反転攻勢
一部から聞こえるヒソヒソとしたざわめきと、嘲笑う視線は口元を隠す扇子では隠せない。
方や無関心を装いながらも明らかにこちらに意識を向ける者、方や興味津々でソワソワと辺りを窺う者……反応こそ様々だが、皆一様に同じことを考えているのが手に取るようにわかる。
──この夜会で「何か」が起きる──
不安や心配をいだいている人が居ないわけではなさそうだけれど、大半の人はその「何か」を期待しているのよね。
「こんばんは、アメディア。わたくしと少しお話をしません?」
「ジャンヌ様。はい、是非」
好奇の視線を浴びる私に声をかけてくれたのは扇でさりげなくバルコニーを指すジャンヌ様とその隣に寄り添うエンデ侯爵様。
二人に付いてバルコニーに出た私が正式な挨拶をと口を開きかけたのを制し、エンデ侯爵が口を開いた。
「リシア嬢、畏まった挨拶はよい。君のことはジャンヌから聞いている。妹のような友人だと。ならば私にとっても可愛い義妹だな」
「!?じゃ、ジャンヌ様!?」
私のことをエンデ侯爵に話したという衝撃と、可愛いと言われる気恥ずかしさで顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
そんな私を見て2人は楽しそうに笑い合って……私は居たたまれなさに視線を泳がすことしかできなかった。
「アメディア、そのドレス良く似合ってます。その花は⋯⋯ルセウス様の印花、アスターね。そして、ルセウス様のコートにはコスモスがあしらわれていたわ」
「ほう、なるほど。だからジャンヌは心配要らないと言ったのだな」
「ええ、旦那様。貴方がアレクシオ殿下をお選びになったのは間違いではありませんのよ」
「しかしな、この会場にルセウスがディーテ王女をエスコートして来た時はエンデ侯爵家は終わったと肝が冷えたのだ」
私がこの場で嘲笑されていたのは婚約者のルセウスがディーテ様をエスコートしていたから。
人の目には私とルセウスの関係が悪くなり、ルセウスがディーテ様に鞍替えしたように見えている。
会場がルセウスとディーテ様の登場で騒然となっていたもの。
そう今夜、ここに居る人達が期待している「何か」は私がルセウスに婚約破棄をされるのだという事。
「人様の不幸を皆で楽しみにするなんて品がないわね」
「そう言うな。貴族にとって社交の場は戦場、そこで戦うのに必要なのは常に虚言と情報。人の不幸は最高の材料なのだから」
「確かに。アメディア、気を付けなさい」
「はい、ジャンヌ様」
「まあでも、虚言を信じるそんな輩は一部だ。歪な虚言はいつか暴かれる。アレクシオ殿下が仰っていた。だから私は殿下に付くと決めたのだ」
王宮に出入りするエンデ侯爵をはじめとした上級貴族は派閥を持っている。
大きな声では言えないけれど今のエワンリウム王家は国王派とアレクシオ王太子殿下派の二つに別れているのだとエンデ侯爵は言う。
ディーテ様を溺愛する国王は何を決めるでも何を指示するにも二言目には「ディーテが」と言って周りの話を一切聞かずにディーテ様を可愛がるだけ。
そしてディーテ様を崇める者が周りを固め、それが国王派となっているのだと。
ディーテ様の傀儡となり正常に政務が行えない国王の代わりに王太子であるアレクシオ殿下が代行し、彼を支えているのが王太子派なのだ。
「⋯⋯黒水晶が流行り出してから国王派は目に見えて減ったがな」
エンデ侯爵がクラバットを留めるラビットを撫でる。
ラビットが持つのは魔力を跳ね返す黒水晶。
「エンデ侯爵様はお気付きなのではありませんか? ディーテ王女の⋯⋯魔力に、そして黒水晶の効力に」
私が問いかけると、二人は驚いたような顔で私を見て、そして同時に苦笑した。
