残酷な描写あり
R-15
#22 使用人サリー
私がこの異世界に召喚されて、二日目の朝。
拘置所生活で染み付いた体内時計が機能、私の眼を覚まさせた。
「ここ、は……? ――いえ、そうだったわ。私は……」
目覚めたその場所が、拘置所の暮らし慣れた独房ではない事に一瞬戸惑い、しかし思い出し、改めて自分の身に起きた事を振り返る。
栄耀教会が差し向けた聖騎士団に命を狙われ、ヴァンパイアの騎士に命を助けられ、二人で脱出した所をフェンデリン家に救われ、現在に至る。
ここはフェンデリン邸の地下の客間。
拘置所の独房では鉄格子付きとは言え窓があり、外の光が射し込んでいたが、ここは地下室故に窓は無く、光源は魔法で光る天井の照明のみ。
しかし今、部屋を照らすのは照明ではなくランタン。
そしてそれを手にするのは――
「お早うございます、カグヤ様」
ベッドの傍に立つその人物が、抑揚の無い声で挨拶した。
「きゃっ……!」
部屋に自分一人だけだと思っていた私は驚き、素っ頓狂な叫びが漏れた。
メイド服を着た若い女性が、まるで幽霊のようにひっそりと佇んでいた。
巻いた包帯で顔の右半分を隠しており、表情の無い顔は能面を想わせる。
服装からしてフェンデリン家の使用人だという事は想像が付くが、何者だろうか。
「あなた、は……?」
「大旦那様から、カグヤ様とダスク様のお世話をするように仰せ付かりました、サリーと申します」
大旦那様、というのはオズガルドの事だろう。
「よ、宜しくお願いします……」
私と同じ年頃の同性を宛がったのは、彼の配慮だろう。
「まずはお顔を」
と言ってサリーが持っていた空の桶に、掌から水を注いだ。
魔法で水を作り出したのだ。
「あの、サリーさん」
「何でしょう?」
「魔法を使える人は多いのですか?」
私がこの世界に来て出会った者のほとんどがそうだった為、そんな風に考えた。
「そう多くはありません。私の場合は……父が魔才持ちでしたので。それに私が使えるのは、このような日常魔法ばかり。魔術師一族と名高いフェンデリン家の方々には遠く及びません」
清潔な水を好きな時に生み出せるだけでも便利なのは間違い無く、使えない者からすれば羨ましい限りだろう。
洗顔を終えると、今度はサリーがクローゼットを開き、両手に服を持って見せてきた。
「お召し物のご用意はできております。どれに致しましょうか?」
「どれ、と言われましても……では、そちらで」
「畏まりました」
示された中で、一番私の感性に合った服を選ぶ。
「では失礼します」
そう言ってサリーが、私の服に手を掛けて脱がせようとしてきた。
「あ、あの、身支度くらい一人でできますが……」
子供時代を除けば、着替えを誰かに手伝って貰った事は無い。
別に急いでいる訳でも、特殊な構造の服という訳でもないのだから、手を借りる必要など無いように思うのだが、サリーの厚意または役割を無にしてしまうのも申し訳無いので、手伝って貰う事にした。
「そう言えばダスクさんは?」
白のブラウスと紫のロングスカートに着替え終えた所で、彼の存在を思い出した。
「隣の部屋で、ジェフ様とお話しされています。三百年間の出来事や今の時代について、色々と知っておきたいと」
「私もお邪魔しても構わないでしょうか?」
異なる世界から召喚された私にとっても、この世界の歴史や常識は把握しなくてはならない事だ。
そこへ、扉をノックする音。
「どちら様でしょうか?」
サリーが応対する。
「ジェフだよ。ダスクも一緒。入ってもいいかな?」
「どうぞ」
私が頷いたのを確認してから、サリーが扉を開けて来訪者を迎え入れる。
「お早う、カグヤ」
「お早う」
笑顔のジェフと、落ち着いた表情のダスクが入って来た。
「お早うございます。――その食事は?」
