残酷な描写あり
R-15
第八話 黒坊主
ベイと仲間たちは山東地方の西部、泰安の地を訪れていた。
眼前に広がるのは様々な宗教から信仰を集める霊峰、泰山である。
「孔萇、ここいらで間違いないんだな」
ベイは、横を走る孔萇に話しかける。孔萇の馬は孔萇に似て、でっぷりとしている。
しかし、乗り手と同じく見かけによらず敏捷であり、ベイの馬とぴったり同じ速度で走っていた。
「ええ、件の怪僧が棲んでいる金輿国はもうすぐです。拾っておいて損のない人材ですよ」
孔萇を仲間に引き入れ馬も兵も十分に手に入ったということで、ベイはとの下へ帰ろうとしていた。
そこで孔萇が付近の盗賊と争っている「黒坊主」と呼ばれる怪僧の話を切り出し、その人物を仲間に引き入れようと建言したのである。
さらに馬を進めると、山間に深い渓谷が走っていた。
これが孔萇の言う金輿谷であろう。
その下に不可思議な光景が広がっていた。
いくつものこんもりと盛られた土、その中の一つに手を合わせている人物がいる。
青い僧服を身にまとい、首には大きな数珠をかけている。
九尺にも届きそうな高い背丈の持ち主だ。
頭には鳥の巣のような奇怪な帽子を被っている。
ベイは馬を停めて降りると、その僧侶に声をかけた。
「盗賊と戦っている強い坊さんってのはあんたか?変わった帽子被ってんな」
ふりむいた男は黒檀のような肌をしていた。
鼻は低く、唇が厚い。
「これは帽子ではない。自毛だ。剃ってもすぐこうなるので諦めた」
よく見ると、男の言うとおり、頭に載っているそれはチリチリの頭髪が鳥の巣のように固まったものであった。
男は鏟をゆっくりと構え、警戒の様子を見せた。
その所作には一分の隙もない。
鏟は死者を埋葬するのに使う土工具だが、僧侶が自衛のために持つ武器としても知られている。
「へぇ、矢を避けるのに役立ちそうで、羨ましいぜ。なあ、あんたが噂の黒坊主だよな?
まあ、なんかの例えかと思ったらマジで色が黒いとは思わなかった。しかし、あんたに比べたらうちの夔安なんて黒じゃなくて、茶色だな。今まで夔安に黒いって言ってたの損した感じするわー。ムカつくわー」
「怒り方が理不尽すぎるよ、若頭」
後ろで夔安が抗議している。
話が脱線したのを見て、孔萇も馬を降りた。
「名乗るのが遅れた。こちらが、我らの指導者ベイ。私は部下の孔萇という。私達は、成都王の司馬穎様をお救けし、この地域に安寧をもたらさんとする義勇兵である。盗賊と戦うということは、あなたにも平和を希求する志があるということでしょう。腕が立つと評判のあなた、いや、あなた方にも、是非加わっていただきたいのです」
孔萇が周囲を見回すと渓谷の影からガサガサと音を立てて潜んでいた他の僧兵達が姿をあらわした。
黒坊主は、ぎょろりと目を剥いた。
「拙僧の名はクワク。西域の果てから来た。漢名は郭黒略。せっかくのお誘いであるが、我々は浮屠の教えを広めるために放浪している。そのような戦に加わる謂れは……」
ベイはトコトコと歩いていき、郭黒略の前の土饅頭をぽんぽんと叩いた。
「まぁまぁ落ち着けよ。ところで、こいつはなんだい」
「自衛のために止む終えず討った盗賊だ。こうして供養している」
ベイはげらげら笑った。
「供養するくらいなら殺さなきゃいいじゃん」
郭としてもその事は非常に不本意らしく、言い返さなかった。
「それで、その布教?とやらは進んでる?」
「この中華の地では、みな現世でのご利益ばかりをありがたがり、邪教がはびこっている。正しき浮屠の教えは、遅々として広まらない。困ったものです」
ベイは立ち上がって、郭黒略を指差した。
「それはあんたのやり方が悪いからだ!」
「なんだと!」
郭は鏟を構えて、ベイに突きつけた。
ベイはずんずんとその刃先にむかって進んでいく。
逆に気圧された郭は武器を下げる結果となった。
「何かを広めるには、有名な人に宣伝してもらうのが一番いいんだ! あんたの布教した相手で、誰か名のある人はいるか?」
「それは……」
「かぁー、駄目だね。全然駄目。話にならないわー」
郭はガックリと肩を落とす。
「ベイ殿、おっしゃりたいことはわかりました。ここからは私が」
孔萇が進み出た。ベイは、じゃあ任せたという風に、手をひらひらさせた。
「我々は成都王司馬穎様を助ける。あなたがその義挙に加われば、彼への布教の機会が得られるでしょう。自分を命を救けた相手の言う事には従う可能性が高いから、王が信者になるわけだ。そして、王の政治的影響力は絶大だ。万全の庇護のもとで、布教できますよ」
「そう上手くいくか……」
逡巡する郭に、孔萇は続けて言い放った。
「正しい教えなら王にも通じる。あなたがその浮屠の力を信じないでどうするのだ。嫌なら、一生ここで無益な殺生をしながら雑魚に布教しているがよい」
郭はしばらく空を仰いだ後、西の方角に向いてガバと伏すと、額に地をこすりつけて言った。
「浮屠よ。教えを広めるため、弟子とともに、しばし戦に加わりまする。ご容赦を……」
ベイは拳を掲げると孔萇にもそうするように身振りした。孔萇が拳を掲げるとゴツンとぶつける。
「やったな。よし、汲桑のオヤジのところに戻るぞ」
郭黒略との出会いは、後にベイの人生を変えることとなるある人物との出会いの始まりでもあった。
