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作者: 山のタル
残酷な描写あり
96.ストール鉱山7
 太陽の頭頂部が姿を見せ始める明け方頃、列をなしてストール伯爵邸を出発する馬車の集団があった。5台からなる馬車集団の中央には、一際ひときわ豪華な馬車が走っている。
 景色に全くと言っていいほど馴染まない深紅の車体に、黄金の竜がでかでかと描かれている。あまりにも目立つその外見は、一目でその馬車に乗る人物と権力の大きさを誇示するものだった。
 
「なんだか嬉しそうね、エヴァイア」
 
 馬車の揺れすら気に留めず窓の外の景色を眺めていたエヴァイアに、メルキーがそう声を掛けた。
 
「……僕はそんな顔をしていたかい?」
 
 エヴァイアは顔をペタペタと触って自分の表情を確かめるが、自分の表情筋の変化など確認したことも無かったので、触れば触るほど疑問符が増えるだけだった。
 その動作を見ていたメルキーは、可笑しそうになまめかしくクスクスと笑う。
 
「ふふふ、顔じゃないわよエヴァイア」
「じゃあ、どこだと言うんだ?」
 
 なんだか馬鹿にされたような気分になったエヴァイアはムスッとした態度をとる。
 メルキーはそれを気にした様子もなく体を乗り出すと、エヴァイアに顔を近づける。その動作で生じた空気の流れに乗ったメルキーお気に入りの甘い香水のかおりが、エヴァイアの鼻腔びこうをくすぐった。
 
「目よ、目が嬉しそうにしているわ! まるで新しい玩具を手に入れた子供のような無邪気な目よ!」
「よくそんな細かいことまで分かるね」
 
 心の中を覗かれたみたいで、眉を歪めるエヴァイア。普段は自分が相手の心理を読み取る側で、読み取られることに慣れておらず不快感を感じたのだ。これがメルキー相手じゃなかったら、エヴァイアの不快度指数は、更にこの数倍に跳ね上がったことだろう。
 
「何百年来の付き合いだと思っているの? あなたのことはあなた以上に分かっているつもりよ?」
 
 得意げに胸を張りニタニタと無邪気な笑みを見せるメルキー。
 なんだか全てを見透かされているようで悔しさが込み上げてくるエヴァイアだったが、メルキー相手にその不満をぶつけても仕方ないと思い、背もたれに大きく体を預けることで気持ちを誤魔化した。
 
「それで、鉱山でどんな面白いことがあったの?」
「淵緑の魔女に会ったよ」
「……誰?」
「確か200年前だったか、国が安定して一時期暇をもて余した時があっただろう? その時に暇潰しで各地に伝わる伝承を調べたんだが、覚えてないかい?」
「ああ~、そんなこともあったわね」
「その時に見つけた伝承の一つに登場するのが、淵緑の魔女と呼ばれる魔女だよ」
「へぇ~、伝承の人物が実在したのね。それで、その魔女はどんな人だったのかしら?」
 
 調べた伝承の内容はほとんど覚えていないメルキーだったが、エヴァイアの様子を見て淵緑の魔女にとても興味が湧いた。
 エヴァイア自身、メルキー相手に隠し事をするつもりはなく、事前にマイン公爵から淵緑の魔女の事をメルキーに話してもいいと許可をもらっていたので、エヴァイアは鉱山での出来事と、直接目にした淵緑の魔女について細かに語った。
 
 
 ………………
 
 …………
 
 ……
 
 
「なるほどねぇー」
 
 話を聞いたメルキーの口から漏れたのは、たった一言のなんとも無個性な感想だった。
 もっと何かリアクションがあると思っていたエヴァイアは、メルキーの興味が少なそうな反応に少し拍子抜けした。
 
「それで、エヴァイアはどうするつもりなのかしら?」
 
 エヴァイアがメルキーに話した内容はストール鉱山での一連の出来事の流れと、淵緑の魔女の行動とその印象についてだった。メルキーのリアクションが小さかった原因は、メルキーにとってそれはどうでもいい事だったからだ。
 その情報が全くいらないというわけではないのだが、メルキーが真に知りたかったのは、エヴァイアが淵緑の魔女に対してこの後どういう行動を起こすつもりでいるのかだった。
 
「何もしないよ」
「あら珍しい。話を聞く限りじゃ、あなたが欲しがりそうな人材じゃないかしら?」
 
 エヴァイアが皇帝として君臨するブロキュオン帝国では『実力主義』を掲げており、優秀な人材であれば身分や種族を問わず優遇される国である。そしてその選定はエヴァイアが率先して行っており、あらゆる情報網を駆使して人材を探し出しては勧誘交渉を日々繰り返している。その姿勢からエヴァイアは“人材マニア”の異名でも知られている。
 だから今回もてっきり、淵緑の魔女という逸材を勧誘するものだとメルキーは思っていたのだ。
 
