残酷な描写あり
59.それぞれの日々・サムス編6
「……はぁ~」
「どうしたサムス? お前がため息なんて珍しいな」
「ちょっと、昨日色々ありまして……」
そう、昨日は本当に色々あった。
ユノが探していた師匠がミューダ様だと分かった瞬間、セレスティア様が怪しい笑みを浮かべて、ミューダ様に何も伝えずに連れてくるようアインに思念で伝え、連れてこられたミューダ様を見た瞬間、今まで溜め込んでいた感情が爆発したユノが暴走して、そこからミューダ様とユノの魔術合戦が始まった。
その余波で応接室が大変なことになったが、その様子を見ていたセレスティア様は「あのミューダが狼狽えているなんて一生有るか無いかよ! アイン、今すぐミューダのあの表情を絵画にして飾りましょう!!」と、大喜びしていた。勿論、あとでミューダ様にこっぴどく怒られていたが……。
その後、ミューダ様とユノが落ち着いたところで僕はニーナを呼んで来て、応接室の片付けを使用人総出で朝までやっていた。
肉体的な疲労は無いが、次から次へと何かが起こる怒濤の一日だったので、精神的疲労からため息が出るのも仕方がないというものだ。
「リジェン、今夜付き合ってくれませんか?」
「サムスから誘ってくるなんて珍しいな」
「僕にもたまにはそんな気分になる時があるってことですよ……」
「オッケー、分かった。場所はこの前の店でいいか?」
この前ということは、書庫の仕事を始めた初日に行った店のことだ。あそこの店は酒と料理が美味しく、それでいて手頃な値段設定という優良な酒場だった。僕も丁度その店にしようと思っていたので、二つ返事で頷いた。
「よし、じゃあ仕事が終わったら店に集合だ! ……それと、疲れてるなら少し休憩しておけ。責任者のお前が倒れたら、仕事が回らなくなるからな!」
そう言い残して仕事に戻るリジェン。僕はお言葉に甘えて、少し休憩する事にした。
近くの椅子に腰を落として背中を預けると、「ふぅ~」と溜まった物を絞り出すようににゆっくりと息を吐いた。
『資金を稼がないといけないのに、飲みに行っていいの?』
どこからともなく声が聞こえ、咄嗟にポケットから複雑で美しい装飾が施された金色の懐中時計を取り出した。
「大丈夫ですよ、稼いだ資金の一部はこっちでの生活資金として使っていいと言われています。……それよりも、人がいるところでは声を出さないようにお願いします。ユノ」
僕は懐中時計の中にいるユノに小声で注意する。
ユノが本から懐中時計に姿を変えているのには理由がある。昨日、ミューダ様との魔術合戦をした後、ユノは僕達に全面協力することを約束した。ユノからすれば、長年探していた最愛の師匠にようやく出会えたのだから、友人との友情より師匠への愛を選択するのは当然の帰結だった。
ミューダ様は露骨に嫌な表情をしていたが、セレスティア様に言いくるめられ渋々ながらも了承した。その時にユノの魂を入れる新しい体を作ることになったのだが、きっちりとした精巧な物を作るにはいくらセレスティア様といえど時間がかかるので、それまでの間ユノは僕のサポートをすることになった。それで持ち運びしやすいように、新しい器に魂を移し替えたのだ。
『分かってるわよ! 私の声が聞こえる範囲に人はいないわ。
そもそもこの計画は、師匠の為でもあるんでしょう? だったら一番弟子であるこの私が、師匠の迷惑になることなんてするわけ無いじゃない!』
昨日あれだけ派手に応接室で暴れたことは、既に忘却の彼方に置いてきたようだ。無理に掘り返すと面倒なので、口から出そうになった「どの口が言いますか……」という言葉を飲み込んだ。
「……とにかく、よろしくお願いしますね。ユノ」
『私がサポートするんだから、心配なんて無用よ! 大船に乗った気でいなさい!!』
こうして僕は、新しい仲間でありパートナーとなったユノと行動を共にすることになった。ユノの新しい体が出来るまで、僕は色々とユノに振り回されることになるのだが、それはまた別のお話……。
◆ ◆
コツ、コツ、コツ――
狭く長い階段に、リズミカルな靴の音が鳴り響く。真っ暗な階段の少しでも先を照らそうと魔石ランプを前方に突き出し、足元をよく見ながら早すぎず遅すぎずの一定のスピードで階段を下りていく。
その歩調に合わせて背中まで伸びる金色の三つ編みが馬の尻尾のように左右に揺れ、身体の全面に突き出てその存在感を主張する二つの豊かな山が上下に大きく揺れていた。
