▼詳細検索を開く
作者: 桐谷 碧
「だだいま」
 誰もいないリビングに向かって呟いたが、真っ暗な空間からの返事はない。それでも久しぶりに人と会話をした事が、思いのほか俺のテンションを上げているようだ。フッと鼻を鳴らして冷蔵庫を開けた。
 
 美波が友達になってあげるよ――。

 帰り際に彼女はそう言った。小娘、と言うほど年齢は離れていないが。俺は普通の十八歳じゃない。二年前に両親を亡くして天涯孤独。死亡保険と遺産で金には困らないが、いつか貯金は尽きるので働く事にした。いや、それしか選択肢は無かった。幸い、プログラマーだった父親から技術を学び、営業だった母から仕事の取り方を生前に学んでいたおかげで、すぐに自分一人が生活出来るくらいの稼ぎは確保できた。
 人間は生活費さえ稼げれば生きていける、まだ若いのに夢や希望を持たないなんて勿体無いと、何も知らない赤の他人は言うだろう。心配には及ばない。夢ならばある。
 冷蔵庫の中には殆ど何も入っていなかった。スーパーに行きそびれたのだから当然だ。普段から買い置きはしない、その日に食べる物はその日に買う。しかし、缶ビールだけは常に二、三本は冷やしてある。飲まないと眠れないなんて中年の親父みたいだ。キンキンに冷えた缶ビールを取り出して、プルタブに指をかけた。
 
 海斗くん、未成年のクセにビールなんか飲んだらダメじゃない――。
 
「チッ! 何なんだよあの女は」
 俺は缶ビールを冷蔵庫に戻して、扉を閉めた。そのまま風呂に入りベッドに横になる。久しぶりにいろんな事があり疲れていたのだろう、不思議と嫌な疲れじゃない。酒を飲まなくてもあっという間に眠りについた。

 
 ――高速道路の追い越し車線で停車した白のワンボックスを、俺は車外から俯瞰で見ている。ああ、またこの夢か、と、うんざりした所で目は覚めずに続いていく。運転席には父親、助手席には母親が座っていて二人はなぜか笑っていた。そこにいたら危ない。早く車を発信させてと叫ぶが、俺の声は形を成さずに崩れ落ちていく。車に近づきたくても左腕をガッチリと誰かに掴まれていて動けない。いくら暴れても、二人には一ミリも近づく事が出来なかった。
 ふと、右に目をやると大型のトラックが猛スピードで近づいてくる。俺は叫ぶ、声にならないと分かっていても必死に叫ぶ。結末の分かっている夢を、すでに起こった現実を必死に書き換えようと争う。
 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
 しかし、結果はいつも変わらない。二人を乗せた車は激しいブレーキ音の後に目の前から消えた。まるでマジックのように一瞬で、二人の命はこの世から消えた。
 俺は振り返り睨みつける。腕を掴んでいるサングラスの男は、卑しく唇の端を持ち上げて笑っていた。
「舐めた真似してっから、こうなるんだよ」
 そこで俺は目が覚める。一人ぼっちの世界に呼び戻される。そして誓う。サングラスの男、あいつを必ず殺してやると。それが俺の生きている理由であり、必ず達成しなければならない夢なのだ。その夢が叶う日まではせめて、せめて穏やかな日々を過ごしたい。この世に一人でも構わないから。そう思って生きてきた。

 星野美波に出会うまでは――。
Twitter