「当たってほしくはなかったがな。国王の様子、彼らに近い貴族の様子、そして黒水晶を手にした者たちの代わり様。気付かないわけがなかろう」
「旦那様が影響を受けていなくてわたくしは安心しましたわ。もし、旦那様がディーテ様の魔力にあてられていたら離縁するところでしたもの」
苦笑いのエンデ侯爵はコホンと咳払いして肩を窄めた。
「そうならなくて良かったよ。リシア嬢、君はルセウスを信じているのか? ここ最近奴はディーテ王女を慕っている素振りを見せていた。奴が魔力にあてられているとは疑わないのか?」
「はい。ルセウスには何か考えがあるのです。きっとアレクシオ殿下にとってもこの国にとっても重要な理由があり、そうしなければならなかったのでしょう」
ルセウスは私に言ったのだ。
──私に何があろうと信じてくれ。私はディアに全てを捧げている。信じていて。お願いだ──と。
ルセウスは真っ直ぐで不器用。いつも通りに過ごしながらでは目的を果たせないと私と距離を置いていた。
「それにですね、ルセウスは毎日手紙を届けてくれました」
「ん? ルセウスは常にディーテ王女に監視されていたようだが⋯⋯よくバレずにできたな」
「私達には秘密のルートがあるのです」
ルセウスはセオス様経由で毎日手紙をくれていた。返事を出せばまたすぐに手紙が届く。
それだけでも私はルセウスが何も変わっていないと信じていられるのだけれど、一度奪われ、再び待たされてもまた奪われた黒水晶。ルセウスは今黒水晶の加護を受けていない──と周りは見ている。そう見せている。
でも、ルセウスは黒水晶の加護を今でも受けているの。
私はそれを知っているから。
「ふむ、今夜は動きがあるとアレクシオ殿下が仰っていた。それがなんなのか見届けるとしよう」
「アメディア、わたくし共が付いています。しっかりお立ちなさい」
「ありがとうございます。ジャンヌ様とお知り合いになれて私は幸せ者です」
「知り合いではありませんよ。友人です」
ジャンヌ様は頼もしい友人。彼女は変わったのではなくもしかすると前回も背中を押してくれる存在だったのかも知れない。
私はあまりにも周りを見ていなかったのね。
前回とは何もかもが違う。違う様にして来た。もう同じ結末に辿り着かない。
話を終え、バルコニーから戻ると視線が一斉に向けられた。
思わず足を止めた私の背中をジャンヌ様が押す。
大丈夫よ、と語るその手の温かさに励まされながら進む私の耳に小さな囁きが聞こえてくる。
お気の毒に、身を引いていれば、ディーテ様には敵わない、ルセウスはディーテ様を選ばれた⋯⋯。
私の隣に居るジャンヌ様の耳にも届いたようで、口角が上がった口元を広げた扇で隠した。
私もそれに倣い同じく口元を隠す。
笑っているなんて悟られない様に。
「まあっアメディア様どこにいらしていたの? お兄様が大切な発表があると始めに宣言していたでしょう? アメディア様がいないと始められないのよ」
人々が私の前に道を開けたその先には可愛らしく拗ねながら「ねえ?」と小首を傾げルセウスを見上げるディーテ様。
その視線の先を向けば小さく頷くルセウスと目が合った。
ディーテ様は私に向き直り、もう一度首を傾げる。その仕草はまるで妖精の様だけれど、私には悪魔の微笑みにしか見えなかった。
「きっと素敵な事が発表されるのよ⋯⋯例えば⋯⋯意にそぐわない婚約が破棄される、とかね。ふふっ」
そう言って、ディーテ様はクスクスと可愛らしい笑みを溢した後ルセウスの腕に絡み付いた。
婚約破棄のどこが素敵な事なのかしら。
私はルセウスを一度見つめ、それからそっと頷き返した。
