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作者: 山のタル
残酷な描写あり
76.動き出す世界4
 大陸の東側、ムーア王国の南の位置にサピエル法国がある。サピエル法国はサピエル教という“人間至上主義”の考えを国教とする宗教国家だ。
 そのサピエル教の総本山である『サピエル大聖堂』は、国の中枢都市である“神都”の中心に国の象徴として建っている。
 その大聖堂の内部に、神に祈りを捧げるための大きな祭壇がある。その祭壇前の塵一つ無いほど入念に清掃された大理石の床に、教皇親衛隊の一人であるサジェスは片膝を付いてこうべを垂れていた。
 
「サジェス、面を挙げよ」
 
 何の抵抗もなく耳から直接脳に響くような恍惚的な声色をした声が、サジェスに投げ掛けられる。サジェスは人を魅了するその声に従い、頭をあげて声の主に視線を向けた。
 
 ――そこには神がいた。
 
 いや、正確に言えば、色鮮やかなステンドグラスから差し込んだ光が祭壇に立つ人物を照らし、サジェスから見れば神と見間違えるほどの神々しい後光を放っているように見えているだけである。しかし、その人物の正体を知るサジェスからすれば、神という表現は決して間違いではない。
 何故ならその人物は、サジェスが親衛隊として仕える人であり、サピエル法国の頂点に立ち、神の啓示を受けることの出来る、神に最も近い唯一の人であるからだ。
 そう、その人こそ、サピエル法国第7代教皇“サピエル7世”その人である。
 
「サジェスよ、任務から戻るのが予定より早かったが。何かあったのか?」
「ハッ! それが……任務中に予想外の邪魔が入り、何の成果もなく撤退を余儀なくされました……。申し訳ありません、教皇様!」
 
 サジェスは再び頭を下げて謝罪の意を示し、何があったのかを包み隠すことなく教皇に全てを話した。
 普段のサジェスはプライドが高く、もし失敗しても絶対にそれを認めない面倒な性格をしているのだが、教皇の前では別人かと思うくらい人が変わり、まるで飼い慣らされたペットのように従順で素直になる。
 
「なるほどな……」
 
 サジェスの報告に、教皇は一言だけそう感想を呟いた。
 
「サジェスよ、此度の失敗は計画に修正を入れなければならないほど大きなものだったのは解っておるな?」
「……はい」
 
 教皇の問にサジェスは重々しく返事を返した。
 サジェスにとって教皇とは仕えるべき主人であり、信じる神そのものだ。サジェスはそんな教皇に気に入られるために、教皇の命令にずっと従順に従ってきた。そのおかげで教皇から多大な信頼を得るに至り、ついには教皇親衛隊という栄光の役職の一人に任命されることになった。
 
 今回の任務失敗は、そんなサジェスの信頼を落とすのに十分過ぎる出来事であった。
 だから教皇の台詞から「教皇様に見限られるかもしれない……!?」という考えが頭を過り、サジェスの身体はそうなる可能性を危惧してガタガタと震えていた。もし本当に見限られてしまったなら、サジェスは生きる意味を無くしてしまうだろう。
 だがサジェスのその恐れは、教皇が発した次の言葉により吹き飛ぶことになった。
 
「だが、ワシはお前を責めるつもりはない」
「えっ……!?」
 
 最低でも何かしらの罰が与えられると思っていたサジェスは、教皇のその言葉に間抜けにも口をポカンと開けて驚いた。
 
「サジェスよ、人は失敗を糧に成長するものだ。失敗しても、弱さに気づき、そこから何かを学び、己を高める努力を怠らなければ、サピエル様は決して見捨てはしない。必ずその努力に見合った成長を手助けしてくださる!
 サジェスよ、お前はまだ若い。その若さで親衛隊の一人となれる実力は間違いなく大きな才能だ。その才能はワシの宝だ。しかし、その分お前には経験が足りない。なまじ天才でありすぎるからこそ、余計にだ。
 今回の失敗は間違いなくお前の糧になる。だからサジェスよ、神に祈れ、学び考えて努力するのだ! そうすれば、サピエル様は必ずお前に新しい力を授けてくださるだろう!」
「ははぁッ! 教皇様の深い慈悲に感謝いたします! このサジェス、必ずや教皇様、そして唯一神サピエル様の期待に応えて御覧に入れることをここに誓います!!」
 
 サジェスはそう言って今まで以上に頭を下げると、感涙の涙を流した。そして、教皇と唯一神サピエルに向けて深く長い祈りを捧げた。
 
「しかし、お前が撤退を余儀なくされるほどの相手となれば、相当厄介な相手なのは間違いないな。……一体何者だったのだ?」
「はい、残念ながら正体までは分かりませんでした……。しかし、そいつと以前対峙した者に心当たりがございます」
「そうか。なら、早急に調査を開始するのだ! 任せたぞ?」
「はっ! お任せください!」
 
 
 ◆     ◆
 
 
 教皇様の慈悲に感謝をしながら大聖堂を後にした私は、神都の外れから少し離れた場所にある森に足を運んでいた。
 神都から離れていたこともあり、森の中には人の気配を感じない。しかし、私の目的の人物は間違いなくこの森の中にいる。
 私はその人物を探しに、森の奥へ奥へと迷うことなく突き進んだ。
 
 カン! カカカン!
 
