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作者: 犬物語
【科学的根拠】はい論破! ってマウントしたいなら"エビデンス"の意味くらい知っとけ【解説】
「はい論破」が口グセになってない?
 注意:前座が長くなった。メンドウだって方は飛ばs、いやこの際ですから慣れてください



 さいきんなのか知らんけど、巷では「はい論破」と言う方が増えてるそうです。とくに子どもがそうだって言われてる――らしいねしらんけど

 アナタは言う? 友人との会話中に「それって〇〇なだけじゃんはい論破」的なかんじ? わたしオッサンなので若い子の使い方わからんねんおっさんだから(大二言

 『はい論破』という言葉自体なんら悪いものではありません。ワケのわからん主張をする輩を一蹴したいならさっさと正論かまして終わればいいんだから。けどとくに正論でもなく、話し合いの価値がある話題なのにマウントを取りたいがためにこの言葉を使うのはもったいないなと思います

 この言葉を使う人の心理傾向として『他者に対し劣等感を――』とか『自己顕示欲が強い――』っていう、まあなんだ、つまり「ああいう人たちってカワイソーだよね~」的なね、仮想的に上から目線なスタンスになって語るのも実はよろしくなかったりします。これはこれでマウントになるし、結局は話を切って自分のほうが・・・・・・優位に立ってる・・・・・・・っていう安心感を得られる甘い言葉なので、ええ

 ほかにいろーんな心理が考えられるんだぜ? たとえば子どもは常に上昇志向、つまり『成長したい!』という心理があります。オトナという自分より確定的に"上"の存在に挑み「はい論破」という言葉をつかいなんとか『自分が目標とする"上"の存在に挑んで勝とう』とする意志があるので、論破されてる(実際はされてないんだけど)パパママって、実は子どもの成長を実感すばらしい体験をしてる最中だったりします

 オトナだってそういった上昇志向はあります。これは自分自身の成長したい! という欲求でもあるので、はい論破を使う方はある意味『成長の余白がある』と考えることだってできます

 自分に自信をつけたい、より成長したい、あるいは、ちょっとひねくれて相手の成長をうながしたいから「はい論破」言うて相手のこころをくすぐりたい、なんて方もいます。人間だれしも少なからず上昇志向があるものですが、まあ、相手に蹴飛ばされなくても自分で努力するよって方は「すいません、そういうのいいんでふつうに教えてください」と言ってやれば相手の指導法も変わるかもしれんね

 まあ、マウント合戦は不毛でしかないので、相手がマウント取りたい目的で「はい論破」言ってくるなと感じたらサラッと会話を終わらせましょう。たとえば「うわぁ~論破されちゃったなー、カァーッ、いやーすごく頭いいですね」くらい太鼓持ちしてあげれば相手も満足すると思います

 で、ここからが本題。もしアナタが「はい論破」を使いこなしたいなら、せめて『エビデンスとはなにか?』をしっかり頭に叩き込んだ上でやりましょうって話です。科学的根拠とはなんぞや? をしっかり押さえて、理論武装した上できちんとした手続きをもって「はい論破」しましょう





:エビデンスってなによ?:

 率直に書けば、エビデンスは『科学的理論や仮説を"支持 or 反論"するために使う証拠』のことです

 テキトーな例を書いてみましょうか。たとえば『カラスの鳴き声は"カー"かそれとも"クエ"なのか?』的な議題があるとします。両者は互いの主張をぶつけあうわけですが、その時に「いや、ぜったい"カー"だから! みんなそう言ってるし」とか「ふつうに"クエ"って聞こえるだろ」みたいな言葉の応酬は不毛でしかありません

 議論をする際は、理屈に沿って、しっかりと科学的根拠を備えなければなりません。上記の例で科学的根拠を添える場合、たとえば"カー"派は実際にカラスの鳴き声を録音して、それらの音の波長を分析して『カーとクエのどちらに近いか?』という分析結果をひっさげて「これらの証拠から、カラスは"カー"と鳴いている!」という主張をします

 そしたら"クエ"派は『カラスの聴覚が捉える音』というのを分析するという方法があるでしょう。人の聴覚構造とカラスのそれを比較し、受け取る音波の違いを分析したり、あるいは、カラスの聴覚構造は、人間の聴覚構造と異なるため人間にとって「ワン!」という音が「ウン!」というふうに聞こえる、なんて結果が得られるかもしれません

