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残酷な描写あり R-15
第二十話 爪牙
 帰参に成功した石勒が黎城の回廊を歩いていくと柱の影から光る何かが横切った。
石勒は瞬時に飛びのいた。
床の敷物を深々と切り裂いたその剣は、窓から差し込む光に反応して五色に変化した。
美しいというよりも、水面を侵蝕する油のように、鈍く禍々しい虹彩であった。

「勘のいいやつ。まあいい、俺の剣は、二度は避けられん」

五色の剣の持ち主はそれよりも奇抜であった。
銀色の長髪を束ね、赤い瞳をした美しい青年である。
背丈は劉淵をも遥かに上回る。
本当に人間か、と一瞬疑いをもったほどだ。

「何故、俺を狙う」

「お前は陛下を謀った。義兄弟を騙しているということは、部落の者たちにも何も知らせてはいないのだろう。既成事実を作って、これから説得するつもりなのだ。衆を率いて帰参する、という事前の便りは全て嘘だったということだ」

「結果が同じならいいだろ。細かいことは言いっこなしだぜ」

「いいや、許さない。それに……陛下の爪牙は俺一人で事足りる」

剣を構え、じりじりと近づいてくる。
石勒の愛剣、石氏昌は門番に預けてしまっている。
青年が踏み込んだその時、甲高い声が響き渡った。

「止めろ! 何をやっている、永明えいめい

その声を聞いて青年は突き出そうとした剣を止めた。
この青年が劉永明こと劉曜りゅうようであるらしい。
石勒は漢には“劉家の千里駒せんりのこま”と呼ばれる劉曜なる勇猛な将軍がいると聞いていたが、これほど若いとは思っていなかったので些か驚いた。
劉曜にはまた“神射しんしゃ”という異名もあると聞く。
今日は剣で襲ってきたが、弓も尋常な腕前では無いはずだ。
劉曜に声をかけて止めたのは、もう少し歳上の印象の男であった。
髪は黒く、どことなく面差しが劉淵に似ている。
腕が常人より長く見えるが、劉曜の奇抜な容姿と比べると、ごくごく普通だ。

「仲間割れはよせ」

男が言うと、劉曜は悔しげな顔をして返す。

「仲間なものかよ」

男は無言で劉曜を睨みつけたあと、石勒に目をやった。

「石勒といったか? 私は陛下の第四子、劉玄明りゅうげんめいだ。陛下は来るもの拒まずだが、周りにはそうでないものもいる。気をつけることだな」

劉玄明こと劉聡りゅうそう、こちらも漢の将軍として名の通ったほうだ。
名前の通りに聡明で、詩文にも通じると言う。

「皇子自ら助けに入って下さるとは、ありがたき幸せ。 以後、気をつけます」

こちらが一方的に襲われたのに気をつけろも糞もあるか、と石勒は思っていたが、穏やかに返す。

「オッ? 喧嘩か喧嘩か? 俺も混ぜてくれや」

劉聡の背後から歩いてきたのは、会見の際に劉淵の横に侍していた将軍だ。

王弥おうび殿の出るまでもありません。 些細な行き違いです。 さあ、お前ら、さっさと帰るんだ」

「ええー、そんなぁ。つまんねえな。遊ぼうや、ナァ」

王弥と呼ばれた男は巨体に似合わぬ敏捷な動きで劉聡の脇をすりぬけると、いきなり石勒の肩を掴んだ。
万力のような力で肩甲骨に指がめり込む。
こいつも怪物だ。

「オイ、元盗賊同士仲良くしようぜェ。 胡蝗ここう”の石勒」

「仲良くするのはやぶさかではありませんが、それなら、この手を離してもらいたいですなぁ。 “飛豹ひひょう”の王弥殿」

「キシシッ、俺の異名知ってた! えらいえらい。 気分がいいから今日のところは見逃してやろう」

王弥は石勒の肩から手を離した。
王弥。
晋の貴族の息子でありながら、大盗賊“飛豹”として悪名を轟かせた男。
なぜ漢に仕えているのだろう。

「だがな、俺の元海にちょっとでも妙なことをしてみろ。たちまち喰い殺してやるぜ」

王弥は石勒にメンチを切ると去っていった。
王弥は匈奴漢の王たる劉元海こと劉淵りゅうえんと個人的な繋がりがあるらしい。
劉淵が晋の宮廷にいたころに友情を育んだ、そんなところだろうか。
劉曜が舌打ちをして去ると、劉聡もまた顰めっ面をして城の奥に戻っていった。

帰順に際しての反発はある程度予想していたが、先が思いやられる。
実力で黙らせるしかあるまい、と石勒は思った。
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