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作者: こむらまこと
第64話 佐渡島サメ騒動! 〈六〉
 じょうとチェーンソーによる熾烈な戦いの最中さなか、老婆がやにわに怒声を放った。
「あンの鼻持ちならない化け狢共があ!」
 水飛沫を撒き散らしながら間合いより遠い位置まで飛び退くと、二枚目のディスクを取り出して側頭部に潜り込ませる。
「その高すぎる鼻っ柱、今すぐし折ってやる!」
「何をする気!?」
 鋭く投げかけた問いの答えは、すぐに目の前に現れた。
(海水が……)
 老婆の背後で、大量の海水が塊となって宙に浮いた。それは軟体動物のように全身をくねらせながら、色や形を巨大な海洋生物の姿へと変えていく。
「これってまさか……」
「アーヒャッヒャッヒャッ!」
 老婆が高笑いしながら、偏光サングラスをかけた皺くちゃの顔を大きく仰け反らせた。
「狢共のチンケな結界なんざ、わしのメガロドンでぶち破ってくれるわあ!」
 メガロドン。和名、昔大頬白鮫ムカシオオホホジロザメ。約2300万年前から300万年前までの前期中新世から鮮新世にかけて生息した、ネズミサメ目オトドゥス科の超巨大海洋生物。その実態には不明な点が多いものの、歯の化石から推定される全長は16メートルにもなるという。
「食らえーーーっ!」 
 威勢の良いかけ声と共に、海水と妖力で錬成された巨大な海洋生物の怪異が島影を目指して宙を泳ぎ始めた。
「キヒヒヒッ! いい気味じゃ!」
 メガロドンが島や狢たちに襲いかかる光景を想像し、老婆は戦闘中であることも忘れて悦に浸る。しかし、その目論見は、根拠なき全能感と共に徹底的に叩きのめされることとなる。
「ふうむ。あのメガロドンに関しては、まずまずの出来栄えじゃな」
 宙を泳ぐ超巨大ザメを見送りながら、その再現度や怪異としての強さを真面目に評するカナ。しかし一方で、この珍奇な大騒動に対して傍観者であり続けることに、果たしてどれだけの意味があるのかという疑問が胸の中に湧き上がってくる。
(だって、空飛ぶサメじゃぞ。わしの好きなB級映画じゃぞ。何故にわしは、横でぼうっと眺めて突っ立っとるだけなんじゃ。というか――)
 気が付くとカナは、紅葉のような小さな手を高く頭上に掲げていた。
「――――わしの方が、もっともっとスゴいのを創れるわい!!」
「カナ!?」
 今度はカナの背後で、大量の海水が浮き上がった。老婆のものよりも更に巨大な水塊が、グネグネと動きながら色や形を生物の姿に整えていく。
(……いや、待てよ?)
 突然行動を起こした自分を意外そうに見つめるまりかを見て、カナは方針を少々変更することにした。
(あのババアと同じ物を創るのでは、あまりにも芸が無さすぎるわい。どうせなら、あのまりかをあっと驚かせる物を創ってやろうぞ!)
 魚の形状に近づいていた水塊が、別の生き物の形に変わり始めた。
 樽のような胴体に、ヒレ状の四肢。太くて幅広いヒレ状の尾と、ワニに似た細長い顎。たちまちのうちに完成した巨大な怪異を前に、老婆とまりかが同時に叫んだ。
「モササウルス!?」
「モササウルスじゃと!?」
 モササウルス。約8000万年前の白亜紀後期に恐竜と共に絶滅した、史上最大の海棲爬虫類。某恐竜王国映画で取り上げられたことにより一躍有名となったこの古代生物の体長は、大きいものだと18メートルにも達するという。
「まりかよ。わしはな、わしなりに反省したのじゃ」
 唖然とモササウルスを見上げるまりかに、カナは腕を組み、したり顔で頷きながら語りかける。
「B級映画に拘らず、たまには興行収入1位に輝いたメガヒット作品も観るべきだったとな。というわけで、あの後早速観てみたというわけなのじゃが、それがこんな形で役に立つとは。いやはや、メガヒット作品も侮れんわい」
「そ、そう……」
 この状況で突っ込みを入れる気にもなれず、まりかは曖昧な表情で頷き返すに留めたのだった。
「さあて」
 カナはパチンと両手を叩くと、そのあどけない顔に凶悪な笑みを浮かべて老婆を見据えた。
あやかしの身には過ぎたる力に眩んだその脳ミソに、深く刻みつけてやるとしよう。本物との、格の違いというものをなあ!」
 ゴオオオオ……!
