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作者: こむらまこと
第63話 佐渡島サメ騒動! 〈五〉
 〈夕霧〉が、耳障りな金属音を立てながらバチバチと火花を散らしている。
(耐えて! 〈夕霧〉!) 
 超高速回転するソーチェーンを受けて強くしなる〈夕霧〉を支えながら、まりかはギリッと歯を食いしばる。そして、手元に渾身の力を込めると、決死の想いでソーチェーンを押し返した。
「ヤアアアッ!」
 キンッ、キキンッ!
 二度、三度と火花を散らしてソーチェーンを弾くと、間髪入れずに鋭い突き技を繰り出す。
「ギャアッ」
 老婆は片手で鳩尾みぞおみを押さえて安全圏まで飛び退くと、まりかに向かって怒鳴り散らした。
「なんじゃその棒切れは! そんなチートな呪具を持っとるなどという話は、ひと言も聞いとらんぞ!」
 老婆のクレームに対し、まりかは強気の笑みを浮かべてチェーンソーを指さす。
「それ、じゃないでしょ? ガソリンの匂いが全然しないもの」
「ッ!」
 老婆が持つのがエンジン・チェーンソーであることは、その大きさや起動方法により一目瞭然だった。
 ガソリンにエンジンオイルを混ぜた混合燃料を動力源とするエンジン・チェーンソーは、必ず匂いを伴う排気ガスを発生させる。つまり、それが全く無いという事実は、老婆が持つ「チェーンソー」が妖力によって形成された精巧な偽物であることを意味している。
「それでも、普通のじょうだったら一発で切断されていたでしょうね。精密な機械をここまで再現するなんて、ちょっと見直しちゃったわ」
「ハンッ! それでおだてたつもりかい! 人間の小娘ごときが天狗になりよって!」
 老婆は吐き捨てると、再びチェーンソーを構えた。先程と同様、ソーチェーンは悲鳴にも似た甲高い音を発しながら高速回転し始める。しかし、羽目を外したような老婆の態度は、今や完全に鳴りを潜めていた。
 まりかは、首筋を汗が伝うのを生々しく感じながら、〈夕霧〉を固く握り締める。
(妖力で形成された偽物とはいえ、あの苛烈な攻撃を何度も受けて無傷のままで済むという保証はどこにもない。〈夕霧〉を、そんな危険に晒すことはできない)
 まりかの師匠である横浜港の龍神・蘇芳の神霊力が込められた、まりかの愛杖・〈夕霧〉。遥かな未来に付喪神として顕現し、言葉を交わすことを夢見て自ら命名したこの杖を喪うことは、まりかにとっては己の一部を引き剥がされるに等しかった。
(でも、ここで〈夕霧〉を収めるわけにはいかない。だってそれは、〈夕霧〉の存在意義を否定することになってしまうから――)
 武器としてこの世に生を受けた〈夕霧〉は、生命を賭した戦いの中でこそ、燦然さんぜんとした輝きを放つ。そしてそれが、〈夕霧〉自身の力を増すことにも繋がるのだ。
「…………チッ」
 老婆が、苛立たしげに周囲を見回した。その様子を見てある事に気がついたまりかは、もしやと考えてカナの姿を探してみる。
「……!」
 遠巻きに戦いを見守っているカナが、何も言わずにニカッと笑って親指を突き立ててきた。まりかは、その意味するところを即座に察してしまう。
(結界を張ってくれたんだわ。私がサメに気を散らすことなく、戦いに集中できるように……)
 カナ、それに自分自身に対するいくつもの複雑な感情が、まりかの胸中に湧き上がろうとする。しかし、今は戦闘中。まりかはあらゆる雑念を心の奥底に封じ込めると、〈夕霧〉を握る手の力を少しだけ緩めた。
(ソーチェーンに〈夕霧〉を触れさせることなく、妖力の源である臼負い婆を攻撃する。これしか道はない……!)
