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作者: こむらまこと
第33話 海難0527〈六〉
 妹の紅葉もみじが、小さな式神と戯れている。
『ミーン! ミーン!』
『セミしゃん、まってー』
 小さな蝉の式神を、小さな紅葉が無邪気に追い回している。
『楓。式神なんて、創るもんやない』
 そんな和やかな光景を眺めながら、父が乾いた声で楓に話しかけてくる。
『創るにしても、魂を持たない一時的なハリボテにしておくんや。せやないと……』
 ここで、父の言葉が途切れる。
 少女の楓は、楽しそうに走り回る妹を眺めながら、どうしてなのだろうと疑問に思う。それと同時に、これはきっと、聞いてはいけない事なのだと理解する。
 だから、代わりに別の疑問を父に投げかけてみることにしたのだ。
『そないなら、なしてうちに創り方を教えるん? 創らん方がええ言うなら、別に知らんままでもええんやないの?』
 我ながら、至極もっともな疑問であると思う。
 それなのに、いつまで経っても父から返事がこない。
『父ちゃん?』
 痺れを切らして、父の顔を覗き込もうとする。
 雑木林の中、幾千もの蝉が、やかましく叫び続けている。
 蝉の鳴き声が、楓の頭の中を覆い尽くす。
 父の顔が、見えない。



「――かえで! 楓! おい、しっかりしろ!」
 すぐ目の前に、梗子の顔が迫っていた。
(まつ毛も、青く光るんやな)
 遠い日の記憶から浮上しながら、そんなどうでも良いようなことに気がついてしまう。
「ここでは、お前が一番の頼りなんだぜ。変にトリップされたら困るんだよ」
 梗子の、厳しさと美しさを湛えた瞳が、楓の心を急速に現実へと引き戻していく。
 楓は、肩に置かれた梗子の手に自分の手を重ねると、そっと退けた。
「その通りや。うちとしたことが、とんだ失態やな」
 小さく首を振って蝉の鳴き声の残滓を振り払うと、梗子の背後で心配そうに見守っている明を見た。
「菊池君の言う通り、式神を創ろう思うわ」
「えっ、良いんですか?」
 明が、意外そうな表情を浮かべた。梗子は黙ったまま、目だけで話の続きを促してくる。
「ただ、あのスキュラに対抗できる力を持った式神を創るとなると、色々と特別な素材を用意せなあかんのやけど。せやな、一番良いのは――」
 楓は2人に対して、式神の創造に必要な素材や手順を詳しく解説していく。
 息を継ぐ間もなく話し続けることで、あの夏の日の記憶を、元通り記憶の彼方に押し戻すことができるのではと、少しだけ期待してみる。
(ほんでも、教えてくれといて助かったわ)
 それでも一応は、感謝をしておくことにした。
 もういない父に向かって。 



「意外と少ないんだな」
「これでもまだ、いる方だと思いますよ。昨夜はかなり時化しけてたみたいですし、大波に乗せられてきたのかもしれません」
「ふうん、そんなもんか」
 梗子は明の話に相槌を打ちつつ、鋭い目つきで周囲を警戒する。その手には当然ウェークが握られ、梗子の側頭部には摩利支天の御札が貼り付けられている。
「でも、流石に生きてる個体やつはいそうにないですね」
 自らは隠形法によって姿を隠している明は、持参していた皮手袋をはめた手でトビウオの死体を拾い上げ、丁寧にビニール袋の中に入れていく。
 2人がいるのは、船の最前部に位置する甲板の上である。強力な式神を創るのに必要な「素材」を確保するため、明と梗子は一時的に船の外に出ていた。
 いかりの操作に欠かせない揚錨機ウィンドラスや、船を岸壁に係留するためのロープが巻かれた係船用ウィンチなどの特殊な船用機械が配置されたこの区画には、宙を滑空する魚であるトビウオが飛び込んでくることがしばしばある。このトビウオは、新鮮なものであれば刺身にして食することも可能で、かくいう明も主計科の後輩である竹内と共に、その味を楽しんだ経験があった。