「確かに人材的にとても魅力的だったさ。是非とも帝国に来てほしいと思ったぐらいだよ! ……でも淵緑の魔女が魔術を使っている時に本能で感じたよ、あれは無理だ。僕じゃとても手に負えない存在だ。特に、縦穴に行く途中でしていたは常軌を逸していて、恐怖すら感じたよ」
 
 エヴァイアは肩をすくめてそう言った。
 いつもと正反対な自信無さげのエヴァイアの態度に、信じられないものを見たようにメルキーは目を丸くする。
 
「僕が取るべき最良の手段は『支配』でも『勧誘』でもない、適切な友好関係の『構築』さ。淵緑の魔女と上手く付き合う方法はそれしかない。
 聞いたところによると、マイン公爵家はかなり以前からそうして淵緑の魔女と友好関係を築いていたそうだ。本当に、マイン公爵家は上手くやっているよ……。僕らもそれにならうとしようじゃないか。……何か他にいい意見があるなら言ってくれよ?」
 
 メルキーの表情を見てエヴァイアは付け加えるようにそう言ったが、メルキーは首を横に振って答えた。
 
「いいえ、何もないわ。あなたがそう思ったなら、その方法が最も正しい選択になることは間違いないもの」
 
 そう言い切ってエヴァイアを見つめる目は、信頼の眼差しに満ちていた。
 
「ありがとうメルキー。それじゃあ今後、淵緑の魔女に対してどういうアプローチをしていくのがいいか、一緒に決めるとしよう」
 
 こうして帝国に帰るまでの道中、エヴァイアとメルキーの話題は淵緑の魔女についてのことばかりとなるのだった。
 
 
 ◆     ◆
 
 
「……ようやく帰ってくれたわね」
 
 ストール伯爵邸の窓から遠ざかっていくブロキュオン帝国の馬車を見送り、マイン公爵は安堵のため息を漏らす。ここ数日間張りつめていた緊張の糸がほぐれ、全身が今までにない脱力感に襲われていた。
 らず近くの椅子に腰かけたマイン公爵は、もう一度大きなため息を漏らした。
 
「これでようやく一息つけるわ……」
 
 マイン公爵が今いる部屋は、ストール伯爵邸の客間の一室である。
 昨日、鉱山の視察を終えたマイン公爵とエヴァイアはそのままストール伯爵邸に戻った。エヴァイアの妻でブロキュオン帝国宰相のメルキーがストール伯爵と会談していたためだ。
 ストール伯爵邸に着いた頃には夜が更けており、マイン公爵達はストール伯爵邸に一泊することになったのだ。そしてつい先程、エヴァイアとメルキーは帝国に帰るために出発した。
 
「まったく、他国の要人の相手ってどうしてこんなに疲れるのかしら……。これなら他の四大公の相手をしている方が何倍もマシに思えて来るわ!」
 
 本音が混じった愚痴を口にして頭を掻きむしるマイン公爵。ここ数日エヴァイアの相手をし続けていたストレスが爆発していた。
 
「それにセレスティアさんがどうしてあのタイミングで鉱山に来るんですか!? どんな神の悪戯ですか!? 私を追い詰めてそんなに楽しいですか!!」
 
 まるで癇癪かんしゃくを起したかのように、これでもかと不満をぶちまけるマイン公爵。それは普段のマイン公爵からは想像できない行動だった。
 もし今、彼女を知る人物がこの場にいたなら、目を丸くしていたに違いない。いや、そもそもの話、部屋にそんな人物がいたなら自制心が働き、マイン公爵もこんな行動を起こすことはしないだろう。
 
 そしてひとしきり不満とイライラを虚空に放出したことで、マイン公爵は落ち着きを取り戻すことができた。
 
「………そうよね、私とセレスティアさんは頻繁に連絡を取り合ってお互いの行動を把握しているわけじゃないから、こういう不測の事態は起こっても不思議じゃない。今後はこういうことが無いように、一度セレスティアさんに相談した方がいいわね」
 
