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作者: 山のタル
残酷な描写あり
103.計画の遅延
 サピエル法国には国を象徴する建物がある。サピエル法国の国教であるサピエル教の総本山である神都の中で一番広く、高く、そして大きいその巨大な建物は人々から『サピエル大聖堂』と呼ばれている。
 大聖堂はサピエル法国の中核をなす建物で、国の重要な中枢となる施設は大聖堂内に全て収まっている。そしてそれに連なる重要人物やサピエル教に関わる神官や信徒も大聖堂内で生活しているので、それらの部屋も大量にある。
 
 そんな大聖堂の数ある重要施設の一つに、サピエル教の様々な神事を執り行う祭壇が設置された『神堂しんどう』と呼ばれる場所がある。その神堂の美しい大理石で敷き詰められた床を、心地の良い音を響かせながらサジェスは歩いていた。
 サジェスが向かう視線の先には神堂の奥に設置された祭壇があり、その祭壇の手前には三人の人影が並んでいた。祭壇の前で横一列に並ぶ三人の元まで辿り着いたサジェスは、三人に合わせるようにその列へと加わった。
 
「遅いぞサジェス」
 
 三人の内一人だけ頭一つ分背が高い大柄の男が、一番最後に来たサジェスを咎めるようにそう言った。
 サジェスは内心で「面倒だな……」と思ったが、決してそれを表に出さないように気を付けつつ答える。
 
「少し、用事が長引きましてね」
 
 サジェスの言っていることは嘘ではない。事実、先程まで用事をしていた証拠と言わんばかりに、サジェスの頬には拭き取り損ねた血の跡が残っていた。
 大柄の男もサジェスの顔を見てその事を察していたが、口を止めるつもりはないようで更に言葉を続けた。
 
「サジェス、私が聞きたいのは遅れた言い訳などではない。遅れたことに対する謝罪だ。
 お前は教皇親衛隊の座に就いて日が浅いからまだ自覚が足りないと思うが、私達にとって教皇様の命は何に対しても優先される事柄である。お前は用事を素早く終わらせる努力を怠ったのではないか?」
 
 大柄の男の言葉にサジェスも流石に憤りを感じ、明らかに不快な顔をした。
 
「その言われ方は不快ですね……。セリオさん、私はこれでもかなり急いで用事を済ませて来たのですよ?」
 
 大柄の男、セリオの言い方は、教皇に対するサジェスの忠誠心が劣っていると言っているのと同義であった。だがサジェスの忠誠心は、この場にいる誰よりも劣っていない。それどころかサジェスは、自分が一番だという自負すらあった。
 その証拠に、性格の捻くれたサジェスが素直になるのは唯一、教皇の前だけであった。
 
「それに教皇様はまだ到着されていません。私が遅れて来たとは思えませんが?」
 
 教皇親衛隊の四人に招集を掛けた教皇がこの場に現れていない以上、サジェスの主張ももっともであった。しかしセリオも負けじと言い返す。
 
「確かに教皇様はまだ到着されていない。……が、お前は息一つ切らせていないではないか。仕事で遅れるかもしれないと分かっていたのなら、走ってくるのが当然だろう! 何故走って来なかった?」
「おやおや、セリオさんはどうも記憶をとどめる栓が緩いようですね。私の能力をお忘れでないなら、その理由くらい簡単に察しは付くでしょうに」
「なんだと!?」
 
 サジェスの能力は『魔力操作』。魔力の流れを読み取り、その流れを意のままに操作する力だ。
 そしてサジェスはその能力の特性を生かしたある特技を持っている。それは、自分の周囲一定範囲の『索敵』である。範囲は魔力操作が届く最大距離の約100メートル程しかないが、その精度は信頼に値するほど正確である。
 そして先程までサジェスが仕事をしていた場所は、丁度この神堂の地下なのである。つまりサジェスは仕事場にいた時点からずっと、教皇がまだ神堂に到着していないのを知っていた。なので歩いても十分間に合うと判断し、急ぐ必要を感じていなかっただけなのだ。
 サジェスは自分の能力のことを知っているはずのセリオに、今更わざわざ丁寧に教えてやる義理も必要もないと思い、察しの悪いセリオに舐めた視線を送るだけであった。
 