「…………」
足音の主、メールはとある人物に会うために、書庫の保管エリアの地下にある階段を下りていた。何段あるのかすら数えるのも億劫になる階段を時間を掛けて下りきると、小さな部屋に到着した。
「ユノ~、会いに来ましたよ~!」
メールは部屋に入るや否や、いつものように目的の人物の名前を口にする。いつもなら待ちわびた犬の様に嬉しそうな声で、すぐに返事が返ってくるはずだった。
「……ユノ?」
しかし今日は様子が違った。返事がいつまで経っても返ってこないのだ。不可解に思ったメールは魔石ランプの光量を最大にして部屋全体を照らしてみる。
「――ッ!?」
そこにあったのは、地面に突き刺さった太い杭と、その下に乱雑に落ちている鎖だけだった。
太い杭と鎖はユノがいつも体を固定するのに使っている物だ。しかし、肝心のユノの姿は何処にもない。
「ユノ!?」
メールは慌てて部屋の中を隈無く確認する。と言っても部屋は個室レベルの大きさしかなく、大掛かりな捜索なんて必要ない。太い杭しか置物が無い部屋には、隠れる場所もなければ、秘密の通路なんて物も無い。
ユノが何処にもいないことは誰の目にも明らかだった。
「……ユノ、一体どこに……?」
(ユノは身体が本だから、一人でここを出たとは考えられない。一応、浮遊魔術で浮かんで移動することは出来ると言っていたけど、魔力の消費が激しすぎて長い階段を半分も上ることもできないとも言っていた。……現状から考えて、ユノが連れ去られたと見た方が良さそうですね~……。
……でもこの場所は、私以外には“陽炎”と“隠者”と“見透し”の三人しか知らないし、隠し階段の魔術を解除する鍵は私しか持っていない。そして私は三人に鍵を貸していない……。
つまり、誰かが隠し階段の魔術を鍵を使わずに解除してユノを持ち出し、そして再び同じ魔術を施して去って行った。これ以外に考えられませんね~……。
しかし、そんな芸当が出来る人物がいるのでしょうか? 魔術を解除と簡単には言えるけど、あの魔術は私の魔力と、隠者の隠蔽技術と、ユノの魔術作製技術を組み合わせた完全オリジナルの魔術。発見する事自体が困難なうえ、それを解除してかけ直すなんて、どんな魔術師にも不可能な芸当のはずです……。
もし、そんな事が出来る実力を持った人物がこの都市にいたなら、間違いなく八柱の監視対象になっています。でも……今現在、監視対象になっている人物に、そんな実力を持つ魔術師はいません……。では、一体誰がユノを……?)
考えてみたものの、監視対象に該当する人物がいない以上、明確な答えが出るわけがないので、メールはすぐに何か手がかりが残っていないか探し始める。
まずは、この部屋で存在感をでかでかと主張する太い杭を調べ始めた。
「……あれ? これは~?」
調べ始めてすぐ、さっきはユノを探すのに必死で気付かなかったが、杭の裏側に封筒が一つ貼られているのを発見した。
メールは急いで封筒を剥がし、中から手紙を取り出して確認する。
しかし、手紙には文字ではなく、魔法陣が書かれているだけだった。これだけでは、誰がこの手紙を書いて、誰に宛てて書いたのか分からない。……だが、メールにはそれだけで十分だった。
「これは……『伝言』の魔法陣!? ということは、ユノからですね~!」
伝言とは、言葉を文字ではなく音声で記録する魔術のことだ。記録した音声は、魔法陣に魔力を流すことで再生して聞くことが出来る。
一見してみると、色々な状況で使える利便性の高い魔術の様に思うかもしれないが、この魔術は一般には普及していない。それは何故かと言うと、単純な機能とは裏腹に、魔法陣がとんでもなく複雑だからだ。それは高位の魔術師でも、描くのが難しいほどである。
その為、この便利な魔術を使えるのは、世界でも一握りの魔術師だけなのだ。そしてその一人は、この部屋から姿を消したユノなのだ。
伝言の魔術をこんな風に封筒に入れて、杭に貼り付けて残しているということは、少なくともそれが出来る余裕がユノにはあったということだ。その事実に少し安堵したメールは、早速魔法陣に魔力を流して、記録された音声を確認する。
『――これでよし! あ、あ~、コホンッ。メール聞こえてるかしら? ユノよ。
貴女がこれを聞いているなら、私は既にその場にいないはずよ。私がいなくてさぞかし心配してるかもしれないけど安心して、私は無事だし、何の問題もないわ!