 セレスティアの登場はマイン公爵にとっても本当に予想外のことだった。特に、ブロキュオン帝国皇帝のエヴァイアと邂逅かいこうしてしまったのは不味かった。
 エヴァイアは優秀な人材であれば身分・種族を問わずに引き入れると有名で、『人材マニア』と呼ばれているほどである。そんなエヴァイアがセレスティアほどの人物を見逃すわけがなく、必ず勧誘行動に出ることは明らかだった。
 だからこそセレスティアが訪ねて来た時、何とかエヴァイアと接触させないようにしようとした。結果は上手くいかなかったが……。
 ならば次はと、セレスティアの力をエヴァイアの前で見せないようにしようとした。その為にはセレスティアが何を目的としてボノオロスを訪ねて来て何をしようとしているのか、こっそり聞き出して止めるつもりだった。でもエヴァイアがセレスティアの近くを離れる気配がなく、機会を伺っている内にセレスティアは全員が見ている前で錬金術を発動させ岩塊を切り出すというとんでもないことをしてしまい、これも失敗に終わった。
 そして最終的には、転移魔術を発動させて岩塊ごと転移するという事までやらかした。
 
 転移魔術はとても高度な魔術である。その仕組みは、帰還場所に設置した魔法陣と全く同じ魔法陣を離れた場所で描くことで帰還場所に転移するというものだ。
 しかし、設置した魔法陣と寸分違わず全く同じ魔法陣を見ずに描くことは至難の業である。その為普通は、魔法陣を事前にスクロールに写しておき、それに魔力を流して転移魔術を発動させるものなのである。
 そして転移させる物体の大きさも転移魔術に影響を及ぼす関係上、魔法陣自体を大きくするのは困難であり、魔法陣の大きさは最大でも半径1メートル程度のものにしか出来ないのが現状である。
 だがセレスティアはスクロールを使用せずに一瞬で魔法陣を描き、約3メートルもある巨大な岩塊ごと転移するという常識外れな方法で転移魔術を発動させたのだ。そんな非常識なことができる魔術師は、マイン公爵の知る限りセレスティアとミューダだけである。
 
 セレスティアが転移で帰った後、マイン公爵はその場にいた全員に「見たことを口外するな!」と箝口令かんこうれいを出した。ただ立場上、エヴァイアには“命令”ではなく“お願い”という形になったが……。
 そしてマイン公爵の必死の懇願こんがんと、エヴァイアから提示された『ブロキュオン帝国宰相で皇后のメルキーには話してもいい』という交換条件を呑んだことにより、エヴァイアも口外しないと約束してくれた。
 しかし交換条件を出されたからと言っても、これは実質エヴァイアに借りを作ったということに他ならず、マイン公爵からすれば今後エヴァイアからの頼みを断りづらくなってしまったので、頭の痛い展開になったことに変わりはなかった。
 
「……まあ、プアボム公国とブロキュオン帝国の親密な友好関係から考えれば、あの皇帝陛下がその関係にわざわざ亀裂を入れて破壊するような無茶な頼みをしてくるとは考えにくいけど……。それに見合う利益があるとすれば、やっぱりセレスティアさんかな……?
 ……何にしても、一度セレスティアさんに会いに行って、じっくり話をしておいた方がいいわね。それと、帰ったらカールステンにも相談して色々と備えさせるようにしないと……」
 
 完全に冷静さを取り戻したマイン公爵は、状況を正確に分析し今後の方針を組み立てていく。
 どういう方針を立てるかにもよるが、エヴァイアがどう動くか不明な現段階ではどんなものにするにしても迅速に決める必要がある。その為にはある程度の指針を相談する前にあらかじめ決めておいた方がいい。
 マイン公爵はまず最良の結果と最悪の結果を思い浮かべ、最悪の結果を招かないように最良の結果に近づけるにはどうすればいいかを考えた。自分はどう動くべきか、カールステンやセレスティアにどう動いてもらうべきか、その前段階の下準備や根回しをどの程度しておく必要があるか等々、あらゆる可能性を考慮して頭を回転させる。
 マイン公爵は基本的には見た目通りの武闘派である。しかしだからと言って、決して頭が悪いというわけではない。マイン公爵家の次期跡取りとして生まれた彼女は幼い頃から英才教育を受けて育っているので、領主としての素養は申し分ない。単にそこに武闘家としての才能があり、それをメインで開花させてしまっただけなのである。
 
「……うん、とりあえずはこんなものかな?」
 
 そして静かに長考を終え、ある程度考えを纏め終えたマイン公爵。
 丁度そのタイミングで部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
 
「どうぞ」
「失礼します、マイン公爵様」
 
 部屋に入って来たのはストール伯爵とボノオロスだった。ストール伯爵は先程までエヴァイアの見送りをしていたはずで、ボノオロスは昨日ストール鉱山で別れたはずだ。
 特にこの後二人と面会する約束などしていなかったマイン公爵は、このタイミングで二人がわざわざ訪ねて来た意味を考える。……いや、考えるまでもなく、答えは一つしかなかった。
 
