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作者: こむらまこと
第26話 犬吠埼沖糧食盗難事件〈六〉
 後日。
 快晴の空の下、巡視船「あずま」の後部甲板こうはんにおいて、海異対職員と「あずま」乗組員による付喪神たちの歓迎会が開かれた。
 国際信号旗による通信方法の練習も兼ねていたため、まずは予告していた時間に「あずま」が犬吠埼沖を訪れ、それを確認した付喪神たちが灯台のてっぺんで「Kキロ」の旗を掲げ、更にそれを確認した「あずま」が回答旗を掲げて応答する。
「よし、跳ぶぞ!」
「やっぱり私は……」
「心配すんなって! 俺がそばについていてやるからさ!」
 本体から遠く離れることを渋る響に対し、普段滅多に見せない年上らしさを発揮するルミエール。
 そんなこんなで、響とあかりを連れたルミエールが「あずま」に出現したことにより、国際信号旗による通信が有効であることが証明された。
 そして。
「すげえ!」
 目の前に広がる光景に、付喪神たちは目を見開く。 
 「あずま」後部甲板には、多種多様な食べ物がバイキング形式で並べられていた。
「今日は、好きなだけ食べてくれ」
 付喪神たちと顔見知りである菊池明が主に進行役となり、「あずま」における歓迎会という名の付喪神限定食べ放題イベントは大成功裏に終わった。
 さらに後日、再び犬吠埼灯台を訪れた明が聞き取り調査を行ったところ、「あずま」でたらふく食べて大満足したことにより、今後は2、3ヶ月に1度くらいの頻度で船に跳べば十分であるという感想を得ることができた。付喪神に限らず、怪異や妖は気紛れなのでこの感想を真に受けるわけにはいかないが、それでも以前よりは控えてくれるだろう。明は海異対の室長に対し、そのように報告したとのことである。
 一方、内航海運業界においても、今井氏による各方面への働きかけにより、商船において犬吠埼灯台の付喪神たちを受け入れる態勢が整いつつある。
 今井氏曰く、「航海の安全をお護りいただいた灯台の付喪神様たちにご馳走して差し上げる名誉な役割を、このまま海保に独占させるのは我慢がならない!」とのことである。
 そして朝霧まりかは、犬吠埼から横浜の事務所に帰宅してすぐに、犬吠埼灯台の付喪神たち宛に宅配便を送った。
 その中身は、追加の万華鏡が2本と、子供向けに書かれた船の本が数冊。そこには、船に乗ること自体も楽しんでいたらしいルミエールに向けて、船の事をもっと知って欲しいという、まりかのちょっぴり勝手な願いも込められている。
 こうして、犬吠埼沖糧食盗難事件は、ひとまずの解決を見せたのだった。



「なるほどねえ。灯台そのものじゃなくて、レンズの付喪神かあ」
 白灯台の付喪神・すばるが、ウォッカトニックが入ったグラスを片手に小さく唸った。
 昴に対して事件の顛末を語り終えたまりかは、僅かに残っていたウィスキーのロックを飲み干すと、今度はソフトドリンクを注文する。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「だから、キューを持つ手は力を入れすぎるなって、さっきから何度も言ってるだろ!」
「ええい! 分かっとるわい!」
 その横では、赤灯台の付喪神・北斗が、カナを相手にビリヤードのルールや打ち方を根気よく指南している真っ最中である。
 4人は今、横浜駅近くの大型ゲームセンターにて和気あいあいとビリヤードを楽しんでいた。といっても、到着早々カナがやってみたいと言い出したため、まりかと昴は北斗にカナの相手をお任せして、酒とスナックを口に運びながらゆったりと雑談しているという次第である。
 なお、ゲーセンで遊ぶに際して、北斗も昴も一時的に実体を形成した上で、普通の人間と遜色ない振る舞いをしていた。服装についても、北斗はTシャツとジーパン、昴はポロシャツとチノパンという人間の街に馴染む格好をしている。
