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作者: 山のタル
残酷な描写あり
101.ムーア王国3
 街道を走る一つの馬車があった。見た目の豪華さと貴族家の家紋が印されていることから、貴族が乗る馬車だと誰の目にも一目で分かる。
 馬車は比較的スピードを出さずにゆっくり走っていた。しかしいくらゆっくり走っているとはいえ、傷んだ街道の上では豪華な馬車に標準装備されている衝撃吸収装置も役に立たず、段差を乗り越えるたびにその衝撃は中に乗る人物の腰と尻にボディブローのように襲い掛かっていた。
 そしたまた、馬車が段差で大きく揺れた。
 
「おおっと!? この街道は相変わらずよく揺れるな……」
「そう言うなウルマン。これでも、交通量の多い王都と貿易都市とを結ぶ街道よりかなりマシだ」
 
 未だ馬車の揺れに慣れず、揺れの酷さに辟易へきえきし始めたウルマン伯爵を、クランツ公爵が慰めていた。
 
 二人が向かい合って乗っている馬車はクランツ公爵の私物である。何故その馬車にクランツ公爵より爵位の低いウルマン伯爵が乗り合わせているかというと、二人の関係を考えればそれが普通のことだからである。
 二人が治める領地は隣り合わせの位置関係にあり、二つの領主家は古くから深い友好関係があった。その領主家の跡取りとして産まれた二人は、すぐに気が合い打ち解けた。そんな歳も同じ幼馴染の二人にとって、お互いの爵位の違いなど些細なことであった。
 その仲の良さを証明する様に、二人きりの時にはお互いに相手の名前を爵位を付けずに呼んでいた。
 
 そんな二人は今回のように王都で領主を召集して会議が行われる際、毎回必ず道中の退屈を紛らわすためにいつもこうして同じ馬車に乗り、閑談するのを楽しんでいるのだ。
 
「……そんなに酷いのか?」
「ウルマンはまだ行ったことがないから知らないだろうが、王都と貿易都市を結ぶ街道はムーア王国で一番の交通量を誇っている。ここと違って常に何らかの馬車や人が行き交っているのさ。
 何でもそうだが、物というものは使えば使うほどその劣化を早めるものだ。街道とは名ばかりの交通量のここでこれなのだから、ここの数十倍の交通量を誇る街道がどうなるかなんて想像に固くないだろう」
「なるほどな。ここより交通量が少ない俺の領地を通る街道が比較的綺麗なのはそういう事か。……しかし、そこまで言われると、逆にどんなものか一度体験したくなってきたな」
「悪いことは言わないから止めておけ。読書か酒を嗜むか寝るしか楽しみのない馬車旅を失いたくないのならな」
 
 そう言って小さく笑ったクランツ公爵は、馬車が揺れないタイミングを見計らって手にしているワインを一口飲んだ。
 
「……クランツがそこまで言うなら止めておこう。流石に旅をする楽しみが無くなるとなっちゃ、行ったところで無意味だからな」
 
 残念そうにはしているが諦めきれないウルマン伯爵は、気を紛らわそうとグラスを手にしてワインを注いで飲もうとした。しかしウルマン伯爵がグラスを口につけた瞬間に馬車が再び大きく揺れ、その衝撃でワインが口元からウルマン伯爵の服に零れてしまった。
 
「ああっ!」
「ふふふ、この街道で酒を飲むにはコツがいる。まだまだだなウルマン」
 
 クランツ公爵はそう言って胸ポケットからハンカチを取り出し、ウルマン伯爵に手渡した。
 
「すまない」
 
 ウルマン伯爵は急いで零れたワインを受け取ったハンカチで拭き取る。幸いにもウルマン伯爵の着ていた服は黒色を基調とした物で、マインを零した跡は然程さほど気にならなかった。
 しかしワインを拭いたハンカチは白色で、ワインを吸い取った部分が綺麗な赤いワイン色に染まってしまった。
 
「後で弁償しよう」
「気にするな、どうせ使い古しだ」
 
 クランツ公爵はハンカチの返品を拒否したことで、ウルマン伯爵はお礼を言いつつハンカチを内ポケットに仕舞った。
 
「しかし、ここでこれなのだから、貿易都市から提案されたという街道整備の話は急いだほうが良いだろうな」
「ああ、俺もそう思う。王国全体の国力が低下して財政難に瀕している現状で、外から流れて来る金の経路を重視しないのは、自らの首を絞めることに他ならない。
 それに、回復の見込みがあるならまだしも、その兆しが見えない今そんなことをすれば、最悪の場合死を意味しかねない。……物理的にな」
 
