残酷な描写あり
神文
上様から借りた兵を合わせた一万五千の軍で、播磨国へと進軍する羽柴家。
総大将の秀吉を始め、秀長殿、正勝、半兵衛さん、長政、そして僕など主だった将が随伴し、また僕の配下にも雪隆と島、なつめと頼廉が居る。
長浜城の留守はねねさまが任されている。それから人質である松寿丸の教育を兼ねていて、若い将たちも残っている。彼らが教えれば、松寿丸は有能な武将になるだろう。
晴太郎もついでに教育し直してもらっている。いつ長浜城に帰るか分からないけど、立派になった息子と会うのは楽しみだ。
しかし摂津国を通って播磨国に入ったのは良いが、ここで思わぬことが起きた。
小寺家の居城、御着城に入城すると思ったのだが、黒田家の居城である姫路城に向かうように言われたのだ。
「すみません。俺が不甲斐ないばかりに……」
播磨国の街道で合流した黒田はそう言って頭を下げた。
秀吉は「頭をお上げくだされ」とにこやかに言う。
「小寺殿がわしたちを信用できぬ気持ちはよう分かっている」
黒田は無反応だったが、傍らに居た栗山善助殿と母里太兵衛殿は冷や汗をかいた。
まあ秀吉のような強大な軍の指揮者に、笑いながらとはいえ、そんなことを言われたら動揺するよな。
「だがそれは些細なこと。黒田官兵衛孝高殿が味方であれば百人力よ」
「……そう言っていただけて光栄だ」
脅すような言葉の後に当人を褒めるという硬軟織り交ぜたやり方。相変わらず口が上手いな。
まあこれで水に流したということだろう。その後は和やかに轡を並べて姫路城に向かった。
「雨竜殿。少しよろしいか?」
秀吉と少々話していた黒田がこちらにやってきた。
僕は「どうかしたか?」と応じる。
「羽柴殿がどういうお方か、教えてくれないか?」
「……軍師なのだから見抜けばいいだろう?」
やや皮肉めいて答えると「あんたの目から見た羽柴殿が知りたい」ときっぱり言う。
「なんでも最初の家臣と聞く。付き合いが弟の秀長殿と同じくらいとも。だから教えてほしいんだ」
「秀吉は……お人よしで女好きのお調子者だよ」
正直に答えると黒田は驚いたように言う。
「主君のことを呼び捨てしているのか!?」
……そういえば黒田の前で言ったのは初めてか。
驚くのは無理もない。
「うん。まあね……おっと。あれが姫路城かな?」
指差す先には城が見えたので、黒田に確認すると「ああ。そうだ」と肯定した。
「話はまた後でしよう。いや、する必要はないかもしれないな」
「……どういう意味だ?」
「少し関われば秀吉がどんな人間か分かるだろう」
意味深なことを言ったつもりはないが、そう聞こえてしまったのは否めない。現に黒田は思案するような表情になってしまったからだ。
しかし物事は意外と簡単であり、秀吉に限ってはそれが真実と言うほかないだろう。
姫路城に入城するとさっそく今後の方針を話し合う。
評定の間に集まったのは黒田と秀吉、秀長殿、正勝、半兵衛、長政、そして僕だった。
「まず調略で播磨国の小大名や国人を味方につけましょう」
半兵衛さんが青白い顔で提案する。
最近、少しやつれた気もするが、大丈夫だろうか?
