残酷な描写あり
戦と政
何の前触れもなく、唐突に人間の頭脳は奇抜な考えを思いつく。
まるで神仏に知恵を授けられたかのように、覚醒してしまうのだ。
「というわけで、雪隆と島は徴兵と訓練――軍備を頼む。頼廉は僕と一緒に兵糧と武具の準備、それと諸々の書類仕事を手伝ってくれ」
宴会の次の日。
僕は自分に宛がわれた部屋で家臣に仕事を割り振っていた。
三人の家臣の長所と短所を踏まえたやり方だったので、特に不満は出なかった。
しかし――
「しばらく戦はないようだな」
島が零したのは単なる感想に過ぎなかったが、この一言が僕に多大な影響を及ぼすきっかけになった。
「島殿は戦がお好きか?」
「下間殿。そのようなことはないが、手柄を立てる機会がないのはつらいな」
「ははは。じゃあ太平の世になったら、島は暇でしょうがなくなるな」
雪隆の言葉に、僕は何かに気づいた。
いや、気づかされたと言ってもいい。
前々からの思考が実感となり、脳髄を駆け巡る感覚。
それが己の身体を稲妻のごとく走り抜けるような衝撃。
しばらく、声を発することができなかった。
「……? 雲之介さん? 一体どうしたんだ?」
雪隆の怪訝な声と表情で、何とか正気に戻った僕。
残る二人も不思議そうに見つめている。
「……頼廉。ちょっと今日は仕事を一人でやってくれ。黒田家の家臣の栗山善助殿には話をつけている」
「構いませぬが……いかがなされた?」
僕は言葉を選びながら、皆に言う。
「少し考えたいことができたんだ……少し一人になりたい……」
「……まさか、出家するとか言い出さないよな?」
島の疑うような目に僕は笑って答えた。
「そうじゃない……良い天啓を受けたよ。ありがとう島」
お礼を言われた島と他の二人はますます不可解な顔になっていた。
まあそう思うのも無理は無いな。
一人、部屋に篭もって考える。
考え事とは、戦のことである。
毛利家との戦ではなく、戦自体のことだ。
そもそも、戦とは何のために行なうのか。
大きく言えば太平の世にするため。
小さく言えば諸国の大名を織田家に従わせるためだ。
では、戦なしにそれらを達成することはできないだろうか?
答えは肯定であり否定でもある。同程度の勢力を持ち、君主が居る以上、自らの兵権を放棄することなどありえない。一戦もせずに降伏したり従属したりするなどもってのほかだ。
しかし僕が織田家、そして秀吉の家臣になったときから起こった戦は、全て戦わなければならない戦だっただろうか?
もちろんこれは否定である。避けようと思えば避けられたものも多くある。
たとえば稲生の戦い――上様と行雲さまの戦だ。これは兄弟が腹を割って話し合えば、避けられたはずの戦だ。そうすれば弥助さんは死なずに済んだのかもしれない。
その他にも調略など血を流さずに収める方法もあるはずだ。短絡的に戦をしてしまうのは、戦国乱世での手っ取り早い方法だからだ。
だが本当に戦は効率的なのか? 一回の合戦で田畑は荒れ、領地の家々は焼かれ、領民は殺され犯され、獲るはずの国の価値が下がる。攻めるほうも兵士というかけがえのないものが減っていく。かなりの不経済だ。
こんなにも不利益である戦をし続ける理由とはなんだろうか?
一つは武士たちの手柄になるからだ。結果として今の僕があるように、出世の道になりえるからだ。
もしくは他国の富を手に入れられるからだ。山国の大名は海に面した国を攻め取らない限り、海の利益を得ることはできない。
でもそれらは同盟や従属でも手に入れられるのではないだろうか? 盟約をまとめることも手柄の一つだし、交易によって品物が手に入ることもある。
戦の意義とは? 戦の目的とは? 戦の本質とは?