 ちなみにまりかは、髪型を普段のハーフアップではなく、片側に流してまとめた上で豪華な飾り付けの簪と〈夕霧〉を挿している。加えて、カナとの同居が始まってからはなかなか楽しむ機会がなかったメイクについても、ここぞとばかりにバッチリとキメていた。
「そういえば、例の菊池君だけどさ。次は彼も誘ってみようよ。海異対の人間だなんて、余計に気になるし」
「良いですね! 人数多い方が楽しいですし」
 昴の提案に、まりかは強く同意した。怪異や妖たちの集まりに自分以外の人間が加わるなど、これまで経験したことが無い。きっと、面白い化学反応が起きるだろう。
「そうだ、付喪神の外見年齢についてなんですけど」
 注文したオレンジジュースが運ばれてきたところでまりかと昴は話を戻して、付喪神という存在についての考察を交わし始めた。
「3人とも子供の姿をしていたのが気になりましたね。やっぱり、人間との交流度合いが関係するんでしょうか」
「一概には言えないけど、付喪神の場合は割と当てはまる気がするな」
「うーん、これは他の歴史あるレンズたちも確認してみたいところです」
 まりかは生ハムをごくりと飲み込むと、常々疑問に思っていたことを口にする。
「そういえば、建物の付喪神って全然聞きませんよね。船や自動車みたいな乗り物は付喪神化するのに、どうしてでしょう」
「多分だけど、構成要素の多さが一因だと僕は思ってる」
 昴は、カナの指南に励む北斗を穏やかに眺めながら、自身の考えを披露する。
「犬吠埼灯台の場合、十何万というレンガが使われてるんでしょ。そのレンガのひとつひとつが、付喪神と成るのに必要な妖力を奪い合っているんじゃないかな。仮に付喪神化するとしても、あと数百年はかかるんじゃないかという気がするね。それと、もう1つ重要なのが」
 新たに運ばれてきた芋焼酎の水割りをひと口飲んで、そのまま話を続ける。
「人間たちの『物』に対する意識だ。乗り物のことを、まるで人格を持った生き物のように考えている人間がいるでしょ。意識的であれ無意識であれ、そういうのってかなり伝わるんだよ」
「それは確かに、納得です」
 船を女性名詞で呼びかける慣習や、文字通りの意味で自動車を愛している人が存在するという話を思い出し、まりかはしみじみと感じ入る。
 そんな感じで熱心に考察を交わしていたところ、カナが叫び声を上げながらテーブルに戻ってきた。
「フンッ! ビリヤードなどもう二度とやらんわいっ!」
 プンスカ怒りながら、カルピスソーダを一気に飲み干す。
「初めてなんだから、上手くできなくたって仕方がないわよ」
 まりかはメニュー表をカナに渡すと、「良識の範囲内で」好きな物を注文するように促した。
「いい加減、わしも酒が飲みたいんじゃが」
「少なくともここではダメよ」
 2人がメニュー表を覗き込んでいる間に、カナと入れ替わる形で昴がキューを手に取り、ビリヤード台の前で北斗と向かい合う。
「それじゃあ、シンプルにナインボールでいこう」
「今日こそ絶対ぜってえに勝ってやるからな」
 バチバチと火花を散らせた後、早速バンキングをして先攻と後攻を決め、先攻になった北斗が手早くラックを組んでいく。
「あやつら、本体の形も生まれた年も同じじゃというのに、まるで正反対な性格をしとるのう」
 カナは注文したジンジャーエールをちびちびと舐めながら、ナインボールで真剣勝負をする2人の付喪神の手つきやボールの動きを目で追っている。
「でも、互いに互いのことを思いやってるところは、本当にそっくりよ」
「ふうん」
 適当に返事をしたものの、感慨深そうに2人を眺めているまりかを見て、カナは突っ込んだ質問をしてみる事にする。
「まりかよ、あやつらとの付き合いは長いのか」
「そうね。初めて会った時から15年以上は経つから、人間にとってはそれなりの長さになるわね」
 まりかはグラスを軽く揺らしながら、懐かしそうに目を細めた。