二人の手には、料理が載った盆。
「僕と君の分。君を食堂に連れて行く事はできないからね」
家の者ではない私が人目に付く場所で食事していたら、事情を知らない他の者に不審に思われて通報されかねない。
「いただきます」
細かいテーブルマナーなどは気にしなくていいと言われたので、取り敢えず下品に見えないような仕草で食していく。
そして今更気付いたが、運ばれてきた食事は私とジェフの二人分。
ダスクはテーブルに着いてはいるが、彼の分は無い。
「ダスクさんは食べないのですか?」
「ヴァンパイアは血液さえ摂取できていれば、普通の食事は必要無い。気にせず食べてくれ」
体の隅々まで酸素や栄養分を運ぶのが血液の役割だから、血を摂取すれば必要な栄養は全て得られるという訳だ。
だからと言って普通の人間が大量に血液を摂取しても、鉄分過多になって体を壊すだけだと、どこかで聞いた事がある。
「ふと思ったのですが、人間以外の血でも問題無いのですか?」
「同種の血が一番馴染んで美味しく感じるそうだけど、他の生き物でも大丈夫らしいよ。ただし駄目な奴もあって、哺乳類や鳥類はOKだけど、爬虫類や両生類とかはNGだって本には書かれてた」
「試しにジェフが飼っているトカゲやカエルの血を舐めてみたが、吐き気を催した」
余程酷い味がしたのか、ダスクが渋い様相を呈した。
食事を終え、サリーが空いた食器を下げて退室する。
「今日はオズガルド様はいらっしゃらないのですか?」
「お爺ちゃんは宮廷魔術団の仕事があるから、いつも居る訳じゃないんだ。だからその間、君達の事は僕とエレノアお婆ちゃんが任されている」
「フェンデリン家で俺達の事を知っているのは、ジェフとオズガルド、サリーと、オズガルドの妻のエレノアだけだそうだ」
これはあくまでもオズガルド個人の行いであり、フェンデリン家自体が私達を匿ってくれている訳ではないから、迂闊に地下室を出る事も許されない。
窮屈ではあるが、聖騎士団に追い回されるよりはマシだ。
「それで、私達はこれから何をすれば?」
「まずは君の力の解明だね」
私もそれが気になっていた。
「はい……ですがご存知のように、私は栄耀教会から魔力が皆無と言われました」
「でも君は何度か空間転移で危機を脱し、その際の君からは確かに魔力の波動を感じたと、ダスクは言っている」
あの様子を見ていた聖騎士団も、私にも何かしらの力が宿っている、という事は認めていた。
でなければサウレス=サンジョーレ曙光島で、私達の命運は尽きていた。
「何故なのでしょうか?」
「さてね。あの時点で栄耀教会が嘘を言ったり、鑑定に不備があった様子も見受けられなかった。とすると、何らかの見落としがあったのかも知れない。『皆無』という点からしてまずおかしい訳だからね」
どんな生物も少なからず持っているはずの魔力が、全く無い事など有り得ないと、出会った誰もが口を揃えて言っていた。
「記録などは無いのですか?」
「フェンデリン家は魔才持ちが多く生まれる家系だから、魔法関連の書物は極めて豊富だ。だから僕とダスクで、似たような魔法の記録が無いか調べてみたんだけど……」
「それらしい記述は見つけられなかった。まあ、たった二人で調べられる量などたかが知れているが……」
魔法に精通しているフェンデリン家でも分からないのでは、普通の方法では解明できないのではないだろうか、と思う。
「ではどうやって調べるのですか?」
「まずは地下修練場に場所を移そう。付いて来て」
三人で部屋を出て向かった先は広大な空間。
広さは『招聖の儀』が行われた場所と同程度で、確かに特訓するには困らなさそうだ。
これだけのものを建造して所有できる所に、フェンデリン家の力の程が窺い知れる。
「ご機嫌よう。そして初めまして」