──信じて──
──信じてる──
私とルセウスにはその一瞬で十分。お互いの気持ちを通じ合える。
「これより! アレクシオ王太子殿下より発表がございます!」
この声はアイオリア様。よく通る声に音楽とダンス、談笑の賑わいが引き、アレクシオ殿下とラガダン王国のイドラン殿下が並ぶ壇上に視線が集まった。
同時に騎士団が会場の出入り口に立ちそれに気付いた人達が訝しげに眉を寄せた。
「今宵、ここに集まっているのは我が国の中枢を担う者たちだ。僕は今この場で宣言する。我が父現国王は隠居される事となり、僕⋯⋯私が王座に就く運びとなった」
ざわめきと、どよめき。
信じられないと悲鳴を上げ青ざめる者、胸を張り歓声を上げる者。
慌ててこの場から去ろうとした者は扉を守る騎士に阻まれ膝を付いた。
「なんですって! どう言う事ですかお兄様!」
中でもディーテ様の叫びは一際大きかった。
悲鳴混じりにアレクシオ殿下に詰め寄り、その腕を掴む。その手は震えている。
「父上はもう国王ではない。二度と西の離宮から出る事はないんだ。もうお前を甘やかす者は居ない。僕はお前が父上に通していた我儘を見逃すわけにはいかない」
「嘘! お兄様だって私が可愛いでしょう?」
「お前の魔力はとても高い。そしてそれが人の心を操れるものだと僕は気付いていた。お前はルセウスとアメディアを苦しませただけではなくその力を使い、権力を使い人々を操った。人の心を蔑ろにした。甘やかされたとしても気付く機会はいくらでもあった。それをしなかったのはお前の罪だ。同じ血が流れているなんて忌まわしいよ」
ディーテ様の手を払い除けたアレクシオ殿下は冷たく厳しい表情で静かに答えた。
「嘘! 嘘! 嘘! だってお父様は私にルセウスをくれると言ったのよ? 今日はルセウスが私のものになる日なのよ? ルセウスは私が好きなのよ! ルセウス、早く宣言して! アメディアと婚約破棄するって!」
取り乱したディーテ様がルセウスの腕を掴んで揺する。
ふっと笑顔を見せたルセウスはディーテ様の手をゆっくりと外すとディーテ様の表情が歪み、その場に崩れ落ちた。
「騙して⋯⋯いたのね!」
「人聞きの悪い。私は一度も貴方のものになった覚えなどありません」
ルセウスの言葉にディーテ様は立ち上がり、ルセウスに掴みかかろうと手を伸ばした。
「取り上げたのに! 忌々しい黒水晶! そう、そうだわ⋯⋯これは叛逆、王族への不敬⋯⋯だって私を好きにならないなんて。私は妖精姫よ。妖精に愛されているのよ」
ディーテ様から溢れる魔力が会場の空気を重く息苦しくさせてゆく。
私はせめて黒水晶を身に付けている人だけでも守れるよう、強く祈った。
「お兄様を捕えなさい!」
ディーテ様の声に彼女の信者⋯⋯護衛が剣を抜きそれを迎え討つ騎士達が対峙する。
混乱した会場は逃げ場がなく貴族達は悲鳴を上げて逃げ惑うだけだった。
「ディア!」
「ルース!」
そんな中、私の元に駆け寄ったルセウスは私を引き寄せて守る様に抱き留めてくれた。
私は黒水晶を身に付けている人達が無事なのを確認して安堵の息を吐くとすぐに顔を上げ、壇上で剣を交える騎士やディーテ様の信者たちを見守った。
「私は悪くない! 私は愛されて当然でしょう! 妖精姫なのよ! 私を好きにならない奴らなんてどうでも良いじゃない! 私は悪くない! 私は悪くない!! ⋯⋯アメディア! あんたがさっさと消えないからよ! ああ、もう要らない。ルセウスも要らないわ!」
瞬間息苦しさが増した。
「なんてこと⋯⋯」
私の目に映ったのは赤黒い光に包まれたディーテ様の姿。
ディーテ様の暴走した魔力は大きな黒い翼のように広がり、天使の羽と言うにはあまりにも毒々しく禍々しい羽根を広げていた。
