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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
大出世
 織田家筆頭家老、柴田勝家さまとの対立は決定的になった。もはや話し合いでは解決できないところに差し迫っていて、戦で決着をつけねばならない。それは秀吉も柴田さまも重々承知していた。

 しかしながら、長浜城を浅井家に譲ったことで、秀吉の居城は柴田さまの領土である北陸から遠く離れた姫路城となってしまった。これでは柴田さまの進攻を阻止できない。一応、北近江国は織田家の後見役の浅井家の領土だから、柴田さまも強引に攻めてこないとは思うが。

 というわけで秀吉は明智を討った因縁の地、山城国の山崎に城を建てることにした。天王山を利用した山城を官兵衛に作らせ、そこを本拠地とすることで柴田さま及び敵対するであろう信孝さま、滝川さまを牽制するのだ。もちろん、山崎は京に近いので政治がしやすく、朝廷との交渉もすぐにできる。まさに戦略的にも政略的にも理想な地だ。

 山崎城ができるまでは力を蓄えることが最優先だった。力とは兵力と兵糧である。内政は僕の得意とするところだから、これから一層励もうと思っていた――のだが。

 姫路城の評定の間。
 そこには羽柴家家臣が集められていた。

 浅井家を再興させた長政は別として、秀長殿、正勝、官兵衛。吏僚の浅野や増田。元子飼いの清正、正則、三成、吉継、そして僕の息子秀晴。さらには秀吉に服した雑賀衆の頭領の小雀くんまでも居た。小雀は高熱が下がったとき以来、喋れるようになっていた。まだたどたどしいけど、はっきりとものが言える彼にとても感動を覚えた。
 それともう一人。足利義昭殿も同席していた。理由は分からないけど、僕を見てにこにこ笑っていた。

「さて。集まってもらったのは他でもない」

 秀吉が上座から皆に告げる。何も聞かされていないが、おそらく今後の展望を話すのだろう。

「これから、織田家並びに柴田家と戦うのだが、どうしても抑えておかねばならぬ要地がある。それは丹波国だ」

 それに対して官兵衛は「ふひひひ。確かになあ」と不敵に笑う。

「あそこは謀反人の明智の領土だった。今も明智を慕っている者が領民の中に居る。そこを上手く治めなけりゃ、背後を突かれるのと一緒だな」

 ふむ。確かにそうだ。山崎に城を築いた理由には、丹波国に秀吉が入るのは危険だったということも含まれる。もちろん善政を行なえば領民も従ってくれるだろうが、如何せん軍備を中心にしている今、とても手が回らない。

「それで、殿。分かりきったことを訊くが、まさか城代を決めようなんてことじゃねえよな?」

 正勝は何故か険しい顔で秀吉を問い詰める。
 秀吉は「分かりきったことを訊くな」と軽く笑った。

「無論、城主を決める。まあ丹波国全土を任すのだ。その者は自然と大名になるがな」

 それは思い切ったことを考えるな。丹波一国を与えるなんて。
 まあおそらく秀長殿か正勝になるだろう。秀長殿は但馬国を治めているが、二国担当しても十二分に治められるし。

「今回集まってもらったのは、丹波国の一職進退――つまり、領地を支配する権限を与えるためだ」

 なるほど。まあ家臣一同を集めるにはそのくらい大事なことじゃないといけないよな。
 さて。秀長殿と正勝。どちらになるのだろうか……

「引き受けてくれるな? 雲之介」

 そう言って秀吉は僕に向かってにかっと笑った。
 ……うん? ううん?

「……えっと、秀長殿か正勝に丹波国を任せるんじゃないのか?」
「うん? 何を言っているんだ?」
「いや、秀吉が何を言っているんだ……?」

 周りを見渡すと、皆が驚きと呆れが入り混じった目で僕を見ていた……あれ?

「ちょっと待って。待ってくれ。少し確認させてくれるかな?」
「お、おう。いいぞ」
「僕たち家臣が集められたのは、丹波国を治める者を決めるためだよな?」
「決めると言うか、既に決まっていることを発表するのだが……」
「……でもさ、冗談は良くないじゃないか」

 秀吉は困った顔で「冗談など言っていないが?」と言う。

「わしははっきりと真実を言ったぞ。丹波国を任せたい者が居ると」
「うん。そこまではいいよ」
「だから、おぬしに言ったのだ。引き受けてくれるな、雲之介と」
「……はい、おかしい。ちょっと待て。話がおかしい」

