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作者: 葛城 隼
残酷な描写あり
第17話 もう大丈夫。あなたの傍にいる
 再寧はタマキの話を聞き終えた後、別な場所を訪れていた。ファミレス『ムムス』、タマキのバイト先である。

 店員に見下ろされながら「待ち合わせです」と断りを入れ、席を探して辺りを見回す。窓際の席を順に見ていくと、一組のペアと目が合った。
「君。今日のイカスミカレーパスタはよしておきな」
 呼び止められた再寧は、訝しげに目を細めその女性を見つめる。ブロンドヘアーに赤みがかった前髪の女性だった。

「誰です? 貴女」
「まあ聞きなよ。今日は一流シェフがおやすみらしい。いや、私としても不服なのだけど。ともかく彼女が復帰するまでは、あの均整の取れた素晴らしい料理の数々は味わえない」
「……ご厚意、感謝する。だがそんなものをオーダーする気がなければ、そもそも貴女に呼ばれて来た、そういう事の筈だ」

 女性と連れの銀髪褐色少女が恭しく立ち上がり、軽い会釈と上目遣いで挨拶をする。それを見て再寧は少しため息を漏らした。
「はじめまして、再寧警部補。私はルビィ・ニンフェア。ただの傭兵だ。ティナ、あいさつを」
「ティナ・ニンフェアです。よろしくお願いします」
「……しかしまあ、そんな事だろうと思ったが。何故わざわざ呼び出したのか、それも私をご指名し、その立場を知っていて」

 礼儀など不要とばかりに、再寧は立ったままの状態で話を進める。頭の二、三回りは差がある相手を見上げ、一切動じない様子だ。
「事の顛末はタマキさんから聞いている。分かるな、一流シェフとやらだ」
 ルビィ達の方も気にせず掛け直し、ティナは料理に手をつけ始める。
「彼女の腕は本物だ。君も時間があればここを訪ねるといいよ」
「この件が終わったら考えてやろう。それで? 何故お前達はリンカー能力者を狙う」
「おや、話は取り調べ室で、というヤツではないのか」
「質問しているのはこっちだ。下らない話で時間を潰すな、呼んだのはそっちの癖してな。答えろ」
「落ち着いてドリンクでもどうだい? 席なら遠慮なく座りたまえ。それにもし、私がとぼけているとしたら?」
「その時は力ずくで聞き出すまで」
「サムライ・ブシドーというのが昔からの通例なのだろう? 決闘でもするのかい」
「法律で禁止されている。あんたの言う侍の時代が終わって制定された『決闘罪』と言ってな。代わりに傷害及び殺人の容疑で逮捕でもしてやるか」
 ルビィがグラスをコトン、と置き、視線を再寧へと徐ろに向けた。

「それなら間に合ってる」
 ルビィはティナを一瞥し、手を上げて制する仕草を取る。ティナの目の色が文字通り変わっていた。リンカー能力を発動し、臨戦態勢になっていたのである。
 ルビィが席を立ち、背を向けた。踵を返さず、目線だけを向け、告げる。
「表出ろ、かな? こういう時は。食事の邪魔をされたくはない」

 ルビィは歩を進める。それに置いてかれぬよう、再寧はため息つきながらも足早に追う。店を出て、背中越しにルビィは雑談を始める。
「一緒に楽しくランチをと思ったのだけど」
「生憎、犯罪者とテーブルを囲う趣味はない。ほら、こっち向け。ここでいい」
 振り返り、両者は向かい合う形になった。高身長の外国人女性と、低身長の大人びた格好の女の子が互いに睨み合うという何事か想像もつかない状況、第三者から見て緊張はあっただろう。しかし両者は不思議と殺気立っていなかった。

「リンカーの試し合いで良さそうか?」
 先に提案したのは再寧だった。
「日本の警察はチンピラみたいだと悪評が付いてまわってるようだが、君は理知的だな」
「そうか。私には嫌いなものがある。強い言葉を使って相手を圧する連中と、酢豚に入ってるパイナップルだ」
「好き嫌いはするものじゃないな──」
 眼前に迫る距離。一触即発の状況。先に動いたのは、再寧であった。

