残酷な描写あり
R-15
第二話 良き友人
故郷を失って数年。義理の母の元とともに秦国の旧都雍で生活していた起は、公孫亮という豪商の倅と友人になる。
五年の月日が流れた。起は義母(はは)とともに旧都の雍(よう)で生活していた。
そこで起は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の日々を送っていた。彼の望みはただ一つ、板楯への復讐である。故郷を失くした親子にとって、それは命にかけてもなし遂げるべきことなのである。
この五年、起はなにもしていなかった訳ではない。街で生きるために幼いながら働いたが、その傍らで彼は、友人を作っていた。
「起、やっと来たか遅かったではないか」
「すまない亮(りょう)、義母の仕事を手伝っていたら遅くなってしまった」
「勤労だな。まぁいい、今日も出かけようか」
公孫亮は雍城の商人の息子で、いわゆるボンボンだった。彼は珍品を集めて売るという地味なことを好まず、家業を継ぐつもりはないようだった。だから、友人の起と鷹を狩りに行くことを口実に、家業や一般教養の勉学から逃れていた。
起は、公孫亮の父から好かれていた。起は勤勉で、時折友人付きあいという体(てい)で仕事をさせてもらうこともあった。客への応対も卒なくこなし、よく働く起をみて、「君のような息子がほしかった」と冗談をいわれたこともあった。
体格がよく、美男子だったというのも、理由の一つとして上げられるかもしれない。
「乗馬や力比べでは叶わんが、弓の腕前では負けんぞ起よ」
「私とて、負けるつもりはない。そなたより多くの鷹を狩ってみせよう」
公孫亮と遊ぶようになり、起は乗馬や弓など、貧民にはできぬ体験をさせてもらっていた。
だがそれは決して楽しみのためだけではない。鷹を狩るのも、腹の足しにするためではない。すべては、兵士となり復讐をするためなのだ。
秦では十五歳から徴兵が始まる。彼はこの歳になるのを待ち望んでいた。そしてついに今年、十五歳になるのである。
「起よ、私もそなたも十五歳になる。父上は私が家業を継ぐつもりがないと知っているから、徴兵逃れの納税はしないらしい」
「父君は手厳しいな。だが厳しくするのも、愛情ゆえか」
二人は並んで弓を引き、鷹を狙いながら、話していた。
「私とて戦が怖い訳ではない。だが、楽しくはなかろう。それがイヤなのだ」
「戦を楽しむ者など、余程の愛国者か狂人だろう。あるいは、武具や兵糧を売り、稼ぎを得る商人のみだ」
公孫亮が放った矢は鷹に当たらず、鷹は逃げてしまった。公孫亮は、ため息をついた。それを見て、起も弓を下ろした。
「戦に出たことがあるといっていたな。どんなだ」
「本音を言えば、そのときのことは一心不乱であまり覚えていない。だが時が経ってもすべては忘れられず、思いばかりが募っていくのだ」
「思いとは?」
「復讐心だ。私は早く戦に行きたい。悲しいかな、人を変えてしまうのが戦なのだ──」
起は自分が変わってしまったと感じていた。以前の自分はよく泣き、よく笑い、嫌なものを嫌と言い、ただ楽しみのために生きていた。
だがすべてが奪われた今、自分は復讐心という負の感情に突きうごかされている。日々の肉体労働にも耐え、公孫亮の教師に師事してもらい、自発的に勉学に励んでいる。すべては、有能な兵士となり板楯族を一人でも多く殺し、殺された故郷の人々の無念を、晴らすためである。
馬に乗り、兎や犬を狩った。しばらくして小川に来て、布を濡らし汗を拭きはじめた。
「起よ、私とて農民より武器や馬の扱いになれている。戦働きをしてみせよう」
「殊勝(しゅしょう)な心がけだな、亮。この頃はやたら狩りへ出ているが、これも鍛錬か?」
「いいや、私は楽しんでいるだけだ。そなたは狩りに出ているとき、そなたは楽しいとは感じていないのか?」
起はその問いに答えようとしたが、言葉につまった。鍛錬として狩っているのだといい切れば、亮はきっと寂しく思うだろう。この友情は見せかけだと、そう思うだろう──。
だがそれは否定できる。確かに彼は友人なのだ。
自分でもよく分からないので、起は、「いいや……多分楽しんでるさ」と、なん度か頷きながらいった。
