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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
領地経営方針
 丹波国の大名となった僕は丹波亀山城に家臣や家族とともに入城した。ここは南近江国の坂本城と等しく明智の居城でもあったので、規模も大きく国を治めるのに重要な拠点として作られている。謀反人とはいえ、要地にこれだけの城を築いたのは流石と言うべきだろう。
 城の頂上から見た丹波国の景色は青々としていて、とても山々が美しかった。隣に居るはるや雹も眺めを楽しんでいた。

「ここが、お前さまの城なのか……良き城だな」

 はるが感慨深そうに言う。僕は「本当にここで暮らしてもいいのか?」と訊ねる。

「元は明智の城だ。すなわち、上様を討った男の居城でもある――」
「今はお前さまの城だ。違うか?」

 はるはにっこりと微笑んだ。
 まったく、度量が深いな……

「父さま。抱っこ」

 雹が甘えてきたので、僕は彼女を抱っこして遠くまで見通せるようにした。

「ほら。綺麗だねえ」
「うん!」

 雹がはしゃぐさまを僕とはるは穏やかな気持ちで見守っていた。
 こんなにゆったりとした時間は久しぶりだった。

「くものすけ。みながあつまっている」

 後ろから側近の弥助の声がした。
 やれやれ。仕事の時間か。

「すぐに行くよ……はる、僕は大名だ」

 僕ははるに雹を任せた。
 彼女は黙って僕の言葉を待つ。

「これから、忙しくなるし厳しいこともあるかもしれない。それでもついて来てくれるか?」
「……それは、織田家のことを言っているのか?」

 はるは聡い人だ。僕と羽柴家が織田家をどうするのか、察しているようだった。

「ああそうだ。残念だけどね」
「……覚悟はできている。というか雨竜家に嫁いだときから決めていたんだ」

 はるは悲しみを隠して、強がって笑みを見せた。

「私は、お前さまの傍に居る。たとえ織田家と敵対しても」
「はる……」
「だから、私のことは気にするな」

 本当に――できた妻だった。

「僕は君と婚姻して良かったよ」
「ふふ。言うのが遅いぞ?」

 最後にはるの髪を一撫でして、それから弥助とともに評定の間に向かう。
 やはり女のほうが覚悟があり、肝が据わっているなと思った。
 
 
◆◇◆◇
 
 
「殿。丹波国の大名就任、おめでとうございます」

 そう言って島が平伏した。秀晴も雪隆も、大久保も倣って平伏する。
 それ以外にも以前に勧誘した、伊勢長島の一向宗門徒で文字に明るい者も数十名居た。秀吉に無理を言って吏僚を僕の家臣として加えたのだ。彼らも平伏している。

「ああ。ありがとう。皆、面をあげてくれ」

 そう言うと全員が頭を上げた。
 なんだか、本当に人の上に立つ身になったのだと実感する。

「さて。丹波国の状況を教えてもらおうか……まずは治安状況から」

 島が「あまり良いとは言えませんな」と険しい顔で厳しいことを言う。

「恐れながら、殿は丹波国の前の領主、明智を討った羽柴家の人間。悪感情は避けられませんな」
「まあ明智は善政を敷いていたからね。そこは仕方ないよ。その対策は……秀晴と大久保。どうなっているかな?」

 話をそっちに向けると秀晴は「ありきたりですが、税を下げるのはいかがでしょう」と意見を言った。

「今は四公六民――収穫の四割を税として徴収していますが、今後は三公七民でいきたいと思います」
「それで俸禄や軍備はまかなえるのか?」

 僕の問いに答えたのは大久保だった。

「なんとかまかなえます。それに田畑の収益よりも特産品を奨励して、それらの売買をする商人から税を取ったほうが効率いいです。せっかく京に近いのですから、人を集める政策を取りましょう」
「分かった。しかし基本的には米が俸禄となることを忘れないでくれ。足らない分は他国から買い取るとしよう」

