残酷な描写あり
R-15
第七十話 秦王、白起へ女を宛てがう
白起を自分の勢力に取り入れたい秦王は、唐姫の提案に従い、白起に女性を贈ることにする。
蒙武は振り返り、「なんでしょうか」と尋ねた。
すると若い女性は、どぎまぎしながらも意を決して、「それでも礼をさせてください」といった。
沈黙が訪れ、蒙武と女性は互いを見詰め合ったまま、動かなかった。あいだにいた店主が二人の意見の折衷案として、金ではなく、食事を振る舞うことで礼をすることを提案した。蒙武は承諾した。
後日、店を訪ねた蒙武は、三人で食卓を囲った。いつも栄養重視で簡素な食事ばかりだった蒙武にとって、家庭的な料理は、不思議に感じられた。
食べ終わって店を出ようとする蒙武に、店主はいった。
「よかったらまた食べにいらして下さい。秦の兵が来てから、ずっと窮屈な思いをしていた。客も来ず、ずっと息苦しかった。娘も楽しそうだった。いつでもお待ちしてますよ」
続いて、娘もいった。
「蒙武様……どうかまた、夕食を囲いましょう」
蒙武はなにもいわず、靴を履いて戸を開け、店を出た。灯篭もないまっ暗な街中を、彼は寒さを堪えながら歩いた。外は寒い。だがなぜか体の中は暖かく、また三人で食卓を囲う日を楽しみに感じていた。今まで食事は生きる為に摂るものだと思っていた彼は、その楽しさが、忘れられなかった。
咸陽
咸陽では秦王が、宮廷内の派閥争いに勝つ為、あらゆる人事を尽くしていた。臣下を労う宴を催し、その家族と会って、交流する。
しかし、その手の人心掌握に関していえば、秦王の力は丞相魏冄に、遠く及ばなかった。
しかし秦王は、諦める訳にはいかなかった。白起が魏冄と離れている内に、彼を自分の派閥に加えたいと、秦王は考えていたのだ。
「白起は確か、余と歳が近かったな。唐姫よ、余はそなたを妾にし、家庭を持った。しかし白起は未だに嫁がいないどころか、血縁者すら誰一人として残っていないという」
「それは……とても悲しいことにございます。秦王様、一つ考えを、述べても良いでしょうか」
「なんだ、申せ」
「白起将軍に、女性を宛てがってはいかがでしょうか。家族を作るにはそれが最も効率的で……なにより、心が癒されるはずです」
「確かに、現地の魏人(ぎひと)や韓人(かんひと)を襲って妙な病気を貰ったのでは、天下の物笑いだ。そなたの案は、実(まこと)名案だな。しかし誰を宛がえば良いだろうか?」
「その点は、宣太后様にお任せしてはいかがでしょうか」
「それで母上の鬱憤も晴らせよう」
秦王は人を呼ぶと、早速手配を始めた。
垣邑 白起
秦王からの使者が垣邑へ到着する数日前、白起の許に、任鄙からの竹簡が届いた。それは、思うように戦ができない白起の心中を察するものだった。
白起は、任鄙からの竹簡を読み、彼の姿を思い浮かべた。初陣を飾ったのは彼の戦場であった。そして伊闕の戦いでは、彼に指示を出す形でともに戦った。難解な作戦だったが、優れた手腕で指示通りに動いてくれたことで、見事圧勝することに成功した。
「名将も今や病床に伏しているのか……弱々しいことをいっている」
「なんと書いているのか、齕めにも教えていただけませんか?」
「丞相魏冄が私欲の為に権力を乱用し、秦は国尉白起の力を活かせず、躍進ができないままだと書いている」
「宮廷では、権力者と王が互いの腹をさぐり合うことはよくあることです。言葉にしてそれを非難すれば、恨まれかねませんが……」
「度胸があるのは、体は衰えても心は名将のままだということなのだろう。齕よ、丞相批判の一文があったことは、他言無用だぞ」
