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作者: 犬物語
【心理学】人の本質は善か悪か【哲学】
地球誕生からウン億年

そこには多くの生命が誕生し、海から陸へあがり、なんかいろいろあっていろんな生物に分岐したらしいよ

で、そんなかになんかアタマがでっかいのがいたんだって
 人間という生き物がいる

 それは現在の南アフリカ大陸で生まれたとされ、豊富なスタミナと優れた頭脳によって版図を広げ、今では世界のあちこちに存在する普遍的な動物です

 彼らは大きな脳をもっています。脳は情報処理能力に優れた器官であり、外部からの情報から物事を予測し、自らの行動を考え、より良い結果に導けるよう操る術を提供しています。人間は同時に手や指を器用に動かせる種族であったため、様々な道具をもって狩りをし、自身にとって有益な食料を確保し、身の安全を図れるよう居住地をデザインし、やがて大きなテリトリーをもつようになりました

 身の安全を得られるようになると、人間の脳は外部でなく内側・・にも思いを馳せられるようになります。すなわち『じぶん』のことを考えられるようになる……いえ、人間という生き物は日々生存戦略弱肉強食を強いられた時代からですら己の内側に思いを馳せ、自分とはいったいなんだろう? あの空に浮かぶ光はなんだろう? どうしてわたしは「なんだろう?」と考えられるのだろう? と意味もないこと・・・・・・・ばかりを考えていました

 ある人は神という存在について議論し、ある人はこの世界そのものについて思考し、そしてあるものは人間という生き物の"性"について深く考えるようになりました

 人は社会を形成する動物です。その秩序を守るために法があり、あるいは共同体として生きるための道徳があります。じゃあ、何をもって『善』とするのか、なにをもって『悪』とするのか? ――人間はもともとどのような生き物なのだろう?

 人間という生き物の本性について、今回は古典的な話と最新研究、その両方を紹介していきましょう





:人は生まれながらに◯である:

 ◯にはいる単語、アナタはどちらだと思いますか?

 人という生き物の本性はいずれか? それは昔から思想家の間で大きな議論となっていました。これらの言葉の起源は中国にあります

 紀元前550年ごろ、中国に『孔子』という人物が生まれました。彼は後に『儒教』――自身を律し、家族や社会規律を大切にしようとする思想を広めた開祖ですが、彼は「人間という生き物は、総じて"性(本性)"は似ているが"習(習慣)"は個々で大きな差がある」という言葉を残しています

 つまり『人間の"本性"はどの人でもだいたい同じ』ということです。彼はそれが善か悪かを説きませんでしたが、後の時代に生まれた儒教思想家がこれに関して激論を繰り広げました

 紀元前370年ごろ、中国に『孟子』という思想家が誕生します。儒教の人の中でも、彼は自分の名前を関する書物が出ちゃうくらい有名な人物です

 孟子は「人間の本性は本質的に"善"である」という考えをもっていました。悪事を働く人はいる。けどそんな人たちも本性は"善"なんだと――どんな人であれ、たとえば崖から落ちてしまった人や屠殺される家畜たちを見たとき「かわいそうに……」といった道徳的感情を覚えるものだということ

 逆に、人の本性は"悪"だとした人物がいます。紀元前300年ごろの儒教思想家『荀子じゅんし』です。やはり自身の名前を書物名にするほどの偉人でしたが、彼は先の時代に生きた孟子の論に真っ向から対立してるように見えますね

 儒教で教えるような"徳"は人間にはなく、何も知らぬままでいると人は互いにいがみ合い、憎み合うことになります。しかし、人間は同時に理性をもつ生き物でもあり、しっかり学び道徳を磨けば、だれもが善性を手に入れることができると信じていたのです

 ただこれ、荀子的には"悪"とかではなくありのまま、すなわち"自然"といった意味で書いたのかもしれません。他者への嫉妬、肉欲や食欲、暖を欲して休みたいし、お金はほしいし傷つきたくない。それらの思いは人が考えてあたりまえだよね? ――これらの欲求は自然であり道徳的には"中立"だけど、これらの欲求がために人は"悪"を成す可能性がある

 そして、人の欲には果てがない。よって人は生涯多くの"悪"を成していくでしょう。わたしは荀子の言いたいこと、なんとなく理解できる気がします

 人は生まれながらに善か悪か? それらについて、世の哲学者は多種多様な意見をもっていますが、それらに共通(とくに上記ふたりには)して必ず追求される要素があります





:習慣、すなわち教育の重要性:

 中国のみならず、古代ギリシャから続く西洋哲学から大陸じゅうの哲学、思想、日本における考えにおいても『善悪』に関する逸話はたくさんありますね。彼らは考えたり論じたりすることが大好きなので、こういった問題は必ず「善だ悪だ」以外の要素まで及んでいきます