 モササウルスの咆哮が、静まり返った幽世の大気を激しく揺るがした。
「うおお!?」
「鳴き声!?」
 無駄に大き過ぎるその咆哮に、老婆もまりかも反射的に肩を竦めて耳を塞いでしまう。
「ちょっと! 少しくらい加減というものを」
「行っけええーーーっ!」 
 カナが、遠ざかるメガロドンの背中をビシッと指差した。
 ゴオオオッ!
 カナの命令に応えて、モササウルスが動き出した。尾ヒレを大きく波打たせて、みるみるうちにメガロドンとの距離を詰めてしまう。
 こうして、全く異なる年代に生息した二種の古代生物による夢の共演が、佐渡の海岸沿いにて繰り広げられることとなった。
「…………なんだこれ」
 今まさに結界を破壊しようとしていた超巨大な怪異が、これまた別の超巨大な怪異に襲われるという摩訶不思議な展開に、源助は肩が脱力するのを感じる。
「いやはや、これは……」
「……」
 禅達と財喜坊も、眼前で繰り広げられる獣大戦争を実に複雑な心境で見守っている。
 モササウルスと、メガロドン。生息した年代がまるっきり異なるこの二種の、生物としての強さを比較することはこの場合あまり意味が無い。重要なのは「怪異としての」強さであり、それは各々の創造主の実力によって決定される。
 つまり、勝負の結果は最初から決まっているも同然だった。
「ぬわーっはっはっはっはっ!!」
 モササウルスの鋭い歯列がメガロドンの腹を食い破り、元の海水へと還してしまう。その様子を見届けると、カナは上機嫌に高笑いした。
「これぞ、支配者たる人魚マーメイドの力ぞーーーっ!!」
 腹を揺さぶりながらひとしきり笑うと、既に老婆との睨み合いに戻っているまりかに視線を移して、人知れず呟いた。
「さて、まりかよ。後は、お前さん次第じゃ」



***



 最大の切り札だったメガロドンがあっさりと倒されたことにより、老婆の中に残っていたなけなしの自尊心は跡形もなく打ち砕かれてしまった。
「コンニャロウがーーーっ!!」
 自暴自棄になった老婆は、全妖力を注ぎ込んでソーチェーンの回転速度を極限まで引き上げると、金切り声を上げてまりかに襲いかかった。
「小娘! せめてお前だけでも道連れにしてやる!」
「ッ!」
 まりかは瞬時にチェーンソーの軌道を予測すると、右足を斜め前に大きく踏み出し、杖先で老婆のこめかみを狙おうとする。
 しかし、杖先がこめかみに触れる寸前、まりかのうなじが僅かに粟立った。
(不味い……!)