白起は竹簡をしまい、軍の調練に顔を出す為、外へ出た。
すると若い女性は、どぎまぎしながらも意を決して、「それでも礼をさせてください」といった。
沈黙が訪れ、蒙武と女性は互いを見詰め合ったまま、動かなかった。あいだにいた店主が二人の意見の折衷案として、金ではなく、食事を振る舞うことで礼をすることを提案した。蒙武は承諾した。
後日、店を訪ねた蒙武は、三人で食卓を囲った。いつも栄養重視で簡素な食事ばかりだった蒙武にとって、家庭的な料理は、不思議に感じられた。
食べ終わって店を出ようとする蒙武に、店主はいった。
「よかったらまた食べにいらして下さい。秦の兵が来てから、ずっと窮屈な思いをしていた。客も来ず、ずっと息苦しかった。娘も楽しそうだった。いつでもお待ちしてますよ」
続いて、娘もいった。
「蒙武様……どうかまた、夕食を囲いましょう」
蒙武はなにもいわず、靴を履いて戸を開け、店を出た。灯篭もないまっ暗な街中を、彼は寒さを堪えながら歩いた。外は寒い。だがなぜか体の中は暖かく、また三人で食卓を囲う日を楽しみに感じていた。今まで食事は生きる為に摂るものだと思っていた彼は、その楽しさが、忘れられなかった。
咸陽
咸陽では秦王が、宮廷内の派閥争いに勝つ為、あらゆる人事を尽くしていた。臣下を労う宴を催し、その家族と会って、交流する。
しかし、その手の人心掌握に関していえば、秦王の力は丞相魏冄に、遠く及ばなかった。
しかし秦王は、諦める訳にはいかなかった。白起が魏冄と離れている内に、彼を自分の派閥に加えたいと、秦王は考えていたのだ。
「白起は確か、余と歳が近かったな。唐姫よ、余はそなたを妾にし、家庭を持った。しかし白起は未だに嫁がいないどころか、血縁者すら誰一人として残っていないという」
「それは……とても悲しいことにございます。秦王様、一つ考えを、述べても良いでしょうか」
「なんだ、申せ」
「白起将軍に、女性を宛てがってはいかがでしょうか。家族を作るにはそれが最も効率的で……なにより、心が癒されるはずです」
「確かに、現地の魏人(ぎひと)や韓人(かんひと)を襲って妙な病気を貰ったのでは、天下の物笑いだ。そなたの案は、実(まこと)名案だな。しかし誰を宛がえば良いだろうか?」
「その点は、宣太后様にお任せしてはいかがでしょうか」
「それで母上の鬱憤も晴らせよう」
秦王は人を呼ぶと、早速手配を始めた。
垣邑 白起
秦王からの使者が垣邑へ到着する数日前、白起の許に、任鄙からの竹簡が届いた。それは、思うように戦ができない白起の心中を察するものだった。
白起は、任鄙からの竹簡を読み、彼の姿を思い浮かべた。初陣を飾ったのは彼の戦場であった。そして伊闕の戦いでは、彼に指示を出す形でともに戦った。難解な作戦だったが、優れた手腕で指示通りに動いてくれたことで、見事圧勝することに成功した。
「名将も今や病床に伏しているのか……弱々しいことをいっている」
「なんと書いているのか、齕めにも教えていただけませんか?」
「丞相魏冄が私欲の為に権力を乱用し、秦は国尉白起の力を活かせず、躍進ができないままだと書いている」
「宮廷では、権力者と王が互いの腹をさぐり合うことはよくあることです。言葉にしてそれを非難すれば、恨まれかねませんが……」
「度胸があるのは、体は衰えても心は名将のままだということなのだろう。齕よ、丞相批判の一文があったことは、他言無用だぞ」
白起は竹簡をしまい、軍の調練に顔を出す為、外へ出た。