 上記題材で必ずといっていいほど言及されるのが『教育の重要性』です

 人は生まれ持って"善"である。だからこそその徳を広めるために勉強しよう。人は生まれ持って"悪"である。だからこそ徳を得るために勉強しよう。ちょっと話が逸れるけど、日本でも現一万円札の顔として有名な『福沢諭吉』さんが書いた『学問のすすめ』でも、人は生まれながらにして平等だけどそこから勉強することで"差"が生まれてくるよと述べています

 人の本性がどっちなのか? 正直、その答え自体はどうでもいいのかもしれません。それより問題なのは、自分自身をどう磨き、どのような自分になっていくのか? ということ。人生をただ生きるのではなく、日々を貴重な経験の場と受け止め、機会があれば学問に励み、自らが『なりたい自分』に近づけるよう研鑽していく――もし、アナタが学校へ通う方であるなら「因数分解なんて将来使わねーじゃん」なんてもったいないこと言わないで、その貴重な機会を十全に活用していただければ幸いです

 使うか使わないか、ではなく『どう使うか』を地道に考えてみてください





:人の"善"を信じるとワリとイケる:

 アナタは『世の中悪い人ばかりだ』という感覚を肌で味わってると思います。実際そのとおりです

 しかし、アナタは逆に『世の中善い人もいる』という感覚も同時に味わっているでしょう。そして実際そのとおりなのです

 半々とまでは言いませんが、世の中には悪い人がたくさんいるし、善い人もたくさんいます。っていうか、誤解を恐れずに書けば人は時と場合とそのほかイロイロな条件によって善にも悪にも成り得ます

 おもしろい研究をご紹介しましょう。ドイツ、フリードリヒ・シラ大学で行われた研究。あるレストランでは『お客が値段を決定する』というシステムが取り入れられていました

 つまり「これが"0円"だな」と感じたらそのまま店を出てってもいいんです。まあ円っていう単位じゃないけどとりあえず無料でもいいってことです。なんかイヤな予感する? ――はい、実際『無料』で出ていったお客さんいらっしゃいます

 2年間の調査期間中、料金をまったく支払わなかった割合は『0.53%』でした。ざっくり1万人中53人ってこと。お客の数は『81,641』名なのでまあ"少ない"と言えるのではないでしょうか?

 このレストランにおいて、お客さんはおおよそ5ユーロ(当時の換算で約700円)。これはレストレンにとって充分利益がある額だったようです

 支払う額を決められるだって? そんなのみんなフリーに決まってるじゃん! って考えガチですが決してそんなことはないのです

 ああ、もちろん「周りの目があるんだからフリーはやりずらいだろ」とかそういうツッコミもあるでしょう。論文ではそういった側面や気候、天候の変動なども考慮して考察などをしています。気になる方はいちばん下にシェアリングしとくのでどうぞよろしく(なお英語

 ちなみに『アナタが支払額を決めてね♡』的なお店は[ pay-what-you-want (PWYW) ]形式として実際にあちこちに存在します。ぜひ見つけてお試ししてみてください

ScienceDirect
ttps://doi.org/10.1016/j.socec.2011.07.003



 2007年。『ラジオヘッド(Radiohead)』っていう音楽グループが『イン・レインボーズ(In Rainbows)』っていうアルバムをPWYW形式でリリースしました

 アルバムがダウンロードされた数は200万を越え、平均6ドルの支払いがあったそうです

 世の中けっこーこういう例が多いです。あるいは価格が定められていたとしても、いつでも窃盗できちゃうような環境があったりもしますね。日本の片田舎ではだいたい『野菜の無人販売所』的なものがあったりします

 色とりどりの野菜が並んでいて、あれ場合によっちゃめっさおトクに購入できるんですよ。ヘタに下請け経由してない分ダイレクトなお価格で購入できちゃうのでね

 ニュースとかでは『悪人が悪いことをした』という情報しか流れません。まあ、そりゃあ『善い人が善いことをした』っていうあたりまえのこと・・・・・・・・をわざわざ報道する必要は無いですからね。ですが、こういったニュースばかりに触れていると「世の中悪人だらけだなぁ」と勘違いしちゃうこともあるかもしれません

 だいじょうぶ。世の中わりといい人だらけですよ

 人の本質は善か悪か? ちょっとズルい言い回しかもしれませんが、わたし個人の意見としては『人は善も悪も入り乱れる存在』だと思います。ふとした瞬間は善でありつつ、ある瞬間では悪の性がチラリとうかがえる。そういった両面性が人間の魅力なのかもしれません

 アナタは善と悪、どちらの本質を信じてますか? 人はどういう生き物で、どういう存在であると考えていますか? 善悪に限らず、そういった答えのない問いかけを繰り返すこともアタマの体操になります

 ぜひ、おもしろおかしく考えてみてください。アナタの人生に幸あれ
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