残酷な描写あり
初めての家臣
秀吉が今浜城――改名して長浜城だ――の城主となって三ヶ月が過ぎた。
その間、町割りや検地、治安維持などの仕事が多すぎて忙殺されていたけど、ようやく余裕ができてきた。
そもそも、秀吉が人を集めるために長浜に住む者は無税にするとか無茶なことを言い出すのが悪い。しかも一度出したそのお触れを撤回しようとするし。ま、ねねさまの進言で撤回は無くなったのは良かったけど。下手をしたら暴動が起こるところだった。
人が増えれば町は活気に溢れる。そうなれば商業が回る。元々、北近江国は交通の要路として商業が盛んだった。町の者には算術が長けている者も多い。
いずれこの土地から京や堺に負けないくらいの大商人が生まれることを祈りつつ、僕は町への投資を行なっていた。きちんと元手を回収できるように、将来性のある商家を援助するのも大切な仕事だった。
そうした日々を過ごした、ある日のことだった。
「そういえば、おぬしに家臣は居るのか?」
評定の間で皆とこれからの方針を話し合っていたときに、急に秀吉が訊ねてきた。
「いや。居ないけど」
「今や侍大将なのだから、一人くらい雇うべきだぞ?」
「兄弟にも居るのか?」
正勝に訊くと「もちろんだ」とあっさり答えた。
「むしろ居ないほうがおかしいだろ。小者の一人ぐらい居たほうが役立つぞ」
うーん、誰かを雇うなんて考えたことなかったな……
「城の水堀もできたことだし、この辺りで探してみてはどうだい?」
秀長殿の言うとおり、北近江国の人間なら算術に明るいから、僕の仕事を手伝ってくれるかもしれない。
「そうですね。では明日にでも探しにいきます」
「それが良いな。わしも鷹狩りをする予定だ。何なら明日は仕事を休んで各々好きなことをせよ」
すると長政は「佐和山城に居る息子の万福丸を子飼いに加えてもらいませんか?」と秀吉に言う。
「あの子は拙者よりも器量があります。いずれ役に立つでしょう」
「器量人のおぬしよりもか? それは楽しみだな。いいだろう。許可する」
「では明日、佐和山城に向かいます」
どんどん秀吉の家臣が増えていく。僕も負けないようにしないとな。
「それでは評定を終わりとする。皆の者、久しぶりに休め」
◆◇◆◇
「へえ。家臣ねえ。ま、今のあなたなら一人か二人居てもおかしくはないわよ」
長浜城城下の僕の屋敷。
かすみを乗せてお馬さんをしていたら、志乃が真面目に考えて言ってくれた。
「うん。やっぱり仕事の補佐をしてくれる人がいいなあ」
「それよりも武芸に秀でた人がいいわよ」
志乃の言葉に僕はかすみを下ろして「なんで?」と訊ねた。かすみはもっと遊びたい様子だったけど、少々疲れてしまった。
晴太郎は隅で人形遊びをしている。おとなしい子で一人遊びが好きらしい。かすみは近づいて、人形を取り上げた。
「にいに。かすみとあそんで」
「ええ? かえしてよう」
かすみは強引だなあ。
「子供を見てないの。理由として、算術はあなたの得意とするところでしょう?」
「うん。そうだね」
「だったらあなた一人で十分じゃない。それならあなたの苦手な戦働きのできる人が良いに決まっているわ」
なるほど、道理だった。確かに文官は僕が居れば十分だ。
「そっか。じゃあ強い人を探さないとね」
「そうね……あなたの仲間で一番強いのは?」
「そりゃあ正勝の兄さんだろう」
「腕自慢を集めて、正勝さんと勝負させるのよ。その中で一番強い人を家臣にすれば?」
うん。なかなか良い考えだ。さっそく正勝に会いに行こう。
「えーん。とうさま! かすみがいじめるー」
「おとこのくせに、なかないでよ!」
もう二才になる二人。
勝気なかすみと弱気な晴太郎。
