【心理学】学校のいじめと犯罪心理学上の研究
自分の不平不満、ストレス、有り余るエネルギー
それらはいい感じに発散しましょう。間違っても1人のスケープゴートにすべて押し付けちゃダメだぞ
それらはいい感じに発散しましょう。間違っても1人のスケープゴートにすべて押し付けちゃダメだぞ
人は社会を形成する動物です。ことばや動きなどから相手の心情や意図を察する能力が備わっており、コミュニケーションによって他者と協力できる機能が備わっています
それと同時に、人は学習能力に長けています。物事の法則性に気づいたり、予測や理論を構築したり、計算をしたりする能力は後天的に身につけることができます
これらの能力によって、人は地球に広く、大きな文化圏を広げることができました。そして、これらの特徴を活かすため、人は『子どものうちに集団生活をさせ、社会性や学習能力をもって育てよう』という環境をつくることにしました
それが『学校』です
ある社会におけるルールはなにか? その集団に所属する上で必要な知識はなにか? どのようなことばを操り、どのような能力をもち、どのような思考回路をもった人間に育てば都合が良いか? ――それらを学校という環境で教育していくのですね
これはなかなかスマートな発想です。一箇所に集めて全員いっしょに同じ知識を吸収すれば、学びのスピードに差はあれどみんなが同じ概念や常識をもってくれるようになります。社会にとっても、将来その社会に所属する子どもたちにとっても有意義な時間を過ごせるでしょう
学校で締め付けられた生活なんてヤダ! って方は、学校に行かず、計算やことばの読み書きもできず、その社会における常識を学ぶこともできないままオトナになった自分を想像していただければ幸いです
すぐれた学習能力をもちますが、それがある意味ネックとなります。集団における道徳観を本能的に備えてくれれば良かったのですが、たとえば「他人に害を与えたり、他人のモノを奪ったりしちゃダメだよ」という常識は後天的に学ぶことになります。いやまあ、元来そういった概念は『こころ』とかそういうので備わってるんですけど――他人を嫉妬したり喜怒哀楽があったり、もうとにかくアレコレも人はあらかじめ備えているのですよ
社会という概念にはルールがつきものです。人間がもつそういったアレコレをうまいこと調整して、社会において適切な処理ができる人にならんとアカンでってことです
が、なかなかそういうのが難しくてね――学校では日々いろいろな問題が起きておりまして、今回とりあげる『いじめ』ってのもそのひとつなんですよ
まあ、オトナの世界でも日常茶飯事なんだけど
いじめとはなんだろう? なぜ起こるのだろうか? 今回は学校という『小さな社会』で起こる現象について書いていきましょう
:学校のせんせーもタイヘンなんだよ?:
いじめの話に入る前にちょっと閑話。学校ってのは何も子どもたちだけの世界じゃありません
アナタたちが常日頃向き合ってる『せんせい』、学校、我が子を学校に送り出し、アナタが知らぬ間に学校と連絡をとりあって話し合う『おとうさん・おかあさん』、学校で働くそのほか多くの『用務員・スクールカウンセラー』などのオトナたち、もしかしたら給食をつくってくれる方やそのほか多くのサポーターがいるかもしれませんね
キミたちだけじゃなく、こういった方々すべてひっくるめて『学校』という社会を形成しているのです。で、それらを束ねている機関が『文部科学省』。各都道府県に『教育委員会』ってのが置かれて、せんせーたちはそれらの方針にしたがってキミたちにあーだこーだ教えてるんだね。ただ、なんか最近の学校現場はちょっとややこしくてねぇ……
2021年、日本じゃ有名すぎるSNS『X(Twitter)』で、そしてB-NOVELさんのようなWeb小説投稿サイトの『note』で、文部科学省はあるキーワードというかハッシュタグが誕生しました
#教師のバトン
文部科学省が「ガッコーの"せんせい"の魅力を赤裸々告白していっぱい増やそ☆」的な目的で打ち出したプロジェクトです。教師志望者数の減少を止めるため、現役教師陣に『学校の先生になること』についての情報を紹介してもらうことで、今後教師の数を増やしていこう! っていう目的があったはずなのですが――
まあ、はい。えーっと、とりあえず上記のサイトで『#教師のバトン』と検索してみてください。がっこーのせんせーってタイヘンなんだなーって思いました(小並感
彼らだって人間だもんね。学校って元来「〇〇って教育にいいよね? じゃあやろう!」っていうのが積み重なって「これムダだからやめよ?」っていう主張が通ったかどうか知らんが、とりあえず昭和の先生がやってた作業量と比べると令和の教師陣たちはもうアレなんです(語彙力
とりあえず『学校は子ども。教師、保護者、公的機関たちの間でも多種多様な課題がひしめいている』とだけ覚えて頂けたら幸い。そんな環境のなか、必死にいじめ対策しようとがんばる教師陣に敬意を表したいとおもいます
文部科学省、教師のバトンについて
ttps://www.mext.go.jp/mext_01301.html
:最近のいじめは警察を呼ばれる:
子どもの世界で巻きおこる『いじめ』は、大人が想像する以上に陰湿で残酷、かつ悪質で巧妙だったりします。っていうかアナタたちも子ども時代があったんだからわかるでしょ?