「──っ!」
 体格差をものともせず再寧はルビィに殴りかかるも、簡単に受け流される。ただ生身で仕掛けた訳ではない。その腕のリーチを大きく越えたジャブ。再寧のリンカーである『トータルリコール』の腕だ。
 体躯を意識していたであろうルビィはその想定外のリーチに面食らい、一瞬のスキを見せた。
 再寧はそのスキを見逃さず飛びかかって組み伏せようとする。が、ルビィの動きは流れる水のように受動的で、そして滑らかであった。拳を避けた流れのままに、グルリと大胆に側方宙返りし、組みかかってきた再寧を投げ飛ばす。
 しかし再寧も負けじと、投げられるその直前に背中へ膝蹴りを与えた。小さい体をメリットとする小回りを効かせた攻撃だ。

「一発打ち込んでやったぞ」
 受け身を取って素早く立ち上がり、再寧は得意げに告げてみせた。
「ふぅ……。体格差をものともせずCQCに持ち込むなど、どうかしていると思ったよ。けど有効打を優先した正確で丁寧な動きだ。精神がリンカーに反映されてるかのようだ」
「対してあんたは、予想外なほど小さなリンカーだな。精神がよく表れてる」
「体は小さいのに言葉は大きい」
「ああ、この通り体格に恵まれてないものでな。その分こうやって補っているのさ。──『トータルリコール』」
 先は腕だけを使用した再寧のリンカーが、その全身を現す。映写機とビデオレコーダーを模したディテールの人型リンカー、『トータルリコール』だ。
 ルビィに並ぶ等身の『トータルリコール』が手をかざしたその時、ルビィが呻き声を漏らして軽く仰け反る。ダメージを気にして抑えたのは、投げ際に再寧に蹴られた背中。能力で攻撃を再生リプレイしたのである。

「体が大きい分、的がデカくて助かるな」
「なるほど、こうやってか。……アナタ、何者だい?」
「ご存知、タダのちっぽけな警察だ」
「そっか。この国の警察の力量が少し分かっただけでも収穫としよう」

 意外にもルビィは、腰を下ろして緊張を解く。戦闘行為を放棄したかのようだ。対する再寧は、臨戦態勢を取ったまま。
「一つ、条件を出そう。私達を見過ごせ。代わりに質問への答えと、教団の情報を共有しようじゃないか」
「警察相手に殺人を黙認しろと言うのか?」
「手荒なマネはしたくない」
「脅してる時点で見上げたものじゃないがな」
「断れると思うかい?」
「不愉快だ。さっさとリンカーを下げろ」
 再寧は気づいていたのだ。その肩を黒い玉がコロコロと転がっていた事に。見ると再寧が着ているコートの襟が不自然に糸を伸ばし、小さな針のように再寧の喉元に突き立てられていた。
『Hold up!』
 耳元で騒ぎ立てるその声を、グシャリと握り潰す。襟は元の三角形に戻っていた。それから眉を寄せて溜め息をつき『トータルリコール』を下げるのだった。それが再寧の返事となる。

「約束だったな。何故襲うのかという質問だが、結論として、私からはリンカー能力者を積極的に襲う意思はない。ただ我妻さんを襲ったリンカー──ああそもそも、私らの他にリンカー能力者が昨夜いた事を、アナタはご存知かな?」
「ああ。名前を言ってみろ」
「慎重だねぇ。その彼は我妻さんに興味津々だ。何故だと思う?」
「詳細は省くが、彼女はお前達の前に一度襲われている。死ぬ寸前の状況を狙うという悪趣味な目的だ。恐らく、人の感情とやらにお熱なんだろうよ」
 ルビィは満足げにニっと微笑みを返す。
「いい着眼点だ。リンカーとは願いの具現化。それが能力になる。奴が気にかけるのは、彼女の性格と、リンカーと思われるあのお人形さんが理由かもな」
「どういう意味だ?」
「抑圧された想いほど重く、そして強い願いになるという事さ」
「……はぁ?」

