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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百八八話 侵攻の詔勅
 長平で数十万の捕虜を虐殺した白起。自軍も満身創痍であるにも関わらず、秦王からは、趙の首都邯鄲を攻撃する様に勅が下る。
 前259年(昭襄王48年)

 長平での戦が集結してから数ヶ月。雪が溶けだし、少しづつ過ごしやすくなった頃。上党郡に駐屯し、十分な補給を受けた秦軍は、邯鄲を攻めるべく、間者や斥候の報告を待っていた。
 白起は日々、副将らが報告してくる兵卒の様子に、心を痛めていた。兵の多くは、心を通わせつつあった捕虜を虐殺したことに、不満を抱いていた。虎狼の国と蔑まれる秦の民も、戦がなければただの人の子なのである。
 しかし鄢の時と異なり、やらざるを得なかったという事実を知っている副将らは、その時とは異なり、兵に同調しなかった。そして軍法に則り、規律を乱した兵を罰した。
 白起は、自分がしたことは間違ってはいなかったと、自分に言い聞かせていた。
「私は、少年兵二百余名の命は助けた。幼少の頃、故郷を奪われた少年起が、数十年後に秦将として、故郷を奪った賊を討伐したことを鑑みれば、少年兵の捕虜を助けるべきではなかった。だが、助けるべきだと、心がそういった。私は従った。私は……すべきことをした」
 白起はこれまで、板楯族や義渠人への復讐に、人生を捧げてきた。その過程で友や戦友、家族との時間など多くを失った。だが泣き寝入りすべきではなかった。復讐をする為に、努力を続けた。
 そして秦将となり、復讐を果たした。それからは秦将として、責務を果たし続けてきたのだ。
 味方の損害を減らし、敵を打ち破り、将兵と心を通わせ、秦王の大志の為に領土の拡張に貢献した。これまで成し遂げたことを振り返れば、これまでの自身の決断は、なに一つとして間違ってはいないと、自信が湧いた。
 しかしそれでも尚、長平での捕虜の最期を思い出す為に、その自信が揺らいだ。
 白起は、悪夢を見る様になっていた。これまでに殺した、白い目をした百万人以上の敵兵が、自身を襲うのである。既に覚悟を決め戦い続けてきた白起は、勝つ為、生き抜く為に、必死に槍を振るった。
 秦王という神にも等しい主の光は、彼らを焼き殺した。しかし水死体の様に膨れた捕虜の姿は、秦王の光では消えなかった。そして白起もまた戦意を失い、どうしようもない切なさに胸を抉られながら、目を覚ますのである。
 目を覚ます度に、涙が頬を濡らしていた。

 数日後、白起は間者と斥候の報告を受けた。
 邯鄲では、趙王が少年兵を受け入れた上で、その惨状を聞き速やかに周囲の兵を邯鄲に集結、そして邯鄲でいつでも戦う覚悟を決めたようであった。
 七雄の他の五カ国とは友好関係を維持しており、趙は対秦に全力を尽くせる構えであった。
 白起は、満身創痍の秦軍が確実に勝利を得る為、全力で趙へ攻め込めば、例え勝利を手にしても瓦解する恐れがあると悟った。
 白起は、退却をすべきだと判断した。
 しかしその時、咸陽から派遣された使者が、秦王の勅令を伝えた。
「邯鄲を攻め、天下統一の礎とせよ」
「恐れながら、邯鄲攻撃は延期すべきと存じます。本日入った情報によって判断致しました。その旨、秦王様へお伝えすべく、本日中に伝令を出すつもりです」
「武安君、秦王様は……きっと聞き入れないでしょう。今秦王は、まるで獣のようです。秦王様の逆鱗に触れませぬ様、お祈り申し上げます」
 使者の懸念通り、白起が送った伝令が持ち帰った秦王の意思は、攻撃続行というものであった。
 白起は副将らと相談した上で、決断した。
「私自ら咸陽へ赴き、秦王様を説得する。今後の指揮は、張唐将軍に任せる」
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