第12話 シリウスとの距離
(空気が重い……料理は美味しい……おも……うま……)
良いものと悪いものを同時に摂り続けること数日。一切の沈黙と気まずさにはまだ慣れないものの、目の前に出される料理を味わう余裕が出始めていた。しかし、今日はいつもと違う感覚があった。
「……」
僕に対して全く見向きもしなかったシリウスだったが、今日は時々視線を感じる。僕の事を探っているような目線だ。マナーは図書室から借りた本で学んで気をつけているから大丈夫、だと思いたい。
(連日僕が何も嫌がらせをしない事を不思議に思ってるのかな?)
ほぼ毎日のように当たり散らしていたハルトが、急に大人しくしていたら疑うのも無理は無い。というかよく今まで一緒に食事をし続けていたな、という疑問すら上がってきた。
「ハルト」
僕が思い悩んでいる所で、シリウスは僕の名前を呼んだ。重苦しい静寂をスパッと切り裂くように響いた低い美声は、僕の心臓が鷲掴みされたように全身を一気に強張らせた。どうにかシリウスのほうに顔を向けて返事をしなければと声を絞り出す。
「へっ? な、何? 兄さん」
「……以前もだったが、兄さんと呼ぶようになったのか」
「う、うん……これまでがおかしかったことに気づいたというか……」
「やはり、以前とは様子が違うようだな」
何かを飲み込んだ様子のシリウスは、ナイフとフォークを音を立てずに置く。凛とした目つきで僕と向き合い、真摯に話をしようとしてくれている。それに合わせて僕も背筋を正す。
「やはり、って?」
「セレナからの進言があったのだ。今のハルトと向き合ってみてください、と」
「セレナが、そんなことを?」
「ああ」
セレナに僕の心境を打ち明けたのは昨日のことだ。シリウスとの関係も少しずつ直していけたらいいな、と思ってはいたのだけれど、まさかその翌日にきっかけを作ってくれるとは思っていなかった。ここは大事なところだ、と襟を正すと、シリウスは一瞬だけ僕から目線を逸らし、泳がせた。
「私は」
「?」
シリウスはぽつりと、さっきまでの響く声ではなくやや自信が無いような声で話を始めた。
「……お前が私の事をどう思っているか、考える暇も無かった」
「兄さん……」
「直接聞こうにも、有意義な対話が見込めないだろうと切り捨てていた」
「……それは僕のせいです、はい」
ハルトの行いは話しても無駄だと思わせていたし、ハルト自身も耳を貸さなかっただろうから僕の非で間違いない。申し訳なさにせっかく伸ばした背筋が丸まってしまう。しかしシリウスは僕の顔をしっかりと見つめ続けている。
「だから、聞かせてほしい。話してくれないか? ……お前の気持ちを」
「……」
ハルトは、シリウスの恋路を邪魔するサブキャラである。だから極力関わらないのがお互いのためだと思っていた。しかしそれは、あくまでゲームの都合の話。今は生きている二人の、兄弟としてのコミュニケーションが必要なのだ。一度深呼吸してから、ハルトとしての気持ちを包み隠さず伝えよう。
「ずっと……何を頑張っても、全部兄さんより下だって皆から言われ続けてさ」
「……」
「だから、何もかも嫌になった。誰にも気持ちを理解してもらえないのが嫌で、周囲に当たってたんだ。……兄さんには一番強く、ね」
まだ中等部であるハルトに、この気持ちは上手く表現できなかっただろう。どう扱えばいいかわからなかっただろう。ただシリウスにがむしゃらにぶつけることしかできなかった。
「寧ろ僕は、兄さんに邪魔だと思われたから避けられたんじゃないかって……」
「そういう訳では無い。……私も自分の事ばかりで余裕が無かったから。お前と向き合うことを怠っていた」
二人は決定的にすれ違ってしまっていたのだ。ハルトは何をしても素っ気ない兄に嫌悪感を抱き、シリウスは自分に嫌がらせをする弟を避けてきた。
「その、これまで……本当にごめん」
「いや、俺も至らないところがあったのだ。こちらこそ悪かったな」
「うん。……改めて、兄弟としてやっていきたいんだけど……いいかな?」
「ああ、無論だ」
「もう、そんなに畏まらないでほしいな。兄弟なんだし」
「う、うむ……善処する」
朝食の時に必ず流れる、会話のない沈黙の時間。けれど今の静寂な時間は心地よかった。まだ完全じゃないかもしれないけど、ハルトとシリウスの確執を解かすことができた。これでサブキャラとして邪魔をしてしまう要因が減らせたのでは無いだろうか。全身の力を緩めて食事を再開しようと思ったのだが、シリウスはまた険しい表情になった。
「それはそれとして、だ」
「え、何?」
「ハルト、……一体お前の身に何があったんだ?」
「へ?」
先程までのしんみりとした空気はどこへやら、兄の質問に思わず間の抜けた声が出てしまった。
「お前がここまで大人しくなるとは、余程の事があったに違いない」
「あー、えっと、これは説明が非常に難しくて……」
そういえば、シリウスはリリアと一定以上親密な関係になるとやや心配性な一面が見受けられるようになっていたことを思い出す。その片鱗が今ここで露見していた。
「まさか、学園で理不尽な目に会ったせいで無理やり改心させられたのではないか?」
「……えぇ?」
「そうでなければ、お前がこれまでの行いを急に正せるはずがない……何をされたのかすぐに調べさせなければ」
「兄さん? 自覚無いかもだけど結構酷いこと言ってるよ?」
僕の中で完璧だと思っていたシリウスの印象が少しだけ変わった。案外、不器用なところがあったのだ。ただ、この天然さ故に元のハルトは仲良くなれなかったのかもしれないな、という結論に至った。
良いものと悪いものを同時に摂り続けること数日。一切の沈黙と気まずさにはまだ慣れないものの、目の前に出される料理を味わう余裕が出始めていた。しかし、今日はいつもと違う感覚があった。
「……」
僕に対して全く見向きもしなかったシリウスだったが、今日は時々視線を感じる。僕の事を探っているような目線だ。マナーは図書室から借りた本で学んで気をつけているから大丈夫、だと思いたい。
(連日僕が何も嫌がらせをしない事を不思議に思ってるのかな?)