 咄嗟に攻撃を止めて、海面ギリギリまで身体を沈める。直後、目まぐるしい速度で回転するソーチェーンの風圧がまりかの後れ毛を掠っていった。
「チィ!」
 老婆は大きく舌打ちしつつも、体勢が崩れたまりかにすかさず攻撃を加えようとする。
「ギエッ!」
 〈夕霧〉の鋭い打撃が、老婆の脛と膝を立て続けに襲った。強烈な痛みに悶絶しながら、どうにか片足跳びで後退してチェーンソーを構え直す。
「……今ので気が変わったわい。末端から少しずつ削り取ってやるから覚悟するがいい!」
 偏光サングラス越しに強い憎悪を向ける老婆を注視しながら、まりかは乾いた唇をそっと湿した。
(どうしても浅い打撃しか入れられない。このままじゃジリ貧だわ) 
 短期決戦を意気込んだにも関わらず、未だに致命傷を与えられていない。その焦燥が、まりかの平常心をじわりじわりと蝕んでいく。
(〈夕霧〉を使うことを、諦めたくない。でも、私情を挟んで仕事を失敗するわけにはいかない。だったら……)
 まりかは、歯と唇の隙間から呼気を吐き出しながら、もう一度腰を低く落とした。
(黒瀬さんも蘇芳様も、妖力による攻撃でできた傷は純粋な物理攻撃のそれよりも軽く済むし、治るのも早いって言ってた)
 記憶の表層に浮かんだ師の教えをなぞりながら、眼光鋭く老婆の眉間に狙いを定める。
(私の霊力は人並み以上だし、今回は勾玉の魔除けだってある。急所さえ外せば、あのソーチェーンを一回や二回食らったって大丈夫なはず!)
 強引に覚悟を決めると、海面を蹴って老婆に突進しようとした。


〈――――――〉


 誰かに後ろから裾を掴まれたような奇妙な感覚に、すんでのことでまりかは動きを止めた。


〈――――、――――――〉


(…………嘘でしょ? まだ五年しか経ってないのに)
 にわかには信じ難い思いで、振りかぶろうとしていた深海の青を凝視する。 
 一般に、道具が付喪神と化すには百年、またはそれに準じた歳月が必要とされている。ただし、これはあくまでも普通の道具の話であり、龍神の宝具の場合は必ずしも当てはまらないのではと、まりかはすぐに思い直した。
(しかも、いつも肌身離さず身につけてるもの。普通じゃないことが起きたって不思議じゃない。それに――)
 それに、確かに「響いた」のだ。
 自分を信じろという、紛れもない〈夕霧〉自身の想いが。
「…………
 けたたましく回転するソーチェーンを前に、まりかは完全に目を瞑って〈夕霧〉を額に押し付けた。
(私は)
 付喪神としてはまだ不完全なはずの愛杖に生じたであろう「心」と「魂」を強く想念すると、厳かな誓いの言葉をそっと唇から押し出した。
「あなたを、信じる」 
「ええい! 勝手に自分の世界に浸るでない!」
 苛立ちを隠さない老婆のがなり声が、遠くから聞こえてくる。
「そのボケまくった頭、叩き割ってやる!」
 言い終わらないうちに大きく跳躍すると、まりかの脳天目掛けてソーチェーンを振り下ろす。まりかは迷うことなく、〈夕霧〉を翳して老婆の攻撃を受け止めた。 
「――――ッ!」
 ソーチェーンと〈夕霧〉が摩擦する鋭くおぞましい金属音が、熱い火花と共にまりかの顔面に降り注ぐ。
「ヒャッハー!!」
 勝利を確信した老婆が、興奮のあまり狂った笑い声を立てる。しかし、まりかの耳には老婆の声など届いていなかった。
(夕霧)
 火花がチリチリと顔の皮膚を焦がす中、まりかは大きく目を見開く。
(これが、あなたの気持ちなのね)
 握る手を伝ってまりかの胸に溢れた、嘘偽りの無い〈夕霧〉自身の感情。
 それは、大きな歓喜だった。
(こんなにも、死の淵に追い詰められているというのに。それでもあなたは、ひりつくような戦いに身を投じる事を切望するのね) 
 雷が落ちたような衝撃が、まりかの全身を貫いた。その衝撃が身体の隅々に広がり浸透する中で、まりかの胸にある感情がこみ上げてくる。
(私も、もっと戦いたい)
 それは、体術を手段のひとつとしてしか捉えていなかったまりかにとって、生まれて初めて芽生えた戦いへの熱い想いだった。
(だって、こんなにも輝くあなたの姿が見られるのだもの。あなたと一緒なら、私は幾度だって死線を潜り抜けてみせる) 
 まりかは、とめどなく流れ込んでくる〈夕霧〉の想いの全てを、自らのものとして抱き止めた。
 〈夕霧〉の歓喜と、たった今生じたばかりの熱望が、絡み合い、共鳴し、新たなエネルギーとなって、疲弊しつつあったまりかの心と身体をひたひたと満たしていく。
(だから……)
 まりかは、火花を散らしながら強くしなる〈夕霧〉の美しい姿を目に焼き付けると、腹から、喉から、たぎる想いをほとばしらせた。
「こんな所で、果ててはいけないの!!」
「ぬおっ!?」
 ガリッ。
 ソーチェーンが、硬い何かを噛んだような不吉な音を立てた。同時に、確固たる実体をいしずえとしたまりかの膂力りょりょくが、じりじりとチェーンソーを押し返していく。
(い、いかん!)