「もう。かすみ、人形を晴太郎に返しなさい。晴太郎もそんなことで泣かないの」
ここに居る三人は絶対に守りたい。
だから強い人を探さないと。
◆◇◆◇
「駄目だ兄弟。てんで使えねえ。こいつら弱すぎる」
木刀を持った正勝は大勢の怪我人を前に、僕にそう呟いた。
長浜の町の空き地で腕自慢の人間を募集したけど、一人として正勝に勝てる者はいなかった。
真剣を使わず、用意した木刀や訓練用の槍を使って、正勝に一本でも取れれば武士として雇うという条件に集まったのは五十人ほど。しかしそれら全てを正勝は打ち破ってしまったのだ。
「なあ。正勝が強すぎるんじゃないか?」
「馬鹿言え。きちんと武芸を習ったことのない俺に勝てないこいつらが弱いんだよ」
ここは算術が盛んだけど、武芸はそこまで浸透していないらしい。うーん、目論見が外れたな。
「次! 誰か居ないのか!」
正勝は大声で吼えた。しかし誰も現れない。見物人は大勢居るけど、この怪我人を見ては尻込みするのは当然だ。
「ちっ。これじゃあ兄弟の家臣に相応しい奴が見つからないぜ」
「仕方ない。また後日に――」
改めようと言いかけた――
「待って。俺がやる」
申し出たのは――奇妙な少年だった。
年は十四か十五。無造作に伸ばしたままの髪。肩まで伸びている。透き通るような肌の白さ。背は高く、僕の頭二つ分ある。痩せているがそれなりの筋力を持っていそうだ。髪に隠れた間から見えるのは涼やかな目。優しげですらある。農民のように薄汚れた着物を着ている。裸足がまた一層白く、足袋を履いているみたいだった。
しかし一番の奇妙な点は何の気負いも感じないところだった。今まで挑戦して来た者は勝とうという気負いがあったけど、この少年にはない。
「……ほう。いいだろう。良い度胸だ。得物を選んでこっちに来な」
正勝も何か感じとったらしい。少年を呼び寄せた。何も知らない見物人はどよめく。
「おいおい。背丈はあるけど大丈夫か?」
「化け物みたいに強い蜂須賀さまだぜ?」
「手加減はするだろうけどよ……」
口々に少年の心配をする声が聞こえる。
少年は無造作に木刀を持って、正勝と正対する。
「それでは、尋常に――始め!」
僕の合図で試合は始まったけど、両者は動かなかった。
正勝は様子見だろうけど、少年は構えもせずにだらりと木刀を下げて、正勝を待っていた。
「……どうして構えないんだ?」
「…………」
正勝の問いに無言で返す少年。
「……行くぞ! おらあああ!」
焦れてきたのか、気合を入れて正勝は八双の構えから少年を打ちつける。
少年は正勝の上段切りを半身になることで難なく避けた――いや、余裕そうに見えるけどかなり難しい。
そしてすっと、正勝の喉に木刀を添えた。もしも真剣だったら掻っ切られている。
「……これで一本」
少年の小さな声に正勝は思わず「……参った」と言ってしまった。
見物人たちはあまりの見事さに何も言えなかった。
「そこまで! 君の勝ちだ」
僕の声でようやく見物人たちは歓声をあげた。口々に少年を褒め称える。
「凄いな君。あんなに鮮やかに――」
「これであんたの家臣にしてくれるのか?」
少年は木刀を僕に差し出した。受け取って「ああ、もちろんだ」と答えた。
「きちんと給金も出すし、米も支給する。でも若すぎるからしばらくは他の子飼いと訓練だね」
「……分かった。それでいい」
ぶっきらぼうに言った表情が誰かに似ていた気がするけど、誰だったか分からなかった。
「まさか俺が負けるとはな。小僧、お前の名前は?」
正勝が訊ねると少年は小さな声で言った。
「……雪之丞。それが俺の名前」
それから僕に「よろしく頼む」と頭を下げた。
「ああ、よろしく頼むよ、雪之丞!」