方や無関心を装いながらも明らかにこちらに意識を向ける者、方や興味津々でソワソワと辺りを窺う者……反応こそ様々だが、皆一様に同じことを考えているのが手に取るようにわかる。
──この夜会で「何か」が起きる──
不安や心配をいだいている人が居ないわけではなさそうだけれど、大半の人はその「何か」を期待しているのよね。
「こんばんは、アメディア。わたくしと少しお話をしません?」
「ジャンヌ様。はい、是非」
好奇の視線を浴びる私に声をかけてくれたのは扇でさりげなくバルコニーを指すジャンヌ様とその隣に寄り添うエンデ侯爵様。
二人に付いてバルコニーに出た私が正式な挨拶をと口を開きかけたのを制し、エンデ侯爵が口を開いた。
「リシア嬢、畏まった挨拶はよい。君のことはジャンヌから聞いている。妹のような友人だと。ならば私にとっても可愛い義妹だな」
「!?じゃ、ジャンヌ様!?」
私のことをエンデ侯爵に話したという衝撃と、可愛いと言われる気恥ずかしさで顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
そんな私を見て2人は楽しそうに笑い合って……私は居たたまれなさに視線を泳がすことしかできなかった。
「アメディア、そのドレス良く似合ってます。その花は⋯⋯ルセウス様の印花、アスターね。そして、ルセウス様のコートにはコスモスがあしらわれていたわ」
「ほう、なるほど。だからジャンヌは心配要らないと言ったのだな」
「ええ、旦那様。貴方がアレクシオ殿下をお選びになったのは間違いではありませんのよ」
「しかしな、この会場にルセウスがディーテ王女をエスコートして来た時はエンデ侯爵家は終わったと肝が冷えたのだ」
私がこの場で嘲笑されていたのは婚約者のルセウスがディーテ様をエスコートしていたから。
人の目には私とルセウスの関係が悪くなり、ルセウスがディーテ様に鞍替えしたように見えている。
会場がルセウスとディーテ様の登場で騒然となっていたもの。
そう今夜、ここに居る人達が期待している「何か」は私がルセウスに婚約破棄をされるのだという事。
「人様の不幸を皆で楽しみにするなんて品がないわね」
「そう言うな。貴族にとって社交の場は戦場、そこで戦うのに必要なのは常に虚言と情報。人の不幸は最高の材料なのだから」
「確かに。アメディア、気を付けなさい」
「はい、ジャンヌ様」
「まあでも、虚言を信じるそんな輩は一部だ。歪な虚言はいつか暴かれる。アレクシオ殿下が仰っていた。だから私は殿下に付くと決めたのだ」
王宮に出入りするエンデ侯爵をはじめとした上級貴族は派閥を持っている。
大きな声では言えないけれど今のエワンリウム王家は国王派とアレクシオ王太子殿下派の二つに別れているのだとエンデ侯爵は言う。
ディーテ様を溺愛する国王は何を決めるでも何を指示するにも二言目には「ディーテが」と言って周りの話を一切聞かずにディーテ様を可愛がるだけ。
そしてディーテ様を崇める者が周りを固め、それが国王派となっているのだと。
ディーテ様の傀儡となり正常に政務が行えない国王の代わりに王太子であるアレクシオ殿下が代行し、彼を支えているのが王太子派なのだ。
「⋯⋯黒水晶が流行り出してから国王派は目に見えて減ったがな」
エンデ侯爵がクラバットを留めるラビットを撫でる。
ラビットが持つのは魔力を跳ね返す黒水晶。
「エンデ侯爵様はお気付きなのではありませんか? ディーテ王女の⋯⋯魔力に、そして黒水晶の効力に」
私が問いかけると、二人は驚いたような顔で私を見て、そして同時に苦笑した。
