第198話 がいらむ
『ギルの体に入り込む際に今の邪魔具は持っては行けない。まぁギル自身も邪魔具は持っているから、新しい体の邪魔具をそのまま使わせてもらおう』
1cm平方ほどの小さなチップ状の物体、身に付けた者に全ての魔法の影響を遮断する謎のアイテム、それが『邪魔具』だ。
何だかんだ言っても魔法による攻撃は厄介だ。それを熟知している油小路は、新たに得た体の邪魔具の動作確認をして悦に入っていた。
これで油小路の成分が魔王ギルの体の隅々にまで行き渡る時間を稼げれば万事OKである。大豪院の体に大穴を開けてトドメを差した今、倒すべき敵は勇者ユリ、そして睦美、久子、アンドレのアンコクミナゴロシ王国の残党3名だ。
今の油ギル(仮称)の状態では睦美ら3名の相手はともかく、『勇者』であるユリの相手は少々荷が重い。だがまだ彼には使える手駒があった。
「蘭さん、これが最後の指令です。私の体が馴染むまでユリの勇者を足止めしなさい…」
油ギルに向けて聖剣を構えていたユリの隣に座っていた蘭であったが、その言葉を受けて気怠そうに立ち上がる。
「悪く思わないでね…」
それだけ呟くと蘭はユリに大振りの回し蹴りを食らわせた。
☆
「お兄さま! お兄さま、目を開けて下さいまし…」
うつ伏せに倒れているガイ豪院(仮称)に駆け寄る睦美と久子。アンドレは剣先を油ギルに固定したまま睦美達を背に守りの態勢を取った。
筋力強化された久子がガイ豪院の巨躯をいとも簡単にひっくり返す。そこに睦美が取り付いたという体である。
「つばめ! つばめはどこに居るの…? こんな時に何やってんのあの娘は?!」
ガイ豪院は油小路の攻撃によって左脇腹が穿孔され、その穴から内臓が少しはみ出している。睦美としてはようやく会えた兄が瀕死の重傷を負っている為に、『固定』の魔法で止血する事すら忘れて、いつもの冷静さをすっかり失い子供の様に狼狽していた。
「睦美さま… つばめちゃんが居てもこの傷じゃ…」
「そんなのっ、『痛み』だけ引き受ければ、数秒我慢すれば済む話でしょっ!」
睦美も状況が状況で平常心を失っている上に所詮他人事なので好きな事を言っているが、もし仮にこの場につばめがいてもすんなり「治しますね」とはならないだろう。
「ムッチーよ…」
ガイ豪院の目が微かに開いて睦美の名を呼ぶ。
「はいっ、ムッチーですお兄さまっ! お気を確かに! 必ず助けますからっ!」
睦美の顔は既に涙でグズグズである。彼女は血も涙も無い悪魔女と思われがちだが、それは不遇な環境から生成された後天的な性格であり、生来の彼女は平和な国の純真なプリンセスなのだ。
「私のこの体は借り物だ… 持ち主の、大豪院君に、返さなくてはいけない… その為に私の力を全て、出し切って彼を治す… 私の意識は消えてしまうだろうが、いつでもお前の事を見守っているからね…」
ガイラムの別れの言葉が、睦美にはどうしても納得出来ない。理解したくない。その全てを否定する様に睦美は大きく頭を振った。
「嫌です! お兄さま、せっかく会えたのにもうお別れだなんてご無体過ぎますわ! お話ししたい事もたくさんあるんですのよ…?!」
睦美の涙の訴えにガイラムは静かに微笑んで頷き返した。
「大丈夫… 今のお前を見られただけで私は満足だし、何も言わなくても全てが伝わってくるよ… ヒザコ、アンドレ、お前達にも苦労かけたな… 大義であった…!」
「ガイラムさまぁ…」
「殿下…」
久子の顔も涙に塗れていたし、油ギルを警戒して睦美らに背を向けているアンドレも滂沱の涙を流していた。