これが僕と雪之丞の出会い。
僕にとって、初めての家臣だった。
その間、町割りや検地、治安維持などの仕事が多すぎて忙殺されていたけど、ようやく余裕ができてきた。
そもそも、秀吉が人を集めるために長浜に住む者は無税にするとか無茶なことを言い出すのが悪い。しかも一度出したそのお触れを撤回しようとするし。ま、ねねさまの進言で撤回は無くなったのは良かったけど。下手をしたら暴動が起こるところだった。
人が増えれば町は活気に溢れる。そうなれば商業が回る。元々、北近江国は交通の要路として商業が盛んだった。町の者には算術が長けている者も多い。
いずれこの土地から京や堺に負けないくらいの大商人が生まれることを祈りつつ、僕は町への投資を行なっていた。きちんと元手を回収できるように、将来性のある商家を援助するのも大切な仕事だった。
そうした日々を過ごした、ある日のことだった。
「そういえば、おぬしに家臣は居るのか?」
評定の間で皆とこれからの方針を話し合っていたときに、急に秀吉が訊ねてきた。
「いや。居ないけど」
「今や侍大将なのだから、一人くらい雇うべきだぞ?」
「兄弟にも居るのか?」
正勝に訊くと「もちろんだ」とあっさり答えた。
「むしろ居ないほうがおかしいだろ。小者の一人ぐらい居たほうが役立つぞ」
うーん、誰かを雇うなんて考えたことなかったな……
「城の水堀もできたことだし、この辺りで探してみてはどうだい?」
秀長殿の言うとおり、北近江国の人間なら算術に明るいから、僕の仕事を手伝ってくれるかもしれない。
「そうですね。では明日にでも探しにいきます」
「それが良いな。わしも鷹狩りをする予定だ。何なら明日は仕事を休んで各々好きなことをせよ」
すると長政は「佐和山城に居る息子の万福丸を子飼いに加えてもらいませんか?」と秀吉に言う。
「あの子は拙者よりも器量があります。いずれ役に立つでしょう」
「器量人のおぬしよりもか? それは楽しみだな。いいだろう。許可する」
「では明日、佐和山城に向かいます」
どんどん秀吉の家臣が増えていく。僕も負けないようにしないとな。
「それでは評定を終わりとする。皆の者、久しぶりに休め」
◆◇◆◇
「へえ。家臣ねえ。ま、今のあなたなら一人か二人居てもおかしくはないわよ」
長浜城城下の僕の屋敷。
かすみを乗せてお馬さんをしていたら、志乃が真面目に考えて言ってくれた。
「うん。やっぱり仕事の補佐をしてくれる人がいいなあ」
「それよりも武芸に秀でた人がいいわよ」
志乃の言葉に僕はかすみを下ろして「なんで?」と訊ねた。かすみはもっと遊びたい様子だったけど、少々疲れてしまった。
晴太郎は隅で人形遊びをしている。おとなしい子で一人遊びが好きらしい。かすみは近づいて、人形を取り上げた。
「にいに。かすみとあそんで」
「ええ? かえしてよう」
かすみは強引だなあ。
「子供を見てないの。理由として、算術はあなたの得意とするところでしょう?」
「うん。そうだね」
「だったらあなた一人で十分じゃない。それならあなたの苦手な戦働きのできる人が良いに決まっているわ」
なるほど、道理だった。確かに文官は僕が居れば十分だ。
「そっか。じゃあ強い人を探さないとね」
「そうね……あなたの仲間で一番強いのは?」
「そりゃあ正勝の兄さんだろう」
「腕自慢を集めて、正勝さんと勝負させるのよ。その中で一番強い人を家臣にすれば?」
うん。なかなか良い考えだ。さっそく正勝に会いに行こう。
「えーん。とうさま! かすみがいじめるー」
「おとこのくせに、なかないでよ!」
もう二才になる二人。
勝気なかすみと弱気な晴太郎。
「もう。かすみ、人形を晴太郎に返しなさい。晴太郎もそんなことで泣かないの」