「この大量のトビウオを素材にして創る式神って、どんな感じになるんでしょうね」
「そりゃあ、人間の大きさくらいのトビウオが出来上がるんじゃねえの」
「それは、ちゃんとスキュラの相手になってくれるんですかね……」
 楓の話によると、最も理想的なのは、生きた状態の動物をそのまま式神の素材として用いることだという。それが難しい場合は、死後間もない動物の死体を大量に集めることで、そこそこ強い式神が創造できるらしい。
「とにかく、やってみるしかねえよ。それに、式神はあくまで俺らの補助として使うつもりだし、ある程度丈夫なのが出来れば十分だろ」
「それもそうですね」
 明は最後の1匹をビニール袋に入れると、立ち上がって腰を伸ばした。
 念の為、見落としが無いかどうか甲板上を隅々まで見渡してみる。
「……ん? なんか」
 揚錨機ウィンドラスに目を向けた明は、その陰に茶色の小さな物体が落ちているのに気がついた。錆の浮き出た機械や甲板に紛れて見えにくくなっていたようだが、よく見ると羽毛のようなものに覆われている気がする。
「もしかして」
 明は、その物体に早足で近寄った。
 すぐに追いついてきた梗子と一緒になって、甲板に横たわったそれを見下ろす。
「海鳥ですね」
「海鳥だな。ありがたく使わせていただこうぜ」
 焦げ茶色の翼に、白地に焦げ茶の斑点模様の頭部。先端が鉤型になった細長いくちばしに、水掻きが付いたピンク色の脚。大きさはカモメやウミネコと同程度だが、鳥の種類に詳しくない明や梗子には、この海鳥がカモメやウミネコとは違うという事くらいしか分からない。
 海を往く船と鳥たちとの間には、切っても切れない密接な関係がある。餌となる魚を求めて船の後を追い、上手いこと豊富な餌にありつける鳥もいる一方で、本来の生息地から離れすぎてしまい、衰弱して力尽きる鳥も少なくない。
 明はビニール袋を甲板に置くと、皮手袋をはめた手を海鳥に伸ばした。
 楓によると、2種類以上の生き物を素材として創った方が、より強力な式神が出来上がるらしい。
(可哀想だけど、これも何かの縁だ。式神の一部となって、俺たちに力を貸してほしい)
 心の中で断りを入れながら、両手で拾い上げようとした時だった。
「うわっ!?」
 皮手袋の指先が羽毛に触れた瞬間、それまで微動だにしなかった海鳥が目を見開き、羽毛を散らさんばかりの勢いでバサバサと羽ばたき出したのだ。
「い、生きてる」
「生きてるな」
 予想外の展開に呆然とする明と、目を輝かせる梗子。
「すげえぞ! こいつを使って式神を創ったら、かなり強い式神になるんじゃねえの?」
「え、ええ……まあ」
「……菊池、お前まさか」
 言葉を濁らせる明を、梗子がじろりと睨みつける。
「式神にするのが可哀想とか思ってたり」
「大丈夫です」
 明は、自分自身を叱責した。もうこれ以上、自分の都合で他の2人に迷惑をかける訳にはいかない。
「……」
 海鳥が、羽ばたくのを止めていた。やはり、相当衰弱しているのだろう。これ以上は抵抗する素振りを見せることもなく、つぶらな瞳で明を見つめている。
 明は、海鳥の前に片膝をつくと、おそるおそる両手を伸ばした。
 10cmほど手前で一旦手を止めて、海鳥の小さく黒い瞳を覗き込む。
「お前、式神になってまで生きたいと思うか?」
「……」
 当然、海鳥は何も答えない。
(聞いたところで、分かるわけ無いよな)
 明は自嘲した。こんな質問は、ただの自己満足に過ぎない。
 明は皮手袋をはめた両手で、そっと海鳥を包み込んだ。抵抗しないことを確認して、そろりそろりと持ち上げて胸に抱える。
「行くぞ」
 梗子が、明を促した。今は別の場所にいるようだが、いつスキュラが現れるか分かったものでは無いのだ。
 明は甲板に置いていたビニール袋を拾い上げると、梗子と共に、独りきりで船内で待機している楓の元へと急ぎ足で戻っていった。
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