「……何かあったのね?」
「はい……」
 
 悪い予感が的中し頭を抱えるマイン公爵。とりあえず話を聞くために二人を部屋に招き入れ、対面の椅子に座らせた。
 
「それで、何があったのかしら?」
「実は、ボノオロスが早急にマイン公爵様にお伝えしたいことがあるそうなのです」
 
 嫌な悪寒が背中を流れていくのをマイン公爵は感じた。
 
「……ボノオロス、伝えたいこととは何かしら?」
「それが、マイン公爵様と皇帝陛下が鉱山の視察を終えられた後のことなのですが、セレスティア殿が縦穴でしたことの影響が坑道内に出ていないかを調査したのです」
 
 マイン公爵は昨日の縦穴でのことを思い出す。ボノオロスが言っているのは、セレスティアが縦穴の壁を掘り起こしたことについてだ。
 
「縦穴に通じる坑道は元々地盤が弱く危険でした。セレスティア殿には事前に上の坑道に被害が出ない程度にとお願いしており、実際に坑道に目立った被害はなさそうでした。
 ですが、あれだけの事をした後だったので、念のためにしっかりと調べておいた方がいいと思ったのです」
「まあ、セレスティアさんが目の前であんなことをしたらそう思って当然ね。それで、どうだったのかしら?」
「それが……被害は何一つも見つかりませんでした」
「そうなの?」
 
 早急に伝えたいことがあるなんて聞いたものだから、てっきり何かあったのだと思っていたマイン公爵は少し意外そうな顔をした。
 しかしそれも、ボノオロスの次の言葉で変化を余儀なくされた。
 
「ええ、被害はありませんでした。……ですが、坑道に明らかな変化が起きていました」
「どういうことかしら?」
「あの坑道の地盤は弱いはずだったのですが、何故か地盤が強くなっていたのです。しかも、見たことが無いくらいに強固にです。これって……?」
 
 マイン公爵はまた頭を抱えた。考えるまでもなく、答えは一つしかないからだ。
 
「……間違いなく、セレスティアさんの仕業でしょうね……」
 
 地盤がひとりでに強くなるはずがない。誰かの手によってそうなったと考えるのが自然だ。そして、あの場にいてそんな超常的なことが出来る人物なんて一人しかいない。
 
(まさか、セレスティアさんは初めから壁を掘り出すつもりで、万全を期すために地盤の補強を? ……セレスティアさんならあり得るか……)
 
「セレスティアさんなら何をしても不思議じゃない」という経験則から来た謎の説得感に支配され、マイン公爵はそれ以外の結論が思い浮かばなかった。
 
(しかし、周りにいた誰にも気付かれずにそんなことをしてしまうなんて……。分かっていたつもりだったけど、セレスティアさんの非常識さには毎回驚かされますよ……)
 
 思い返してみれば、初めてセレスティアと出会った頃から驚いたことが無い方が少なかったと、マイン公爵は改めて実感した。
 
「報告してくれてありがとうボノオロス。この件の事実確認は私がしておくから、あなたはもう仕事に戻りなさい。ストール伯爵もそういうことでよろしく」
「了解いたしました」
「では失礼します、マイン公爵様」
 
 二人が部屋を退出するのを見送って、マイン公爵は再び力無く椅子の背もたれに体を預けた。ボノオロスからもたらされた新しい情報は、確実にマイン公爵の面倒事を増やしていた。
 セレスティアが知らない内に地盤を補強していたことは大きな出来事だったが、セレスティアなりの考えがあってしたことだと思うので特に問題にすることではない。それに地盤が補強されたことであの場所の安全性が高まり、今後の調査もしやすくなるので、結果的にはいい事だった。
 マイン公爵が面倒事になったと思っているのはそこではないのだ。
 
「……皇帝陛下は、セレスティアさんがしていたことに気付いていたのかしら……?」
 
 エヴァイアは縦穴で調査隊の魔術師でも気付かなかった僅かな魔素の漏れを感知していた。これから考えられるのは、エヴァイアが少なくともその辺りの優秀な魔術師よりも魔素や魔力を敏感に感じることが出来る人物だという、確定的な事実だった。
 だとすれば、セレスティアが地盤を補強するために錬金術をこっそり発動していたことに気付いていたかもしれない。
 
「いえ、かもしれないじゃなくて、確実に気付いていたと考えて動いた方がいいでしょうね……」
 
 マイン公爵は3度目となる大きなため息を吐き、再び思考を加速させるのだった。
 
 
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