「当たってほしくはなかったがな。国王の様子、彼らに近い貴族の様子、そして黒水晶を手にした者たちの代わり様。気付かないわけがなかろう」
「旦那様が影響を受けていなくてわたくしは安心しましたわ。もし、旦那様がディーテ様の魔力にあてられていたら離縁するところでしたもの」
苦笑いのエンデ侯爵はコホンと咳払いして肩を窄めた。
「そうならなくて良かったよ。リシア嬢、君はルセウスを信じているのか? ここ最近奴はディーテ王女を慕っている素振りを見せていた。奴が魔力にあてられているとは疑わないのか?」
「はい。ルセウスには何か考えがあるのです。きっとアレクシオ殿下にとってもこの国にとっても重要な理由があり、そうしなければならなかったのでしょう」
ルセウスは私に言ったのだ。
──私に何があろうと信じてくれ。私はディアに全てを捧げている。信じていて。お願いだ──と。
ルセウスは真っ直ぐで不器用。いつも通りに過ごしながらでは目的を果たせないと私と距離を置いていた。
「それにですね、ルセウスは毎日手紙を届けてくれました」
「ん? ルセウスは常にディーテ王女に監視されていたようだが⋯⋯よくバレずにできたな」
「私達には秘密のルートがあるのです」
ルセウスはセオス様経由で毎日手紙をくれていた。返事を出せばまたすぐに手紙が届く。
それだけでも私はルセウスが何も変わっていないと信じていられるのだけれど、一度奪われ、再び待たされてもまた奪われた黒水晶。ルセウスは今黒水晶の加護を受けていない──と周りは見ている。そう見せている。
でも、ルセウスは黒水晶の加護を今でも受けているの。
私はそれを知っているから。
「ふむ、今夜は動きがあるとアレクシオ殿下が仰っていた。それがなんなのか見届けるとしよう」
「アメディア、わたくし共が付いています。しっかりお立ちなさい」
「ありがとうございます。ジャンヌ様とお知り合いになれて私は幸せ者です」
「知り合いではありませんよ。友人です」
ジャンヌ様は頼もしい友人。彼女は変わったのではなくもしかすると前回も背中を押してくれる存在だったのかも知れない。
私はあまりにも周りを見ていなかったのね。
前回とは何もかもが違う。違う様にして来た。もう同じ結末に辿り着かない。
話を終え、バルコニーから戻ると視線が一斉に向けられた。
思わず足を止めた私の背中をジャンヌ様が押す。
大丈夫よ、と語るその手の温かさに励まされながら進む私の耳に小さな囁きが聞こえてくる。
お気の毒に、身を引いていれば、ディーテ様には敵わない、ルセウスはディーテ様を選ばれた⋯⋯。
私の隣に居るジャンヌ様の耳にも届いたようで、口角が上がった口元を広げた扇で隠した。
私もそれに倣い同じく口元を隠す。
笑っているなんて悟られない様に。
「まあっアメディア様どこにいらしていたの? お兄様が大切な発表があると始めに宣言していたでしょう? アメディア様がいないと始められないのよ」
人々が私の前に道を開けたその先には可愛らしく拗ねながら「ねえ?」と小首を傾げルセウスを見上げるディーテ様。
その視線の先を向けば小さく頷くルセウスと目が合った。
ディーテ様は私に向き直り、もう一度首を傾げる。その仕草はまるで妖精の様だけれど、私には悪魔の微笑みにしか見えなかった。
「きっと素敵な事が発表されるのよ⋯⋯例えば⋯⋯意にそぐわない婚約が破棄される、とかね。ふふっ」
そう言って、ディーテ様はクスクスと可愛らしい笑みを溢した後ルセウスの腕に絡み付いた。
婚約破棄のどこが素敵な事なのかしら。
私はルセウスを一度見つめ、それからそっと頷き返した。
──信じて──
──信じてる──