「そして西の福原城と上月城は戦で落とすわ。あれは宇喜多家の傘下、つまりは毛利家の傘下の城よ。攻め落とすしかない」
「では、当面は調略と民の慰撫、そして軍備の三つを行なうわけだな」
黒田の言葉に半兵衛さんは頷いた。
秀吉は僕に訊ねる。
「雲之介。軍備はどのくらい時間がかかる?」
「調略が終える頃には整っていると思う。まあ最短で二週間。余裕を持って三週間かな」
「そうか。まあそのあたりが妥当だな」
黒田が「軍備がたったそれだけの時間で完了するのですか?」と驚く。
「俺の見立てですと、二ヶ月はかかると思いましたが。それに調略も……」
「そこが織田家の強みでもある。他に意見はあるか?」
すると半兵衛さんが「山名家の城を二つ取りたいのよね」と笑う。
「但馬国の岩洲城と竹田城。いずれあたしたちの支配下に但馬国をおくためにね」
但馬国をとるという言葉に反応したのは僕と黒田だけで、二人で声を揃えて「なるほど」と言った。
秀吉は「黒田殿、どうして但馬国をとることを賛成する?」とまずは黒田に聞いた。
「山名家は名門。それを落とせば中国の小大名が従いやすくなるでしょう。また二つの城を落とせば牽制にもなります」
「ふむ。雲之介は?」
「僕は生野銀山があるからだと思った。それを抑えれば僕たちの力は増すんじゃないかなって」
それを聞いた秀長殿は「内政官と軍師だと考え方は違うな」と感心したように言う。
「しかし、同じ結論に辿り着くのは見事だね」
「ああ。そうだな。ちなみに半兵衛。お前はどうして提案したんだ?」
正勝の言葉に半兵衛さんは「うーん、官兵衛ちゃんよりの考えね」と言う。
「生野銀山のことは重要視してたけどね」
「あっはっは。拙者はまったく戦略が分かっていなかったな」
長政が豪快に笑う。
「うむ。では今後の方針はこうだな」
秀吉がまとめ始めた。
「まず播磨国の小大名への交渉。これはわしと秀長と正勝が行なう。その間、雲之介と半兵衛、そして黒田殿は民の慰撫と軍備をしてくれ。これらが終わったら但馬国へ出兵。最後に福原城と上月城を落とし、播磨国の平定を終わらせる」
まあ妥当だろう。問題は期限である。
「まあ遅くても二ヵ月後までには終わらせたい。皆の者、頼むぞ」
僕たちは黙って頭を下げる。
すると秀吉が一転してひょうげた声を出す。
「今日はこれから忙しくなる前に宴会をしよう! 秀長! 酒と遊女の手配を頼む!」
「……ほどほどにしろよ兄者」
呆れる秀長殿は慣れているが、初めての黒田は呆れてしまう。
まあこれが羽柴家の家風なわけだ。
「黒田殿と雲之介は残っていてくれ。秀長以外の他の者は自由にしていい。兵士にも酒の手配を忘れるなよ」
「ああ。分かっている」
四人が去った後、秀吉が単刀直入に切り出した。
「なあ黒田殿。織田家の家臣にならないか?」
黒田は予想していただろうが、何も答えない。
無表情のまま、秀吉の次の言葉を待つ。
「はっきり言って、小寺家ではおぬしを使いこなせん。わしと上様の下で一緒に働いたほうが黒田家にとっても良いと思うが。今ならば織田家家老として迎え入れられるだろう」
秀吉が上手いところは羽柴家ではなく、織田家に仕えるように薦めることだ。
自分と同等の地位に向かい入れるというのが、秀吉の度量の深さでもある。
しかし黒田は「お言葉ですが」と両手を床について伏す。
「厚意でおっしゃっているのは重々分かりますが、あくまでも黒田家は小寺家の家臣です。お受けできません」
策ではなく、真心を以って、断られてしまえば何も言えない。
秀吉は惜しむように「……そうか」と頷いた。
「雲之介。おぬしと似ているな」
「僕と? それはちょっと違うな」
明らかに違うだろう。
「僕は秀吉が好きだから従っているけど、黒田殿は義理で従っているんだ」
「恥ずかしいことを恥ずかしげなく言うとは。誰に似たのだ?」
秀吉だよとは言えなかった。
黒田は「少し疑問があるのですが」と僕たちに問う。
「御ふた方は普通の主従と違うような……どういう経緯で知り合ったのですか?」
「ううむ。話せば長くなるが、決して衆道ではない」
「冗談でもそんなことを言うな」
黒田は小さく笑って言う。