これの難しいところは、子どもたちに『罪の意識』がないことです。べつに悪気があったワケじゃない、ふつうのことだし、それくらいで――場合によっては、自分がしたことの"重さ"をある程度理解しつつ、その責任を逃避したいが故に子どもムーブをすることもあるかもしりえません
心当たりあるだろ?
わかっておけよ?
学校という環境において、実は『先生からのいじめ』ってのもあります。具体的な数は文部科学省の公式ページにあるのでちょっと覗いてみてください。ここで書いてもいいんだけどほら、自らの足で探しに行ったほうが記憶に残るじゃん?
文部科学省
いじめを含む"問題行動"のまとめ
ttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302902.htm
令和5年度、いじめ防止対策協議会
ttps://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/187/index.html
ちなみにっていうか当たり前のことなんだけど、いじめはフツーに犯罪です。万引きと同じように言葉をかえて犯罪じゃないっぽい雰囲気を出してるだけなのでフツーにアウトです
ことばを変えるだけでイメージが変わる。これはビジネスなど様々なシーンで使われるテクニックですが、こういうトコで使ってほしくないわなー子どもに"わるいこと"をしっかり教育しといたほうがいいと思うんだが
自分がしたことの"重さ"を理解しないままオトナになると、過去犯したソレを武勇伝のように語っちゃうザンネンなオトナになってしまうので、どうぞ『今』のうちに――アナタがまだ『子ども』と呼ばれてるうちに思い直していただけることを祈ります。なお、昨今はフツーに警察が動くので軽い気持ちでーとかそんなつもりじゃーとかそういうのは通じないとおもうよ?
文部科学省、いじめは犯罪だよって話
ttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1335369.htm
いじめの被害者となった子どもは不登校になったり、自らを傷つけたり命を絶ってしまうことなどもあります。本来重大問題である故ニュースでもたびたび取り上げられていますが、それでも表沙汰にならない例もありますね
被害者は被害者で「いじめられるのは恥ずかしい」と認知し相談を控えたり、あるいはその行為をいじめだと言い切れない認識だったり、親に心配かけさせたくないと考えたり、相談することで加害者からさらに報復されることを恐れたり……いやいや、なんで相談しないんだよ? と疑問に思う方もいるでしょう。けどね、被害者からするとイロイロな壁があるんですよ
たしかに手を差し伸べている相談室とかはいろいろあるでしょう。が、いじめを受けている人だってすでに手を差し伸べているのです。そういった信号をどこかで出しています
被害者は常に助けを求めています。だから「わたしたちはいつでも手を差し伸べて待っているよ?」とかじゃなく、むしろ相談を受ける側のほうが差し伸べられた手を掴んでいない――と解釈するつもりで、そういった組織に属する方にはやってもらいたいと思いますよね
まあ学校側が隠しちゃう場合もあるらしいけどね。これはこれで学校の評価システムなどに問題があるんじゃないかとかいろいろ言われてるけどわたしそのヘンは無知なので書きません。各自おググりいただけでば幸い
:無邪気だからこその純粋な悪:
いじめのややこしいところは『悪意』の有無です。加害者にとっては、わりと悪意のないおふざけのつもりでやってたってパターンもあります。しかも、ちょっと前まで被害者だった子が次の日には加害者になってたパターンとかもあります
さいきんじゃSNSやネトゲを使った『ネットいじめ』なんていうのもあるし、日本の子どもたちの環境が変化したのか、今はどっちかってと陰湿ないじめの数が多くなったとされています
無視、仲間はずれ、首謀者は自分がいじめてる事実を巧みに隠そうとしたり、なんだったら集団でひとりをターゲットにしたり……まあ、昔はわりとおおっぴらに行われてた(遠い目