ここに居る三人は絶対に守りたい。
だから強い人を探さないと。
◆◇◆◇
「駄目だ兄弟。てんで使えねえ。こいつら弱すぎる」
木刀を持った正勝は大勢の怪我人を前に、僕にそう呟いた。
長浜の町の空き地で腕自慢の人間を募集したけど、一人として正勝に勝てる者はいなかった。
真剣を使わず、用意した木刀や訓練用の槍を使って、正勝に一本でも取れれば武士として雇うという条件に集まったのは五十人ほど。しかしそれら全てを正勝は打ち破ってしまったのだ。
「なあ。正勝が強すぎるんじゃないか?」
「馬鹿言え。きちんと武芸を習ったことのない俺に勝てないこいつらが弱いんだよ」
ここは算術が盛んだけど、武芸はそこまで浸透していないらしい。うーん、目論見が外れたな。
「次! 誰か居ないのか!」
正勝は大声で吼えた。しかし誰も現れない。見物人は大勢居るけど、この怪我人を見ては尻込みするのは当然だ。
「ちっ。これじゃあ兄弟の家臣に相応しい奴が見つからないぜ」
「仕方ない。また後日に――」
改めようと言いかけた――
「待って。俺がやる」
申し出たのは――奇妙な少年だった。
年は十四か十五。無造作に伸ばしたままの髪。肩まで伸びている。透き通るような肌の白さ。背は高く、僕の頭二つ分ある。痩せているがそれなりの筋力を持っていそうだ。髪に隠れた間から見えるのは涼やかな目。優しげですらある。農民のように薄汚れた着物を着ている。裸足がまた一層白く、足袋を履いているみたいだった。
しかし一番の奇妙な点は何の気負いも感じないところだった。今まで挑戦して来た者は勝とうという気負いがあったけど、この少年にはない。
「……ほう。いいだろう。良い度胸だ。得物を選んでこっちに来な」
正勝も何か感じとったらしい。少年を呼び寄せた。何も知らない見物人はどよめく。
「おいおい。背丈はあるけど大丈夫か?」
「化け物みたいに強い蜂須賀さまだぜ?」
「手加減はするだろうけどよ……」
口々に少年の心配をする声が聞こえる。
少年は無造作に木刀を持って、正勝と正対する。
「それでは、尋常に――始め!」
僕の合図で試合は始まったけど、両者は動かなかった。
正勝は様子見だろうけど、少年は構えもせずにだらりと木刀を下げて、正勝を待っていた。
「……どうして構えないんだ?」
「…………」
正勝の問いに無言で返す少年。
「……行くぞ! おらあああ!」
焦れてきたのか、気合を入れて正勝は八双の構えから少年を打ちつける。
少年は正勝の上段切りを半身になることで難なく避けた――いや、余裕そうに見えるけどかなり難しい。
そしてすっと、正勝の喉に木刀を添えた。もしも真剣だったら掻っ切られている。
「……これで一本」
少年の小さな声に正勝は思わず「……参った」と言ってしまった。
見物人たちはあまりの見事さに何も言えなかった。
「そこまで! 君の勝ちだ」
僕の声でようやく見物人たちは歓声をあげた。口々に少年を褒め称える。
「凄いな君。あんなに鮮やかに――」
「これであんたの家臣にしてくれるのか?」
少年は木刀を僕に差し出した。受け取って「ああ、もちろんだ」と答えた。
「きちんと給金も出すし、米も支給する。でも若すぎるからしばらくは他の子飼いと訓練だね」
「……分かった。それでいい」
ぶっきらぼうに言った表情が誰かに似ていた気がするけど、誰だったか分からなかった。
「まさか俺が負けるとはな。小僧、お前の名前は?」
正勝が訊ねると少年は小さな声で言った。
「……雪之丞。それが俺の名前」
それから僕に「よろしく頼む」と頭を下げた。
「ああ、よろしく頼むよ、雪之丞!」
これが僕と雪之丞の出会い。
僕にとって、初めての家臣だった。