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作者: 山のタル
残酷な描写あり
175.焦燥の教皇
 気が付くとワシは、肩で息をしていた。
 心臓の鼓動は早く、額からは油汗が流れ落ちている。
 自分が何をしたのか、それを理解するのに数秒の時間を要した。
 
「…………」
 
 ワシは淵緑の魔女を拘束していた水魔術を解除した。
 重たい肉が地面に衝突する不快な音を立てて、首の無い死体が地面に横たわる。
 
 ……どうやらワシは、感情的になって攻撃してしまったようじゃ。
 淵緑の魔女の言葉に感情を動かされてしまい、咄嗟に『聖光槍セイクリッドランス』を放ってしまった。
 奴にはまだ聞きたいことがあった。しかし、これ以上聞きたくないとも思ってしまった。
 それをハッキリ自覚すると、また怒りが沸いてくる。
 
「くそっ! ワシがこんな奴の戯れ言に惑わされるとは!」
 
 戯れ言? 本当にそうじゃろうか?
 口から吐き出した言葉に、心の声が疑問を投げ掛けてくる。
 
 確かに奴の言った通り、ワシはブロキュオン帝国に別動隊を向かわせていた。その目的は奇襲と撹乱じゃ。
 ワシ等がここで敵の注意を引き、その間にサジェス率いる別動隊はブロキュオン帝国に侵入して暴れ回る。そして奇襲の情報がここに伝わり敵が混乱したところで一気に全面攻撃を仕掛けて撃破する。
 その勢いのまま貿易都市を制圧し、ムーア王国王都で足止めしているセリオに援軍を送り、プアボム公国を制圧させる。
 そして同時にサジェスと合流したワシはブロキュオン帝国を本格的に制圧しに行く。
 
 ……というのが、ワシの考えた作戦じゃ。
 ワシの祝福を与えて強化した兵力なら、この作戦は問題なく遂行できるはずじゃった。
 
 ……しかし予定の日時きのうになっても、目の前の敵が混乱する様子はなかった。だからこうしてワシが前に出て、直接探りを入れる事にしたのじゃ。……結果から言えば、敵に混乱した様子はなかった。
 勿論、日時計算はあくまでも予定でしかない。サジェスの作戦進行が遅れることも十分に考慮していた。
 だから淵緑の魔女が言ったことは、ただのハッタリでしかない。
 
 ……しかし、だったら淵緑の魔女は、何故別動隊の存在を知っていた?
 別動隊は秘密裏にブロキュオン帝国へ向かわせた。簡単に気付かれるはずがない。
 ……色々な憶測は考えつくが、そのどれもが最終的にひとつの結論に辿り着く。
 
 淵緑の魔女は何かしらの方法で別動隊の情報を得た。しかしそれを驚異とは感じていない。
 
 ……信じられない……いや、信じたくない結論じゃ。
 しかしそう仮定してしまえば、今の敵の現状に説明がついてしまう。
 それを無意識のうちに理解してしまったからこそ、ワシは咄嗟に淵緑の魔女を攻撃してしまった。
 
「………………だから、どうしたと言うのじゃ」
 
 そう、それがどうしたというのか。
 例え全てが淵緑の魔女の言った通りだったとして、それが一体どうしたという? 一体どうしたといえる?
 本当に作戦が失敗していたとして、一体それがどうした? その結果どうなるといえる?
 
 答えはこうじゃ。結果は何も変わらない。
 
 作戦が失敗したことは確かに痛手じゃ。戦力が減って、この戦争の進行に大きな影響が出るのは避けられない。
 しかしそれは、負けを意味することではない。
 敵の最大戦力であったであろう淵緑の魔女は死んだ。あの厄介な技を持つ皇帝もワシの敵ではないことは確認した。
 いくら兵を揃えようと、もはやワシを脅かす者はいない。ワシがいる限り、どんな形であれサピエル法国の勝利は揺ぎ無い。
 
 挟み撃ちにするというなら、その全てを蹴散らす。
 それでも歯向かってくるなら、そのことごとくを粉砕する。
 きびすを返して逃げるなら、地の果てまで追いかけて仕留める。
 引き籠もって籠城するなら、壁ごと完膚なきまで破壊する。
 そうしてワシのこの手で、この大陸にいる敵を全て葬ってやるまでじゃ!
 
