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作者: 桐谷 碧
13
橘美穂は日に焼けた健康的な肌に、短い髪が似合う活発そうな女性だった。高校を卒業し短大に進んだ後に就職、スポーツ用品を扱うメーカーで営業職をしているとのことだ。
「佐藤です、本日はお忙しいところ大変申し訳ありません」
 偽の名刺を渡すと、彼女は相好を崩して笑顔になった。営業途中のランチに無理やり時間を取ってもらったにも関わらず、嫌な態度をおくびにも出さない。喫茶店で待ち合わせた彼女は先に来てサンドイッチを頬張っていた。
「いえ、久しぶりに田淵先生から連絡をもらったので何事かと思いましたけど、私もソフトボールの普及は心から切望しているので、お役に立てれば良いのですが」
 二日前に会った田淵に便宜を測ってもらい、当時のソフトボール部のキャプテンで美波の親友だったという彼女とコンタクトを取った。もちろん美波の自殺の真相を聞き出そうと呼び出したので、ソフトボールの発展には無関係だ、少しだけ恐縮する。
「まず、全国大会に出場した時の事なんですが――」 
 当たり障りない取材をしながら時折メモをとるフリをした。彼女は当時のメンバーとのエピソードを冗談を交えながら話してくれる。初対面の自分を飽きさせないような配慮だろう。きっと営業成績も優秀なのだろうと推察した。
「ところで……」
 声を潜めて本題に入った。
「当時のキャプテンだった星野美波さんですが」
 悲痛の面持ちで、顛末を知っている事を表現してみたが彼女に伝わっただろうか。その穏やかな表情からは読み取ることが出来ない。
「ええ、美波があんな事になるなんて、中学を卒業する時には思いもしませんでした」
 頭の回転も早いようで素早くこちらの意図を汲んでくれた。きっと賢い人間の周りには賢い人間が集まり、馬鹿の周りには馬鹿が集まる。結果、馬鹿はより馬鹿になり、賢い子は更に高みにいくのだろう。
「明るくて聡明な女の子だったと聞きましたが、原因はなんだったのでしょうか?」
 彼女が目線を上げると視線が交差する、正直に話して良いものかどうか推し量っているようだった。
「記事にするような事はしません、実は僕にも妹がいるのですが、ちょうど亡くなった時の星野さんと同じ年頃なんです」 
「そうだったんですか……」
 彼女は唇を噛み締めながら苦悶の表情を浮かべていた。同じ高校だった訳じゃないので、美波と同じ学校に通っていた中学の同級生に聞いた話ですけど、と前置きをすると、彼女はポツリポツリと語り始めた。
「薬物です。私もあまり詳しくはないのですが、確か美波の死体からは大麻が検出されたそうです、その……体液も」
「ヤクブツ? タイエキ?」
 女子高生とそのキーワードがあまりにも結びつかずに聞き返してしまったが、彼女は構わずに続けた。
「美波への嫌がらせは高校二年生になってから、突然始まったそうです……」
 毎年クラス替えがある高校で、新しいクラスにはどこにでもいるタイプの目立ちたがり屋、スクールカーストを勝手に作りあげて自分がトップにいると勘違している馬鹿女がいたらしい。浅間と言う名の勘違い女は、二年になっても自分がクラスの中心になって、女王様気分を味わう事を疑いもしなかった。しかし同じクラスには星野美波がいた。美しくて聡明、ソフトボール部ではすでにレギュラーのポディションを獲得し、先生や上級生からの評判もすこぶる良い本物の逸材。当然クラスでは美波中心に輪が広がる。浅間はもちろん気に食わないが、小学生の頃から大した能力も無いくせに、女王様気取りでいられたのにも、ちゃんと理由があった。
 圧倒的に情報コントロールに長けていた浅間にかかれば、真実の隠蔽はもちろん虚偽の捏造。人気者を一気に失墜させる事など朝飯前。この手のタイプは努力して自分を磨く事よりも、相手の評判を下げることに全力を尽くす野党のような人種なのだ。
「しかし、そんな事、すぐに周りも気がつくんじゃ」 
「はい、もちろん気が付いている人間もいたと思います、これはどんな学校でも一緒なので分かるのですが」
「じゃあ、どうして」
「関わりたくないんですよ。もし余計な事をして、矛先が自分に向くことをみんな恐れているんです」
 中高生にとって学校は全てなんです、誇張でも大袈裟に言っているわけでもなくて、本当に全てなんですと彼女は付け加えた。
「逃げ出してしまえば良い、死ぬほど嫌なら辞めてしまえば良いと言うのは大人の考えだと」 
「ええ、私も今の年齢になればくだらないと思います、でも狭い世界に生きている私たちには、他の選択肢がなかったんだと思います」
「我慢し続けるか死ぬか……」
 あまりに理不尽な二択だった。
「美波は一体、何をされたんですか!」
 興奮してうっかり名前で呼んでしまったが、彼女は気にしてる様子はなかった。
