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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第六五話 魏冄、丞相に返り咲く
 秦王は穣候魏冄を丞相に再任する。
 司馬錯軍は東周の洛陽付近で複雑に入り乱れる、韓と魏の国境を攻め、洛陽の東北に位置する、魏の軹(し)と韓の鄧(とう)を鮮やかに攻め獲った。
 また洛陽西北に位置する垣邑を、北側から包囲するように布陣した。同時に、韓の葉から西北に進んだ白起軍は、伊闕の南の新城を足掛かりに更に西北へ進み、垣邑を南側から包囲するように布陣した。
 両軍の挟撃で、垣邑は陥落した。

 魏と韓は堪らず、領土割譲による和睦を求めてきた。
 楼緩は丞相としての最後の仕事として、この交渉に臨んだ。
 そして魏は旧都の安邑を除く河東郡の四百里、韓は函谷関の戦いの結果秦から割譲された武遂を、秦へ返還することとなった。いずれも秦によって国境を侵食される形で、戦いは幕を下ろした。

 同年 咸陽

 秦王は早朝、朝議が行われる宮殿の高台にて、城内を眺めていた。その隣には楼緩がいた。
「見よ楼緩、豪華な多くの馬車が列を成して、街を散策している。この光景も懐かしく感じるな。あの最も豪華な馬車に居るのが、穣候であろうな」
「秦王様、お元気がないように……見受けられますが」
「元気が出るはずなど、ないであろう」
「左様でございますな……しかし、そう落胆するは必要もないやも知れません。あの頃とは状況が異なるのですから」
「どういう意味だ、楼緩よ」
「穣候の権勢は、なにも彼一人の力によって作られていたものではありません。そこには、三貴の宣太后や、華陽君羋戎の存在がありました。しかし宣太后は兄弟の情より親子の情を優先し、秦王様に味方しています。そして華陽君羋戎も一年余り病に伏しており、今は力が発揮できていません」
「そうだな。穣候の権勢を支える大きな刃である白起も、今となっては、ただの軍神。中立な存在だ」
「そうです。そして目下の脅威は、泠向です。宮廷内の穣候派閥で、最も影響力を持つ男です。過去に対楚政策を献策し、楚国内の親斉派を一掃して、親秦派を増やした功績があります。その発言力は強く、奴と穣候が秦王の意に背くことがあれば、再び秦はまとまりを欠くことになるでしょう」
「知謀の士がどう穣候に与するのか、図れぬな。しかしまぁ……穣候がおらねば大国を討つ覇業の先へ進めぬとは……情けない」

 秦王はその日の朝議にて、参内した穣候魏冄を丞相に再任する詔を出した。
 穣候魏冄はそれを断った。王へ確認を取らずに、野心から陶を得ようとした無礼者にはその大任を担えないと、わざとらしく理由付けをして断ったのである。
 秦王は、その件は不問とすることを約束した。秦王は駆け引きをしたのだ。穣候魏冄は、陶を与えられると思っていたが、秦王は一枚上手であった。陶を得られないことを不服そうにしながらも、穣候魏冄は、詔を受けて丞相に就任した。
軹……現在の中華人民共和国河南省済源市。

鄧……現在の中華人民共和国河南省焦作市。

武遂……現在の中華人民共和国山西省臨汾市。

安邑(禹王村)……現在の中華人民共和国山西省運城市夏県。
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