そこで起は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の日々を送っていた。彼の望みはただ一つ、板楯への復讐である。故郷を失くした親子にとって、それは命にかけてもなし遂げるべきことなのである。
この五年、起はなにもしていなかった訳ではない。街で生きるために幼いながら働いたが、その傍らで彼は、友人を作っていた。
「起、やっと来たか遅かったではないか」
「すまない亮(りょう)、義母の仕事を手伝っていたら遅くなってしまった」
「勤労だな。まぁいい、今日も出かけようか」
公孫亮は雍城の商人の息子で、いわゆるボンボンだった。彼は珍品を集めて売るという地味なことを好まず、家業を継ぐつもりはないようだった。だから、友人の起と鷹を狩りに行くことを口実に、家業や一般教養の勉学から逃れていた。
起は、公孫亮の父から好かれていた。起は勤勉で、時折友人付きあいという体(てい)で仕事をさせてもらうこともあった。客への応対も卒なくこなし、よく働く起をみて、「君のような息子がほしかった」と冗談をいわれたこともあった。
体格がよく、美男子だったというのも、理由の一つとして上げられるかもしれない。
「乗馬や力比べでは叶わんが、弓の腕前では負けんぞ起よ」
「私とて、負けるつもりはない。そなたより多くの鷹を狩ってみせよう」
公孫亮と遊ぶようになり、起は乗馬や弓など、貧民にはできぬ体験をさせてもらっていた。
だがそれは決して楽しみのためだけではない。鷹を狩るのも、腹の足しにするためではない。すべては、兵士となり復讐をするためなのだ。
秦では十五歳から徴兵が始まる。彼はこの歳になるのを待ち望んでいた。そしてついに今年、十五歳になるのである。
「起よ、私もそなたも十五歳になる。父上は私が家業を継ぐつもりがないと知っているから、徴兵逃れの納税はしないらしい」
「父君は手厳しいな。だが厳しくするのも、愛情ゆえか」
二人は並んで弓を引き、鷹を狙いながら、話していた。
「私とて戦が怖い訳ではない。だが、楽しくはなかろう。それがイヤなのだ」
「戦を楽しむ者など、余程の愛国者か狂人だろう。あるいは、武具や兵糧を売り、稼ぎを得る商人のみだ」
公孫亮が放った矢は鷹に当たらず、鷹は逃げてしまった。公孫亮は、ため息をついた。それを見て、起も弓を下ろした。
「戦に出たことがあるといっていたな。どんなだ」
「本音を言えば、そのときのことは一心不乱であまり覚えていない。だが時が経ってもすべては忘れられず、思いばかりが募っていくのだ」
「思いとは?」
「復讐心だ。私は早く戦に行きたい。悲しいかな、人を変えてしまうのが戦なのだ──」
起は自分が変わってしまったと感じていた。以前の自分はよく泣き、よく笑い、嫌なものを嫌と言い、ただ楽しみのために生きていた。
だがすべてが奪われた今、自分は復讐心という負の感情に突きうごかされている。日々の肉体労働にも耐え、公孫亮の教師に師事してもらい、自発的に勉学に励んでいる。すべては、有能な兵士となり板楯族を一人でも多く殺し、殺された故郷の人々の無念を、晴らすためである。
馬に乗り、兎や犬を狩った。しばらくして小川に来て、布を濡らし汗を拭きはじめた。
「起よ、私とて農民より武器や馬の扱いになれている。戦働きをしてみせよう」
「殊勝(しゅしょう)な心がけだな、亮。この頃はやたら狩りへ出ているが、これも鍛錬か?」
「いいや、私は楽しんでいるだけだ。そなたは狩りに出ているとき、そなたは楽しいとは感じていないのか?」
起はその問いに答えようとしたが、言葉につまった。鍛錬として狩っているのだといい切れば、亮はきっと寂しく思うだろう。この友情は見せかけだと、そう思うだろう──。
だがそれは否定できる。確かに彼は友人なのだ。
自分でもよく分からないので、起は、「いいや……多分楽しんでるさ」と、なん度か頷きながらいった。
雍城……現在の中華人民共和国陝西省宝鶏市
紀元前677年(徳公元年)から24代君主の紀元前383年(献公2年)まで、294年間秦の国都であった。
紀元前677年(徳公元年)から24代君主の紀元前383年(献公2年)まで、294年間秦の国都であった。