 まりかは、ゆっくりと深呼吸しながら常よりも低く腰を落とした。相手の動きに合わせて変化し、制圧するなどという普段通りの生ぬるい杖術では、いたずらに〈夕霧〉の負担を増してしまう。
 一撃必殺を狙った「攻めの杖術」を行使し、短時間で決着をつける。これこそが、まりかが取るべき唯一かつ最良の手段だった。
「どうやら、死ぬ覚悟ができたようじゃな」
 まりかの冷徹な視線を受けて、老婆がせせら笑った。〈夕霧〉が特別な杖と判明してもなお、自身の有利を信じて疑わないらしい。
「…………」
「ダンマリとはつまらんな! もう良い、さっさとぶった切ってやる!」
 両者のつま先が、ほぼ同時に海面を蹴った。
 眩しいライトに照らされた夜の海上で、老婆のあやかしと人間の娘が、殺気をほとばしらせながら影を交える。
 激しい水飛沫が、ふたりの姿をまだらに覆い隠した。



***



 じょうとチェーンソーによる死線すれすれの攻防が始まると、カナは我関せずとばかりにくるりと背中を向けてしまった。
「さてと」
 上空をのびのびと泳ぎ回るサメたちを目で追いながら、あれやこれやと思案する。
(あのサメ共を全て喰らったところで、大した妖力は得られんじゃろう。一掃するのは簡単じゃが、わしはまりかのようなお人好しとは違う。それに――)
 金色こんじきの瞳を鋭く細めて、先ほどの出来事について振り返る。するとそこへ、一匹のサメが大口を開けてカナに襲いかかってきた。
「――――」
 カナは華奢な首を小さく傾けると、サメを睨みつけて邪視を放とうとする。
「…………むう?」
 サメが、カナの目と鼻の先で消失した。直後、何かが破裂したような低く鋭い音が、遠く島影から微かに届く。
 カナはすぐに、その音の正体を看破した。
(これは、銃声じゃな)
 島影に目を凝らしながら、たった今サメを狙撃したであろう化け狢の正体に見当をつける。
(……単なるちゃらんぽらんと見せかけておいて、あんなおっかない人間の武器を使いよるとは。これは確かに、油断ならんのう)



 狙撃したサメたちが完全に消失した事を確認すると、源助は一旦銃を下ろし、禅達と財喜坊さいきぼうに対して思念を発した。
〈二十匹ほど撃ってみたが、どれも再生してこないぜ。そっちはどうだ?〉
〈既に五十匹は斬ったが、全く同じだ。まるで霞のように手応えのない、とんだ虚仮威こけおどしだな〉
〈だが、には反応を見せたぞ。自我は持たずとも、サメとしての本能は持ち合わせておるとみえる〉
 まずは禅達から、次に財喜坊から思念によって情報が送られてくる。源助はすぐに、次なる作戦を提案する。
〈財喜坊、サメ共を一ヶ所に集めることは可能か? 一網打尽にしてやる〉 
〈そう言うだろうと思ってな、既に始めておるよ〉
 財喜坊から、そこはかとない愉快さを帯びた思念が返ってきた。
〈場所は、その海岸沿いで構わぬか?〉
〈ああ、頼む〉
〈ならば俺もそちらへ向かう〉
〈待ってるぜ、禅達ちゃん〉
 源助は思念伝達を終えると、近辺にサメが見当たらないことを確認し、それから銃身に視線を落とした。
 サイドプレートに彫られた模様を指でなぞりながら、微妙な面持ちで独りちる。
を狙うのはこれが初めてだが、どうもしっくりこねえわ。土器かわらけを撃ち落として遊ぶくらいが、俺にはちょうど良いみたいだな」
 源助が手にしているのは、「フジスーパーオートM2000」という名の半自動式散弾銃セミオート・ショットガンだった。軽量で操作性が良く修理も容易なこの国産銃は、製造終了から何十年も経過した現在も、狩猟者たちの間で根強い人気を誇っている。
 もっとも源助の場合は、ひたすらスポーツとしての射撃を楽しんでいただけだったのだが。
「でもまあ、この島を脅かすようなやからにかける情けなんざ、生憎と持ち合わせてねえんだよなあ」
 源助は新たなサメの接近を認めると、右手に妖力を凝縮して弾薬――射撃用スラッグ弾ターゲット・スラッグを形成し、滑らかな手つきで薬室と弾倉に装填した。そして素早く狙いを定めて引き金を引き、サメが砂のように崩れ去るのを無感情に見届ける。
(……さて、あの嬢ちゃんたちの方はどうなってるんだろうな)
 手持ち無沙汰になった源助は、サメたちの発生源となっている遠い海上の様子を遠視とおみの力で伺ってみる。
(せっかくの飛び道具だ。もう少しくらい援護してやるか)
 そう考えて照準を合わせようとしたその時。
「んん?」
 何の前触れもなく、周辺世界がみるみるうちに透き通った海水で満たされていった。
「……あのジジイ。この緊急事態に、無駄に凝りやがって」
 色とりどりの魚たちが木々の合間を縫って泳ぐ様子を心底呆れて眺めていると、背後から揶揄からかうような声がかかった。