……でも、私はしばらく貴女の前に戻れなくなったわ。というのも、聞いて! ついに師匠と再会できたの!! だから私は師匠の元に行くわ!
それとね、私今まで本だったけど、これから師匠のために沢山頑張ったら、新しい身体を作ってくれるって師匠が約束してくれたのよ!
だから……新しい身体を手に入れたら、メールに見せに行くわ! それまで暫しのお別れだけど、楽しみに待っていてね♪』
心の底から喜びを表現するような声色で、そう語るユノの声を聞いてメールはホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。無事で、よかった~……!」
ユノが無事だと分かり安心したが、メールの疑問はまだ残っていた。
それは、一体誰がユノをここから連れ出したかだ。それが判明しない限り、メールが完全な安心を得ることはない。
『あっ、そうそう。メールのことだから、今頃は私を連れ出した人物を調査しようと考えているでしょう?』
流石にメールと長い付き合いなだけあって、ユノはメールの考えなどお見通しだった。
『できれば、それはしないでくれると助かるわ。私をここから連れ出してくれた人物は師匠の関係者なの。彼らは貿易都市の敵じゃない。でも、味方でもないわ。……今はね。
もし、メール達八柱が彼らに対してこれ以上踏み込んで調査を続けるつもりなら、彼らが敵対しないとは言い切れない。私は師匠の味方だから、そうなってしまったら、私もメールと敵対しなくちゃいけなくなるわ。
……だからお願い、私を信じて。何もしなければ、私は貴女にもう一度会う事が出来るの。私は新しい身体でメールと再会できるのを楽しみにしてるわ。
それじゃあ……またね、メール!』
それの言葉を最後に、魔法陣は効力を失い沈黙した。
「またね……か~」
メールはユノからのメッセージに思う所はあった。だが、長い付き合いだからわかる。ユノの言葉に嘘や偽りわなく、その全てが本心で語られていると。
「ユノ、私は、あなたを信じるわ……。でも私は、貿易都市を経営する八柱の一員……、最低限の事はしないといけない義務があるわ~。せめてそれくらいは許してね頂戴ね~……」
メールは封筒に手紙を入れ直して懐に仕舞うと、足早に階段を駆け昇った。その足取りは軽やかで、迷いは躊躇いは無い。メールはただ、ここで知った事、それに対して八柱の取るべき行動、親友のユノの事について、最も最善となるべき方法を、自慢の頭脳で考えるだけだった。
「どうしたサムス? お前がため息なんて珍しいな」
「ちょっと、昨日色々ありまして……」
そう、昨日は本当に色々あった。
ユノが探していた師匠がミューダ様だと分かった瞬間、セレスティア様が怪しい笑みを浮かべて、ミューダ様に何も伝えずに連れてくるようアインに思念で伝え、連れてこられたミューダ様を見た瞬間、今まで溜め込んでいた感情が爆発したユノが暴走して、そこからミューダ様とユノの魔術合戦が始まった。
その余波で応接室が大変なことになったが、その様子を見ていたセレスティア様は「あのミューダが狼狽えているなんて一生有るか無いかよ! アイン、今すぐミューダのあの表情を絵画にして飾りましょう!!」と、大喜びしていた。勿論、あとでミューダ様にこっぴどく怒られていたが……。
その後、ミューダ様とユノが落ち着いたところで僕はニーナを呼んで来て、応接室の片付けを使用人総出で朝までやっていた。
肉体的な疲労は無いが、次から次へと何かが起こる怒濤の一日だったので、精神的疲労からため息が出るのも仕方がないというものだ。
「リジェン、今夜付き合ってくれませんか?」
「サムスから誘ってくるなんて珍しいな」
「僕にもたまにはそんな気分になる時があるってことですよ……」
「オッケー、分かった。場所はこの前の店でいいか?」
この前ということは、書庫の仕事を始めた初日に行った店のことだ。あそこの店は酒と料理が美味しく、それでいて手頃な値段設定という優良な酒場だった。僕も丁度その店にしようと思っていたので、二つ返事で頷いた。
「よし、じゃあ仕事が終わったら店に集合だ! ……それと、疲れてるなら少し休憩しておけ。責任者のお前が倒れたら、仕事が回らなくなるからな!」
そう言い残して仕事に戻るリジェン。僕はお言葉に甘えて、少し休憩する事にした。
近くの椅子に腰を落として背中を預けると、「ふぅ~」と溜まった物を絞り出すようににゆっくりと息を吐いた。
『資金を稼がないといけないのに、飲みに行っていいの?』
どこからともなく声が聞こえ、咄嗟にポケットから複雑で美しい装飾が施された金色の懐中時計を取り出した。