ここで視点を変えてみよう。
戦国乱世となったのは、戦が原因ではなく、朝廷や武家の棟梁の政が上手く機能しなかったからだ。もしも政が良ければ他人どころか親兄弟を殺すような殺伐とした世の中になっていない。
そもそも戦とは政が上手くいかなかったときのための手段の一つに過ぎない。しかし戦の成否によって政が左右される世の中になっているのが現状だ。
であるならば、政を行なう為政者の状況や進退が変化したからこそ、戦が必要になるのかもしれない。
整理すると、戦も政もそれ自体が目的や目標ではなく、手段や方法でしかない。
為政者の目的と目標は治世である。すなわち太平の世に導くために戦や政をしているのだ。
けれど戦国乱世が表すように、今では目的と手段が逆転している。だからこそ、百年近く争っているのだ。
だったら戦はそんなに必要ではないことになる。
何故ならば戦の代わりの手段として政をすればいい話になる。
その理由としては、僕たちが目指す先がそうだからだ。それ以外に理由はない。
目指す先は太平の世だ。織田家による天下統一だ。
そしてその目的のために手段として戦を用いているけど、今、秀吉が播磨国の小大名や国人を味方に付けているように、調略などの戦をしないやり方もあるはずだ。
つまり調略も戦や政と同じ手段なんだ。
調略でもなびかなければ、戦をするしかない。その場合でも相手が降伏しやすいように、兵の士気を下げたり、物資を入手できないようにしたりする。なるべくこちらの損害を少なくして、相手方の面子が立つようにして下らせる。そうすれば血を流すことなく城や国は落ちる。
この場合、国や城を落とすのは目的のためだ。決して戦という手段のためではない。いや、ひょっとするとこのやり方は政と似ているのではないか?
そうなれば戦とは政の一つの方法に成り下がるかもしれない。
だったらやるべきは戦ではなく、政となる。
ここで注意しておきたいのは、戦を過剰に崇め奉る必要はないということだ。
武士の名誉のためでも、武芸を宣伝するためでもない。
ただの手段であるだけだ。
だから、戦に参加して俸禄や加増を賜っても、それらのために戦をするのは間違っているのだ。もっと言えば本末転倒だ。
「そうか。じゃあ僕は、秀吉は、上様は、政をしなくてはいけないんだ」
声に出してみると笑える現実だった。
気がつくともう既に日が暮れかかっている。
この結論に達するまで、一日かかってしまった。
これらの思考は既に書にしたためておいた。
脳に刻んで記憶しているが、万が一ということもある。
このことを、秀吉に言いたかった。
僕は真っ直ぐ秀吉の部屋に向かった。
秀吉の部屋の襖を開ける。
「おお!? どうしたんだ、雲之介?」
いきなり部屋に入ってきたので、驚いたようだ。
少し反省する。
「秀吉。僕の考えを聞いてくれ」
「……? 播磨国の平定のことか?」
「違う。太平の世についてだ」
僕は先ほどまで考えていたことを語る。
途中、舌が回らなくなるんじゃないかと思うくらい興奮したけど。
秀吉は黙って聞いてくれた。
「……そうか。戦は手段であり、目的になりえないか」
秀吉は猿みたいに難しい顔をしていたけど、やがて豪快に笑った。
「あっはっは! 天晴れだ! 素晴らしいぞ、雲之介!」
分かってくれたんだ!
