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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百十話 斉西の戦い 十一
 楽毅は臨淄に入城し、蘇秦を探す。
 臨淄 楽毅

 楽毅は激闘の末に、独力で臨淄を陥落した。馬に乗り、死屍累々とした城の中に入城した。
「まだ息がある斉兵がいれば殺せ。降伏したもの者や民は、助けるのだ。殺していいのは兵のみだ。私情を優先し軍令に背く者は厳罰に処す」
 楽毅はこの期に及んでは意味がないと思いながらも、再度軍令を発した。
 倒木や家屋の残骸が道を塞いでいて、思うように宮殿へ進めなかった。そこで楽毅は別の伝令を捕まえ、騎劫将軍を先遣隊として向かわせることにした。
 目的は、蘇秦の救出である。だが、蘇秦はもう生きてはいないという気もした。
 歩兵とともに騎劫将軍が戻る。楽毅は半ば諦めながら、「蘇秦殿はいたか」と尋ねた。すると騎劫は、「蘇秦殿は、車割きの刑に処されていました……。王子を城外へ逃がす名目で逃げようとした所、斉王に捕まり、殺されたようです」と告げた。どうやら宮殿内での斉兵の生き残りが、そう証言したらしかった。
 楽毅は、そのあまりに残酷な末路に、辟易した。
 王子は東の即墨に逃げたと知り、宮殿から城外へ通じる隠し通路を見つけ出した楽毅は、燕軍へ命令を出した。
「既に廃墟と化した臨淄を速やかに放棄し、前線の残存兵力の全てを用いて、即墨を攻める!」


 薄姑 胡傷

 臨淄陥落の報を受けた胡傷は、薄姑へ降伏勧告を行った。遂に王が殺されたことを知った斉将は、城門を開けた。田氏の頭が倒れたことで、田氏は戦意を失ったのである。
「斉という国は実に、田氏の斉王を要にして、田氏のみで成り立っていたのだな。その他の将兵や臣民は、その大多数が、初めから戦意などなかったというに……。張唐将軍」
「ここに」
「薄姑の占領はそなたに任せる。私は、臨淄へ向かう。臨淄が陥落した事実をこの目で確認し、燕軍と合流する」
「御意!」

 胡傷は臨淄に入り、斉軍総帥の韓珉や、副将の田達が戦死していることを確認した。また斉王の骸と、王室の墓が暴かれていることを確認し、遂に斉が滅亡したという事実を、肌で感じた。
 しかし、燕兵が一人もいないことに疑問を抱いた。妙だと感じていたところ、燕からの伝令が現れた。
「燕将楽毅は、斉の王子、田法章を捕らえるべく、東の即墨へ進軍。合従軍各位には合流後、武具兵糧の補給を取り計らわられますよう」
「相分かった。我らは斉王を誅殺し、臨淄を陥したことで、此度の挙兵の目的を達成した。攻撃は燕へ任せる故、すぐさま武具兵糧を支援する」
「感謝申し上げます!」

 それから合従軍各位は即墨を包囲する燕軍を支援しつつ、各地の統治を行うべく、前線から兵を退いていった。
 燕将楽毅は即墨と掎角の勢を成す莒(きょ)の二城を完全に包囲し攻撃した。合従軍は斉の城を容赦なく陥落させており、楽毅はその中でも特に活躍し、短期間に独力で七十の城を陥落させていた。しかし即墨と莒で籠城をする田単は巧みな指揮で抵抗し、楽毅は、燕軍の疲れや、海沿いという包囲に向かない地形の不利から攻めあぐねていた。
 その数ヶ月後、事態は急展開を迎えた。燕王が薨去し、新たに燕王に即位した姫戎人(きじゅうじん)は田単の離間の計に掛かり、楽毅を追放し、騎劫を総帥の後任としたのである。
 田単は騎劫が楽毅に劣ると知っており、火牛の計等の奇策を用いてこれを撃退した。
 田単その後、兵の大半を本国へ帰還させていた合従軍を急襲し、遂に旧領の大半を回復するに至った。
 合従軍は、斉の民の怒りを買っており、その統治に難儀していた。斉の国力が大いに衰えたことを落とし所にし、合従軍は斉から完全に兵を引き、一連の戦いは幕を閉じた。
襄王(生:前283年〜没:前265年)……斉の君主。姓は嬀、氏は田、諱は法章。湣王の子。
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