 淵緑の魔女には感謝しなければならない。追い詰められたことで、逆にワシの決意は固まった。
 ……いや、ある意味で色々なものが吹っ切れたとでも言うべきじゃろう。
 兎に角、これからやることは決まった。
 淵緑の魔女の言う通り挟み撃ちにされてしまうなら、急いで行動して準備しなくてはならない。
 
 まずは、淵緑の魔女との戦いで消費した魔力の回復じゃ。
 やつとの戦いではかなりの魔力を消費してしまった。次の敵との戦いが始まるまでに回復しておきたい。
 まあ幸いにも、すぐ目の前に淵緑の魔女の死体優秀な魔力源がある。
 生き物が死ぬと魔力はゆっくりと魔素に変換し、世界に還元されていく。
 つまり、死んだばかりの死体からなら、死ぬ直前と大差ない魔力を吸収することができるというわけじゃ。
 そしてこいつは魔力を大量に残したまま殺せた。その全てを吸収すれば、魔力が全回復するのは間違いない。
 そうしたら後ろに待機させているラーシュと合流して、歯向かってくる全ての敵を倒していくのみじゃ!
 
 ワシは魔力を回復するために、淵緑の魔女の首から上だけがきれいに無くなった死体に近付く。
 まるで始めからこの肉体には首から上が無かったかのように、その断面は滑らかだった。
 極限まで研ぎ澄ました刃物でもこうはきれいにならない。圧倒的威力を持つ『聖光槍セイクリッドランス』で、一瞬もしないうちに跡形もなく消し飛ばしたからこそできる痕跡だった。
 自分の誇る最強の技の威力に惚れ惚れしながら、ワシは死体に手を伸ばした。
 そして死体に手が触れようとした瞬間……ワシは、違和感に気付いて手を止めた。
 
「これは、どういうことじゃ……!?」
 
 目の前に転がっているこれは、何の変哲もない普通の死体のはずじゃ。しかしこうして近くに来て分かった。これは明らかにおかしい!
 こいつは首を吹き飛ばされて死んだ。それなのにこいつの首からは、血が一滴も流れ落ちていないのだ……!
 血の通っていない生き物など存在しない。誰でも傷を負えば血が出るし、切断されれば噴水のように血が噴き出す。それは当たり前の事じゃ。
 しかしこいつは……まるで血なんて最初から無かったかのようじゃ。
 
 そしてもう一つ、この死体にはおかしな所がある。
 それは、魔力が微塵も残っていないことじゃ。
 生き物は死ぬと徐々に魔力を失っていくが、それにしてもこれはあまりにも早すぎる。
 
「まさか、死んだと同時に全ての魔力を失ったというのか……?」
 
 常識外れなことを呟いたが、それ以外の可能性が思い付かない。
 こいつは……一体だったのだ?
 人だったのか? いや、そもそも生物としての枠組みの中にいるのかも怪しいのではないか?
 
「ワシは、何と戦っていたのじゃ……?」
 
 こいつが何者だったのかは分からない……。しかし一つだけハッキリしているのは、魔力が残ってない以上、こいつから魔力を吸収できないということだ。
 そうなれば、別の方法で魔力を回復しなくてはならない。
 
 後ろにいる信徒達に祈りを捧げさせて回復する方法が手っ取り早いが、これから挟み撃ちにされるかもしれない状況で味方の力を削いでしまう行為は不味い。
 ワシ一人でも戦争には勝てるが、味方をこれ以上むやみに減らすのはもっと不味い。
 となれば、残された方法はただ一つ。眼前のブロキュオン帝国軍から奪うしかない。
 だが、今の消耗した状態で一人で突っ込むのは、万が一の可能性も考えて控えた方がいいじゃろう。
 ここは一旦陣地に戻って態勢を整え、全軍で突撃するのが無難じゃ。
 