これは前回紹介した『人の本質は善か悪か』にも触れることですが、人は教育によってそれらの概念を学んでいきます。昨今の子はいじめられている立場でもヘーキな顔をしてる場合が多いので、オトナの方々は注意深く見守って上げることも大切になりそうですね
でも子どもたちよ、頼むから『ヘルプサイン』をもっと出してくれ。オトナはそういうのに鈍感だからさ、ごめん。マジでたのむ
:いじめは4層構造:
人は感情を制御できない生き物です。日々うっぷんやストレスが溜まっていき、それらをいじめという手段で解消しようとすることもあるでしょう
高まったストレスを趣味などで発散できれば良いのですが、それらのはけ口としてだれかをターゲットにするというのはよろしくありませんね
人はえてして『弱そうなヤツ』をいじめのターゲットにしがちです。あくまで主観的に、こいつ弱そうだなぁと思った人がターゲットにされます。弱いっとのはたとえば反撃してこなさそうとか誰にも相談しなさそうとかそういうアレ。わざわざ弱い相手を選んでいじめをするというのはその人の"格"がわかるなというものですが――それはまた別の話にしましょう
研究的な話も紹介。社会学者『森田洋司』氏が提唱した『いじめの4層構造』というものがあります
彼は以下の4要素を『的』になぞらえました。中心に近いほど当事者的なイメージで、その中心には『被害者』がいます
・被害者
いじめの被害を受ける人
・加害者
いじめをする人
・観衆
その光景を囃し立てる人たち
・傍観者
見て見ぬふりをする人たち
アナタはどれに当てはまったことがありますか? もしくは今現在どらかになってしまっているのでしょうか? ――加害者だからといって責めるつもりはありません。ただ少しでもいいので被害者のことを、そして『アナタ自身』のことを考えて、今のままの自分でいいのかを問いただしてみてください
洋司氏はこれらを『いじめに関与してる人』と見なしています。つまり見て見ぬふりをする人も当事者という考え方です
見て見ぬふりをする人も当事者です。ってことでそこのアナタは見て見ぬふりをするんじゃなくいじめをやめるよう進言してあげてねってことですね。なので「そういうウワサを聞いたことがある」と証言すると他人になれる……のかなぁしらんけど、でも昨今の流れを見るとそうなりそうで(ry
とりあえず、いじめに関しては上記のような考え方があるとご理解ください。で、さらに『中和の技術』ってのもあります。犯罪心理学上では『犯罪行為を合理化、正当化するための理由』とされる言葉。これはえーっとつまり……
犯罪者だって好きで犯罪を犯すワケじゃなくよっぽどの理由が必要になるのよ。ただ良心の呵責とか損得感情とかが間に挟まれるわけで、その葛藤を越えて犯罪に至るまでの"中和"をしていく考え方。いうなれば「〇〇なんだから罪を犯しても仕方ない」的な方向に持ってく感じ
提唱者はアメリカの社会学者『デビッド・マッツァ(David Matza)』、『グレシャム・サイクス(Gresham M'Cready Sykes)』両氏。いじめ問題にも深く関わる理論で、具体的な例は以下の通り
・責任の回避
――自らの行った"行為"に対し「自分に責任がない」と主張すること
→ いじめなければ自分がいじめられていた
・危害の否定
――自分の"行為"は誰に何の危害も加えていない
→ 遊び、おふざけのつもりだった
・被害の否定
――相手が受けた"被害"は被害ではなく"報い"など正当なものだと主張する
→ 相手にも悪いところがある
・批難者の批難
――批難の矛先を避難する人の動機や行動へ逸らそうとする
→ だれだっていじめをしている
・高度の忠誠への訴え
――いじめを"必要"とする
→ 友だちやみんなであいつをいじめることに決めた
他にも快楽的動機や「なんとなく」といった不明確な動機もありますね。実際、全国の小中学校に調査をして、いじめの動機やらなにやらを分析しこれらの系統に当てはめましたよ、的な論文もあったりします。まあここで挙げた理論だけがすべてってわけじゃないけど、今後も研究が進んでいくことだけは確実でしょうね
いじめという概念は、今後とも人間にとっての課題でありつづけるでしょう。法務省ではいじめをさせない、見逃さない的な情報提供をしています
法務省、いじめ対策