「北斗さん、顕現してからしばらくは、かなり荒れてたのよ。本人の口から直接聞いたわけじゃないけど、昴さんの本体が役目を終えて離れた場所に移設された事実が、受け入れられなかったんだと思う」
「荒れたというのは、もしやアレか?」
 カナが、賽を振るような手つきをしてみせた。
 まりかは首肯して、オレンジジュースを数口飲んでから話を続ける。
「一番酷かった時は、自分の妖力の大半を賭けたりしてたって聞いたわ。昴さんが何度注意しても全然止めなかったらしくって」
「今はかなり落ち着いとるようじゃが」
「ああ、それはね」
 当時の様子を思い返し、知らず知らずのうちに微笑むまりか。
「昴さんと猩々のおじさんが中心になって、北斗さんを人間の街に連れ出したのよ。私も時々一緒になって、遊園地とか中華街にみんなで行ったりしたの」
 最初は露骨に嫌がっていた北斗だったが、回数を重ねるうちに他の楽しみにも目を向けるようになり、傍目にも分かるほどの不安定さは、次第に影を潜めていった。
「なるほどのう」
 話を聞き終えたカナが、じいっとまりかを見つめる。
「なによ?」
「なんでもないわい」
 カナはまりかから視線を外すと、皿に残っていたポテトを全て口の中に流し込んだ。
(どうやら、本当に無自覚なようじゃな)
 北斗が立ち直った一番の要因はまりかの存在であることを、すぐにカナは理解した。
 怪異や妖はもちろんのこと、龍神すら惹き付けてしまうような不思議な魅力を持つ人間の少女が、甲斐甲斐しく付き添ってくれるのだ。北斗の荒んだ心を大いに癒したに違いない。
 そしてカナは、まりかのこの無自覚さに、漠然とした不安を感じている。
(まあ、今日のところは黙っておくかのう)
 この不安の理由が自分でもよく分からないのと、単に面倒くさいからという理由で、結局カナは問題を先送りにすることにした。
「それにしても、付喪神とは難儀な存在よのう」
 カナは、あからさまに話を逸らした。
 当然まりかは話を逸らされたことに気が付いたが、あえて追求するようなことでもないので、そのまま新たな話題に乗ることにする。
「そうね、そうなのよ。でも、本人たちに直接言うわけにはいかないでしょ」
 そう言って、切なそうに小さく眉を寄せた。
「じゃが、あやつらも本心では理解しておるじゃろうな」
「むしろ、本人たちが一番理解しているはずよ」
 まりかは、目の前の2人を見て、それから犬吠埼灯台の3人の顔も思い浮かべる。
 あの日、ルミエールを説得する際、まりかはかなり柔らかい表現を使った。しかし、現実はもっと非情だ。
 ――付喪神は、人間の存在無くしては存在できない。
 通常、役目を終えた道具は処分される。それを免れるためには、何か別の価値を人間に見出される必要がある。現に、昴やルミエールたちが今もなお生き長らえているのは、「歴史的価値がある」という判断を人間側が下したからに過ぎない。
 付喪神たちの命運は、人間たちの胸先三寸で、いとも簡単に左右されてしまうのだ。
 そして、北斗と昴はもちろんのこと、響やあかり、そしてルミエールも、まず間違いなくそれを理解しているはずである。
「むう? 勝負がついたようじゃぞ?」
 カナの声で、まりかは我に返った。いつの間にか物思いに耽ってしまっていたらしい。
「チックショー! また負けた!」
「そりゃあ、僕の方がビリヤード歴が長いから」
「次だ! 次こそ勝つ!」
 悔しそうに拳を振る北斗と、そんな北斗に得意気な顔を向ける昴。
 顔立ちは全く同じなのに性格は正反対で、それでいてとても良く似た、まるで双子のような付喪神。
「なんというか、見ていて飽きない感じではあるのう」
「カナにも分かる? なんだか、見守ってあげたくなっちゃうのよね」
「それはよく分からん」
 すっかり勝負に夢中になっている2人の充実した表情を見つめながら、まりかは密かに願う。
 願わくば、北斗と昴、この2つの星が、いつまでも共に輝き続けんことを。
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