り残され、後に一人だけ捕まり捕虜になった。

 片胸が痛くなるほど心臓の鼓動が速まる。全身のあらゆる毛穴から体温に熱された汗が吹き出て、肌を伝っていった。

 全てが一致した。

 震える指で分布図内の第一遊撃中隊の通っていった線を辿ってみると、ヤケ村から山二つを超えたソゴ山の山頂にそれはあった。

 分遣隊基地、と。

 興奮に私は声を震わせた。

「⋯⋯見つけた。見つけたわ、父さん」




 午前七時。居間の食卓を三人の調査員、おじさん、チャグ、奥さん、私で囲って朝食を食べていた。食卓に並ぶのは、この町特有の郷土料理といわれる辛味噌野菜炒め、きゅうりを糸状にした麺、ムジナ肉の塩焼き。平民の料理はちゃんと調味料で味付けされており、驚きだった。肉も生まれて始めて食べた。肉は高価で貧しい農民は手に入れられない贅沢品だ。

 朝ご飯を食べ終わった後、私は居間のソファに座って新聞を読んでいたおじさんに資料を調べた結果を伝えた。

 おじさんは咄嗟に新聞から目を反らして、目玉を剥き出しにして驚いたような声を上げた。

「何っ!? 父さんのいた分遣隊基地の場所がわかっただと!?」

 辛味噌野菜炒めを食べていたチャグがおじさんの上げた声に反応したように箸を止め、目を丸くして私を見た。

「本当なのユミンちゃん? わかったの?」

「はい、ソゴ山に分遣隊基地があるらしいです」

 おじさんが何かを思い出したように天を仰ぎ見て呟いた。

「ソゴ山⋯⋯あぁ、確か第一遊撃大隊が行っていたな」

「やっぱりそうなんですね。当たっていますね」

 チャグが驚いたような声を上げた。

「嘘だろ⋯⋯あんな難しい本を小学生の子が読んで調べて場所を突き止めるなんて。あんた、大したもんだ」

 チャグに褒められて私は照れくさくなった。
 私はおじさんに向き直って頼んだ。

「ねぇおじさん、ソゴ山に連れていってもらえませんか?」

「はぁっ? 俺はこれから仕事が山ほど⋯⋯」

 チャグが私を援護した。

「父さん、いいじゃないか。休日なんだし。ユミンちゃんは深夜まで頑張って調べたんだから、ご褒美に連れてってやりなよ。仕事なら後で僕が全部片付けておくからさ」

 おじさんは苛ついたように眉をぴくぴくと動かし、俯き、黙り込んだ後、一言呟く。

「よかろう。連れて行ってやる」
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