そして修練場の中央には、私達を待つ一人の人物。
拘置所生活で染み付いた体内時計が機能、私の眼を覚まさせた。
「ここ、は……? ――いえ、そうだったわ。私は……」
目覚めたその場所が、拘置所の暮らし慣れた独房ではない事に一瞬戸惑い、しかし思い出し、改めて自分の身に起きた事を振り返る。
栄耀教会が差し向けた聖騎士団に命を狙われ、ヴァンパイアの騎士に命を助けられ、二人で脱出した所をフェンデリン家に救われ、現在に至る。
ここはフェンデリン邸の地下の客間。
拘置所の独房では鉄格子付きとは言え窓があり、外の光が射し込んでいたが、ここは地下室故に窓は無く、光源は魔法で光る天井の照明のみ。
しかし今、部屋を照らすのは照明ではなくランタン。
そしてそれを手にするのは――
「お早うございます、カグヤ様」
ベッドの傍に立つその人物が、抑揚の無い声で挨拶した。
「きゃっ……!」
部屋に自分一人だけだと思っていた私は驚き、素っ頓狂な叫びが漏れた。
メイド服を着た若い女性が、まるで幽霊のようにひっそりと佇んでいた。
巻いた包帯で顔の右半分を隠しており、表情の無い顔は能面を想わせる。
服装からしてフェンデリン家の使用人だという事は想像が付くが、何者だろうか。
「あなた、は……?」
「大旦那様から、カグヤ様とダスク様のお世話をするように仰せ付かりました、サリーと申します」
大旦那様、というのはオズガルドの事だろう。
「よ、宜しくお願いします……」
私と同じ年頃の同性を宛がったのは、彼の配慮だろう。
「まずはお顔を」
と言ってサリーが持っていた空の桶に、掌から水を注いだ。
魔法で水を作り出したのだ。
「あの、サリーさん」
「何でしょう?」
「魔法を使える人は多いのですか?」
私がこの世界に来て出会った者のほとんどがそうだった為、そんな風に考えた。
「そう多くはありません。私の場合は……父が魔才持ちでしたので。それに私が使えるのは、このような日常魔法ばかり。魔術師一族と名高いフェンデリン家の方々には遠く及びません」
清潔な水を好きな時に生み出せるだけでも便利なのは間違い無く、使えない者からすれば羨ましい限りだろう。
洗顔を終えると、今度はサリーがクローゼットを開き、両手に服を持って見せてきた。
「お召し物のご用意はできております。どれに致しましょうか?」
「どれ、と言われましても……では、そちらで」
「畏まりました」
示された中で、一番私の感性に合った服を選ぶ。
「では失礼します」
そう言ってサリーが、私の服に手を掛けて脱がせようとしてきた。
「あ、あの、身支度くらい一人でできますが……」
子供時代を除けば、着替えを誰かに手伝って貰った事は無い。
別に急いでいる訳でも、特殊な構造の服という訳でもないのだから、手を借りる必要など無いように思うのだが、サリーの厚意または役割を無にしてしまうのも申し訳無いので、手伝って貰う事にした。
「そう言えばダスクさんは?」
白のブラウスと紫のロングスカートに着替え終えた所で、彼の存在を思い出した。
「隣の部屋で、ジェフ様とお話しされています。三百年間の出来事や今の時代について、色々と知っておきたいと」
「私もお邪魔しても構わないでしょうか?」
異なる世界から召喚された私にとっても、この世界の歴史や常識は把握しなくてはならない事だ。
そこへ、扉をノックする音。
「どちら様でしょうか?」
サリーが応対する。
「ジェフだよ。ダスクも一緒。入ってもいいかな?」
「どうぞ」
私が頷いたのを確認してから、サリーが扉を開けて来訪者を迎え入れる。
「お早う、カグヤ」
「お早う」
笑顔のジェフと、落ち着いた表情のダスクが入って来た。
「お早うございます。――その食事は?」
二人の手には、料理が載った盆。
