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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
22-2 巨悪の罠
 ピピ、ピピ、と機械の音が等間隔に鳴り響く。
 その近くではぽたりぽたりと一滴ずつ雫が落ちて、消毒液の匂いが辺りに充満していた。
 場所は庵、神宮寺家の門を入ってすぐ左手にある小さな診療所だ。

「体全体に擦り傷、打撲、腕や足に細い針か何かが貫通した痕、肋骨2本と頸椎が損傷……衣服の一部は溶けた様に穴が開いている。式神・焔の力を使った装衣換装でこれか……おかげで焔もダメージがでかい。一体どうなったらこうなる……」

 はぁ、と中年男性は深いため息を吐き、波音の体の状態をメモする。
 波音は大体の治療を終えて点滴と呼吸器をつけられ、その上で全身包帯に巻かれた姿となった。
 そのかたわらでは咲栂がずっと癒しの力を使っている。

「玲、そろそろ一度休憩しろ。それ以上はお前の体に毒だ」

 厳しい視線と表情で訴える医師だが、咲栂は表情を動かす事無く、ただ淡々と目の前で眠る波音の治療にあたる。
 しばらくして咲栂の眉間に皺が入り、ゆっくりと口を開いた。

「……主様は拒否しておるぞ。少しでも波音が治るようにと焦っておるな」
「だめだ。そもそもお前の歳で咲栂を操るのは難しいだろう。そろそろ意識の方に負担が来るんじゃないのか」
「それでも、やめられんのじゃろう。妾が居なくなれば誰がこうやって術士の治療にたずさわるのか。夏樹しかおらぬではないか」

 咲栂は小さくため息を溢し、やっと視線を医師に向ける。
 今度は医者の男の眉間に皺が寄った。

「だが術士の治療を重ねれば重ねるほど、治療を受けた者の自己治癒能力は下がる。お前は水鏡波音をお前が居ないと戦えない体にするつもりか?」

 ぴくりと咲栂の指が動き、ばしゃりと水が落ちた。
 咲栂の姿は水に溶け、中から現れた玲はずぶ濡れの姿で固まっている。
 ゆっくりと震えた声が漏れた。

「……だけど、それだと波音が……」
「水鏡波音の山は越えた。あとは彼女がこのまま安静にして、自然と目覚める時を待つだけだ。それは治療を何度も見ているお前だって分かるだろう……」

 術を使って広げた手をぐっと握り締め、玲の表情は悔しさに歪む。
 男は胃を軽く摩りながら、小さくため息を吐いた。

「……玲、お前が咲栂を使って癒しの力を使えるのはあと1,2回が限度だ。今はもう、彼女にそれは必要ない。あとは咲栂と別れてまともな術士をしろ」
「……僕に、もっと力があれば……。ごめん、波音……皆……」

 玲はその場に立ち尽くし、医者は頭を掻いて庵を後にした。
 波音は呼吸器をつけられたまま眠っている。
 顔にもあった擦り傷と打撲は消えた。
 全身を貫通した穴やひびの入った骨、火傷、波音の体に広がった傷はもう目や医療機材では見えない程度に、文字通り跡形もなく消え、何事も無かったかのようになっている。
 だが、それほどに傷が深かったのか、波音が持つ術士の力の気配すら消えてしまった。
 多分波音が目覚めるまでは焔も戻って来ることはできないだろう。
 父はいつも限界までしっかり治療してくれるし、腕は確かだ。
 だが、この気持ちの焦りは消えようがなかった。
 一体どうしたらこの力不足だと感じる力は、立派なものに成熟してくれるのだろうか。
 玲の心は常に複雑な思いで溢れ返っていた。

「――あの……玲、さん」

 そこへゆっくりと扉が開き、暗緑色の髪が隙間から覗く。
 ちらりと申し訳なさげに現れた顔に、玲はいつもの笑顔を張りつけた。

「……夏樹、どうしたの?」
「玲さん、少しは休んで下さい。波音さんは僕が見てますので……」
「夏樹は大丈夫なのかい?」
「先ほど負傷した狐面の方を治療しましたが、僕はそんなに力を使ってないので……。あ、学校は休みましたよ」

 爽やかな顔をする少年は両手でグーを作り、元気アピールをする。
 その姿が少し面白くて、夏樹なりに元気を出そうとしてくれているのだと感じた。

「そっか……分かったよ。僕は、少し休んで学校に行ってくる。しばらく離れるけど……何かあったら言って。父さんも何度かここには様子を見に来ると思う」
「分かりました。気を付けて」

 夏樹は真っ直ぐにベッドに横たわる波音の横に立ち、玲は波音を夏樹に任せて庵を後にした。
 これ以上は何もできない。
 自分にできることは、あとは常に心配の対象であった妹の様子を見ることだけだ――。



***
 昨夜、巡回に出てから遅い時間に竜牙から連絡が入っていた。
 『師隼の屋敷で泊まり込む』と簡単な連絡だったが、何故か軽い気持ちでは見過ごせなかった。
 一抹の不安が襲って、だけど術士でもないただの一般人である日和に出来ることは何もない。
 ただ、大きな問題が何も起こっていませんように。
 そう願って眠るしかない。

 朝は明け方に目が覚めた。
 しかし心配している竜牙はまだ戻ってきた様子もない。
 不安ばかりが積もって、心が潰れそうになって、時間が経ってもう朝の準備をしなければいけないという時になって竜牙は帰ってきた。

「波音が倒れた」

 明らかに疲れ切った表情をする竜牙の最初の一言は、日和の心を一層重くした。

「……な、なんでですか? 何があったんですか!?」
「……女王に遭遇したらしい。怪我が酷く、医者と……玲に治療を頼んでいる最中だ」
「そんな……!」

 竜牙の疲弊ぶりから大事があったのだろうとは予想できる。
 それでも何もできないままであることは大きな不安だ。
 よりにもよって、相手はただでさえ距離が離れている波音。
 余計に心配が募って思考が埋まっていく。

「あ、の……私――」
「――師隼のところには絶対に行くな」
「でも……!」
「日和、今はだめだ。傷だらけの波音を見て、何ができる」
「……っ」

 竜牙の言葉は事実だ。
 なんの力を持たない自分が行ったって何もできない。足手まといになるだけだ。
 そんなことは分かっているのに気が立ってしまう。

「落ち着け、日和。夏樹も居るし、しばらくすれば波音は完治する。だからお前は気にせず学校に行け。何も知らないように過ごして、何か変わったことや怪しいことがあれば逐一報告してくれればいい。寧ろそれが、今お前が安全に過ごせる最善だ」
「でも……! ……わかり、ました……」
「日和は絶対に安全だ。それはこちらでも分かっている。また昼に向かうから、それまで、待っていて欲しい」
「はい……。……た、竜牙!」

 疲れているのだろうか。
 ふらりと大きく体を揺らして部屋に戻ろうとする竜牙に、日和は声をかける。

「……どうした?」
「少しでも、私の力を……持って行って下さい……」

 なんとなく、竜牙も倒れてしまう気がしてしまった。
日和は不安に塗れた心で竜牙の手を取る。
何かがないと、不安で押し潰されそうで仕方がない。

「……ああ、ありがとう」

 竜牙は静かに礼を言って、日和から力を受け取った。
 少しだけ脱力するような感覚があり、ちゃんと受け取ったのだと理解できる。

「じゃあ竜牙、行ってきます……」

 日和は学校へ行く準備をして鞄を持ち、一人で学校に行く。
 不安ばかりが日和の心に浮かんで、消えてはくれない。
 そしてまた少しずつ、日和の中で力が溜め込まれていった。
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