ttps://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00155.html
こどもたちがストレスを溜め込まぬよう、そしていじめを『悪いこと』としっかり教えられるよう、学校をとりまく環境をどんどん改善していくことが求められます
学校は学習する場所です。オトナたちはアナタをまもるためいろいろ親切に教えてくれますが、キミたちもしっかり学んで『いじめは悪いことなんだからしなくて当たり前』と思えるようなオトナになっていきましょう
そんなんだったら親切にしてもらわなくていいとか、べつに学校行かなくていいとかそういう問題じゃないのでどうぞよろしく
オトナの方は、子どもが日々どのようなことを学んでるか、ストレスを受けてないかなど、子どものこころに日々の会話を通して触れていきましょう。家族で和気あいあいと話し合う時間をつくりましょう。親子なんだから何でもツーカーな関係(死語)ってワケじゃないんです
子どもの話を聞くだけでなく、オトナであるアナタ自身の話もしてあげましょう。自分がしてる仕事、そこでの苦労、それをどうやって乗り越えるか――オトナだからって自分を大きく魅せようとする必要はありません。ありのままで、苦労してる姿もしっかり見せることで、子どもはどんどんオトナになっていきます
人は社会を形成する動物です。そのなかで会わない人がいて、衝突や葛藤を繰り返すこともあるでしょう。そういった山あり谷ありの将来を乗り越えるため、アナタが『オトナ』ってやつの背中を見せりゃええねん(ええねん
学校は子どもだけじゃなく教師、親、そして公的機関も巻き込んだ小さな社会です。それらを改善させるためイロイロな策を打ち出していく必要があるのですが――さて、日本の教育はどう転がっていくのでしょうか?
それと同時に、人は学習能力に長けています。物事の法則性に気づいたり、予測や理論を構築したり、計算をしたりする能力は後天的に身につけることができます
これらの能力によって、人は地球に広く、大きな文化圏を広げることができました。そして、これらの特徴を活かすため、人は『子どものうちに集団生活をさせ、社会性や学習能力をもって育てよう』という環境をつくることにしました
それが『学校』です
ある社会におけるルールはなにか? その集団に所属する上で必要な知識はなにか? どのようなことばを操り、どのような能力をもち、どのような思考回路をもった人間に育てば都合が良いか? ――それらを学校という環境で教育していくのですね
これはなかなかスマートな発想です。一箇所に集めて全員いっしょに同じ知識を吸収すれば、学びのスピードに差はあれどみんなが同じ概念や常識をもってくれるようになります。社会にとっても、将来その社会に所属する子どもたちにとっても有意義な時間を過ごせるでしょう
学校で締め付けられた生活なんてヤダ! って方は、学校に行かず、計算やことばの読み書きもできず、その社会における常識を学ぶこともできないままオトナになった自分を想像していただければ幸いです
すぐれた学習能力をもちますが、それがある意味ネックとなります。集団における道徳観を本能的に備えてくれれば良かったのですが、たとえば「他人に害を与えたり、他人のモノを奪ったりしちゃダメだよ」という常識は後天的に学ぶことになります。いやまあ、元来そういった概念は『こころ』とかそういうので備わってるんですけど――他人を嫉妬したり喜怒哀楽があったり、もうとにかくアレコレも人はあらかじめ備えているのですよ
社会という概念にはルールがつきものです。人間がもつそういったアレコレをうまいこと調整して、社会において適切な処理ができる人にならんとアカンでってことです
が、なかなかそういうのが難しくてね――学校では日々いろいろな問題が起きておりまして、今回とりあげる『いじめ』ってのもそのひとつなんですよ
まあ、オトナの世界でも日常茶飯事なんだけど
いじめとはなんだろう? なぜ起こるのだろうか? 今回は学校という『小さな社会』で起こる現象について書いていきましょう
:学校のせんせーもタイヘンなんだよ?:
いじめの話に入る前にちょっと閑話。学校ってのは何も子どもたちだけの世界じゃありません