「美波はどんな嫌がらせを受けても、平然としていたそうです。いつもの正義感が強く真面目な彼女のまま、何も変わらなかったと友人は言っていました、けど。それが浅間の怒りを余計に買ってしまったそうです」
 橘美穂はアイスティーに口をつけた。そして、友人の話と、新聞や雑誌に取り上げられていた情報を彼女なりに整理して、美波が自殺するまでの顛末を語ってくれた。
 浅間はまず、暖簾に腕押しでまったく手応えのない美波に業を煮やし作戦を変えて来た。仲間外れにするのではなく、仲間に引き入れたのだ。あのとおり、人を疑う事をまるで知らない美波は、声を掛けられたら今までの事などすっかり水に流して。いや、そもそも嫌がらせを受けていた事さえ自覚がないかも知れないが。ともかく浅間と仲良くなっていき、夏休みに入った。
 基本的には部活動で忙しい美波だったが、最後の二日間、つまり八月三十日と三十一日は休みだったようだ。浅間はその日を待っていた。夏休みの宿題が全然終わらないから手伝って欲しいと頼まれた美波は、何の疑いもなく浅間の家を訪れた。
 浅間は冷たい飲み物と一緒にチョコレートやグミ、キャンディーを振る舞った。しかし、それらは日本では手に入らない大麻入りの特殊な食べ物だった。一般的にはタバコのように煙を吸い、肺を刺激するのが普通だが、食べ物に混入させて腸に働きかける事で、より一層効果を持続させる事が可能だと言う。細い体で大飯食らいの美波は大麻入りのお菓子を次々に平らげ、数十分後には薬物酩酊状態になった。
 それらを用意したのは、浅間の知り合いだと言う都内の大学生だ。怪しげなサークルで女性に大量の酒を強要して酔わせ、時には睡眠薬を飲ませ、更には今回のように違法な薬物を無理やり摂取させて性行為に及んだ。美波が自殺した事で明るみになった彼らの被害者は、被害届を出した人間だけでも三十人をゆうに超えた。
 薬物漬けになった美波を、大学生たちは二日間に渡り強姦し続けた。この屑を絵に描いたような男たちと、浅間は合コンで知り合い。浅間自身も薬物に手を染めていた。やり部屋と化したその部屋は当然浅間の家ではなく、主犯の大学生が親から当てがわれた高級マンションだった。
 後日、主犯の男と浅間は警察の取り調べで「美波は知っていて大麻を摂取したので無理やりではない」と、供述していたが。彼らの前歴と美波の生活態度を鑑みて、明らかに虚偽を述べていると判断されたらしい。それでも、証拠隠滅の為に美波を校舎屋上から突き落としたのではないか、と言う殺人の容疑がかかると、慌てて強姦の罪を認め、気がついたら部屋からいなくなっていたと語った。美波が自殺した際、大麻の効力はまだ残っていたと見られ、平静な判断が困難な状況だったのではないかと言われているが、それは本人にしか分からない。
 人一人が死亡した事件にもかかわらず、彼らと浅間には執行猶予付きの温情判決だった。金持ちの親が雇った凄腕の弁護士が暗躍したのは火を見るよりも明らかで、ワイドショーでは連日彼らの鬼畜の所業について議論が交わされたが、メディアによって司法の決定が変わるべくもなく、いつの間にかその凄惨な事件は人々の記憶からも薄れていった。
「キャッ!」
 橘美穂は話し終えると小さな悲鳴をあげた。その視線の先に目を落とすと、握りしめた拳から血が滴り落ちている。あまりの怒りに無意識に拳を固めていたようだ。俺は「ちょっと失礼します」と頭を下げてから、血が垂れないように洗面所に向かった。
 手のひらは食い込んだ爪が皮膚を突き破り、ボロボロになっていた。構わずに水で洗い流すと刺すような痛みが走る。想像を絶する話だった。怒りを通り越して新たな感情が芽生える感覚があった。一度沸点に達し、急降下するように心が冷えていく。
「ダメだろ、そんな奴ら殺さなきゃ……」
 呟くとさらに冷静さを取り戻してきた。自らの目標、登るべき山の頂。人はそれを夢と呼ぶ。キラキラと輝くはずのその場所は、俺にはドブ川のように汚れた灰色に見えた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、すみません。少し切っただけです」
 洗面所から戻ると、彼女の目は真っ赤に充血していた。辛いことを思い出させて申し訳ないことをした。しかし、その悲しみ、溜飲を必ずや俺が下げますよと、心の中でそう誓った。
 店を出て、心ばかりの謝礼を渡そうとするが断られた。彼女のことを風化させないで欲しい、メディアにはその力があるとも。最後にソフトボールの宣伝もよろしくお願いしますねと言った彼女は晴れ晴れとした顔をしていた。
「狭い世界……か」
 もし自分がその時、美波のそばにいたとして彼女を護ることが出来たのだろうか。狭い世界から連れ出せたのだろうか。彼女はどうして現世に戻ってきてしまったのか。
 
 俺は美波を救えるのだろうか――。
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