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作者: konoyo
R-15
思い出ポロポロ
目を瞑った。どうしてだろう。少しでも長い時間みんなの顔を見つめていたいのに。だけどそうすることが死ぬ前にどうしても行わなければならない行為である様に感じたの。

瞼の裏にはパパとママが映った。ふたりとも大きな笑顔であたしのことを見つめている。あたしは人肌くらいの温度の哺乳瓶を抱えている。パパは悪戯にその哺乳瓶を取り上げようとする。あたしはむきになって哺乳瓶を胸の中に抱え込む。その仕草が面白いのかパパは何度も同じ行為を繰り返して笑っていた。

しばらくするとあたしはよちよち歩きを始めた。ママって言えるようになった。ちゅうって言葉を覚えた。パパもママも笑ってあたしにちゅうをいっぱいしてくれた。あたしを褒めてくれるときには必ずちゅうをしてくれた。だからあたしはちゅうが好きだったのかも知れない。そういえば中学生の最初の頃まではパパにも寝る前にちゅうしていたっけな。

ボール遊びに夢中になった。幼いあたしの顔より大きなボールを投げたり、受け止めたりするのがとても好きだった。お誕生日に買って貰った熊のぬいぐるみでおままごとをするのが好きだった。あたしはいつでもお母さん役。熊はあたしの子供役。しかも男の子役なの。すごく元気でやんちゃな男の子。それを笑ってあやしてあげるのがとても楽しかった。笑ってばかりいたな。この頃のあたしは。

「優江は笑顔がとても良く似合うわね。」

「優江は笑っているときが一番可愛いよ。」

よく、パパとママが言っていたな。
 
岳人が生まれてからは笑う機会がより一層増えた。それこそ一日中ずっと笑っていた。いつでも岳人と一緒だったから。毎日幸せだった。そうだ。あの頃のあたしは明るくて、朗らかな女の子だった。家族といるのが大好きで家の中ではいつも笑ってばかりいた。
 
だけど、いつしかあたしは少しずつ変わっていってしまった。悲しみ、寂しさというものに憑り付かれてしまった。それは悪夢を見るようになるずっと前のこと。あまりにも幸せで、楽しい毎日が変わっていってしまうことが嫌だった。大人に近づくことが寂しかった。いつまでもこのままで、子供のままでいたいと願うようになった。岳人にもずっとずっと小さい子供のままでいて欲しいと思っていた。ずっとずっと今のままがいいと。家族が変化するということが忌まわしかったわ。
 
そして何年かしてから悪夢を見るようになった。それからあたしは不安や恐怖というものに心を支配されるようになってしまった。
 
悪夢を見るようになったその日の記憶が蘇った次の瞬間にあたしは目を開いた。意識をしてそうした訳ではなかった。自然とそうなったのだ。もしかしたらあたしは眠っていたのかもしれない。もしかしたら今見た画は走馬灯と言うものなのかもしれない。自分の人生を振り返ってみて思った。辛いこと、悲しいことばかりだと思っていたあたしの人生も実はそんなに悪くはないものだったのではないだろうか。いいや、素晴らしいものだったのではないだろうか。

特に大きな成功をした訳ではない。なにかを成し遂げたわけでもない。いいや違う。あたしは幸せな家族に恵まれていたではないか。愛する岳人と笑顔に満ちた毎日を送れたではないか。そして、最後にふうわという大切な命をこの世に産み落とすことが出来たではないか。あたしは十分に幸せというものを手にしてきた。死の際であたしは自分の人生を誇らしく思った。記憶の引き出しから出てくるものは本当に幸せな思い出ばかりだった。いいじゃないか。これで終幕を迎えたとしても。
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