アナタたちが常日頃向き合ってる『せんせい』、学校、我が子を学校に送り出し、アナタが知らぬ間に学校と連絡をとりあって話し合う『おとうさん・おかあさん』、学校で働くそのほか多くの『用務員・スクールカウンセラー』などのオトナたち、もしかしたら給食をつくってくれる方やそのほか多くのサポーターがいるかもしれませんね
キミたちだけじゃなく、こういった方々すべてひっくるめて『学校』という社会を形成しているのです。で、それらを束ねている機関が『文部科学省』。各都道府県に『教育委員会』ってのが置かれて、せんせーたちはそれらの方針にしたがってキミたちにあーだこーだ教えてるんだね。ただ、なんか最近の学校現場はちょっとややこしくてねぇ……
2021年、日本じゃ有名すぎるSNS『X(Twitter)』で、そしてB-NOVELさんのようなWeb小説投稿サイトの『note』で、文部科学省はあるキーワードというかハッシュタグが誕生しました
#教師のバトン
文部科学省が「ガッコーの"せんせい"の魅力を赤裸々告白していっぱい増やそ☆」的な目的で打ち出したプロジェクトです。教師志望者数の減少を止めるため、現役教師陣に『学校の先生になること』についての情報を紹介してもらうことで、今後教師の数を増やしていこう! っていう目的があったはずなのですが――
まあ、はい。えーっと、とりあえず上記のサイトで『#教師のバトン』と検索してみてください。がっこーのせんせーってタイヘンなんだなーって思いました(小並感
彼らだって人間だもんね。学校って元来「〇〇って教育にいいよね? じゃあやろう!」っていうのが積み重なって「これムダだからやめよ?」っていう主張が通ったかどうか知らんが、とりあえず昭和の先生がやってた作業量と比べると令和の教師陣たちはもうアレなんです(語彙力
とりあえず『学校は子ども。教師、保護者、公的機関たちの間でも多種多様な課題がひしめいている』とだけ覚えて頂けたら幸い。そんな環境のなか、必死にいじめ対策しようとがんばる教師陣に敬意を表したいとおもいます
文部科学省、教師のバトンについて
ttps://www.mext.go.jp/mext_01301.html
:最近のいじめは警察を呼ばれる:
子どもの世界で巻きおこる『いじめ』は、大人が想像する以上に陰湿で残酷、かつ悪質で巧妙だったりします。っていうかアナタたちも子ども時代があったんだからわかるでしょ?
これの難しいところは、子どもたちに『罪の意識』がないことです。べつに悪気があったワケじゃない、ふつうのことだし、それくらいで――場合によっては、自分がしたことの"重さ"をある程度理解しつつ、その責任を逃避したいが故に子どもムーブをすることもあるかもしりえません
心当たりあるだろ?
わかっておけよ?
学校という環境において、実は『先生からのいじめ』ってのもあります。具体的な数は文部科学省の公式ページにあるのでちょっと覗いてみてください。ここで書いてもいいんだけどほら、自らの足で探しに行ったほうが記憶に残るじゃん?
文部科学省
いじめを含む"問題行動"のまとめ
ttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302902.htm
令和5年度、いじめ防止対策協議会
ttps://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/187/index.html
ちなみにっていうか当たり前のことなんだけど、いじめはフツーに犯罪です。万引きと同じように言葉をかえて犯罪じゃないっぽい雰囲気を出してるだけなのでフツーにアウトです
ことばを変えるだけでイメージが変わる。これはビジネスなど様々なシーンで使われるテクニックですが、こういうトコで使ってほしくないわなー子どもに"わるいこと"をしっかり教育しといたほうがいいと思うんだが
自分がしたことの"重さ"を理解しないままオトナになると、過去犯したソレを武勇伝のように語っちゃうザンネンなオトナになってしまうので、どうぞ『今』のうちに――アナタがまだ『子ども』と呼ばれてるうちに思い直していただけることを祈ります。なお、昨今はフツーに警察が動くので軽い気持ちでーとかそんなつもりじゃーとかそういうのは通じないとおもうよ?