 その結果「人間が聞く"カー"は、カラスにとって"クエ"と聞こえるからカラスの鳴き声は"クエ"だ!」と主張できるでしょう。このように、自分自身の主張を理論的に、そして科学的に証明できる材料を『科学的根拠(Scientific Evidence)』と言います

 あ、ちなみにここで紹介した例は今わたしが勝手にでっち上げたものなので実際こういう実験があったかどうかは知りません。まあでも、議論ってこういう流れだから





:使い方がむずかしいエビデンス:

 エビデンスは英語で『証拠/証明(Evidence)』という意味をもちます。科学的な根拠を示したいので[ Scientific Evidence ]になるわけだね

 ただこれ業界によっちゃ異なる意味合いで使われてまして、世間一般で知られてるエビデンスってのは上記で書いたヤツで、ほかにも医療的なエビデンスやIT関連の用語としても使われたりします。まあ、だいたい同じ意味です

 世の中たくさーんの学者さんがいるね。その方は毎日一生懸命なんらかの知的探求をして、実験をして、それらの結果をまとめたものを発表してます。ただね、それらは厳密な形で検証されないとエビデンスとしてはなかなか認められないのよ

 たとえば『地球は太陽の周りをまわっているのか?』について。わたしたちの視線からは地球は動いてなくて、太陽が東から登って西へ沈んでいるよね。じゃあ「地球は止まっていて、太陽が動いている」となるでしょうか?

 昔はそうなってたんです。だから天動説が唱えられていた。これだってひとつのエビデンス足り得ますが、アナタは知識として『地球は太陽の周りをまわっている』ということを知っていますよね? ――地動説はガリレオ・ガリレイはじめ、歴代のいろんな方の努力によってエビデンスが積み上げられた結果誕生し、現在では常識となっております

 エビデンスがエビデンスたり得ない場合だってあるってことです。なので、現代科学は検証に検証を重ねて科学的根拠を構築していきます

 もうひとつエビデンスの問題。それは得られた科学的根拠は正しいとしても、それを解釈する人の思考回路に違いがあるってこと。ざっくりかけば「AとBのエビデンスがあるんだからこれは"C"だろ」って言う人と「AとBのエビデンスがあるんだからこれは"D"だろ」って言う人がいるってことです

 実際CなのかDなのか? あるいはどちらも違うのかどちらも合ってるのか。またまた、同じエビデンスを使っても物理学者と生物学者では異なる解釈をする場合もありますし、異なる主張のエビデンスとして同じ論文を参考する場合もあります。エビデンスは独立した証拠・・・・・・です。そこから新たな理論構築をする際は、自身がもつ仮説とエビデンスの因果関係をしっかり見極めて使わなければなりません

 極端な話「犯人の指紋が凶器である包丁に残っていた。だから卵焼きには塩をかけるのが正しい!」なんて主張、いくらエビデンスが正しくても納得できるわけないじゃん?

 みんなかんたんに「はい論破」してるけど、本当の意味で論破するためにはすっげー長く険しい道のりを越えていかねばならんのですよ





:エビデンスにも信頼性がある:

 殺人事件を立証する際、たとえば『犯行時刻に犯人がその近辺にいた』という証拠と『包丁に指紋が残っていた』っていう証拠、どっちのほうがエビデンスになるでしょうか?

 包丁ですよね。さらにDNAが残ってたらこれはもうアレですよ。ってな感じで、証拠にも信頼性というかレベルがあるんですよね。状況証拠は証拠たり得ません

 科学界においても同じことが言えます。いろいろな根拠が揃ってても個々の信頼性を考えないといけないよね? ってことで、古くは1970年代から、1998年のオックスフォード大学の組織(CEBM)をはじめ続々と「これ、エビデンスの信頼性ね」と提唱する団体が増えていき、現在ではどこの国も同じような基準が定められています。ここではわたしが参照する著書からエビデンスレベルを紹介していきましょう

 注意:レベル1が最も信頼性が高く、レベル6が最も信頼性が低いものとなります


・レベル1
  メタアナリシス
  システマティック・レビュー
・レベル2:
  ランダム化比較試験
・レベル3:
  非ランダム化比較試験
・レベル4:
  コホート研究
  症例対照研究
・レベル5:
  症例報告
・レベル6:
  専門家の意見