 それから付け加えるように秀晴は言う。

「治水も積極的に行ないましょう。明智がやりかけたものを引き継げばすぐに終わります」
「……治水には地元の百姓を人夫として用いるのか?」

 僕の問いに秀晴は「その予定です」と答えた。

「その場合の銭はどのくらいかかる?」
「詳しい試算はしていませんが……かなりかかりますね」
「……よし。ならばこうしよう。三公七民にする代わりに治水に協力せよと御触れを出す」

 いち早く気づいたのは大久保だった。

「ああ。ただで減免しないで、恩に着せるようにするんですね」
「そのとおり。そっちのほうが僕たちにとって得だしな。それに治水は民のためにもなる。耕す農地も広がる」

 秀晴は「ではそのようにいたします」と頭を下げた。

「ああ。それと特産品には税をかけるなよ。あくまでも米で税を納めるようにするんだ。次に軍備はどうなっている?」

 これに答えたのは雪隆だった。

「俺と島で兵の徴募と訓練をしています。しかし先ほど島が言ったとおり、羽柴家に協力しようとする者は少ないです」
「報酬を高くするしかないな。それで、どのくらい兵は居る?」

 島が「およそ一万二千です」と答えた。

「一国の兵力としては少ないな……しょうがない、引き続き兵を集めてくれ」
「はは、かしこまりました」

 僕は皆に改まって言う。

「とにもかくにも、人を集めなければならない。そのためには土台をしっかりしなくてはいけない。受け入れるための土台が必要なんだ。人が集まるような国であれば、自然と豊かになる……」

 僕は武田家のことを思い出していた。国が貧しいから重税を課し、重税によって民は困窮し、それによって国がますます貧しくなる……そんな負の連鎖を起こさぬようにしなければならない。

「他に何か意見はあるか?」

 すると島が「恐れながら申し上げます」と言う。

「家臣が足りません。武士も吏僚も。仕事が多すぎて手が回らなくなります」
「……そうだな。人材も必要だ」

 今のところ、軍を指揮できるのは雪隆と島、それと秀晴しかいない。組頭も居るが十分とは言えなかった。

「いきなり大名になるものだから、家臣が足らなくなるのは当たり前だな。やることも多いし。とりあえず秀吉に相談してみるよ」
「おお、それはありがたい!」

 島は安堵したように喜んだ。他の家臣も一様にそんな顔をしていた。

「とりあえず心当たりを当たってみる。他に何か意見はあるか? ……なければ解散!」

 僕は弥助を伴って評定の間を後にした。

「そういえば弥助。頼んでいた物はどこにある?」
「くものすけの、へやにある」

 僕は「そうか。ありがとう。ご苦労様」と弥助に言った。

「でも、あれはねうちがあるものなのか?」
「あるよ。茶道具一つで城が買えるんだ。あれだと……城二つは買えるんじゃないか?」

 弥助は目を白黒させて「そ、そんなに!?」と驚いた。

「な、なんでおしえてくれなかった!?」
「上様の傍に居たんだろ? 知っていると思っていたよ」

 僕の部屋に着いた。障子を開けて中に入ると木箱が置かれている。銘も表面に書かれていて、中を開けずとも分かるのだが、一目見ようと開けてみた。

「これが……古天明平蜘蛛か」

 松永久秀から譲り受けた大名物――這いつくばった姿が蜘蛛に見えることからそう名付けられた茶釜だ。

「くものすけとひらぐも……えんがありそうだな」
「僕のくもは空に浮かぶ雲だけどね。まあそう考えると縁があるのかもしれない」

 少しだけ緊張して手に取る。
 大名物なだけあって素晴らしいというか凄まじい。

「弥助。これから堺に出かける。ついて来てくれ」
「さかい? なんのようだ?」

 僕は「どこから聞きつけたのか知らないけど」と前置きを言った。

「僕のお師匠さま――千宗易さまが平蜘蛛を一目見たいらしいんだ」
「…………」
「それに大名になったお祝いもしたいって。僕も話したいことがあったから、行くことにするよ」

 さて。どんな話をしようか。
 黒く光る平蜘蛛を見て、僕は思案した。
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