物凄く嬉しい気持ちだった。
「無論、わしが全ておぬしの言うことを理解したわけではない。いきなり聞かされたからな」
「うん。そうだろうね。僕も興奮していたから」
「わしはおぬしに出会えて良かった」
僕の手を握ってくる秀吉。
「これからはおぬしの言うとおり、味方の犠牲を減らし、敵方をこちらに着けるような交渉をしよう――」
秀吉が言い終わる前に、小姓が「失礼します」と外から声をかけた。
「上様の使者が参りました」
「使者? 誰だ?」
小姓は甲高い声ではっきりと述べた。
「尼子勝久さまと山中幸盛さまです。なんでも中国攻めに加勢するらしいです」
まるで神仏に知恵を授けられたかのように、覚醒してしまうのだ。
「というわけで、雪隆と島は徴兵と訓練――軍備を頼む。頼廉は僕と一緒に兵糧と武具の準備、それと諸々の書類仕事を手伝ってくれ」
宴会の次の日。
僕は自分に宛がわれた部屋で家臣に仕事を割り振っていた。
三人の家臣の長所と短所を踏まえたやり方だったので、特に不満は出なかった。
しかし――
「しばらく戦はないようだな」
島が零したのは単なる感想に過ぎなかったが、この一言が僕に多大な影響を及ぼすきっかけになった。
「島殿は戦がお好きか?」
「下間殿。そのようなことはないが、手柄を立てる機会がないのはつらいな」
「ははは。じゃあ太平の世になったら、島は暇でしょうがなくなるな」
雪隆の言葉に、僕は何かに気づいた。
いや、気づかされたと言ってもいい。
前々からの思考が実感となり、脳髄を駆け巡る感覚。
それが己の身体を稲妻のごとく走り抜けるような衝撃。
しばらく、声を発することができなかった。
「……? 雲之介さん? 一体どうしたんだ?」
雪隆の怪訝な声と表情で、何とか正気に戻った僕。
残る二人も不思議そうに見つめている。
「……頼廉。ちょっと今日は仕事を一人でやってくれ。黒田家の家臣の栗山善助殿には話をつけている」
「構いませぬが……いかがなされた?」
僕は言葉を選びながら、皆に言う。
「少し考えたいことができたんだ……少し一人になりたい……」
「……まさか、出家するとか言い出さないよな?」
島の疑うような目に僕は笑って答えた。
「そうじゃない……良い天啓を受けたよ。ありがとう島」
お礼を言われた島と他の二人はますます不可解な顔になっていた。
まあそう思うのも無理は無いな。
一人、部屋に篭もって考える。
考え事とは、戦のことである。
毛利家との戦ではなく、戦自体のことだ。
そもそも、戦とは何のために行なうのか。
大きく言えば太平の世にするため。
小さく言えば諸国の大名を織田家に従わせるためだ。
では、戦なしにそれらを達成することはできないだろうか?
答えは肯定であり否定でもある。同程度の勢力を持ち、君主が居る以上、自らの兵権を放棄することなどありえない。一戦もせずに降伏したり従属したりするなどもってのほかだ。
しかし僕が織田家、そして秀吉の家臣になったときから起こった戦は、全て戦わなければならない戦だっただろうか?
もちろんこれは否定である。避けようと思えば避けられたものも多くある。
たとえば稲生の戦い――上様と行雲さまの戦だ。これは兄弟が腹を割って話し合えば、避けられたはずの戦だ。そうすれば弥助さんは死なずに済んだのかもしれない。
その他にも調略など血を流さずに収める方法もあるはずだ。短絡的に戦をしてしまうのは、戦国乱世での手っ取り早い方法だからだ。
だが本当に戦は効率的なのか? 一回の合戦で田畑は荒れ、領地の家々は焼かれ、領民は殺され犯され、獲るはずの国の価値が下がる。攻めるほうも兵士というかけがえのないものが減っていく。かなりの不経済だ。
こんなにも不利益である戦をし続ける理由とはなんだろうか?
一つは武士たちの手柄になるからだ。結果として今の僕があるように、出世の道になりえるからだ。
もしくは他国の富を手に入れられるからだ。山国の大名は海に面した国を攻め取らない限り、海の利益を得ることはできない。
でもそれらは同盟や従属でも手に入れられるのではないだろうか? 盟約をまとめることも手柄の一つだし、交易によって品物が手に入ることもある。
戦の意義とは? 戦の目的とは? 戦の本質とは?