私とルセウスにはその一瞬で十分。お互いの気持ちを通じ合える。
「これより! アレクシオ王太子殿下より発表がございます!」
この声はアイオリア様。よく通る声に音楽とダンス、談笑の賑わいが引き、アレクシオ殿下とラガダン王国のイドラン殿下が並ぶ壇上に視線が集まった。
同時に騎士団が会場の出入り口に立ちそれに気付いた人達が訝しげに眉を寄せた。
「今宵、ここに集まっているのは我が国の中枢を担う者たちだ。僕は今この場で宣言する。我が父現国王は隠居される事となり、僕⋯⋯私が王座に就く運びとなった」
ざわめきと、どよめき。
信じられないと悲鳴を上げ青ざめる者、胸を張り歓声を上げる者。
慌ててこの場から去ろうとした者は扉を守る騎士に阻まれ膝を付いた。
「なんですって! どう言う事ですかお兄様!」
中でもディーテ様の叫びは一際大きかった。
悲鳴混じりにアレクシオ殿下に詰め寄り、その腕を掴む。その手は震えている。
「父上はもう国王ではない。二度と西の離宮から出る事はないんだ。もうお前を甘やかす者は居ない。僕はお前が父上に通していた我儘を見逃すわけにはいかない」
「嘘! お兄様だって私が可愛いでしょう?」
「お前の魔力はとても高い。そしてそれが人の心を操れるものだと僕は気付いていた。お前はルセウスとアメディアを苦しませただけではなくその力を使い、権力を使い人々を操った。人の心を蔑ろにした。甘やかされたとしても気付く機会はいくらでもあった。それをしなかったのはお前の罪だ。同じ血が流れているなんて忌まわしいよ」
ディーテ様の手を払い除けたアレクシオ殿下は冷たく厳しい表情で静かに答えた。
「嘘! 嘘! 嘘! だってお父様は私にルセウスをくれると言ったのよ? 今日はルセウスが私のものになる日なのよ? ルセウスは私が好きなのよ! ルセウス、早く宣言して! アメディアと婚約破棄するって!」
取り乱したディーテ様がルセウスの腕を掴んで揺する。
ふっと笑顔を見せたルセウスはディーテ様の手をゆっくりと外すとディーテ様の表情が歪み、その場に崩れ落ちた。
「騙して⋯⋯いたのね!」
「人聞きの悪い。私は一度も貴方のものになった覚えなどありません」
ルセウスの言葉にディーテ様は立ち上がり、ルセウスに掴みかかろうと手を伸ばした。
「取り上げたのに! 忌々しい黒水晶! そう、そうだわ⋯⋯これは叛逆、王族への不敬⋯⋯だって私を好きにならないなんて。私は妖精姫よ。妖精に愛されているのよ」
ディーテ様から溢れる魔力が会場の空気を重く息苦しくさせてゆく。
私はせめて黒水晶を身に付けている人だけでも守れるよう、強く祈った。
「お兄様を捕えなさい!」
ディーテ様の声に彼女の信者⋯⋯護衛が剣を抜きそれを迎え討つ騎士達が対峙する。
混乱した会場は逃げ場がなく貴族達は悲鳴を上げて逃げ惑うだけだった。
「ディア!」
「ルース!」
そんな中、私の元に駆け寄ったルセウスは私を引き寄せて守る様に抱き留めてくれた。
私は黒水晶を身に付けている人達が無事なのを確認して安堵の息を吐くとすぐに顔を上げ、壇上で剣を交える騎士やディーテ様の信者たちを見守った。
「私は悪くない! 私は愛されて当然でしょう! 妖精姫なのよ! 私を好きにならない奴らなんてどうでも良いじゃない! 私は悪くない! 私は悪くない!! ⋯⋯アメディア! あんたがさっさと消えないからよ! ああ、もう要らない。ルセウスも要らないわ!」
瞬間息苦しさが増した。
「なんてこと⋯⋯」
私の目に映ったのは赤黒い光に包まれたディーテ様の姿。
ディーテ様の暴走した魔力は大きな黒い翼のように広がり、天使の羽と言うにはあまりにも毒々しく禍々しい羽根を広げていた。