 専門家の意見は専門家ですから立派なエビデンスになりますが、それはそれで信頼性としては低めの段階です。とはいえ『専門家の言葉がエビデンスになる』という解釈もできるので、メディアに登場する専門家の方は発言に注意しなければならないって事情もあります

 まあその人が本当に・・・・・・・専門家ならば・・・・・・の話ですけどね

 症例報告ってのは、お医者さんはいろんな患者を診るわけですが、その方がどんな病気でどんな症状で、どんな薬を処方してどういう結果になったか? ってのを病院に報告するわけですよ。んで会議室とかで話し合う描写、医療ドラマとかでたまーにやってるでしょ?

 あの会議で得られた結論もまたエビデンスたりえます。が、やっぱりそこまで信頼性は高くない。だってひとつの病院内の議論で収まった話ですからね。もしかしたらよその病院に別の例があるかもしれんし

 症例対照研究は『過去に遡って研究する』ものです。医療系統の例でそのまますすめると、たとえば肺がん患者がいるとする。その患者の過去の生活習慣を調べ、がんの原因に成りうる要素を調査していくのです

 そうすっと、得てして『タバコの習慣がある』ってデータが得られます。そういたデータの積み重ねで『肺がん患者にはタバコの習慣をもつ割合が多い = タバコは肺がんのリスクがある』的な考察ができるようになります。これはなかなかに大きなエビデンスですね

 コホート研究はその逆で『対象者を未来複数年にわたり研究観察する』というもの。現時点で肺がんじゃない人を対象に"喫煙者/非喫煙者"に分け、うん年後にどっちのグループがどんだけ肺がんになったか? ってのを観察するわけですね。コホート研究は未来に向かっているので別名"前向き研究"、症例対照研究は"後ろ向き研究"とも呼ばれています

 どっちも素晴らしいエビデンスに見えるけどこれにも落とし穴が。昔から「飲酒も肺がんと関係あんじゃね?」という議論がありましたが、アンケートではタバコと酒のデータを詳細に分けてなかったんです。なので酒とタバコを分けて検証してみたところ、なんと『飲酒"だけ"ならそうでもない。けど酒とタバコのコンボはヤバい』という結果が得られたのです。ひとつの症例対照研究だけを参照すると、まだまだ見えない真実がある。だからこそ、症例対照研究は高めではあるけど信頼性としてはそこまで高レベルじゃない、という立ち位置になります。ほかにも現時点での状態を検証する『横断研究』ってのもあるけど略します。以下役立ちそうな情報源ね


国立がん研究センター
ttps://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/319.html


 レベル3と2は似てるのでいっしょに紹介。いうてやり方はシンプルで『複数グループに分け、あるモノの効果を確かめる』というものです。これは新薬開発にめっちゃお役立ちになります

 たとえば"A"という物質が花粉症に効果的なのか? ってのを確かめるため以下のグループに分けます

・Aを処方するグループ
・偽物の薬を処方するグループ

 偽物の薬、多くはバレないよう見た目や味は同じにデザインされています。プラセボ効果(プラシーボ効果)って聞いたことある? プラセボってのは英語で『偽薬(Placebo)』って意味です。たとえニセモノであっても、人って「これはホンモノだ!」と思い込んで飲むとゲンキになっちゃうおもしろい生き物なんです

 なので、実際に薬の効果を確かめたいときは、ホンモノの薬を投与するグループとニセモノを投与するグループに分けて、ニセモノと比較してどんくらいホンモノの薬が効いたか? ってのを検証しなければならないんです

 問題なのはそのやり方。非ランダム化ってのは『関係者が事情を知ってる系』です。お医者さんや薬を持ってきた学者さんなどが、今自分が処方してるのはホンモノかニセモノかを知ってる状態。んでより信頼性が高い"非"がつかない方は、お医者さんや関係者さえも、その薬がホンモノか否かを知らされてない状態で、実験の主導者くらいしか知らないって状態で行う実験です