 そして、かなり奥に進んだところで、自然ではあり得ない連続で木を叩くような乾いた音が耳に入ってきた。
 
「あっちですね」
 
 私はその音が聞こえてくる方角に向かって歩く。
 草が生い茂る道なき道を掻き分けて音のする方向に一直線に歩いて行き、音の発生源のすぐ側まで近寄ったとき、やっと茂みを抜け出し開けた場所に出た。そこは、森の中では不自然なほど綺麗な円形をした広場だった。
 広場の地面は凹凸が少なく、隅には切り倒された木々が積み重ねられていて、明らかに人の手が入った場所だとわかる。
 
 その広場の中心で、周りに立てた大小様々な丸太にナイフを投げまくる男がいた。ナイフが丸太に当たる度に乾いた音が木霊している。音の正体はこれだった。
 目的の人物を見つけた私は、早速その人物、“マター”に声をかけた。
 
「見事な投擲技術ですね。流石、帝国軍密偵部隊のリーダーを務めていただけのことはありますね、マター?」
 
 声をかけられたマターは私の方に一瞬だけ視線を向けたが、すぐに興味がない素振りで視線を戻し、またナイフを投げ始めた。
 
「……教皇親衛隊がこんな所に何しに来た? 確かあんたは今、任務中じゃなかったのか?」
 
 歓迎はされていないが、話をしてくれる気はあるようだ。
 立場が上の私に対してその態度はどうかと思うが、サピエル法国内でのマターの立ち位置は少々特殊なのだ。なので私は、それにいちいち突っ掛かる必要もないと思うことにし、マターの気が変わらない内に話を進めることにした。
 
「ええ、本来なら私は任務の真っ最中だったのですが、予想外の事態が起きまして、撤退してきました」
「ふ~ん……あんたほどの実力者が撤退を余儀なくされるとは、よほどの事態だったんだろうな」
 
 そう言って持っていたナイフを全て投げ終えたマターは、投げたナイフを全て回収すると、また元の位置に戻ってナイフを投げ始める。
 
「それで、俺に何の用だ? まさか、任務が失敗して暇になったから、話し相手でもしてくれって言うんじゃねえよな?」
「半分正解で半分違いますね。私はあなたと話をしに来たのは間違いありませんが、正確に言えば少し聞きたいことがあるだけです」
「……」
 
 マターは返事をせずに、またナイフを投げ始める。私を追い返す素振りがないので、勝手に話せと言っているようだ。なので私はそのまま話を続けることにした。
 
「あなたは以前、『魔獣創造実験』でストール鉱山に行った際、ハンターの少女に襲われたそうですね?」
「ちっ、嫌なことを思い出させるな」
 
 この話はマターにとって本当に嫌な話だったようで、動揺からナイフを投げる力を込めすぎて初めて的を外していた。
 集中力を乱された腹いせか、苦虫を噛む潰したような表情で、マターは私を睨んできた。
 これに関しては私に悪いところはない。この程度のことで集中力が乱れる、未熟な方が悪いのだ。
 
「実は私も任務中に、あなたが報告した特徴と一致するハンターの少女に会いましてね」
「なんだと!?」
 
 それを聞いた瞬間にマターの反応が大きく変わった。血相を変えて私に近付くと、いきなり両肩を掴んで話しに食いついてきた。
 
「それで、どうした!?」
「あなたと同じですよ。私もその少女に邪魔されてしまい、こうして撤退する羽目になりました」
「……あんたほどの強者が、負けたって言うのか?」
「悔しいですが……」
 
 そう口にして思い返すと、あのティンクと名乗った少女に悔しさと憎たらしさを抱く感情が混み上がってきて、はらわたが煮えくり返りそうになる。
 そんな私の表情を見て嘘を言っていないと分かったのか、マターは冷静さを取り戻し、肩を掴んだ手を離した。
 
「あんたも同じなんだな……。いきなり掴み掛かって悪かったな……。分かった。あの時何があったかを詳しく話そう。その代わり、あんたも何があったか話してくれよ? お互い、奴を倒すのに情報は多くて困らないからな」
「ええ、勿論ですよ」
 
 それから私とマターはお互いに情報を交換し合った。それを元に対策を出し合ったりして、日が暮れるまでとても有意義な時間を過ごした。
 そしてこれは話をしてみて分かったことだが、マターは意外と話が通じる相手だった。帝国軍の元密偵という肩書きと、他人を寄せ付けないオーラの所為で気難しい奴だと思っていたが、それは本人曰く“密偵モード”というものらしい。
 他人の目がある時は“密偵モード”にして、常に気を張り巡らせていているそうだ。そして、自分が気を許した相手の前のみで性格を別人のように変え、社交的な性格になる。マターが言うには、こっちの性格が本当の自分らしい。
 どうやらティンクに負けた者同士ということで私に親近感が湧き、素の性格を出してもいい相手と思われたようだ。私としてもマターという人間に思うところはないので、今後も仲良く付き合えそうな気がした。
 
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