 顔面に迫り来るソーチェーンに戦慄した老婆は、やむなくチェーンソーを引いて安全圏まで後退しようとする。
「逃がすかあ!」
「ギャアッ!」
 まりかの容赦ない追撃が、老婆の肩にのめり込んだ。
「あぎゃっ」
 続いて、返す杖先が老婆のこめかみを強かに打ちしばいた。小さな悲鳴と共に偏光サングラスが吹っ飛び、哀れっぽく目尻の下がった目が露わとなる。
「や、やめ」
「ヤア゛ア゛アアアアッ!」
 凄まじい気迫と雄叫びが一帯に轟いた。まりかは鬼気迫る顔で〈夕霧〉を振り上げると、筋肉を限界まで引き絞って老婆の脳天を殴りつけた。
「ぶべっ!」
 物理と霊力に物を言わせた理不尽過ぎる一撃に、さしもの老婆もついに昏倒してしまう。老婆の手からチェーンソーが滑り落ち、そのチェーンソーも、海面に触れる前に〈夕霧〉の打撃によって粉砕されてしまった。
「ハア……ハア……」
 幽世の海に、耳が痛くなるくらいの静けさが戻った。
 まりかは構えを解くと、ぜいぜいと肩で息をしながら、仰向けで海面に浮かぶ老婆の無残な姿を放心状態で眺める。
(こんなに気持ちが昂ぶったの、人生で初めてかもしれない)
 まりかはその場にへたり込んでしまいたい気持ちを抑えると、逃亡防止の処置として術を使って老婆を拘束した。それを終えると、恐る恐る〈夕霧〉の損傷を確認してみる。
(…………ギリギリだった)
 うっすらと亀裂が入っているの見つけて、悪寒が全身の皮膚を駆け抜けた。
(横浜に戻ったら、黒瀬さんに一から鍛え直して貰わないと)
 自身の不甲斐なさにしょげ返っていると、カナが海水をバシャバシャとかき分けながら近づいてきた。
「うわっ!?」
 小さな手でバシンッと腰を叩かれ、まりかは思わずその場で跳ね上がってしまう。
「な、なに?」
「反省は後!」
 クジラの尾ひれを海面に叩きつけながら、厳しい叱責を飛ばす。
「勝利の味は素直に噛み締めておけと、言われたばっかりじゃろうが!」
「…………」
 夜闇に輝く金色こんじきの瞳を見つめながら、パチパチと目をしばたく。華奢な腰に手を当てた如何にも偉そうな態度で自分を見上げるその姿は、普段と何も変わらない。
 しかし、まりかはとっくに理解していた。
 所詮は死すべき運命さだめにある人間でしかない自分とは比ぶべくもないほど、この小さな人魚が偉大な存在であるということを。
 まりかは、汗に濡れた顔に柔和な笑みを浮かべると、心からの想いを口にした。
「ありがと、カナ」 
「!!」
 普段のまりからしからぬ素直な反応に、カナは照れ臭そうに唇を突き出すと、プイッとそっぽを向いてしまった。
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