「大丈夫ですよ、稼いだ資金の一部はこっちでの生活資金として使っていいと言われています。……それよりも、人がいるところでは声を出さないようにお願いします。ユノ」
僕は懐中時計の中にいるユノに小声で注意する。
ユノが本から懐中時計に姿を変えているのには理由がある。昨日、ミューダ様との魔術合戦をした後、ユノは僕達に全面協力することを約束した。ユノからすれば、長年探していた最愛の師匠にようやく出会えたのだから、友人との友情より師匠への愛を選択するのは当然の帰結だった。
ミューダ様は露骨に嫌な表情をしていたが、セレスティア様に言いくるめられ渋々ながらも了承した。その時にユノの魂を入れる新しい体を作ることになったのだが、きっちりとした精巧な物を作るにはいくらセレスティア様といえど時間がかかるので、それまでの間ユノは僕のサポートをすることになった。それで持ち運びしやすいように、新しい器に魂を移し替えたのだ。
『分かってるわよ! 私の声が聞こえる範囲に人はいないわ。
そもそもこの計画は、師匠の為でもあるんでしょう? だったら一番弟子であるこの私が、師匠の迷惑になることなんてするわけ無いじゃない!』
昨日あれだけ派手に応接室で暴れたことは、既に忘却の彼方に置いてきたようだ。無理に掘り返すと面倒なので、口から出そうになった「どの口が言いますか……」という言葉を飲み込んだ。
「……とにかく、よろしくお願いしますね。ユノ」
『私がサポートするんだから、心配なんて無用よ! 大船に乗った気でいなさい!!』
こうして僕は、新しい仲間でありパートナーとなったユノと行動を共にすることになった。ユノの新しい体が出来るまで、僕は色々とユノに振り回されることになるのだが、それはまた別のお話……。
◆ ◆
コツ、コツ、コツ――
狭く長い階段に、リズミカルな靴の音が鳴り響く。真っ暗な階段の少しでも先を照らそうと魔石ランプを前方に突き出し、足元をよく見ながら早すぎず遅すぎずの一定のスピードで階段を下りていく。
その歩調に合わせて背中まで伸びる金色の三つ編みが馬の尻尾のように左右に揺れ、身体の全面に突き出てその存在感を主張する二つの豊かな山が上下に大きく揺れていた。
「…………」
足音の主、メールはとある人物に会うために、書庫の保管エリアの地下にある階段を下りていた。何段あるのかすら数えるのも億劫になる階段を時間を掛けて下りきると、小さな部屋に到着した。
「ユノ~、会いに来ましたよ~!」
メールは部屋に入るや否や、いつものように目的の人物の名前を口にする。いつもなら待ちわびた犬の様に嬉しそうな声で、すぐに返事が返ってくるはずだった。
「……ユノ?」
しかし今日は様子が違った。返事がいつまで経っても返ってこないのだ。不可解に思ったメールは魔石ランプの光量を最大にして部屋全体を照らしてみる。
「――ッ!?」
そこにあったのは、地面に突き刺さった太い杭と、その下に乱雑に落ちている鎖だけだった。
太い杭と鎖はユノがいつも体を固定するのに使っている物だ。しかし、肝心のユノの姿は何処にもない。
「ユノ!?」
メールは慌てて部屋の中を隈無く確認する。と言っても部屋は個室レベルの大きさしかなく、大掛かりな捜索なんて必要ない。太い杭しか置物が無い部屋には、隠れる場所もなければ、秘密の通路なんて物も無い。
ユノが何処にもいないことは誰の目にも明らかだった。
「……ユノ、一体どこに……?」
(ユノは身体が本だから、一人でここを出たとは考えられない。一応、浮遊魔術で浮かんで移動することは出来ると言っていたけど、魔力の消費が激しすぎて長い階段を半分も上ることもできないとも言っていた。……現状から考えて、ユノが連れ去られたと見た方が良さそうですね~……。
……でもこの場所は、私以外には“陽炎”と“隠者”と“見透し”の三人しか知らないし、隠し階段の魔術を解除する鍵は私しか持っていない。そして私は三人に鍵を貸していない……。
つまり、誰かが隠し階段の魔術を鍵を使わずに解除してユノを持ち出し、そして再び同じ魔術を施して去って行った。これ以外に考えられませんね~……。
しかし、そんな芸当が出来る人物がいるのでしょうか? 魔術を解除と簡単には言えるけど、あの魔術は私の魔力と、隠者の隠蔽技術と、ユノの魔術作製技術を組み合わせた完全オリジナルの魔術。発見する事自体が困難なうえ、それを解除してかけ直すなんて、どんな魔術師にも不可能な芸当のはずです……。
もし、そんな事が出来る実力を持った人物がこの都市にいたなら、間違いなく八柱の監視対象になっています。でも……今現在、監視対象になっている人物に、そんな実力を持つ魔術師はいません……。では、一体誰がユノを……?)