文部科学省、いじめは犯罪だよって話
ttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1335369.htm
いじめの被害者となった子どもは不登校になったり、自らを傷つけたり命を絶ってしまうことなどもあります。本来重大問題である故ニュースでもたびたび取り上げられていますが、それでも表沙汰にならない例もありますね
被害者は被害者で「いじめられるのは恥ずかしい」と認知し相談を控えたり、あるいはその行為をいじめだと言い切れない認識だったり、親に心配かけさせたくないと考えたり、相談することで加害者からさらに報復されることを恐れたり……いやいや、なんで相談しないんだよ? と疑問に思う方もいるでしょう。けどね、被害者からするとイロイロな壁があるんですよ
たしかに手を差し伸べている相談室とかはいろいろあるでしょう。が、いじめを受けている人だってすでに手を差し伸べているのです。そういった信号をどこかで出しています
被害者は常に助けを求めています。だから「わたしたちはいつでも手を差し伸べて待っているよ?」とかじゃなく、むしろ相談を受ける側のほうが差し伸べられた手を掴んでいない――と解釈するつもりで、そういった組織に属する方にはやってもらいたいと思いますよね
まあ学校側が隠しちゃう場合もあるらしいけどね。これはこれで学校の評価システムなどに問題があるんじゃないかとかいろいろ言われてるけどわたしそのヘンは無知なので書きません。各自おググりいただけでば幸い
:無邪気だからこその純粋な悪:
いじめのややこしいところは『悪意』の有無です。加害者にとっては、わりと悪意のないおふざけのつもりでやってたってパターンもあります。しかも、ちょっと前まで被害者だった子が次の日には加害者になってたパターンとかもあります
さいきんじゃSNSやネトゲを使った『ネットいじめ』なんていうのもあるし、日本の子どもたちの環境が変化したのか、今はどっちかってと陰湿ないじめの数が多くなったとされています
無視、仲間はずれ、首謀者は自分がいじめてる事実を巧みに隠そうとしたり、なんだったら集団でひとりをターゲットにしたり……まあ、昔はわりとおおっぴらに行われてた(遠い目
これは前回紹介した『人の本質は善か悪か』にも触れることですが、人は教育によってそれらの概念を学んでいきます。昨今の子はいじめられている立場でもヘーキな顔をしてる場合が多いので、オトナの方々は注意深く見守って上げることも大切になりそうですね
でも子どもたちよ、頼むから『ヘルプサイン』をもっと出してくれ。オトナはそういうのに鈍感だからさ、ごめん。マジでたのむ
:いじめは4層構造:
人は感情を制御できない生き物です。日々うっぷんやストレスが溜まっていき、それらをいじめという手段で解消しようとすることもあるでしょう
高まったストレスを趣味などで発散できれば良いのですが、それらのはけ口としてだれかをターゲットにするというのはよろしくありませんね
人はえてして『弱そうなヤツ』をいじめのターゲットにしがちです。あくまで主観的に、こいつ弱そうだなぁと思った人がターゲットにされます。弱いっとのはたとえば反撃してこなさそうとか誰にも相談しなさそうとかそういうアレ。わざわざ弱い相手を選んでいじめをするというのはその人の"格"がわかるなというものですが――それはまた別の話にしましょう
研究的な話も紹介。社会学者『森田洋司』氏が提唱した『いじめの4層構造』というものがあります
彼は以下の4要素を『的』になぞらえました。中心に近いほど当事者的なイメージで、その中心には『被害者』がいます
・被害者
いじめの被害を受ける人
・加害者
いじめをする人
・観衆
その光景を囃し立てる人たち
・傍観者
見て見ぬふりをする人たち
アナタはどれに当てはまったことがありますか? もしくは今現在どらかになってしまっているのでしょうか? ――加害者だからといって責めるつもりはありません。ただ少しでもいいので被害者のことを、そして『アナタ自身』のことを考えて、今のままの自分でいいのかを問いただしてみてください
