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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第八二話 秦王、魏冄を臨淄へ送り出す
 白起を怪獣しようとする秦王の思惑に気づいた泠向と魏冄は、対処すべく策を講じる。
 魏冄の腹心である泠向は、今朝の朝議にて秦王から白起へと下した命令が、魏冄の不利益になるものであると、勘づいていた。
 彼は宮廷を出るなりすぐさま、魏冄の許へ向かった。魏冄は丞相府へ戻ろうと、馬車に乗り込んでいるところであった。
「丞相、大切なお話がございます。同乗させていただけますか」
「なんたる剣幕で私を睨んでおるか」
「一大事にございます。目つきも鋭くなりまする」
「左様か……乗れ」
 泠向は一礼し、颯爽と乗り込んだ。暗く、広いとはいえない馬車の中で、先に乗り込んでいた泠向は、遅れて優雅に馬車へ乗り込もうとする魏冄を、急かすように凝視するほかなかった。

 魏冄と泠向を乗せた馬車は、お共の馬車で列を成しながら、丞相府へ向かった。
「丞相は、朝議にて秦王が国尉白起へ下した命について、どのようなご感想を抱かれましたか」
「無論、軍神の才能を腐らせるような、誤まった決断であると感じた。そしてそれ以上に、やつを郿県や雍ではなく、自身の側(そば)である咸陽に置いたことには、思惑を感じざるをなかった。その思惑とはつまり、白起の懐柔であろうな」
 泠向は、自身の表情が少し、解れるのを感じた。
 彼は拱手をしながら、「流石は丞相。やはり私の目に狂いはなかった。あなた様は、秦国随一の賢人にございます」といった。そして安堵から、笑った。
「泠向よ、そなたはこの件についてどのように対応すべきと考えるか」
「なによりもまず、穏便に対処することが肝要にございます」
「同意見だ。今は秦王と仲違いする時に非ず。水面下で、白起の心が秦王に傾かぬようにすべきだ。泠向よ、私は、白起を取り立てた身だ。それ故、公私においても、秦王より白起に詳しい」
「人身を得るのは、飴と鞭。より位の高い存在として、丞相は国尉白起が管轄する軍への、物や金の管理を厳しく行っており、また国尉白起が司馬錯に感化され、手足である兵への罰に融通を聞かせようとした時、それを咎めました。つまり鞭は十分に奮っている訳です。次は、飴が必要です」
「罰として白起の身体を罰し、飴として、その心を慰める。その心とはつまり、故郷だ。やつの故郷の友人に施し、父母の墓に供え物をしよう」
「その動きは、すぐに秦王にも伝わるでしょう。そこから目を逸らす為にも、合従軍として、目立った国策に打って出るべきです」
「そうだな。実は以前より、やろうと思っていたことがあるのだ。それは秦王を立てつつも、我らが合従軍の側に立っていると、蘇秦を納得させられる策だ。機は熟したな」

 魏冄はそれから、事ある毎に自身の手先を、郿県や雍城へ送った。そして自ら白起の屋敷を尋ねては、白起にさりげなく、故郷へ目を配っていることを伝えた。
 宮廷の勢力争いに無関心な白起は、時折来訪しては酒を呑むだけの王より、魏冄への感謝の念を抱くようになった。

 また秦王を立てつつも斉王を油断させる合従軍側の策として、魏冄は朝議にて秦王へ、東西互帝策を献策した。
「秦王様。これは斉王に対しては、西の秦と東の斉という二強国で諸国を平伏せさせ、天下を我がものにしようと、誘っているように見せることができます。それは天下を乱す行動であり、よもや合従軍が興ることなど夢にも思わないでしょう。そして蘇秦には、我らがわざとらしく斉王に擦り寄う姿を見せることで、しっかりと、その真意として、合従軍に加わっていることを示すことができます」
「よかろう……確かにそれは名案だな」
 秦王はその策を容れ、魏冄を斉へ送り出した。
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