 そんなサジェスの捻くれた挑発的な態度に、セリオはプルプルと震えて怒りを滲ませてサジェスを睨む。それに合わせてサジェスもセリオを睨み返した。
 一瞬で二人の間には険悪な雰囲気が流れ、激しい火花がぶつかり飛び散る光景が目に浮かぶ。サジェスとセリオのたがは、いつ外れてもおかしくないくらい危険な状態であった。
 
「はいはい! 二人ともそこまでよ!」
 
 その時、艶麗えんれいな熟女が危険地帯であるサジェスとセリオの間にワザと入り込み、二人の仲裁にのりだした。
 
「これから教皇様がお見えになるのですから、みっともない喧嘩は後で裏にでも行ってからしてくださいな!」
「「チッ……!」」
 
 二人を強気な態度で仲裁する女性の名前は“ラーシュ”。教皇の右腕として補佐官を務める女性で、階位もそれに相応しい『大司教』である。同じ教皇親衛隊でも、『司教』のセリオや『神官』のサジェスよりも明確に格上の人物だ。
 そんなラーシュに教皇の名を出され止めろと言われれば、流石のセリオとサジェスも従う他になかった。
 
「それとサジェス、教皇様に会うのならば身だしなみはキチンとしなくてわいけないわ! 頬の汚れは拭き取っておきなさい」
 
 ラーシュに指摘されて初めて気づいたようで、サジェスは自分の頬を撫でて血の付いた手を見るや否や慌ててハンカチで拭き取った。
 
 ガチャ――
 
 そして丁度そのタイミングで、四人の耳に扉を開ける音が届いた。音は四人の斜め前方の神堂奥にある扉から聞こえて来て、四人は音を辿るようにその扉に視線を向ける。
 そこには穢れのない純白の衣と神々しいオーラを纏った、サピエル法国第7代教皇・サピエル7世の姿があった。
 四人は咄嗟に列を整えると、片膝を床につけて深く頭を下げた。先程までの険悪な雰囲気は既に跡形もなく消え去り、四人全員の意識は全てサピエル7世に向けられていた。
 サピエル7世はゆっくりと歩いて親衛隊の四人の前に立ち、口を開いた。
 
「ラーシュ、セリオ、リチェ、サジェス、よく集まった。面を上げよ」
 
 人を魅了する声色のサピエル7世の声に従って顔を上げる四人。その瞳には狂信的な熱と色が宿っており、真っ直ぐにサピエル7世を見つめて次の言葉を待っていた。
 
「お前達を呼んだのは他でもない。先程、貿易都市から戻ったパンドラからの報告を伝えるためである」
「あの面倒くさい女か……」
「そういえば、八柱オクタラムナ会議とかで貿易都市に行ってましたね……」
 
 サピエル7世からパンドラの名前が出た瞬間、セリオとサジェスが拒絶反応でも起こしたかのように明らかに顔をしかめた。
 
「……お前達がパンドラを嫌っておるのは知っているが、本人の前でそうあからさまな態度をするでないぞ。あれでも一応、この国を想って行動しておるのだからな」
「「……努力いたします」」
 
 その返事には、言葉とは裏腹に気持ちが一切篭っていなかった。
 しかしそれも仕方ない。元々セリオとサジェスはパンドラと相性が良くないのだ。その様はまるで水と油の関係で、まさに犬猿の仲である。
 サピエル7世もその事は把握しており、改善するのが不可能に近いことも理解していたので、それ以上何かを言うことはしなかった。
 
「話を戻すが、そのパンドラからの報告によると、どうも帝国がワシらの動きに感付き始めたらしいのだ」
 
 サピエル7世の言っていることの意味を理解した教皇親衛隊の四人に動揺が走った。サピエル7世は四人が何か言う前に手で制止させて話を続けた。
 
「安心せよ、パンドラの話によると帝国は『失踪者が増えている』という事しか分かっておらん。つまり、まだ犯人どころか原因すらも掴めていないのが現状だ。どうこうなることはないだろう」
 
 サピエル7世はそう言って、事態が然程深刻でないことを告げて動揺した四人を落ち着かせる。
 四人はサピエル7世の言葉に表面上は落ち着きを取り戻した。しかし、サピエル7世が強調して言った「すぐに」の意味を内面上で理解しており、この事態の危険性に気付いていた。
 