 用事は終わりとばかりに、ルビィは立ち上がってさっさと戻ろうとした。再寧は慌てて止める。
「あっ、オイ待て。もう少し質問ぐらいさせろ」
「それはサービスが過ぎるだろう。君とは良い友人でありたい。フィフティ・フィフティの取り引きをしようじゃないか。ホラ、何かないのかい?」
 不満そうな再寧。当然である。渋々取り出したのは革財布。そして二千円。ルビィを見上げてムンっと差し出す。
「……これでティナさんにパフェでも食べさせてやれ。それで? 例のリンカーはどの程度教団と通じてるのか、何者なんだ」
「残念だ。それはデザート代としては値が張る。それに奴が教団の人間なら、私がとっくに始末している」
「あんたは信者の首を取ろうとでも?」
「今日はここまでだ。高校生のおサイフ事情じゃないんだ、次はマトモなビジネスを期待してるよ」
「も、持ち合わせがなかっただけだっ」

 言い返しながら再寧はふと気づく。僅かに鼻をつくその臭いに。
「もう一つ、取るに足らない質問をさせてくれ。あんた喫煙者か? それもほとんど吸わない、ライトユーザーだ」
「ああ、吸うよ。殺めた人の数だけと決めてる」
「……そうか。つまらない事を聞いたな」
 あっさり答えたルビィは、天を仰いで目を細める。灰色の曇り空が光を遮っていた。
「大切な弔いだよ。名前もよく覚えている。真秀呂場 恭二の名を。君は? 吸わないのかい」
「私には嫌いなものがある。ヤニの臭いと、酢豚に入ってるパイナップルだ」
「理解できるといいな。その味が」
「傭兵とやらに比べれば、自分を慰める手段はまだ安くつく」
 ファミレスへと戻るルビィの背中を、再寧は見送った。ため息混じりに肩で深呼吸し、頭を搔く。
「……さて。しばらく顔合わせはご遠慮願いたいところだが」

 *

 僕はヒカリと共に、病院中庭へ場所を移していた。背中を壁に預け、一度、深呼吸して話を始める。自分の過去を──。
「僕は5年前──11歳の頃の事だった。あの日は昨日みたいな、柔らかいけど冷たくて鋭い、雨の日の冬だった。その日、交通事故で瀕死の重症を負ったんだ」
「……事故に?」
「うん。不注意だった。鋭いクラクションの音が耳を震わせて、次の瞬間には腕を打ち付けられて、体がフワって浮いたかと思えば、アスファルトに叩きつけられて。地面に転がされる中で感じられたのは、体に埋め込まれた鈍い痛み、ぼんやりとして遠のいていく意識。死ぬという……実感」
 ヒカリの顔は──悲しみの色に塗り替わっていた。僕の目を見つめ、言葉を零す。
「……痛々しいわね」

 それに対して、僕の胸の内は不思議と明るく、頬から微笑みが零れていた。話を続ける。
「けど僕はこうして生きている。薄れゆく意識の中で『ショックな事もあったもんで』って、そんなあっさりした声が聞こえてきた」
 空を仰ぐ。雲の切れ間から注ぐ太陽の光。それが頬を照らす──。
「消えたはずの意識の中で、僕はまた感じた事があった。──『光』だ」
「『光』?」
「そう。不思議な感覚だったよ。僕の中に走った、温かい『光』。そして、言葉──」

 ──もう大丈夫。あなたの傍にいる──

「言葉……」
「目が覚めると、僕は病室のベッドに横たわっていた。辺りはすっかり夜。月明かりが部屋に差し込んでた。……誰かが傍にいたような気がしたけど、気のせいだった。あくまで僕の胸にあった、温かい何かだ」

 あの時感じたものは今でも色褪せてない。……あ、いや、少し忘れてたけど。それでも思い出せる。思い出せたんだ、その記憶を。

「あっ、だからかもしれない。誰も死んでほしくないし、死にたくない。……先週、店長さんが目の前であっさりと殺されて、それで尚更死んでほしくないって、その気持ちが奮い立った……のかも」