ほぼ毎日のように当たり散らしていたハルトが、急に大人しくしていたら疑うのも無理は無い。というかよく今まで一緒に食事をし続けていたな、という疑問すら上がってきた。
「ハルト」
僕が思い悩んでいる所で、シリウスは僕の名前を呼んだ。重苦しい静寂をスパッと切り裂くように響いた低い美声は、僕の心臓が鷲掴みされたように全身を一気に強張らせた。どうにかシリウスのほうに顔を向けて返事をしなければと声を絞り出す。
「へっ? な、何? 兄さん」
「……以前もだったが、兄さんと呼ぶようになったのか」
「う、うん……これまでがおかしかったことに気づいたというか……」
「やはり、以前とは様子が違うようだな」
何かを飲み込んだ様子のシリウスは、ナイフとフォークを音を立てずに置く。凛とした目つきで僕と向き合い、真摯に話をしようとしてくれている。それに合わせて僕も背筋を正す。
「やはり、って?」
「セレナからの進言があったのだ。今のハルトと向き合ってみてください、と」
「セレナが、そんなことを?」
「ああ」
セレナに僕の心境を打ち明けたのは昨日のことだ。シリウスとの関係も少しずつ直していけたらいいな、と思ってはいたのだけれど、まさかその翌日にきっかけを作ってくれるとは思っていなかった。ここは大事なところだ、と襟を正すと、シリウスは一瞬だけ僕から目線を逸らし、泳がせた。
「私は」
「?」
シリウスはぽつりと、さっきまでの響く声ではなくやや自信が無いような声で話を始めた。
「……お前が私の事をどう思っているか、考える暇も無かった」
「兄さん……」
「直接聞こうにも、有意義な対話が見込めないだろうと切り捨てていた」
「……それは僕のせいです、はい」
ハルトの行いは話しても無駄だと思わせていたし、ハルト自身も耳を貸さなかっただろうから僕の非で間違いない。申し訳なさにせっかく伸ばした背筋が丸まってしまう。しかしシリウスは僕の顔をしっかりと見つめ続けている。
「だから、聞かせてほしい。話してくれないか? ……お前の気持ちを」
「……」
ハルトは、シリウスの恋路を邪魔するサブキャラである。だから極力関わらないのがお互いのためだと思っていた。しかしそれは、あくまでゲームの都合の話。今は生きている二人の、兄弟としてのコミュニケーションが必要なのだ。一度深呼吸してから、ハルトとしての気持ちを包み隠さず伝えよう。
「ずっと……何を頑張っても、全部兄さんより下だって皆から言われ続けてさ」
「……」
「だから、何もかも嫌になった。誰にも気持ちを理解してもらえないのが嫌で、周囲に当たってたんだ。……兄さんには一番強く、ね」
まだ中等部であるハルトに、この気持ちは上手く表現できなかっただろう。どう扱えばいいかわからなかっただろう。ただシリウスにがむしゃらにぶつけることしかできなかった。
「寧ろ僕は、兄さんに邪魔だと思われたから避けられたんじゃないかって……」
「そういう訳では無い。……私も自分の事ばかりで余裕が無かったから。お前と向き合うことを怠っていた」
二人は決定的にすれ違ってしまっていたのだ。ハルトは何をしても素っ気ない兄に嫌悪感を抱き、シリウスは自分に嫌がらせをする弟を避けてきた。
「その、これまで……本当にごめん」
「いや、俺も至らないところがあったのだ。こちらこそ悪かったな」
「うん。……改めて、兄弟としてやっていきたいんだけど……いいかな?」
「ああ、無論だ」
「もう、そんなに畏まらないでほしいな。兄弟なんだし」
「う、うむ……善処する」
朝食の時に必ず流れる、会話のない沈黙の時間。けれど今の静寂な時間は心地よかった。まだ完全じゃないかもしれないけど、ハルトとシリウスの確執を解かすことができた。これでサブキャラとして邪魔をしてしまう要因が減らせたのでは無いだろうか。全身の力を緩めて食事を再開しようと思ったのだが、シリウスはまた険しい表情になった。
「それはそれとして、だ」
「え、何?」
「ハルト、……一体お前の身に何があったんだ?」
「へ?」
先程までのしんみりとした空気はどこへやら、兄の質問に思わず間の抜けた声が出てしまった。
「お前がここまで大人しくなるとは、余程の事があったに違いない」
「あー、えっと、これは説明が非常に難しくて……」
そういえば、シリウスはリリアと一定以上親密な関係になるとやや心配性な一面が見受けられるようになっていたことを思い出す。その片鱗が今ここで露見していた。
「まさか、学園で理不尽な目に会ったせいで無理やり改心させられたのではないか?」
「……えぇ?」
「そうでなければ、お前がこれまでの行いを急に正せるはずがない……何をされたのかすぐに調べさせなければ」
「兄さん? 自覚無いかもだけど結構酷いこと言ってるよ?」
僕の中で完璧だと思っていたシリウスの印象が少しだけ変わった。案外、不器用なところがあったのだ。ただ、この天然さ故に元のハルトは仲良くなれなかったのかもしれないな、という結論に至った。