 このふたつ、なぜレベルが1段階上がるほど違うのか? ――それは人間の認知バイアスにあります

 人間って『事情を知ってると"ソレ"に合わせてしまう』っていうクセがあるんです。お医者さんや看護師さんが、ある患者さんはホンモノの薬を処方されてると知っていると「この患者はホンモノの薬を処方されてるんだから良くなるはず」という意識のもとで世話するため、ニセモノの薬を処方されてる患者より丁寧に扱われる可能性があるんです。いやいやそんなことはないだろというツッコミがありそうですが、これ無意識レベルの話なので、ええ――人間のこころって、アナタが思ってる以上にクセの塊なんですよ

 ってことで、ダレも事情を知らない状況で行われた実験こそ信頼性が高くなります。じゃあそれより信頼性が高く最高レベルのモノって何だよ? って話よね

 メタアナリシス、そしてシステマティック・レビューとは『今まであった"同じ研究"をぜーんぶ集めて分析する』ものです

 システマティック・レビューについて。たとえば『Aという物質は花粉症に効くか否か』という実験論文をあっちこっちからぜんぶ集めていきます。そんで一定の基準を満たした論文だけをチョイスし、統合して結論を導き出します

 その際限定的な条件すぎて質が悪いとか、検証すべき要素を検証してないとか分析手段が杜撰だとかそういう質の悪い論文は排除されます

 ランダム化比較試験でも『効く/効かない』ってけっこー分かれるんですよね。なので、それらの論文をひっくるめて集めることでより詳細な結論を得ることができるようになります。データを統合して、統計学的に意味のある結果が得られているかどうか? を分析する過程をメタアナリシスと呼びます

 現状ある論文をすべて参照するため、これが最高峰の信頼性を誇るのですが万能ではありません。そもそもの研究論文数が少なければ信頼性もそれだけ低いですし、取捨選択がほんとうにうまくいってるのかどうか? ってのも慎重に検証していくことが求められるからです

 これらの基準は世界的に定められており、医療現場ではエビデンスレベルに基づいた医療ガイドラインが設けられています。むかしは医者の経験則や権威性のある人のやり方に習ってたのですが、今ではしっかり効果があるやり方を情報共有し、検証を重ねて治療が行われてるんですよ。たとえば国立がん研究センターなどは、そういった研究を評価して治療効果を3段階に分けていたりしますね


国立がん研究センター
ttps://canscreen.ncc.go.jp/kangae/20200728154738.html


 エビデンスってのはこういう検証を重ねた結果誕生するものなのです。自分の思い込みやろくに検証されてない情報を真に受けて「はい論破」の材料に使った日にゃあ、後で恥ずかしい思いをするのはアナタかもしれませんよ?





:試験官や動物実験は論外:

 ここでは紹介されませんでしたが、アナタは『マウスの実験により明らかになった』的な文言を見たことがあるでしょうか? あるいは『〇〇を菌に投与したところ殺菌作用があることが確認された』的な文言なども目にしたことがあるでしょうか?

 これ、実はエビデンスになりえません。論外です。試験官の中だけでなら他の物質でも有効かもしれませんし、マウスの実験で得られたなら人間でも同じことが言える、なんて言えませんよね?

 これらはあくまで『マウスには有効だった』的な示唆であり『試験官の中では有効だった』とう示唆でしかありません。上記で散々紹介した医療系のエビデンスとするなら、人間で実際に確かめてこそエビデンスとなるのです

 アナタが「はい論破」したいなら、論破するための科学的根拠をしっかり備えましょう。相手の間違いを指摘するだけでは論破ではありません。真の論破は『アナタの主張が論理的、科学的に正しい時』にやってくるのです

 論破のためのエビデンス入門、いかがだったでしょうか? わかりやすいむずかしい、長すぎ短すぎ、今の書き方でいい、こういう展開のしかたにしてほしいなどいろいろ意見がありましたら遠慮なく感想ください。あと高評価もおねがいします

 論破とは、議論において自分自身の主張の正しさを証明することです。テキトーにあーだこーだ言ったり相手の主張を理解しようとせずギャーギャー言うのは論破ではなくただのバカでしょ? どうせ論破するなら、だれが見てもほんっとーのほんとーに「あ、これ相手完全に論破されたな」ってくらいの完全な理論武装と科学的根拠をひっさげて挑みましょう

 アナタの論破ライフに幸あれ!
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