その事を、今のベイは知る由もない。
眼前に広がるのは様々な宗教から信仰を集める霊峰、泰山である。
「孔萇、ここいらで間違いないんだな」
ベイは、横を走る孔萇に話しかける。孔萇の馬は孔萇に似て、でっぷりとしている。
しかし、乗り手と同じく見かけによらず敏捷であり、ベイの馬とぴったり同じ速度で走っていた。
「ええ、件の怪僧が棲んでいる金輿国はもうすぐです。拾っておいて損のない人材ですよ」
孔萇を仲間に引き入れ馬も兵も十分に手に入ったということで、ベイはとの下へ帰ろうとしていた。
そこで孔萇が付近の盗賊と争っている「黒坊主」と呼ばれる怪僧の話を切り出し、その人物を仲間に引き入れようと建言したのである。
さらに馬を進めると、山間に深い渓谷が走っていた。
これが孔萇の言う金輿谷であろう。
その下に不可思議な光景が広がっていた。
いくつものこんもりと盛られた土、その中の一つに手を合わせている人物がいる。
青い僧服を身にまとい、首には大きな数珠をかけている。
九尺にも届きそうな高い背丈の持ち主だ。
頭には鳥の巣のような奇怪な帽子を被っている。
ベイは馬を停めて降りると、その僧侶に声をかけた。
「盗賊と戦っている強い坊さんってのはあんたか?変わった帽子被ってんな」
ふりむいた男は黒檀のような肌をしていた。
鼻は低く、唇が厚い。
「これは帽子ではない。自毛だ。剃ってもすぐこうなるので諦めた」
よく見ると、男の言うとおり、頭に載っているそれはチリチリの頭髪が鳥の巣のように固まったものであった。
男は鏟をゆっくりと構え、警戒の様子を見せた。
その所作には一分の隙もない。
鏟は死者を埋葬するのに使う土工具だが、僧侶が自衛のために持つ武器としても知られている。
「へぇ、矢を避けるのに役立ちそうで、羨ましいぜ。なあ、あんたが噂の黒坊主だよな?
まあ、なんかの例えかと思ったらマジで色が黒いとは思わなかった。しかし、あんたに比べたらうちの夔安なんて黒じゃなくて、茶色だな。今まで夔安に黒いって言ってたの損した感じするわー。ムカつくわー」
「怒り方が理不尽すぎるよ、若頭」
後ろで夔安が抗議している。
話が脱線したのを見て、孔萇も馬を降りた。
「名乗るのが遅れた。こちらが、我らの指導者ベイ。私は部下の孔萇という。私達は、成都王の司馬穎様をお救けし、この地域に安寧をもたらさんとする義勇兵である。盗賊と戦うということは、あなたにも平和を希求する志があるということでしょう。腕が立つと評判のあなた、いや、あなた方にも、是非加わっていただきたいのです」
孔萇が周囲を見回すと渓谷の影からガサガサと音を立てて潜んでいた他の僧兵達が姿をあらわした。
黒坊主は、ぎょろりと目を剥いた。
「拙僧の名はクワク。西域の果てから来た。漢名は郭黒略。せっかくのお誘いであるが、我々は浮屠の教えを広めるために放浪している。そのような戦に加わる謂れは……」
ベイはトコトコと歩いていき、郭黒略の前の土饅頭をぽんぽんと叩いた。
「まぁまぁ落ち着けよ。ところで、こいつはなんだい」
「自衛のために止む終えず討った盗賊だ。こうして供養している」
ベイはげらげら笑った。
「供養するくらいなら殺さなきゃいいじゃん」
郭としてもその事は非常に不本意らしく、言い返さなかった。
「それで、その布教?とやらは進んでる?」
「この中華の地では、みな現世でのご利益ばかりをありがたがり、邪教がはびこっている。正しき浮屠の教えは、遅々として広まらない。困ったものです」
ベイは立ち上がって、郭黒略を指差した。
「それはあんたのやり方が悪いからだ!」
「なんだと!」
郭は鏟を構えて、ベイに突きつけた。
ベイはずんずんとその刃先にむかって進んでいく。
逆に気圧された郭は武器を下げる結果となった。
「何かを広めるには、有名な人に宣伝してもらうのが一番いいんだ! あんたの布教した相手で、誰か名のある人はいるか?」
「それは……」
「かぁー、駄目だね。全然駄目。話にならないわー」
郭はガックリと肩を落とす。
「ベイ殿、おっしゃりたいことはわかりました。ここからは私が」
孔萇が進み出た。ベイは、じゃあ任せたという風に、手をひらひらさせた。
「我々は成都王司馬穎様を助ける。あなたがその義挙に加われば、彼への布教の機会が得られるでしょう。自分を命を救けた相手の言う事には従う可能性が高いから、王が信者になるわけだ。そして、王の政治的影響力は絶大だ。万全の庇護のもとで、布教できますよ」
「そう上手くいくか……」
逡巡する郭に、孔萇は続けて言い放った。
「正しい教えなら王にも通じる。あなたがその浮屠の力を信じないでどうするのだ。嫌なら、一生ここで無益な殺生をしながら雑魚に布教しているがよい」
郭はしばらく空を仰いだ後、西の方角に向いてガバと伏すと、額に地をこすりつけて言った。
「浮屠よ。教えを広めるため、弟子とともに、しばし戦に加わりまする。ご容赦を……」
ベイは拳を掲げると孔萇にもそうするように身振りした。孔萇が拳を掲げるとゴツンとぶつける。
「やったな。よし、汲桑のオヤジのところに戻るぞ」
郭黒略との出会いは、後にベイの人生を変えることとなるある人物との出会いの始まりでもあった。
その事を、今のベイは知る由もない。