 ムーア王国内の街道は大きく分けて、各領地と王都を結ぶものと、王都と貿易都市を結ぶ二つがある。後者の街道は世界大戦終結後に整備されたものなのだが、今やその規模と交通量は前者の街道の何倍にもなり、ムーア王国の主要街道となっている。
 街道は様々な人が様々な目的で利用しているが、その中でもとりわけ大事なのは商業ルートとしての利用され方だろう。
 街道の重要性が高く規模が大きければ、それだけ物量が増えることになる。そうすれば経済は回りやすくなり、金の動きが活発になるのだ。
 そのことを理解していた二人は、街道整備がいかに重要かを正確に見抜いていた。
 
「他の“王権派”の連中は余程見る目が無かったらしい」
「自らの利益、それも現状の目先しか見てないような連中だ。あったとしても、それは既に腐り落ちているのだろう」
「そう思うと、カンディの提案は相変わらずの的確さだったな」
「ああ。カンディは国王陛下の一番の腹心で、最も信頼されている有能な家臣だ。しかし同時に、優柔不断な国王陛下に変わって政治の実権を握っている危険な人物でもある」
 
 ウルマン伯爵は頷いて同意する。
 
「カンディならあの国王陛下をたぶらかすのは簡単だろう。いつも冷たい表情をしているからカンディの真意がどこにあるかは推し量れないが、いつ本性を現して独裁政治を敷くか分からんぞ」
「そうだ。人は権力を握れば簡単に狂う。俺とウルマンの父上がそうだったようにな。その権力が国の宰相ともなれば、果たして正気でいられる人物など、どれ程いることやら……」
 
 二人は、自ら手に掛けた自分の父親について思い出す。
 二人の父親であった『アンドレア・クランツ公爵』と『ドミニク・ウルマン伯爵』は、貴族の立場を利用して特権を乱用する人物であった。
 領民からの税の徴収は“略奪”と呼べるレベルの酷いもので、その他にも散財や横領や賄賂等は当たり前、財産が少なくなれば領民を無理やり連行して奴隷として売り渡す人身売買まで平気で行っていた。更に二人は、それらのことを結託して行っていたのだからたちが悪かった。
 
 その悪行の限りを尽くしていた二人を失脚させたのが、他の誰でもない二人の息子であった『ケリー・クランツ』と『ルイ・ウルマン』であった。
 どういう訳か父親と真逆のまともな性格と感性を持って産まれた二人は、お互い16歳の時に父親に頼んで領地軍指揮官の座を拝命すると、示し合わせたように同時に反旗を掲げて自らの父親を討伐し、領主の地位を奪取だっしゅしたのだった。
 
「俺達は自分の父親を手に掛けた。だがそれは、国全体や他の領地に影響を及ぼすことなく迅速に改革を成功させて新たな利益を生み出すことが出来たから、『一つの領内で起きた気に留めなくてもよい小さな改革』という事で、特に処分されずに済んだんだ。
 ……しかし相手が国の宰相となったら話は別だ。もしカンディが悪政を敷いてそれを打倒するための改革が起きたら、結果がどうなろうとその影響は確実に甚大なものになる」
「だからこそ、“新権派”の連中の思い通りにさせるわけにはいかない!」
「ああその通りだ。奴らは領主の特権を捨てて役職に成り下がり、領地の統治を国に一任させようとしている。そしてカンディは、立場こそ明確に公言してないが“新権派”だ。そうなれば政治はカンディの思いのままになり非常に危険だ!
 ……いいか、俺達はの為に、なんとしても領主の特権である『独自統治権』を守らねばならない!」
「勿論分かっている。その為に“王権派”に入ったようなものだ。せいぜいこの立場を利用するとしようじゃないか」
「ふっ、そうだな」
 
 二人は気分の良い策略家のような笑みを浮かべ合うと、ワインの入ったグラスを傾け乾杯し、景気の良い音を響かせてからワインを一気に飲み干した。
 
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