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作者: こむらまこと
第71話 中ノ瀬航路あやかしロックフェス!〈三〉
 新たな怪異・〈メルルファ〉が東京湾に出現した次の日の朝。海洋怪異対策室には、一之瀬春と渡辺隼人、そして水晶も含めた全員が、始業よりも少し早めに集合して話し合いの席に着いていた。
「声だけの怪異・〈メルルファ〉に『かたち』を与える?」
 部下たちから出された突拍子もない提案に、村上は思わず反射的に聞き返してしまう。
「ええ、そうです」
 明は、九鬼と村上の懐疑的な視線を正面から受け止めると、ひとつひとつ順を追って説明し始めた。
「この問題の解決が困難なものとなっているのは、〈メルルファ〉が人間の視覚で認識可能な身体を持っていないからです。それなら、その身体を俺たちが与えてしまえば良いのですよ」
「確かに、〈メルルファ〉に身体を与える事ができたのなら、後はどうとでも対処可能になるね。でも、その手段がバンド演奏でなければならない理由はあるの?」
 村上のもっとな疑問に、九鬼も厳しい顔で同調する。
「バンド演奏を巡視船、それも中ノ瀬航路を航行しながら実施するとなると、当然、我々の話だけではなくなる。音響機材の手配や、搬入にかかる人員と予算の確保、関係部署との諸々の調整。巡視船の航海計画も大幅に変更する必要があるだろう」
 突き刺すような視線を明の顔に注ぎながら、腹の底に響くような重い声で言葉を続ける。
「他部署のお膳立てで楽器演奏をしておいて、いざ何の成果も得られなかったとなれば、良くて冷や飯食い、最悪の場合は海異対の解体すらあり得る。そのリスクを背負ってまで実行する価値が、本当にその作戦にあると言えるのか?」
「はい。俺は、大いにあると考えています」
 まるで取り調べのような追及にも動じることなく、明は冷静に話を続ける。
「怪異やあやかしの存在には、人間が大きく関わっています。人間が抱く欲望や念、感情、記憶といったものが幽世かくりよに投影されることで怪異と化し、魂と自由意思を持った妖へと至り、時にはその姿形や性質をまるっきり変化させてしまう」
「……」
「そして、この変化を人為的に、それも短時間で引き起こすための手段として最適なのが音楽であると、俺たちは考えたのです」
「うちは楽器演奏もできへん、音楽に疎い人間ですが、それでも菊池君の案は理に適ってると思います」
 明の説明がひと区切りしたところで、楓が説明を引き継いだ。
「特別な知識が無くとも、音楽は聴く者の心を強く揺さぶります。また、音楽を楽しむのは人間だけではありません。例えば猩々しょうじょうがそうであるように、歌や踊りを楽しむ妖は多いですし、セイレーンなんかは、その目的はともかくとして、自ら歌を作って歌うくらいですから」
 化粧っ気の薄い純和風の顔立ちに真摯な表情を浮かべ、普段は滅多に見せない熱情をその眼差しに込めて上司たちに訴えかける。
「何よりも、他でもない〈メルルファ〉が、歌で話しかけるよう求めとるのです。むしろ、これ以上に有効な解決策は無いんやないかと思いますわ」
 九鬼と村上が、束の間、互いの表情を伺った。神主の家系に生まれ、12歳の時には既に一端いっぱしの呪術師として家業をこなしてきた実績を持つ楓の言葉には、無視することのできない重みがある。
 村上は部下たちに向き直ると、固い表情を保ったまま質問を再開した。
「音楽を手段にする事の妥当性については、理解できた。それでも、君たちの作戦にはひとつ穴が残っている」
 明は固唾を呑んで、村上の言葉を待ち受ける。
 村上の瞳から、ふっと光が消えた。
「現象としての怪異が魂を持つ妖へと至るには、通常はそれなりの年月がかかる。これをバンド演奏という10分にも満たない時間で成そうとするのなら、〈メルルファ〉に対して何かしらの強烈な感情を注ぐ必要があると思うのだけど……」