「正直、羨ましいですね。御ふた方の関係が」
「……ふむ。ではこれはどうかな?」
秀吉は外で控えていた小姓に紙と筆を持ってくるように命じた。
紙と筆を取ると「初めて書くが」と言いつつ書き始める。
「黒田殿――いや、官兵衛殿を兄弟のように大切にするという神文を書こう」
神文、つまり誓約書をこの場で書くのか。
「なっ――ま、まことですか!?」
「嘘偽りがないことを証明するために、こうして神文を書くのだ」
僕は「良かったな。黒田殿!」と笑った。
戸惑う黒田は「雨竜殿はよろしいのですか?」と言う。
「初めて書くと羽柴殿はおっしゃった。すなわちあなたはもらっていないことになるが」
「うん? 貰っても貰わなくても、僕は秀吉のことが好きだよ?」
黒田は目をぱちくりさせて、それからふっ、と笑った。
「雨竜殿は誠の武士だな。俺の家臣に欲しいくらいだ」
すると秀吉が茶目っ気たっぷりに言う。
「たとえ兄弟同然の官兵衛殿の頼みでも、聞けないな」
その後、宴会が行なわれて。
みんな盛大に騒いだけど、翌日には己の務めに励んでいた。
当面の目標は、播磨国の平定。
それから毛利家の攻略だ。
総大将の秀吉を始め、秀長殿、正勝、半兵衛さん、長政、そして僕など主だった将が随伴し、また僕の配下にも雪隆と島、なつめと頼廉が居る。
長浜城の留守はねねさまが任されている。それから人質である松寿丸の教育を兼ねていて、若い将たちも残っている。彼らが教えれば、松寿丸は有能な武将になるだろう。
晴太郎もついでに教育し直してもらっている。いつ長浜城に帰るか分からないけど、立派になった息子と会うのは楽しみだ。
しかし摂津国を通って播磨国に入ったのは良いが、ここで思わぬことが起きた。
小寺家の居城、御着城に入城すると思ったのだが、黒田家の居城である姫路城に向かうように言われたのだ。
「すみません。俺が不甲斐ないばかりに……」
播磨国の街道で合流した黒田はそう言って頭を下げた。
秀吉は「頭をお上げくだされ」とにこやかに言う。
「小寺殿がわしたちを信用できぬ気持ちはよう分かっている」
黒田は無反応だったが、傍らに居た栗山善助殿と母里太兵衛殿は冷や汗をかいた。
まあ秀吉のような強大な軍の指揮者に、笑いながらとはいえ、そんなことを言われたら動揺するよな。
「だがそれは些細なこと。黒田官兵衛孝高殿が味方であれば百人力よ」
「……そう言っていただけて光栄だ」
脅すような言葉の後に当人を褒めるという硬軟織り交ぜたやり方。相変わらず口が上手いな。
まあこれで水に流したということだろう。その後は和やかに轡を並べて姫路城に向かった。
「雨竜殿。少しよろしいか?」
秀吉と少々話していた黒田がこちらにやってきた。
僕は「どうかしたか?」と応じる。
「羽柴殿がどういうお方か、教えてくれないか?」
「……軍師なのだから見抜けばいいだろう?」
やや皮肉めいて答えると「あんたの目から見た羽柴殿が知りたい」ときっぱり言う。
「なんでも最初の家臣と聞く。付き合いが弟の秀長殿と同じくらいとも。だから教えてほしいんだ」
「秀吉は……お人よしで女好きのお調子者だよ」
正直に答えると黒田は驚いたように言う。
「主君のことを呼び捨てしているのか!?」
……そういえば黒田の前で言ったのは初めてか。
驚くのは無理もない。
「うん。まあね……おっと。あれが姫路城かな?」
指差す先には城が見えたので、黒田に確認すると「ああ。そうだ」と肯定した。
「話はまた後でしよう。いや、する必要はないかもしれないな」
「……どういう意味だ?」
「少し関われば秀吉がどんな人間か分かるだろう」
意味深なことを言ったつもりはないが、そう聞こえてしまったのは否めない。現に黒田は思案するような表情になってしまったからだ。
しかし物事は意外と簡単であり、秀吉に限ってはそれが真実と言うほかないだろう。
姫路城に入城するとさっそく今後の方針を話し合う。
評定の間に集まったのは黒田と秀吉、秀長殿、正勝、半兵衛、長政、そして僕だった。
「まず調略で播磨国の小大名や国人を味方につけましょう」
半兵衛さんが青白い顔で提案する。
最近、少しやつれた気もするが、大丈夫だろうか?