 ふと、気づいた。ヒカリの顔が慈悲に満ちたような、けどどこか切なそうな……そんな、複雑な表情になっていた。

「もし、私がその時、貴女の傍にいたのなら、どんな言葉をかけてたか。そんな事を考えていたわ」
「えと……例えばどんな?」
「貴女の心に宿ったその言葉と同じがいい。それが一番温かい。私も、貴女の傍にいたいもの、タマキ」
「ヒカリ……」

 僕のリンカーだから、何でも通じてると思ってた。けどそうじゃない。ちゃんと言葉にして伝えなきゃ伝わらない。それは一人の人間のように。……こうして気持ちを落ち着けて、何でも言えるっていうのも、僕にしては珍しい。

 改めて決意を固めた。ヒカリと向き合い、その目を見つめる。金色の瞳と緑色の瞳が、互いを映していた。
「本当は怖い。今でも逃げ出したいって、そう思ってる。それでも、行くべき所がある。……付き合ってくれる? ヒカリ」
「もちろん」

 返事を聞いた僕は一度、胸をなで下ろし、強い意志を持って迷いなく歩み始める。

 *

 ──時は流れ、時刻は19時を指し示す。

 空を覆う雲が流れ、月明かりが凍える世界を照らす。影を引き歩を進めるのは、ニンフェア義姉妹だ。

 遠巻きから桜川病院の様子を伺う。一見すると不審な点は見当たらない、穏やかな夜の病院であった。しかしルビィの目は一台の車、その運転席を捉えた。仄かな光に一瞬照らされたそのあどけない女の顔を、ルビィは見覚えがあった。再寧だ。
「通報してたか。ま、当然の判断だね」
「ねえさん、こっち」
 病院の敷地に決して入らず、歩みを止めない。その周辺を大きく迂回して院内を目指すルートだ。
「向こうもこっちに気づいてるかもしれない」
「うん、わかってる。3人いるかも」
「いい想定だ」

 夜の病院は真っ暗ではない。非常灯の灯りや月明かりに限らず、夜勤の職員が座す受付の光もあり、さらにその職員が見回りをする。廊下も足音が反響し、目と耳の両側面で異変にすぐ気づく。
 その院内廊下を、義姉妹は一切気にせずに足を進める。ルビィの『アイアンメイデン』が、彼女らが床を踏むその時だけ、スポンジのような柔らかい成分に変えて足音を消し、ティナの左眼に宿る『Xファクター』が職員のライト等の動きを事前に観測しているからだ。

 なんの苦労もなく、あっという間に一つの部屋の前へとやってきた。『407号室』、『天道 聖夢』と書かれたその部屋。聞いていた情報に相違ない事を確認し、施錠も『アイアンメイデン』を鍵穴へ潜り込ませて変形させ突破、何事もなく入室する。月明かりの差す部屋に、くうくうと寝息をたてる少女の声を確認する。
「眠れるお姫様をお迎えに上がりました」

 少女はベッドに潜り込んでいた。ルビィはティナに『Stay待て』の合図を出してドアを見張らせる。静かに近づき、ベッドを見下ろす。
「アナタの身を、奪わせていただきます」
 布団を握り、それを引き剥がして顔を確認すると──
「──ニンヒト」
 光の束が、彼女の腹部を殴りつける──!
「ねえさん!?」
「構えろっ!」
 次々襲いかかる光の束を間一髪避け、リンカー能力で壁を延長して凌ぐ。壁に手をつけ、そこから新たにソーコムを模したハンドガンを生成、ベッドに向けて構えるも、求めた敵の姿は既にそこにはなかった。彼女は横から声をかけられる。
「あら、随分と臭いセリフを吐くのね。0点」

 床に片膝立ちに直るその人物を、ルビィはよく知っていた。先の声はその人物が抱きかかえる人形のような存在のものだ。
「我妻……タマキさん!?」
 タマキはルビィを真っ直ぐに見据える。

「僕の人生……ホント最悪だ。オシマイの概念だ。後悔してばかり、罪悪感まみれの人生」
 飛び出したネガティブワードとは裏腹に、タマキの声色に諦観や悲壮感は含まれていなかった。あるのはただ、強い決意が込もった真っ直ぐな意志の声!

「だから後悔しない選択をした。『困難が相手でも、乗り越える』という選択を!」
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