 感情の読み取れない漆黒の瞳が、心の底を見透かそうとでもいうように明の瞳を覗き込む。
「つい昨日発生したばかりの怪異に対して、ごく短時間でその性質を変化させてしまうほどの強い想いを持つことができるというのは、はっきり言ってちょっと信じられない。だから」 
「できます!!」
「ッ!?」
 村上が、驚いたように水晶を見た。九鬼も、片眉を吊り上げて水晶を見る。
「水晶、まさか君もバンドに参加するの?」
「はい!」
 水晶が、力強く返事をした。その横から、明が急いで補足する。
「バンドは、伊良部さんと水晶のツインボーカルでやります。ボーカルをするというのは、水晶が自ら望んだことです」 
 それだけ言うと、明は優しく水晶に頷きかける。 
 水晶は緊張で全身をカチコチにしながらも、その嘘偽りのない想いを、ゆっくりと言葉にしながら押し出した。
「……私、悲しそうに歌いながら独りっきりで広い海の上を彷徨うメルルファが、とても可哀想で。確かにあの子は魂を持っていないし、ちゃんとした返事も無いけれど…………それでも私には、あの子がただの現象だなんて思えないし、そんな風には考えたくないのです」
 ここで一旦言葉を切ると、深呼吸をして、勇気を振り絞って水からの願いを口にする。
「私、メルルファを助けてあげたい。あの子にピッタリのとびっきり素敵な姿形を考えて、それを旋律メロディに乗せて歌って、新しいメルルファの『かたち』を編み上げる。そうして生まれ変わったメルルファを、私は…………仲間として迎えてあげたいと思います!」
「ううむ……」
 式神の少女の素朴で純粋な願いに、九鬼が困ったようにこめかみを掻いた。明は背筋に緊張を走らせながら、九鬼の出方を注視する。
 しかし、流石の九鬼も、式神とはいえ7歳程度の外見をした少女に詰め寄るような真似はしなかった。
「榊原。率直に聞くが、〈メルルファ〉が身体を得て、更には魂と自由意思を持つに至った場合、我々による制御は可能と思うか?」 
「その時になってみないと何とも言えないというのが、正直なところです」
 九鬼の疑問に、楓はあくまで客観的な意見を述べる。
「ただ、妖としての〈メルルファ〉の性質を、うちらの理想とする形に持っていくことはある程度は可能やと思います。つまり、バンド演奏によって〈メルルファ〉に与えるのは、外見的特徴だけやないということです」
「なるほど、だから『かたち』というわけね」
 村上が、納得したように頷いた。九鬼は、腕を組んだままじっと考え込んでいる。
 楓は椅子に座ったまま身を乗り出すと、少しだけ声のトーンを落とした。
「それでもうちは、水晶の希望に沿うように最大限の努力をするつもりです。そこのところは、よろしくお願いしますわ」
「君たちの意志は、よく分かった」
 村上が、九鬼の顔を見た。その表情は、既に普段通りの穏やかなものに戻っている。
「室長。これを上回る解決策を俺らが出せない以上、彼らの提案を退ける正当性はありませんよ。それでなくとも、幹部や関係部署からさっさと解決しろと小突かれてるのですから」
「……そうだな」
 村上の取り成しを受けて、九鬼が顎を縦に動かした。
「だが、さっきも言ったように、この作戦を実行するには、何よりもまず関係部署や幹部の了承を取り付けねばならない。その後も、入念な調整を重ねる必要があるだろう」
 九鬼が、明と楓、梗子、そして水晶と、順繰りに視線を移していく。
「だからこそ、俺は海洋怪異対策室の室長として、この作戦を最も理想的な形で実現できるよう尽力するつもりだ」
「ッ! ありがとうございます!」
 提案が受け入れられたことに胸を撫で下ろす明だったが、すぐに表情を引き締める。まだまだ話し合うべき課題は山積みであり、明にとっての正念場はこの先に待ち構えている。