 あまりのことに混乱している僕だった。
 すると見かねて正勝が「兄弟落ちつけって」と肩を叩く。

「お前が丹波国の大名になるんだよ。殿が言ったとおりにな」
「…………」
「兄弟の性格を考えると、混乱すると言うか錯乱する気持ちは分からなくもないけどよ」

 僕は一気に喉がからからになった。
 現実感が無く、どうして良いのか分からない。

「どうして、雲之介さんは、賢いのに頭が悪いんだろう?」
「ふふ。小雀。そなたは優しそうな顔なのに口が悪いな」

 小雀くんの呟きに義昭殿は笑いを堪えながら言う。

「ひ、秀吉、本気なのか? 僕に丹波国を治めさせるなんて……」
「ああそうだ。丹波国二十九万石。それをおぬしに治めてもらいたい」

 はっきりと言葉に出されてしまった。
 僕は「馬鹿言うなよ……」とかすれた声で言う。

「僕より相応しい人、他に居るだろう……?」
「……どこに居るんだ?」

 秀吉が不思議そうな顔をした。

「秀長殿とか正勝とか、官兵衛だっていいじゃないか!」
「あー、悪いけど私は無理だ」

 秀長殿はにこやかにそう言った。まるで面倒事はごめんと言わんばかりだった。

「但馬国で手一杯だしね、それに丹波国だと飛び地になってしまう」
「じゃ、じゃあ、正勝――」
「俺は遠慮しておく」

 正勝がごほんと咳払いした。

「俺は歳を取りすぎているしな。代わりにせがれが大名になってくれればいいんだけどよ。あいつじゃ丹波国は荷が重すぎる」
「で、でも――」
「うひひひ。何を馬鹿なこと言っているんだ?」

 官兵衛が割り込んできた。

「あんた以外に相応しい人が居るなら、そいつを指名するに決まっているだろうが」
「それはそうだけど……」
「中国大返しでの吉川の足止め。山崎の戦いでの活躍。今まで仕えていたという実績。これだけ揃っているのに、どうして丹波国の大名になれないんだよ。そっちのほうが不思議で理不尽だろうが」

 理屈はそうだけど……

「あんたは羽柴家家老なんだろうが。しかも凄腕の内政官だ。領地経営ぐらいできるだろう?」
「…………」
「ここまで言って納得できないなら、汚い手を使うぜ? あんたは――殿の期待を裏切るのか?」

 ハッとして官兵衛の顔を見る。
 にやにや笑っていた顔が真剣そのものになっていた。

「殿はあんたならできると思って丹波国を任せようとしてんだ。それによ、この場に居る全員、誰も文句言ってねえじゃねえか。ここであんたが認めなけりゃあ殿の期待と俺たちの信頼を裏切ることになるぜ?」
「…………」
「それは嫌だろう?」

 単純な物言いだけど、確かに嫌だった。

「ほ、本当にいいのか……?」

 これは確認のためだった。

「本当に僕が丹波国の大名になっていいのか?」

 すると突然、三成が「何を馬鹿なことを言っているのですか!」と怒鳴った。

「良いに決まっているじゃないですか! それだけのことをしたんですよ先生は! ……し、失礼しました」

 家臣たちの驚きの目で我に返った三成は急におとなしくなった。
 だが今度は「三成の言うとおりだ」と正則が言う。

「あなたなら誰も文句言わない。俺たちは快く受け入れる」

 隣に居た清正も黙って頷いた。
 それと今まで黙っていた浅野も「右に同じです」と頷いた。
 増田も「あなた以外にいないです」と静かに言う。

「全員、満場一致で賛成ではないか。雲之介、後はおぬしが頷くだけだ」

 秀吉が満足そうに言う。

「それにおぬしと約束したではないか。必ず大名にするとな」
「……秀吉」
「だから素直に引き受けろ」

 僕は全員の顔を眺めた。
 誰も僕が大名になることを当然としている。
 まったく。少しぐらい嫉妬してくれてもいいのに。

「……ここで断ったら野暮の極みだな」

 僕は覚悟を決めた。
 そして秀吉に平伏する。

「雨竜雲之介秀昭。慎んでお受けいたします」

 秀吉は満足そうに頷いた。

「これで一件落着だな。これからも頼りにしているぞ、雲之介!」

 こうして、僕は丹波国二十九万石の大名になった。
 しかし夢心地というか、現実感がなかった。
 でも、大名としての自覚を持たないといけないなと思う。
 それこそが、秀吉や仲間が期待していることだから。
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