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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百三一話 白起、郢を陥す
 鄢を陥落させた歯茎率いる秦軍は軍を進め、楚の都郢まで到達する。
 前278年(昭襄王29年)

 白起は全軍を率いて、楚の首都、郢へ向かった。
「無傷の全軍で一気に首都を陥す。そなたも恐れず、私の側で見ているがいい、齕よ」
「旦那様の人生に於いても、敵国の首都の攻撃など、そうなん度も行うものではないでしょう。これ程までの大戦(おおいくさ)に立ち会えて、齕めは筆舌に尽くし難い高揚感を覚えております」
「気候は寒く、北方出身の我らにとっては丁度いい。しかし現地の楚人にとっては寒く、それだけで戦意は下がるであろう。また郢は城内に川を引いている水運都市だという。我らの得意な戦場だ。更に我らは、十分な武具兵糧が残っており、敵は兵も武具兵糧も水に流され、不足している。私がなにをいわんとしているか、分かるか」
「はい。戦勝の理(ことわり)である、天の時、地の利、人の和の全てを、我が方が有しているということですね」
「左様だ。敵は対斉合従軍で斉と連衡(れんこう)し、無傷で臨淄に入るなどの不義理を働いた。戦後も斉の南側の領土を割譲させるなど、悪辣な動きをした。諸国は楚を見限り、誰も味方をしようとはしない。つまり、この期に及んで楚は、もはや打つ手はないのだ」

 白起は数万の兵で、郢に迫った。国の中心に力が集中しておらず、有力な将が地方に点在している楚は、国力を結集し迎撃することはできなかった。
 野戦を数回繰り返すも、勢いに乗る秦軍の敵ではなく、秦軍は、容易に郢を包囲した。
 秦軍は、全方向から猛攻を加えた。
 また漢水を下ってきた水軍は、船の先に破綻槌を付け、正面から城門を破壊しにかかった。予め上流を堰き止めていた白起は、城の攻撃時刻に合わせて、兵に堤を破壊させた。勢いよく流れる川の水は水軍の船を速め、その突撃は一撃で、郢の城門を破壊した。
 士気、兵数で勝る秦軍は、楚軍による水軍への妨害を防ぎきった。水軍の船は次々と城内へ侵入し、城内に火を付けて回った。

 歩兵の蒙武は自身の配下の兵に指示を出し、楚兵や、武器を手にして抗う民を殺して回った。
 やるべきことは、いつもと同じだ。しかし蒙武には、迷いが生まれていた。
 総帥の白起は、民に抗うことすらさせず、有無もいわさず皆殺しにしたのだ。城内にいた数十万人の全ての命や、思い出が詰まったもの、街そのものを、跡形もなく消し去ったのだ。
 自分がしていることが、戦なのか、虐殺なのか、分からなくなった。初めて、将に対して、不信感のようなものを覚えた。
「蒙武様! しっかりしてください!」
 配下の兵の声で我に返った蒙武は、考えるのをやめた。幸運にも彼は、考えるよりも刃を振るう方が得意な男であり、戟を振るう度に、いつも通りに戦えるようになった。

 将兵の奮戦の甲斐あって、秦軍は楚の首都郢を、僅か半日で陥した。抗う民は虐殺され、女は食われ、動物や金銭は奪われた。
 白起はそれを止めなかった。天下に、秦の王の志はこういうものだと、示す為であった。
「これが秦王様の大志だ。天下を統一し、戦を終わらせるのだ……!」
 白起は廟を焼き、社稷を破壊した。それから、郢郊外にある夷陵(いりょう)へ兵を向かわせ、先代の楚王の陵墓を暴かせた。
「王は見つからんのか」
「はい……捜索を続けておりますが、なに分、大きく複雑な街の為、抜け道があれば見つけにくいのです」
「それもそうだな。見つけた者には褒美を出す。全ての兵に、捜索させるのだ」
「御意!」
 白起は楚王を探すも、遂に見つけることはできなかった。

 その数日後、楚王は郢陥落前に、民を見捨てて城を出ていたことが分かった。中原近くの陳(ちん)に立て篭もり、三晋と協力する姿勢を見せると、秦王は趙との関係を優先し、追撃を禁止した。
 白起は将兵が郢の戦いで武勲を上げて喜ぶ一方、損害が全くなかった訳ではないことを鑑み、上庸へ撤退した。
夷陵……現在の湖北省宜昌市夷陵区。
後の三国時代に、漢中王劉備が最後の戦を行った地としても有名。

陳……現在の河南省周口市淮陽区。
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