「それでは早速ですが、バンドの編成に関して相談したいことがあります。使用する楽器はエレキギターとベース、キーボード、ドラムとなりますが、このうちエレキは伊良部さんがボーカルと兼任で、キーボードは俺が担当します。次に、ベースですが……」
 明は、緊張した面持ちで隣に着席している渡辺を一瞥した。
「これは、経験者である渡辺に任せたいと考えています」
「渡辺君に?」
 案の定、九鬼も村上も難色を示した。 
「えっと、渡辺君はこの話を聞いているの?」
 村上が困惑顔で訊ねたところ、渡辺からは待ってましたとばかりの早口回答が返ってくる。
「はい! ブランクはありますけど高校の軽音部で3年間バリバリやってましたし、少し練習すれば勘はすぐに戻ります! 僕、全然霊力が無くて皆さんのお役に立てないのをずっと歯痒く思ってたんですけど、まさかこんな形で」
「渡辺、ちょっと落ち着け」
 明は、興奮のあまり椅子から腰を浮かせていた渡辺を押し留めると、気を取り直して説明を再開しようとする。
「待て。これは俺が説明する」
 すると、今までずっと黙って話を聞いていた梗子が、すっくと椅子から立ち上がった。それにより、岩のような巨体を持つ九鬼と海異対で最も小柄な梗子の視線が、同じくらいの高さでぶつかり合う。
 ピリついた空気の中、梗子が九鬼の顔を見据えながら芯のある声で喋り出した。
「前提として、バンド演奏においてベースは無くてはならない存在です。ベースは、同じリズム隊であるドラムと共にバンドの土台や基礎として曲に立体感を出し、曲全体を調和させるという重要な役割を担っています」
 ベースは、ギターでは出せない低音域を演奏することにより曲のボトムを支え、ドラムと共にリズムをとることで曲全体のリズムも支えるという役割を持つ。特にライブなどの生演奏においては、ベースの音圧が身体に直接伝わることから、臨場感や盛り上がりにも欠かせない存在ともなる。
 このようなベースの重要性を、梗子は音楽初心者にも理解できるような平易な言葉で、微に入り細を穿ち解説してみせた。
「未だ魂を持たない怪異・〈メルルファ〉の心を揺さぶり、魂を持つ妖へと至らせるためには、それだけ強い説得力を持つ演奏にしなければなりません。〈メルルファ〉に想いを傾ける水晶の歌を、水晶を想う俺たちの演奏で支え、彩り、〈メルルファ〉にぶつける。霊力が無いとはいえ、同じ海異対にベース経験者がいる以上、ベースレスでやるという選択肢はあり得ませんね」
 梗子による気迫に満ちた長広舌ちょうこうぜつが終わると、楓が静かな口調でこう言い添えた。
「もちろん、幽世かくりよに耐性の無い渡辺君の安全確保を万全にした上での話です。うちらも、あの辻元さんの件を忘れたわけやありませんから」
「だがな……」
 それでもなお決断を渋っていた九鬼だったが、ここで意外な人物が明たちを支持した。
「良いじゃねえか、九鬼。うちで人員を賄えるなら、それに越したことはねえだろ」
「一之瀬さん」
 海異対の予算担当であり最年長でもある一之瀬の発言に、九鬼が慌てて背筋を伸ばす。
 一之瀬が、いつもと変わらぬ仏頂面で滾々と九鬼を諭した。
「幽世が危険、危険って言うがよ、そもそもとして海の上での仕事は怪異や妖抜きでも危険なものだろ。船の世界なんざ、『板子いたご一枚下は地獄』なんて言葉もあるくらいだ。そんな場所で安全を守る海上保安官の仕事に就いておいて、いざ必要とされた時に危険を理由に身体を張らない道理は無いんじゃねえのか」
「いえ、しかし……」 
「要は、ベースの音だけを聴かせられれば良いわけでしょう」
 返答に窮する九鬼に、村上がやんわりと最後のひと押しをする。
「万が一の事が起きたとしても、それこそ周りには菊池君と伊良部さんがいるわけですから。ここは思い切って、渡辺君を参加させてみませんか」
「そ、それじゃあ……!」
 渡辺が、黒縁眼鏡の奥の瞳を期待に輝かせた。そんな部下を少々呆れたように見ながら、一之瀬がパタパタと手を振る。
