残酷な描写あり
R-15
第六九話 蒙武、垣邑の中で出会う
魏冄が趙からの賄賂を受け取り、秦軍が魏や韓への侵攻を止めてから数ヶ月。規律が乱れる秦軍は、前線の街の治安を乱していた。そんな中、蒙武は自分の部下までもが、人を拐うのを目の当たりにする。
同年 垣邑
前線の秦軍が動きを止めてから数ヶ月。秦兵は訓練を終えると、暇な時間を潰す為に、賭博場や売春宿で楽しむようになっていた。しかし金がなくなると、城内での略奪行為や強姦等が流行りだし、規律が乱れていた。
蒙驁の息子である蒙武は、同期の兵や上官が秩序を乱す姿を見ることが何度かあって、嫌気がさしていた。
「戦争が始まればあれだけ勇猛な秦兵も、鎧を脱げばこんなものですか。規律が重要であっても、それを取り締まる将官たちも一緒になって暴れている。戦功を立てられぬ鬱憤が、彼らを暴れさせるのですな」
彼は兵舎内にある部屋で、茶を飲んでいた。そこは五百主である、父蒙驁の部屋だった。
「武よ、お前はあんな恥を晒すなよ」
「分かっていますよ親父殿。俺は……理性がありますから」
蒙驁は笑った。
蒙武は蒙驁に似た、体格の良い男であった。学識もなく、無骨な男であり、見た目だけを取れば他の誰よりも、理性なく暴れていそうな雰囲気の男であった。
だからこそ、あまりにも見かけに寄らないその言葉に、蒙驁は、笑ってしまったのだ。
「まぁ、お前もいつかは将軍となり、天下を駆け抜ける男だ。いつまでも腕っぷししか誇るものがないのでは、雑兵となにも変わらぬ」
「親父殿よりは、頭が良いと思っているのですが……。少なくとも、摎殿はそう仰っていた。駒での模擬戦で、摎殿に勝ったこともあります」
「えぇ……そうなのか?」
急にオドオドとする父を見て、蒙武は笑った。
部屋を出て、蒙武は街へ出た。普段は漢中郡の南鄭(なんてい)に居を構えており、区画整理が成された城郭都市の街には慣れていた。
路地裏の狭い道で若い男が、肉屋の店主の男を脅して、金を奪っているのを見た。助けよう、という気は起きなかった。立ち去った後、路地裏から「娘だけは! 娘だけは!」と叫ぶ声がした。徐々に遠くなる店主の叫び声に混じって、「父上!」と叫ぶ、若い女性の声が聞こえた。
なぜか気になって、蒙武は振り返った。すると路地裏のすぐ横の店から、若い女性が担ぎ出されている姿が見えた。
数分後、蒙武はその女性を助けていた。襲っていたのは、自分の伍の兵だった。父親から貰った小遣いを少し渡して、娼館へ行くように薦めたら、いとも容易く、そして穏便に助けることができた。
「ありがとうございます。一人娘を……一人娘を助けてくださるなど、なんとお礼申しあげれば……!」
店主の男は、鼻水を垂らしながら泣き叫んでいた。
「そ、そうだ……お金を、お金を受け取ってください!」
「おい待て店主。渡す金があるなら、それを渡して娘を助ければ良かったではないか」
「奴らには店の金を取られました……。さらに渡したところで、更に娘を奪われただけです……」
蒙武はその言葉に、妙に納得した。そんなことも思いつかなかった自分の、さっきの言葉が恥ずかしくなる程だった。
「それもそうであるな。しかし礼は要らん。金にはあまり困っていないのでな」
そういって蒙武は立ち去ろうとした。人助けをして、満足だった。しかし胸騒ぎがしていた。
店主の娘が「お待ちになって……!」と、蒙武を止めた。蒙武は呼び止められ、妙に高揚感を覚えながら、振り返った。
前線の秦軍が動きを止めてから数ヶ月。秦兵は訓練を終えると、暇な時間を潰す為に、賭博場や売春宿で楽しむようになっていた。しかし金がなくなると、城内での略奪行為や強姦等が流行りだし、規律が乱れていた。
蒙驁の息子である蒙武は、同期の兵や上官が秩序を乱す姿を見ることが何度かあって、嫌気がさしていた。
「戦争が始まればあれだけ勇猛な秦兵も、鎧を脱げばこんなものですか。規律が重要であっても、それを取り締まる将官たちも一緒になって暴れている。戦功を立てられぬ鬱憤が、彼らを暴れさせるのですな」
彼は兵舎内にある部屋で、茶を飲んでいた。そこは五百主である、父蒙驁の部屋だった。
「武よ、お前はあんな恥を晒すなよ」
「分かっていますよ親父殿。俺は……理性がありますから」
蒙驁は笑った。
蒙武は蒙驁に似た、体格の良い男であった。学識もなく、無骨な男であり、見た目だけを取れば他の誰よりも、理性なく暴れていそうな雰囲気の男であった。
だからこそ、あまりにも見かけに寄らないその言葉に、蒙驁は、笑ってしまったのだ。
「まぁ、お前もいつかは将軍となり、天下を駆け抜ける男だ。いつまでも腕っぷししか誇るものがないのでは、雑兵となにも変わらぬ」
「親父殿よりは、頭が良いと思っているのですが……。少なくとも、摎殿はそう仰っていた。駒での模擬戦で、摎殿に勝ったこともあります」
「えぇ……そうなのか?」
急にオドオドとする父を見て、蒙武は笑った。
部屋を出て、蒙武は街へ出た。普段は漢中郡の南鄭(なんてい)に居を構えており、区画整理が成された城郭都市の街には慣れていた。
路地裏の狭い道で若い男が、肉屋の店主の男を脅して、金を奪っているのを見た。助けよう、という気は起きなかった。立ち去った後、路地裏から「娘だけは! 娘だけは!」と叫ぶ声がした。徐々に遠くなる店主の叫び声に混じって、「父上!」と叫ぶ、若い女性の声が聞こえた。
なぜか気になって、蒙武は振り返った。すると路地裏のすぐ横の店から、若い女性が担ぎ出されている姿が見えた。
数分後、蒙武はその女性を助けていた。襲っていたのは、自分の伍の兵だった。父親から貰った小遣いを少し渡して、娼館へ行くように薦めたら、いとも容易く、そして穏便に助けることができた。
「ありがとうございます。一人娘を……一人娘を助けてくださるなど、なんとお礼申しあげれば……!」
店主の男は、鼻水を垂らしながら泣き叫んでいた。
「そ、そうだ……お金を、お金を受け取ってください!」
「おい待て店主。渡す金があるなら、それを渡して娘を助ければ良かったではないか」
「奴らには店の金を取られました……。さらに渡したところで、更に娘を奪われただけです……」
蒙武はその言葉に、妙に納得した。そんなことも思いつかなかった自分の、さっきの言葉が恥ずかしくなる程だった。
「それもそうであるな。しかし礼は要らん。金にはあまり困っていないのでな」
そういって蒙武は立ち去ろうとした。人助けをして、満足だった。しかし胸騒ぎがしていた。
店主の娘が「お待ちになって……!」と、蒙武を止めた。蒙武は呼び止められ、妙に高揚感を覚えながら、振り返った。
蒙武(生没年不詳)……戦国時代の秦の将軍。蒙驁の子。蒙恬・蒙毅の父。王翦の配下として戦国七雄の一国、楚を滅ぼすことに貢献した。