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作者: 桐谷 碧
10
『松庵寺』に着く頃には汗でびっしょりだった。ネクタイだけでなく、サングラスとマスクも既に外している。お盆真っ只中とはいえ、このクソ暑い日中に墓参りをしている特異な人間がチラホラといる事に驚いた。
 俺は両親が眠る墓の前で目を瞑った。花も線香も用意していない。あの臭いが嫌いだし、何の意味があるか分からない事はやらない主義だ。二人も俺らしいと笑ってくれるだろう。
 どれくらいの時間そうしていたか分からない。五分くらいだったかも知れないし、一時間以上経過していたかも知れない。この場所に来ると時間の感覚が無くなり、心が研ぎ澄まされる。会話はしない、俺が一方的に話し掛けるだけでもちろん返事はない。当たり前だ、死んだ人間は土に帰り有機物から無機物になる。幽霊だの心霊だのは人間が作り上げた幻に過ぎない。もしも存在するのなら、二人はとっくに俺に会いに来ているはずだ。
 それでもこの場所を訪れるのは、二人を忘れないためだ。人間は二度死ぬらしい、肉体が滅びた時と、人の記憶から無くなった時。両親を二度も死なせる訳にはいかなかった。
「海斗……?」
 蝉の声に紛れて、微かに俺の名を呼ぶ声が聞こえた。ゆっくりと振り返る。
「めぐみ、か」
 三年ぶりに会う幼馴染は、すっかり垢抜けて大人の女性のようになっていた。短かった髪も、胸の辺りまで伸びている。久しぶりの再会に歓喜する事はない。本来ならば誰にも会いたくなかった、特にめぐみには。
「海斗、今どこにいるの? 何やってるの? あんな事があって、急にいなくなっちゃうから心配してたんだよ! 何してるのよ、もう……」
 めぐみはくしゃりと顔を歪めて、泣き笑いの顔になる。
「生きてて良かった」
「高校でも、野球部のマネージャーやってるのか?」
 なんて答えて良いか分からずに適当な質問をすると、めぐみは泣きながらウンウンと頷いている。小さな頃からキャッチボールの相手をしていて、心臓が弱いのに小六まで少年野球チームに入っていた。中学に上がってからは流石にマネージャーに転身したが、下手な奴よりも速い球を投げて皆を驚かせた。
「もしかして……」
 めぐみが手に、花と線香を持っている事に気がついた。
「おじさんと、おばさんのお墓に」
 そう言ってめぐみは佐藤家の墓前に花を供えると、線香に火を付けて香炉に置いた。しゃがんだまま手を合わせて黙祷している。俺が死んでもめぐみが二人を覚えていてくれる。そう思うと安心した。
「ねえ、海斗。今どこに住んでるの? 今時間ある? 少し話せない?」
 矢継ぎ早に質問してくるめぐみに曖昧な返事を返していると、また泣き出してしまった。
「茨城の親戚の家にいるよ」
 嘘をついた。もう俺とは関わらない方がいい。
「電話番号は? ねえ、一応住所も教えて」
 俺が適当な電話番号と住所を言うと、めぐみはスマートフォンに打ち込んだ。その場で電話を掛けるほど俺は疑われていないようだ。
「このあと時間ない? 少し話したいの」
「悪い、用事が入ってるんだ」
 俺が出口に向かって歩き出すと、めぐみはすぐ後ろを付いて来た。
「馬鹿なこと考えてないよね?」
 その言葉に反応してしまいその場で立ち止まると、背中にめぐみがぶつかってきた。フワリと甘い香りがする、懐かしい匂いだった。
「なんだよ、馬鹿なことって」
「……」
 すっとボケるとめぐみは黙った。何のことかは分かっている。俺の両親を殺した男、野村賢治の最終公判で懲役十年の実刑判決が出た瞬間。あいつは微かに笑った、俺はそれを見逃さなかった。
「絶対にぶっ殺してやる!」
 俺が立ち上がって叫ぶと、あいつはコチラに向かって深々と頭を下げた。しかし、その両肩が小刻みに震えている。笑っているのだ。俺には分かった。俺は必ず復讐をする。めぐみはそう思っているのだろう。ああ、その通りだ。合っている。
 懲役十年? 何を言ってるんだ?