「たまには役に立って来い」
「ありがとうございます!!」
「少しは自重しろよ」
 椅子から立ち上がって喜びを露わにする渡辺に、明が小声で注意する。
「あれ? となると、ドラムは誰が担当するの? 俺も室長も、楽器演奏の経験は無いけど」
 村上が、はたと気が付いたように疑問を投げかけた。
 渡辺を生温かい目で眺めていた楓と梗子の視線が、自然と明に流れる。明は真顔に戻って居住まいを正すと、改めて九鬼と村上に呼びかけた。
「……村上さん。それに、室長も」 
 明は、不安そうに自分を見守る水晶の視線を肌で感じながら、半年以上にも渡ったおのが悪行を、あっさりと白日の下に晒したのだった。
「俺は、海洋怪異対策室の全員に対して、ずっと隠していたことがあります」



 ※ ※ ※



 昨日夕方、九鬼と村上が会議から戻る前に事務室を抜け出した明は、朝霧まりかの元を訪れていた。
『仕事中なのに、急に押しかけて済まない。折り入って話があるんだ』
 勧められるままに応接用ソファに腰掛けた明は、前置きもそこそこに、ひた隠しにしていたまりかの秘密を楓と梗子に話してしまった事を打ち明けた。
『――流石に、朝霧の家族の事とか、カナの存在については話してない。でも、龍宮城との関係とか朝霧の実力の高さについてとかは、全部話しちまった。事前の相談も無しに、本当に申し訳無いと思ってる』
 そう言って深く頭を下げた上で、自身の心境の変化についても隠し立てすることなく正直に伝えた。
『水晶にとってだけじゃない。俺にとっても、伊良部さんと榊原さんは、ただの職場の先輩とは言えない存在になってる。これ以上ふたりを欺くような事は、俺にはもう出来なかったんだ。つまり俺は…………朝霧よりも、水晶と水晶に関わる人たちを優先させたし、これからも優先させるって事だよ』
 更に続けて、この夏に起きた牛鬼と濡女の事件や、つい先日発生した海河童や〈メルルファ〉による無線交信の妨害、そして、それらの背後に見え隠れする正体不明の敵ついても詳しく語った。
『――ここまで大規模な事案が発生したとなると、室長と村上さんにも話さないわけにはいかない。もし、俺が黙っていることで取り返しのつかない事態が起きたら、俺だけではなく室長や村上さんも責任を問われることになる。もういい加減、組織に所属する人間としてのけじめを付けないといけないんだ』
 こうして、絶交を宣言される事も覚悟しながら話を締め括った明だったが、そんな明に対してまりかは穏やかに声をかけた。
『明。話してくれて、ありがとう。そして、ごめんなさい。あなたの厚意にとことん甘えて、苦しませてしまった。せめて、何もかもを話してしまっても構わないと、私から申し出るべきだったのよ』
『そんな……』
 明はすぐに、まりかの心情を察した。秘密を打ち明けさせる事により、明が組織内で糾弾きゅうだんの的になる事を恐れ、躊躇っていたのだと。しかし、それを指摘したところで本人は決して認めようとしないだろう。
 返すべき言葉も見つからず、居た堪れない思いでじっと俯く明。すると、湿っぽい空気を払い除けるように、まりかが弾んだ声でこんな事を言い出したのだ。
『実は、学生の時に軽音サークルでドラムを担当してたの。早速、皆さんのお役に立てると思うわ』



 ※ ※ ※



 階下の様子を確認に出ていた水晶が、事務室の扉をすり抜けて戻ってきた。
「今、受付を済ませているところです。私がこのお部屋に案内しますね」
「ああ、頼む」
 数分後、部屋の扉をノックする音が響いた。明は扉を開けて、ノックの主を部屋に招き入れる。
「失礼します」
 ノックの主は前に進み出ると、温和な表情で一同を見渡し、たおやかに一礼した。
「朝霧まりかです。よろしくお願いします」
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