ここで視点を変えてみよう。
戦国乱世となったのは、戦が原因ではなく、朝廷や武家の棟梁の政が上手く機能しなかったからだ。もしも政が良ければ他人どころか親兄弟を殺すような殺伐とした世の中になっていない。
そもそも戦とは政が上手くいかなかったときのための手段の一つに過ぎない。しかし戦の成否によって政が左右される世の中になっているのが現状だ。
であるならば、政を行なう為政者の状況や進退が変化したからこそ、戦が必要になるのかもしれない。
整理すると、戦も政もそれ自体が目的や目標ではなく、手段や方法でしかない。
為政者の目的と目標は治世である。すなわち太平の世に導くために戦や政をしているのだ。
けれど戦国乱世が表すように、今では目的と手段が逆転している。だからこそ、百年近く争っているのだ。
だったら戦はそんなに必要ではないことになる。
何故ならば戦の代わりの手段として政をすればいい話になる。
その理由としては、僕たちが目指す先がそうだからだ。それ以外に理由はない。
目指す先は太平の世だ。織田家による天下統一だ。
そしてその目的のために手段として戦を用いているけど、今、秀吉が播磨国の小大名や国人を味方に付けているように、調略などの戦をしないやり方もあるはずだ。
つまり調略も戦や政と同じ手段なんだ。
調略でもなびかなければ、戦をするしかない。その場合でも相手が降伏しやすいように、兵の士気を下げたり、物資を入手できないようにしたりする。なるべくこちらの損害を少なくして、相手方の面子が立つようにして下らせる。そうすれば血を流すことなく城や国は落ちる。
この場合、国や城を落とすのは目的のためだ。決して戦という手段のためではない。いや、ひょっとするとこのやり方は政と似ているのではないか?
そうなれば戦とは政の一つの方法に成り下がるかもしれない。
だったらやるべきは戦ではなく、政となる。
ここで注意しておきたいのは、戦を過剰に崇め奉る必要はないということだ。
武士の名誉のためでも、武芸を宣伝するためでもない。
ただの手段であるだけだ。
だから、戦に参加して俸禄や加増を賜っても、それらのために戦をするのは間違っているのだ。もっと言えば本末転倒だ。
「そうか。じゃあ僕は、秀吉は、上様は、政をしなくてはいけないんだ」
声に出してみると笑える現実だった。
気がつくともう既に日が暮れかかっている。
この結論に達するまで、一日かかってしまった。
これらの思考は既に書にしたためておいた。
脳に刻んで記憶しているが、万が一ということもある。
このことを、秀吉に言いたかった。
僕は真っ直ぐ秀吉の部屋に向かった。
秀吉の部屋の襖を開ける。
「おお!? どうしたんだ、雲之介?」
いきなり部屋に入ってきたので、驚いたようだ。
少し反省する。
「秀吉。僕の考えを聞いてくれ」
「……? 播磨国の平定のことか?」
「違う。太平の世についてだ」
僕は先ほどまで考えていたことを語る。
途中、舌が回らなくなるんじゃないかと思うくらい興奮したけど。
秀吉は黙って聞いてくれた。
「……そうか。戦は手段であり、目的になりえないか」
秀吉は猿みたいに難しい顔をしていたけど、やがて豪快に笑った。
「あっはっは! 天晴れだ! 素晴らしいぞ、雲之介!」
分かってくれたんだ!
物凄く嬉しい気持ちだった。
「無論、わしが全ておぬしの言うことを理解したわけではない。いきなり聞かされたからな」
「うん。そうだろうね。僕も興奮していたから」
「わしはおぬしに出会えて良かった」
僕の手を握ってくる秀吉。
「これからはおぬしの言うとおり、味方の犠牲を減らし、敵方をこちらに着けるような交渉をしよう――」
秀吉が言い終わる前に、小姓が「失礼します」と外から声をかけた。
「上様の使者が参りました」
「使者? 誰だ?」
小姓は甲高い声ではっきりと述べた。
「尼子勝久さまと山中幸盛さまです。なんでも中国攻めに加勢するらしいです」