「僕と君の分。君を食堂に連れて行く事はできないからね」
家の者ではない私が人目に付く場所で食事していたら、事情を知らない他の者に不審に思われて通報されかねない。
「いただきます」
細かいテーブルマナーなどは気にしなくていいと言われたので、取り敢えず下品に見えないような仕草で食していく。
そして今更気付いたが、運ばれてきた食事は私とジェフの二人分。
ダスクはテーブルに着いてはいるが、彼の分は無い。
「ダスクさんは食べないのですか?」
「ヴァンパイアは血液さえ摂取できていれば、普通の食事は必要無い。気にせず食べてくれ」
体の隅々まで酸素や栄養分を運ぶのが血液の役割だから、血を摂取すれば必要な栄養は全て得られるという訳だ。
だからと言って普通の人間が大量に血液を摂取しても、鉄分過多になって体を壊すだけだと、どこかで聞いた事がある。
「ふと思ったのですが、人間以外の血でも問題無いのですか?」
「同種の血が一番馴染んで美味しく感じるそうだけど、他の生き物でも大丈夫らしいよ。ただし駄目な奴もあって、哺乳類や鳥類はOKだけど、爬虫類や両生類とかはNGだって本には書かれてた」
「試しにジェフが飼っているトカゲやカエルの血を舐めてみたが、吐き気を催した」
余程酷い味がしたのか、ダスクが渋い様相を呈した。
食事を終え、サリーが空いた食器を下げて退室する。
「今日はオズガルド様はいらっしゃらないのですか?」
「お爺ちゃんは宮廷魔術団の仕事があるから、いつも居る訳じゃないんだ。だからその間、君達の事は僕とエレノアお婆ちゃんが任されている」
「フェンデリン家で俺達の事を知っているのは、ジェフとオズガルド、サリーと、オズガルドの妻のエレノアだけだそうだ」
これはあくまでもオズガルド個人の行いであり、フェンデリン家自体が私達を匿ってくれている訳ではないから、迂闊に地下室を出る事も許されない。
窮屈ではあるが、聖騎士団に追い回されるよりはマシだ。
「それで、私達はこれから何をすれば?」
「まずは君の力の解明だね」
私もそれが気になっていた。
「はい……ですがご存知のように、私は栄耀教会から魔力が皆無と言われました」
「でも君は何度か空間転移で危機を脱し、その際の君からは確かに魔力の波動を感じたと、ダスクは言っている」
あの様子を見ていた聖騎士団も、私にも何かしらの力が宿っている、という事は認めていた。
でなければサウレス=サンジョーレ曙光島で、私達の命運は尽きていた。
「何故なのでしょうか?」
「さてね。あの時点で栄耀教会が嘘を言ったり、鑑定に不備があった様子も見受けられなかった。とすると、何らかの見落としがあったのかも知れない。『皆無』という点からしてまずおかしい訳だからね」
どんな生物も少なからず持っているはずの魔力が、全く無い事など有り得ないと、出会った誰もが口を揃えて言っていた。
「記録などは無いのですか?」
「フェンデリン家は魔才持ちが多く生まれる家系だから、魔法関連の書物は極めて豊富だ。だから僕とダスクで、似たような魔法の記録が無いか調べてみたんだけど……」
「それらしい記述は見つけられなかった。まあ、たった二人で調べられる量などたかが知れているが……」
魔法に精通しているフェンデリン家でも分からないのでは、普通の方法では解明できないのではないだろうか、と思う。
「ではどうやって調べるのですか?」
「まずは地下修練場に場所を移そう。付いて来て」
三人で部屋を出て向かった先は広大な空間。
広さは『招聖の儀』が行われた場所と同程度で、確かに特訓するには困らなさそうだ。
これだけのものを建造して所有できる所に、フェンデリン家の力の程が窺い知れる。
「ご機嫌よう。そして初めまして」
そして修練場の中央には、私達を待つ一人の人物。