 そう決断したワシは、すぐに踵を返すと陣地に向かって走った。
 今は時間が惜しい。一刻も早く魔力を回復させるのを優先しなくてはならない!
 幸いにもブロキュオン帝国軍にすぐ動く気配はない。おそらく皇帝の負傷で混乱して、兵を動かすどころではないのじゃろう。このチャンスを逃す手はない。
 ワシは走る速度を上げ、陣地に向かって一目散に走る。
 
 ゾワッ――。
 
 その時、背後から血の気が引くような、とてつもない気配を感じた。ワシは思わず足を止めて振り返る。
 そしてワシが目にしたのは、淵緑の魔女の死体を中心に広がるドーム状の魔法陣だった。
 いくつもの魔法陣が連結して重なって、複雑怪奇な術式を構成している。……こんな魔法陣は今まで見たことがない。
 更に魔法陣の中心に渦巻く魔力は今まで見たこともない程に途方もない量で、これから何が起きようとしているのか皆目検討もつかない。
 
 予想もつかない異常な事態に、ワシは混乱して立ち尽くしてしまう。
 そして、ワシの疑問に答えが出されるよりも早く、事態はどんどんと進んでいく。
 
 ドーム状だった魔法陣は球状に形を変え、ゆっくりと浮き上がる。そして地面から少し離れた場所で静止した。
 すると魔法陣の中で渦巻いていた魔力が流れを変え、徐々に一箇所に集っていく。
 あまりにも膨大な量の魔力が一箇所に集まったせいで、魔力が強い光を放って輝き始めた。
 その光は魔力が集まっていくのに合わせて輝きを増していく。そしてついには太陽ほどの光量に達し、直視出来ずに目を塞いでしまう。
 その直後、全ての魔力が一つになった瞬間……爆発が起きた。
 
 爆発という言い方は正確ではないかもしれないが、それに近いくらいの破裂音と衝撃波が襲い掛かってきた。
 目を塞いでいて対処が遅れたワシは、突然襲い掛かってきた衝撃波に吹き飛ばされてしまう。
 あまりにも突然だったので少し驚いたが、すぐにワシは空中で体勢を立て直して着地する。
 その頃には衝撃波も強い光も収まっていて、ワシは何が起きたのかを確認するために目を向けた。
 
 ……そこでワシが目にしたのは、先程まで魔法陣があった場所に立っている、一人の“少女”の姿だった。
 海のように深い青色の長い髪をなびかせている少女は、どういうわけか一糸纏わぬ姿をしている。
 少女はゆっくりと辺りを見回すように顔を動かす。そして足元に転がる死体を見つけると、手際よく白衣を奪い取って身に纏った。当然、淵緑の魔女と少女は身長に差があるので白衣はぶかぶかだった。
 
 あの少女が何者なのかとか、なぜ突然現れたのかとか、色々と疑問は尽きない。
 ……だがそんなことは些細な問題だった。そんなことよりも一番問題にしなくてはならないところがあの少女にはあった。
 それは、少女の持っている魔力の量だ。
 少女の持っている魔力量は、先程の出現した魔法陣の中にあった魔力の総量を遥かに超えていた。そしてそれは有り得ないことに、神人であるワシの魔力量をも軽く凌駕していた。
 つまりそれは、この目の前に立つ少女が、人の最高到達点であるはずの“神人を超える存在”だという事を意味している……。
 
「馬鹿な……有り得ぬッ! 神人は人の最高到達点じゃ。それより先の進化など存在しない! お前は一体、何者なのじゃッ!?」
 
 ワシの言葉に反応して、少女はワシの顔を見る。そしてくすりと笑ってこう言った。
 
「まるで化け物でも見ているような顔ね。ついさっき殺した相手のことをもう忘れたのかしら?」
 
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