洋司氏はこれらを『いじめに関与してる人』と見なしています。つまり見て見ぬふりをする人も当事者という考え方です
見て見ぬふりをする人も当事者です。ってことでそこのアナタは見て見ぬふりをするんじゃなくいじめをやめるよう進言してあげてねってことですね。なので「そういうウワサを聞いたことがある」と証言すると他人になれる……のかなぁしらんけど、でも昨今の流れを見るとそうなりそうで(ry
とりあえず、いじめに関しては上記のような考え方があるとご理解ください。で、さらに『中和の技術』ってのもあります。犯罪心理学上では『犯罪行為を合理化、正当化するための理由』とされる言葉。これはえーっとつまり……
犯罪者だって好きで犯罪を犯すワケじゃなくよっぽどの理由が必要になるのよ。ただ良心の呵責とか損得感情とかが間に挟まれるわけで、その葛藤を越えて犯罪に至るまでの"中和"をしていく考え方。いうなれば「〇〇なんだから罪を犯しても仕方ない」的な方向に持ってく感じ
提唱者はアメリカの社会学者『デビッド・マッツァ(David Matza)』、『グレシャム・サイクス(Gresham M'Cready Sykes)』両氏。いじめ問題にも深く関わる理論で、具体的な例は以下の通り
・責任の回避
――自らの行った"行為"に対し「自分に責任がない」と主張すること
→ いじめなければ自分がいじめられていた
・危害の否定
――自分の"行為"は誰に何の危害も加えていない
→ 遊び、おふざけのつもりだった
・被害の否定
――相手が受けた"被害"は被害ではなく"報い"など正当なものだと主張する
→ 相手にも悪いところがある
・批難者の批難
――批難の矛先を避難する人の動機や行動へ逸らそうとする
→ だれだっていじめをしている
・高度の忠誠への訴え
――いじめを"必要"とする
→ 友だちやみんなであいつをいじめることに決めた
他にも快楽的動機や「なんとなく」といった不明確な動機もありますね。実際、全国の小中学校に調査をして、いじめの動機やらなにやらを分析しこれらの系統に当てはめましたよ、的な論文もあったりします。まあここで挙げた理論だけがすべてってわけじゃないけど、今後も研究が進んでいくことだけは確実でしょうね
いじめという概念は、今後とも人間にとっての課題でありつづけるでしょう。法務省ではいじめをさせない、見逃さない的な情報提供をしています
法務省、いじめ対策
ttps://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00155.html
こどもたちがストレスを溜め込まぬよう、そしていじめを『悪いこと』としっかり教えられるよう、学校をとりまく環境をどんどん改善していくことが求められます
学校は学習する場所です。オトナたちはアナタをまもるためいろいろ親切に教えてくれますが、キミたちもしっかり学んで『いじめは悪いことなんだからしなくて当たり前』と思えるようなオトナになっていきましょう
そんなんだったら親切にしてもらわなくていいとか、べつに学校行かなくていいとかそういう問題じゃないのでどうぞよろしく
オトナの方は、子どもが日々どのようなことを学んでるか、ストレスを受けてないかなど、子どものこころに日々の会話を通して触れていきましょう。家族で和気あいあいと話し合う時間をつくりましょう。親子なんだから何でもツーカーな関係(死語)ってワケじゃないんです
子どもの話を聞くだけでなく、オトナであるアナタ自身の話もしてあげましょう。自分がしてる仕事、そこでの苦労、それをどうやって乗り越えるか――オトナだからって自分を大きく魅せようとする必要はありません。ありのままで、苦労してる姿もしっかり見せることで、子どもはどんどんオトナになっていきます
人は社会を形成する動物です。そのなかで会わない人がいて、衝突や葛藤を繰り返すこともあるでしょう。そういった山あり谷ありの将来を乗り越えるため、アナタが『オトナ』ってやつの背中を見せりゃええねん(ええねん
学校は子どもだけじゃなく教師、親、そして公的機関も巻き込んだ小さな社会です。それらを改善させるためイロイロな策を打ち出していく必要があるのですが――さて、日本の教育はどう転がっていくのでしょうか?