考えてみたものの、監視対象に該当する人物がいない以上、明確な答えが出るわけがないので、メールはすぐに何か手がかりが残っていないか探し始める。
まずは、この部屋で存在感をでかでかと主張する太い杭を調べ始めた。
「……あれ? これは~?」
調べ始めてすぐ、さっきはユノを探すのに必死で気付かなかったが、杭の裏側に封筒が一つ貼られているのを発見した。
メールは急いで封筒を剥がし、中から手紙を取り出して確認する。
しかし、手紙には文字ではなく、魔法陣が書かれているだけだった。これだけでは、誰がこの手紙を書いて、誰に宛てて書いたのか分からない。……だが、メールにはそれだけで十分だった。
「これは……『伝言』の魔法陣!? ということは、ユノからですね~!」
伝言とは、言葉を文字ではなく音声で記録する魔術のことだ。記録した音声は、魔法陣に魔力を流すことで再生して聞くことが出来る。
一見してみると、色々な状況で使える利便性の高い魔術の様に思うかもしれないが、この魔術は一般には普及していない。それは何故かと言うと、単純な機能とは裏腹に、魔法陣がとんでもなく複雑だからだ。それは高位の魔術師でも、描くのが難しいほどである。
その為、この便利な魔術を使えるのは、世界でも一握りの魔術師だけなのだ。そしてその一人は、この部屋から姿を消したユノなのだ。
伝言の魔術をこんな風に封筒に入れて、杭に貼り付けて残しているということは、少なくともそれが出来る余裕がユノにはあったということだ。その事実に少し安堵したメールは、早速魔法陣に魔力を流して、記録された音声を確認する。
『――これでよし! あ、あ~、コホンッ。メール聞こえてるかしら? ユノよ。
貴女がこれを聞いているなら、私は既にその場にいないはずよ。私がいなくてさぞかし心配してるかもしれないけど安心して、私は無事だし、何の問題もないわ!
……でも、私はしばらく貴女の前に戻れなくなったわ。というのも、聞いて! ついに師匠と再会できたの!! だから私は師匠の元に行くわ!
それとね、私今まで本だったけど、これから師匠のために沢山頑張ったら、新しい身体を作ってくれるって師匠が約束してくれたのよ!
だから……新しい身体を手に入れたら、メールに見せに行くわ! それまで暫しのお別れだけど、楽しみに待っていてね♪』
心の底から喜びを表現するような声色で、そう語るユノの声を聞いてメールはホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。無事で、よかった~……!」
ユノが無事だと分かり安心したが、メールの疑問はまだ残っていた。
それは、一体誰がユノをここから連れ出したかだ。それが判明しない限り、メールが完全な安心を得ることはない。
『あっ、そうそう。メールのことだから、今頃は私を連れ出した人物を調査しようと考えているでしょう?』
流石にメールと長い付き合いなだけあって、ユノはメールの考えなどお見通しだった。
『できれば、それはしないでくれると助かるわ。私をここから連れ出してくれた人物は師匠の関係者なの。彼らは貿易都市の敵じゃない。でも、味方でもないわ。……今はね。
もし、メール達八柱が彼らに対してこれ以上踏み込んで調査を続けるつもりなら、彼らが敵対しないとは言い切れない。私は師匠の味方だから、そうなってしまったら、私もメールと敵対しなくちゃいけなくなるわ。
……だからお願い、私を信じて。何もしなければ、私は貴女にもう一度会う事が出来るの。私は新しい身体でメールと再会できるのを楽しみにしてるわ。
それじゃあ……またね、メール!』
それの言葉を最後に、魔法陣は効力を失い沈黙した。
「またね……か~」
メールはユノからのメッセージに思う所はあった。だが、長い付き合いだからわかる。ユノの言葉に嘘や偽りわなく、その全てが本心で語られていると。
「ユノ、私は、あなたを信じるわ……。でも私は、貿易都市を経営する八柱の一員……、最低限の事はしないといけない義務があるわ~。せめてそれくらいは許してね頂戴ね~……」
メールは封筒に手紙を入れ直して懐に仕舞うと、足早に階段を駆け昇った。その足取りは軽やかで、迷いは躊躇いは無い。メールはただ、ここで知った事、それに対して八柱の取るべき行動、親友のユノの事について、最も最善となるべき方法を、自慢の頭脳で考えるだけだった。