「そして西の福原城と上月城は戦で落とすわ。あれは宇喜多家の傘下、つまりは毛利家の傘下の城よ。攻め落とすしかない」
「では、当面は調略と民の慰撫、そして軍備の三つを行なうわけだな」
黒田の言葉に半兵衛さんは頷いた。
秀吉は僕に訊ねる。
「雲之介。軍備はどのくらい時間がかかる?」
「調略が終える頃には整っていると思う。まあ最短で二週間。余裕を持って三週間かな」
「そうか。まあそのあたりが妥当だな」
黒田が「軍備がたったそれだけの時間で完了するのですか?」と驚く。
「俺の見立てですと、二ヶ月はかかると思いましたが。それに調略も……」
「そこが織田家の強みでもある。他に意見はあるか?」
すると半兵衛さんが「山名家の城を二つ取りたいのよね」と笑う。
「但馬国の岩洲城と竹田城。いずれあたしたちの支配下に但馬国をおくためにね」
但馬国をとるという言葉に反応したのは僕と黒田だけで、二人で声を揃えて「なるほど」と言った。
秀吉は「黒田殿、どうして但馬国をとることを賛成する?」とまずは黒田に聞いた。
「山名家は名門。それを落とせば中国の小大名が従いやすくなるでしょう。また二つの城を落とせば牽制にもなります」
「ふむ。雲之介は?」
「僕は生野銀山があるからだと思った。それを抑えれば僕たちの力は増すんじゃないかなって」
それを聞いた秀長殿は「内政官と軍師だと考え方は違うな」と感心したように言う。
「しかし、同じ結論に辿り着くのは見事だね」
「ああ。そうだな。ちなみに半兵衛。お前はどうして提案したんだ?」
正勝の言葉に半兵衛さんは「うーん、官兵衛ちゃんよりの考えね」と言う。
「生野銀山のことは重要視してたけどね」
「あっはっは。拙者はまったく戦略が分かっていなかったな」
長政が豪快に笑う。
「うむ。では今後の方針はこうだな」
秀吉がまとめ始めた。
「まず播磨国の小大名への交渉。これはわしと秀長と正勝が行なう。その間、雲之介と半兵衛、そして黒田殿は民の慰撫と軍備をしてくれ。これらが終わったら但馬国へ出兵。最後に福原城と上月城を落とし、播磨国の平定を終わらせる」
まあ妥当だろう。問題は期限である。
「まあ遅くても二ヵ月後までには終わらせたい。皆の者、頼むぞ」
僕たちは黙って頭を下げる。
すると秀吉が一転してひょうげた声を出す。
「今日はこれから忙しくなる前に宴会をしよう! 秀長! 酒と遊女の手配を頼む!」
「……ほどほどにしろよ兄者」
呆れる秀長殿は慣れているが、初めての黒田は呆れてしまう。
まあこれが羽柴家の家風なわけだ。
「黒田殿と雲之介は残っていてくれ。秀長以外の他の者は自由にしていい。兵士にも酒の手配を忘れるなよ」
「ああ。分かっている」
四人が去った後、秀吉が単刀直入に切り出した。
「なあ黒田殿。織田家の家臣にならないか?」
黒田は予想していただろうが、何も答えない。
無表情のまま、秀吉の次の言葉を待つ。
「はっきり言って、小寺家ではおぬしを使いこなせん。わしと上様の下で一緒に働いたほうが黒田家にとっても良いと思うが。今ならば織田家家老として迎え入れられるだろう」
秀吉が上手いところは羽柴家ではなく、織田家に仕えるように薦めることだ。
自分と同等の地位に向かい入れるというのが、秀吉の度量の深さでもある。
しかし黒田は「お言葉ですが」と両手を床について伏す。
「厚意でおっしゃっているのは重々分かりますが、あくまでも黒田家は小寺家の家臣です。お受けできません」
策ではなく、真心を以って、断られてしまえば何も言えない。
秀吉は惜しむように「……そうか」と頷いた。
「雲之介。おぬしと似ているな」
「僕と? それはちょっと違うな」
明らかに違うだろう。
「僕は秀吉が好きだから従っているけど、黒田殿は義理で従っているんだ」
「恥ずかしいことを恥ずかしげなく言うとは。誰に似たのだ?」
秀吉だよとは言えなかった。
黒田は「少し疑問があるのですが」と僕たちに問う。
「御ふた方は普通の主従と違うような……どういう経緯で知り合ったのですか?」
「ううむ。話せば長くなるが、決して衆道ではない」
「冗談でもそんなことを言うな」
黒田は小さく笑って言う。
「正直、羨ましいですね。御ふた方の関係が」
「……ふむ。ではこれはどうかな?」
秀吉は外で控えていた小姓に紙と筆を持ってくるように命じた。
紙と筆を取ると「初めて書くが」と言いつつ書き始める。
「黒田殿――いや、官兵衛殿を兄弟のように大切にするという神文を書こう」
神文、つまり誓約書をこの場で書くのか。
「なっ――ま、まことですか!?」
「嘘偽りがないことを証明するために、こうして神文を書くのだ」
僕は「良かったな。黒田殿!」と笑った。
戸惑う黒田は「雨竜殿はよろしいのですか?」と言う。
「初めて書くと羽柴殿はおっしゃった。すなわちあなたはもらっていないことになるが」
「うん? 貰っても貰わなくても、僕は秀吉のことが好きだよ?」
黒田は目をぱちくりさせて、それからふっ、と笑った。
「雨竜殿は誠の武士だな。俺の家臣に欲しいくらいだ」
すると秀吉が茶目っ気たっぷりに言う。
「たとえ兄弟同然の官兵衛殿の頼みでも、聞けないな」
その後、宴会が行なわれて。
みんな盛大に騒いだけど、翌日には己の務めに励んでいた。
当面の目標は、播磨国の平定。
それから毛利家の攻略だ。