「前々から言おうと思っておったが、歳はお前さんと大して変わらんはずだ。わしが爺なら、お前さんも爺を名乗るべきと思うが?」
 銃口を下ろして振り向くと、案の定、財喜坊が幻影の海の中を悠々とした足取りで近づいてくるところだった。
「うるせーな。俺をジジイ呼ばわりして良いのは、俺の可愛い子狢たちだけなんだよ! つうか、肝心のサメ共はいつ集まるんだ」
「そう慌てるでない」
 財喜坊が、源助よりも前に出た。薄い皺が刻まれた顔には品の良い笑みが貼り付いているものの、その目は全く笑っていない。
(ああ……。こりゃ相当ブチ切れてるな)
 上品な仮面の下に隠された本心を察して納得していると、財喜坊が海に向かって大きく両腕を広げた。
「――――親愛なるサメ諸君。ひとつ、思い出させて進ぜよう」
 ゾッとするほどに穏やかな声で語りかけながら、指揮者がタクトを振るうようにゆったりと両腕を動かす。
「君たちもまた、喰われる側に過ぎないのだということを――」
 彼方から、黒い点が近づいてきた。それはみるみるうちに大きくなると、サメと、もうひとつ別の海洋生物の姿に分かれる。その海洋生物が鋭い歯列を剥き出してサメを追いかけるのを見て、源助は思わず口笛を吹いた。
「シャチか、なるほどな」
 シャチ。その体格とスピード、強力な咬合力によって、海の生態系の頂点に立つ最強生物。狩人ハンターとしての優れた能力ゆえに「海の殺し屋」という二つ名を持つシャチにとって、人間たちから過剰に恐れられているホホジロザメも、数多く存在する捕食対象のひとつに過ぎない。
「でもよ、シャチなんてここいらの海には居ないだろ。見た事もねえのに、よくあそこまで生々しく再現できるな」
「数百年もの間、技に磨きをかけてきたのだ。森羅万象を幻術で創り出すくらい、わしにとってはお茶の子さいさいというものさ」
 幻影の海に、その海を泳ぐ魚の大群、そして佐渡の海には存在しないはずのシャチ。それら全てが、財喜坊の幻術による精巧なまやかしだった。
 秘密の山道を人間から隠す程度の簡単な幻術は、佐渡島の化け狢なら誰でも使える。しかし、編み出す幻影の多彩さや精確さ、生々しさ、美しさといった数々の点において、財喜坊の幻術は団三郎すらを凌駕していた。
 源助が感心しているうちに、サメの怪異が次から次へとシャチに追われて集まってくる。どれほど精巧であろうと、所詮はまやかし。冷静になればすぐに見破れるはずだが、現象としての怪異に過ぎないサメたちに思考などできるはずもなく、恐怖という原始的な感情に基づいて右往左往することしかできないでいる。
 大量のシャチとサメ、ついでにイワシやアジの大群がで乱舞する光景に、源助がポロリと不平を零した。
「ちょろちょろ動き回って狙いにくいんだが、どうにかできねえのか」
「それこそ腕の見せ所というものだろう?」
「へいへい」
 財喜坊のにべもない返答に小さく肩をすくめると、源助は銃を構えて狙いをつけようとした。
〈その必要はない〉
 強烈な思念が、源助の頭の中に響いた。
(禅達……!)
 引き金を引こうとした指を止めたところで、禅達が源助の脇をすり抜けて宙に飛び出す。
 刹那、幻影の海に紫電が走った。
「――――!」
 夢現ゆめうつつのまやかしは霧散して、恐慌状態に陥ったサメたちだけが後に残る。そのサメたちも、ひらめ白刃しらはに次々と切り裂かれていく。
「……禅達のやつ、随分と荒ぶってるな」
「島が危険に晒されたのだ、当然だろう」
「違いねえ」
 稲妻のごとき身のこなしで縦横無尽に大空たいくうを駆ける禅達を、源助と財喜坊は手出しすることなく静かに見守る。
 裾が擦り切れた袈裟と、狢の顔が描かれた狢面。ここまでは普段の禅達と同じであるが、その屈強な腕が振るうのはお馴染みの撞木しゅもく杖ではなく、全長二メートルを超える大薙刀だった。
 真正面から突進してきたサメの鼻っ面を大きく反った大薙刀の刃で真っ二つに切り裂き、俊敏に身をひるがえして斜め下方から迫ってきた別のサメを横薙ぎにすると、崩れ去るのを待つことなく別のサメの集団へと突っ込んでいく。
(さながら鬼神といったところだな)
 サメたちを足蹴にして大薙刀を振るう禅達の狢面に、源助は束の間、鬼の相を錯覚する。
 〈二ツ岩の団三郎〉に次ぐ実力を誇る、四天王最強の化け狢、〈徳和の禅達〉。その真骨頂が遺憾なく発揮された今、空飛ぶサメたちは速やかに駆逐されつつある。
 しかし、佐渡島の海を襲った空前絶後のサメ騒動は、これだけでは終わらなかった。
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