「私は幸せ者だよムッチー… 可愛い妹と立派な家臣に囲まれて往生できるとは…」
「お兄さま…」
ガイラムは表情を引き締め、泣き腫らした睦美の顔を見つめる。
「ムッチー… 顔を上げろ、前を向け… 国と民を頼んだぞ… 今からお前が『女王』だ…」
そこでガイラムは最後の微笑みを浮かべ目を閉じる。直後に大豪院の体全体が仄かな光を帯びて、腹に空いた傷が徐々に塞がりだす。
「お兄さま… このムッチー・マジ・アンコクミナゴロシ、確かにお兄さまのご遺志、受け取りましたわ…」
睦美も唇を引き結び、涙を拭いて決意を新たにする。
「う……」
再び意識を取り戻し目を開けた大豪院には、ガイラムが持っていた優しい瞳の輝きは宿っていなかった。
☆
ユリと蘭の格闘戦第3ラウンドは静かに続いていた。
「ねぇ! マジで止めない?! 私らが戦っても誰も得しないどころか魔王、体乗っ取られてるじゃん?」
「『是非も無し』って言ったよね…?」
ユリの休戦の説得にも蘭はまるでとりつく島が無い。
「そんなにあの『液体オジサン』に借りがあるの? あんたの好きな『沖田くん』だって魔族に変えようとしてたんだよ…?」
ユリの訴えは蘭の心に深く刺さった。心当たりが無くも無いのだ。
「そんなっ、デタラメをっ…!」
「出鱈目じゃないよ! 前に私の目の前で転移した時、彼の目の色が青かったよ? 勝手に目の色が変わる訳無いじゃん!」
蘭とて厭な予感は大きく感じていた。何より悪意を凝り固めた様な存在の油小路が、もはや用済みとなった沖田に温情をかける理由も無いのだ。それは蘭にも重々理解できている。
「…それでもっ、それでも私が彼と結ばれる為にはこれしか無いのよっ!!」
そして蘭の叫びを決起とした様に、空に多数の稲妻が乱舞し地面は大きく揺れ始めた。
魔王ギルの死亡に伴う世界の崩壊の始まりに紛れて、蘭の悲痛な声は無惨にも掻き消されてしまった……。
1cm平方ほどの小さなチップ状の物体、身に付けた者に全ての魔法の影響を遮断する謎のアイテム、それが『邪魔具』だ。
何だかんだ言っても魔法による攻撃は厄介だ。それを熟知している油小路は、新たに得た体の邪魔具の動作確認をして悦に入っていた。
これで油小路の成分が魔王ギルの体の隅々にまで行き渡る時間を稼げれば万事OKである。大豪院の体に大穴を開けてトドメを差した今、倒すべき敵は勇者ユリ、そして睦美、久子、アンドレのアンコクミナゴロシ王国の残党3名だ。
今の油ギル(仮称)の状態では睦美ら3名の相手はともかく、『勇者』であるユリの相手は少々荷が重い。だがまだ彼には使える手駒があった。
「蘭さん、これが最後の指令です。私の体が馴染むまでユリの勇者を足止めしなさい…」
油ギルに向けて聖剣を構えていたユリの隣に座っていた蘭であったが、その言葉を受けて気怠そうに立ち上がる。
「悪く思わないでね…」
それだけ呟くと蘭はユリに大振りの回し蹴りを食らわせた。
☆
「お兄さま! お兄さま、目を開けて下さいまし…」
うつ伏せに倒れているガイ豪院(仮称)に駆け寄る睦美と久子。アンドレは剣先を油ギルに固定したまま睦美達を背に守りの態勢を取った。
筋力強化された久子がガイ豪院の巨躯をいとも簡単にひっくり返す。そこに睦美が取り付いたという体である。
「つばめ! つばめはどこに居るの…? こんな時に何やってんのあの娘は?!」
ガイ豪院は油小路の攻撃によって左脇腹が穿孔され、その穴から内臓が少しはみ出している。睦美としてはようやく会えた兄が瀕死の重傷を負っている為に、『固定』の魔法で止血する事すら忘れて、いつもの冷静さをすっかり失い子供の様に狼狽していた。