「なるほど。確かにすぐにどうなるというものではありませんが、今のままでは危険という事ですね?」
「その通りだ。現状を維持して計画を進めれば、いずれ帝国はワシらの尻尾を掴むことになるであろうな。それも高い確率で、計画が完了する前にだ」
 
 四人はサピエル7世の言葉に黙って頷いた。
 
「現在計画は予定よりも遅れている。サジェスを責めるわけではないが、以前のワイバーン討伐失敗が計画に遅れを生じさせてしまった。それを取り戻す為の今回の計画強行であったが、帝国の状況把握能力と行動力を甘く見すぎたようだ……」
「……教皇様は、今後どのように動くお考えですか?」
 
 サピエル7世は予め考えを纏めていたようで、セリオのこの質問に即答で返した。
 
「計画を再び修正をしなくてはならないであろうな。
 帝国の監視がこれから強くなるのは明白だが、監視強化は八柱協議で帝国だけでなくムーア王国とプアボム公国も行うことになっている。特にプアボム公国は帝国との関わりが強いから、監視強化に力を入れるのはまず確実であろうな」
「とすれば、下手に動くことが出来ませんね」
 
 それまで無言で存在感の薄かったリチェが、サピエル7世の考えを代弁するように言葉を発した。
 
「その通りだリチェ。ムーア王国は何とかなるだろうが、帝国と公国はそうもいかん。もし万が一にもワシらの動きがバレれば計画の障害になるのは確実だ。
 ……よいか、計画が遅れることはこの際構わない。最も気を付けなければならないのは計画が邪魔されること、そして計画が失敗することだ」
 
 サピエル7世はブロキュオン帝国やプアボム公国の動きを警戒してはいるものの、それ自体はしっかりと対処すれば問題ないと考えていた。個人レベルのいざこざならまだしも、国同士ともなれば十分な証拠が無い限り『4ヵ国協力平和条約』に基づいて強行的な手を出すことはできないからだ。
 それよりもサピエル7世が最も懸念していたのは、推し進めている計画が失敗してしまうことであった。
 
「具体的な修正案は計画を実行しているお前達に任せる。くれぐれも、帝国と公国に気付かれないよう慎重に行動するのだぞ?」
「「「「ハッ! 教皇様の御心のままにッ!!」」」」
「それとパンドラからの報告は他にもあるのだが、詳しいことはラーシェに伝えておるから、後で聞いて計画修正案の材料とせよ! 頼んだぞ、ラーシェ」
「はい、お任せを!」
 
 ラーシェの力の入った返事を聞き、サピエル7世は満足そうに頷く。
 そして跪いて頭を下げる四人を目にし、サピエル7世はふと何かを思い付いたように急に話題を変え始めた。
 
「それはそうと教皇親衛隊の全員が久しくこうして集まったのだ。お前達から何かこの場で報告しておく事はあるか?」
 
 教皇親衛隊はサピエル7世直属の精鋭部隊であり、サピエル法国内では宰相のパンドラ差し置いてサピエル7世の次に高い地位を与えられている。
 その教皇親衛隊の基本的な行動理念は、サピエル7世の手足となって動くことである。現在サピエル7世が推し進めている計画のために、サピエル7世の右腕であるラーシェを除いたセリオ、リチェ、サジェスの三人は、サピエル7世の元を離れて行動していることが多い。
 なので、こうして教皇親衛隊の四人全員が集まることは実はかなり久しぶりの事であり、サピエル7世はこの機会に情報の共有をしておこうと考えたのであった。
 
「教皇様、是非お耳に入れたい情報があります」
 
 真っ先に手を挙げたのはサジェスだった。
 
「申してみよ」
「はい、実は先程“転生の儀”を行った者から面白い話を聞くことができました」
「ほう、それはどんな話なのだ?」
 
 サジェスの趣味嗜好はかなり独創的なもので、サジェスの口から面白いという言葉が出ることは滅多に無い。そのサジェスが面白いと感じた話に、サピエル7世は興味を抱いた。
 
「以前、ヘルムクートがストール鉱山で行った実験で魔獣討伐の指揮を取っていた妙な白い衣を纏った女についてです。
 その女はプアボム公国マイン領の一部地域で“淵緑の魔女”という名で呼ばれ畏れらていれる、伝承上の人物らしいのです」
 
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