 法治国家、司法の判断。そんな事は知った事じゃない。犯した罪の対価は俺が決める。
「大丈夫だよ、もうとっくに心の整理がついた」
 振り返らずに言った。目を見られたら嘘が見抜かれそうで怖かった。
「そっか……」
「じゃあな」
「あ、駅? だったら私も用事あるから」
 一緒に行こう、と言う事らしい。断るのも不自然だと思い、俺は小さく頷いた。めぐみは少し元気を取り戻して、合わなかった三年の間に何が合ったかを夢中に話した。誰と誰が付き合った、今の野球部が甲子園予選の二回戦で惨敗した、弟に生意気にも彼女ができたなど。普通の高校生の普通の話題。それが俺には別世界の、遠い異国の話に聞こえた。
「あ、あとさ。小林くん覚えてる?」
「小林?」
「三年三組だよ、海斗と一緒のクラスだったでしょ?」
 両親が死ぬ前、遥か昔に感じる記憶を辿るが、小林と言うクラスメイトの顔が出てこない。
「岸谷くんたちが、ちょっとからかってた男の子だよ」
 岸谷は覚えている。友達ではないが、いわゆる不良グループのリーダー的存在で、嫌でも目立つ。そして、そのグループに毎日のように小間使いされていた痩身の男が確かにいた。あの男が小林だったのだろうか。
「そいつがどうした?」
 さして興味もなかったがめぐみに先を促すと、急に声をひそめて喋り出した。
「自殺したんだって」
 ピクっと頬が反応する。日本全国で、一日に六十人以上の人間が自殺しているというデータを思い出した。小林はその一人になったのだ。
「ふーん、なんでまた」
「それが虐めらしいんだけど、遺書っていうか、日記みたいなのが見つかってね、そこに今までに虐めてきた人の名前が全部書かれてたんだって」
 なるほど。タダじゃ死なない。それも立派な復讐だ。俺は少しだけ小林を見直した。
「そこに岸谷くんたちの名前もあったみたいなの、だから警察にも呼ばれて事情聴取? されたらしくて、それで……」
 そんな物は自業自得だ。同情の余地はない。
「高校でも虐められていたってことか?」
「あ、うん。だと思う、ちょっと暗い感じの子で、何されても逆らわないから狙われやすかったのかも」
 もちろん加害者が全面的に悪いが、被害者にも多少の非はある。やめて欲しければ毅然とした態度で物申せば良いだけだ。親や先生に言ってもいい。まあそんな行動が起こせる人間は初めから虐めの対象にもならないし、自ら死を選ぶこともないだろう。結局、自殺なんてのは心の弱い――。
 そこまで考えてから思考を停止する。
 美波は、彼女の心は決して弱くなんてない。悪い事は悪いと言える正義感。たとえ悪者でも改心すると信じる優しい心。自殺を選ぶような人間じゃないはずだ。ならどうして。
「めぐみの学校でも虐めとかあるのか?」
「え? ああ、うん。ちょっとしたやつなら、ちょこちょこあると思うよ」
「どんなタイプがターゲットになる? 女子だ」
 俺はめぐみの正面に立ち、両腕を掴んだ。
「どうしたの、海斗?」
 不安げに俺を見上げるめぐみを見てハッとした。慌てて両腕から手を離して目を逸らす。
「そうだなあ、基本的には気弱そうな子とか、外見に変わった特徴がある子が狙われやすいと思うけど、あとはすっごい可愛い子とか」
「可愛い子……」
「そう、私とか。なーんてね」
 ようやく三年の月日に追いついてきためぐみが、軽口を叩いて俺を和ませた。しかし、やはり。美波は虐めを苦に自殺を考えているのかも知れない。あの天真爛漫な笑顔の裏に、とてつもない絶望と恐怖が隠されているのかと思うと胸が張り裂けそうになる。俺が助けなければ、絶対に。それはすでに俺の使命となりつつあった。
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