「睦美さま… つばめちゃんが居てもこの傷じゃ…」
「そんなのっ、『痛み』だけ引き受ければ、数秒我慢すれば済む話でしょっ!」
睦美も状況が状況で平常心を失っている上に所詮他人事なので好きな事を言っているが、もし仮にこの場につばめがいてもすんなり「治しますね」とはならないだろう。
「ムッチーよ…」
ガイ豪院の目が微かに開いて睦美の名を呼ぶ。
「はいっ、ムッチーですお兄さまっ! お気を確かに! 必ず助けますからっ!」
睦美の顔は既に涙でグズグズである。彼女は血も涙も無い悪魔女と思われがちだが、それは不遇な環境から生成された後天的な性格であり、生来の彼女は平和な国の純真なプリンセスなのだ。
「私のこの体は借り物だ… 持ち主の、大豪院君に、返さなくてはいけない… その為に私の力を全て、出し切って彼を治す… 私の意識は消えてしまうだろうが、いつでもお前の事を見守っているからね…」
ガイラムの別れの言葉が、睦美にはどうしても納得出来ない。理解したくない。その全てを否定する様に睦美は大きく頭を振った。
「嫌です! お兄さま、せっかく会えたのにもうお別れだなんてご無体過ぎますわ! お話ししたい事もたくさんあるんですのよ…?!」
睦美の涙の訴えにガイラムは静かに微笑んで頷き返した。
「大丈夫… 今のお前を見られただけで私は満足だし、何も言わなくても全てが伝わってくるよ… ヒザコ、アンドレ、お前達にも苦労かけたな… 大義であった…!」
「ガイラムさまぁ…」
「殿下…」
久子の顔も涙に塗れていたし、油ギルを警戒して睦美らに背を向けているアンドレも滂沱の涙を流していた。
「私は幸せ者だよムッチー… 可愛い妹と立派な家臣に囲まれて往生できるとは…」
「お兄さま…」
ガイラムは表情を引き締め、泣き腫らした睦美の顔を見つめる。
「ムッチー… 顔を上げろ、前を向け… 国と民を頼んだぞ… 今からお前が『女王』だ…」
そこでガイラムは最後の微笑みを浮かべ目を閉じる。直後に大豪院の体全体が仄かな光を帯びて、腹に空いた傷が徐々に塞がりだす。
「お兄さま… このムッチー・マジ・アンコクミナゴロシ、確かにお兄さまのご遺志、受け取りましたわ…」
睦美も唇を引き結び、涙を拭いて決意を新たにする。
「う……」
再び意識を取り戻し目を開けた大豪院には、ガイラムが持っていた優しい瞳の輝きは宿っていなかった。
☆
ユリと蘭の格闘戦第3ラウンドは静かに続いていた。
「ねぇ! マジで止めない?! 私らが戦っても誰も得しないどころか魔王、体乗っ取られてるじゃん?」
「『是非も無し』って言ったよね…?」
ユリの休戦の説得にも蘭はまるでとりつく島が無い。
「そんなにあの『液体オジサン』に借りがあるの? あんたの好きな『沖田くん』だって魔族に変えようとしてたんだよ…?」
ユリの訴えは蘭の心に深く刺さった。心当たりが無くも無いのだ。
「そんなっ、デタラメをっ…!」
「出鱈目じゃないよ! 前に私の目の前で転移した時、彼の目の色が青かったよ? 勝手に目の色が変わる訳無いじゃん!」
蘭とて厭な予感は大きく感じていた。何より悪意を凝り固めた様な存在の油小路が、もはや用済みとなった沖田に温情をかける理由も無いのだ。それは蘭にも重々理解できている。
「…それでもっ、それでも私が彼と結ばれる為にはこれしか無いのよっ!!」
そして蘭の叫びを決起とした様に、空に多数の稲妻が乱舞し地面は大きく揺れ始めた。
魔王ギルの死亡に伴う世界の崩壊の始まりに紛れて、蘭の悲痛な声は無惨にも掻き消されてしまった……。