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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
16-3 帰路のエンカウント
 18時。
 予定よりも長く居座ったのでかなりの量を纏められた気がする。
 あの後、波音には日和の勉強目的を伝えた。
 波音は手伝てくれて、基礎教科ではあと社会科全般と理科の生物が残った。
 ちなみに波音には古文と英語、化学をしてもらっている。

「ありがとう。あとで竜牙に渡しておくね」
「どうせ途中なんだから、家まで送るわよ」
「僕もついて行きます」

 夏だからか、この時間でも昼間に近い明るさがある。
 長く伸び始めた影を踏みながら日和達は歩いていく。
 学校区から住宅地へ入り、ただ歩を進めていただけの道。
 安月大原へ歩いていると……正面からふらふらと歩く子供の姿があった。
 危ないな、あの子、大丈夫だろうか?
 そんなさり気無い心配をしていたら、ぴたりと波音の足が止まった。

「波音?」

 波音の様子がおかしい。
 日和が顔を覗くと、その表情は真っ青だ。
 だが、相手の子供もだった。

「……! 結界を張ります!波音さんは皆を呼んで下さい!」

 何か異変を感じ取った夏樹が両手を地面に、線を引く。
 この空気は3回目だ。
 なんとなくだけど、分かる。
 あの子は……――女王だ。

「波音さん!!!」
「ごめ――あっ!?」

 夏樹の大声に波音は、はっ、と体をのけ反り慌ててスマートフォンを取り出す。
 しかし、スマートフォンは空へ投げ出され、波音の後ろへ転がった。

「波音!?私がするよ!」

 日和は急いで波音のスマートフォンを手に取り操作をする。
 師隼にアプリの使い方を教えて貰って良かった、と日和は心から安堵した。

「風琉、装衣換装!」
「あいよ、夏樹!」

 一方の夏樹は風琉を呼び出し、風琉の衣装を身に纏う。

「ほっ、焔! ……ごめん、お願い!」
「ああ、大丈夫だよ」

 波音はなんとか式の名を呼び出した。
 焔は大きな姿で現れ、そのまま棍棒を構える。
 そして夏樹と焔で揃って飛び出し、正面に見える妖に攻撃を始めた。

「波音、大丈夫……?」

 日和は操作を終え、波音に駆け寄る。
 波音はそのまま膝を折り、へたり込んでしまった。

「あの子は……ううん、きっと違う……そんな訳、ない……!!」

 波音は変わらず血の気の引いた青い顔で、がくがくと震えている。
 まるでなにかに恐怖しているかのようだ。
 一方で夏樹と焔は戦っている。
 焔の棒術を主体に夏樹が風でその動きをカバーし、手持ちのナイフで少女の動きを抑えているらしい。

「すまない、遅くなった……って波音、どうした」

 先に合流したのは竜牙だ。
 珍しく先陣を切らず、座り込んでいる波音に目を丸くしている。

「それが、あの妖を見たらこの状態で……」

 波音を支える日和の言葉に竜牙は妖の少女を見る。
 そして、目を見開いた。

「和音……?」

 竜牙の呟いて出たその名前に、波音は大きく体を震わせた。
 次の瞬間には酷く竜牙を睨みつけて声を荒げる。

「そんな訳ないでしょ、あの子は死んだの!! あんたの妹を連れて、勝手に妖と戦って、来たら死んでたじゃない! あんたの妹を行方不明にして、体をバラバラにして、死んだはずでしょ!?」

 「なんであそこにいんのよ!」と叫んで、波音は頭を抱えて地に伏せる。
 竜牙は口を噤み、何も言わず加勢に向かった。
 日和は波音を視界の端に置きながら戦いの様子を見る。
 少女の姿をした女王は相手に竜牙が増えても攻撃を避けていた。
 まだ小さく、細い体を器用に使って機敏に動いている。
 ただし三人も攻撃の手数は少なく、まるで様子見をしているようにも見えた。
 相手がどんな手法で攻撃してくるかは分からないのか、それとも本当に知人に似ていて戦いづらさがあるのかもしれない。
 相手を知らない日和には、その辺りの動きは読めなかった。

「ごめん、遅くなった!」

 そう言って現れたのは、玲だ。
 安月大原の奥の方から現れたのに、屋根伝いに走りながら状況を見て、加勢せず素通りして波音に駆け寄る。

「日和ちゃん、波音は大丈夫!?」
「兄さん……! ずっとこの状態で……」
「分かった、皆に任せてここを離れよう! 師隼の屋敷が近いから先に報告だ」
「う、うん……」

 明らかに変わった様子の波音に玲は心配した表情をしている。
 玲は波音を背負って日和と共に場を離れた。
 移動している間も波音は苦しみを耐えるように体を震わせたままだ。
 日和は心配にはなったものの、声はかけられない。

「日和ちゃん、急いでいい?」

 いつの間にか冷ややかな表情に変わった玲はそう言って手を伸ばしてきた。
 その手を取り、日和は玲と波音に体を寄せる。
 すると玲の足元に水が湧き上がり、玲はその上を滑るように進んだ。
 すると走っていた時よりも速度が倍になり、あっと言う間に神宮寺家の門が見えてきた。
 玲達は文字通り屋敷へと滑り込んでいく。

「師隼!」

 玲はそのまま玄関を上がり、家主の名を叫ぶ。
 その場で脱いだ三人の靴は上がるまで足元にあった水がうねり、綺麗に並べられ外に流れ出ていった。

「玲! ……波音はどうした?ずいぶんと青いが」
「それが……」

 奥の廊下から現れた師隼に、日和はこれまでの経緯を話す。
 すると師隼は表情を重いものに変えた。

「なるほど、ひとまず波音を休ませよう。朋貴!」
「ああ。玲、あずかる」
「ありがとう……」

 師隼が名を呼ぶと、どこにいたのか付近から朋貴が現れた。
 朋貴は玲から波音を預かるとすぐ横の部屋に波音を連れて行く。
 部屋の襖が閉まりきった時、師隼の目の色を一段と重いものに変えた。

「……とりあえず私達は場所を移そうか」

 師隼は日和と玲を連れていつもの大広間へと向かった。
 大広間には既に準備されているかのように座布団が敷かれているが、枚数はちゃんと波音の分が抜かれている。
 師隼と玲は先に座布団に腰を下ろす。
 日和は立ったままだったが、師隼に促されて座ることにした。
 しばらく、沈黙が流れる。
 どこにも視線を置く場所の無い日和は空いた座布団2枚を見つめた。
 竜牙と夏樹の分だ。

「……心配かい?」

 気付けば師隼が浅い笑みを浮かべて日和を眺めていた。

「えっと……はい」
「私は、いつもこうやって心配しているんだ。何もできないもどかしさがあって、中々退屈するだろう?」

 目を瞑る師隼はにこりと笑ってみせる。
 どうやら日和を気遣っての言葉だったようだ。

「どうすればいいか……分かりません。皆の邪魔はしたくないけど、できるかぎりのお手伝いはしたい、です。でも――」
「――だって。玲が守った妹はとても良い子だね」
「契約上ですけど……そう言われると恥ずかしいのでやめて下さい」

 日和の言葉を遮り玲に微笑む師隼の目は優しい。
 玲も、落ち着いた表情で口角を上げていた。

「さて、玲。今回の女王、その存在を理解していそうだね?」

 師隼の言葉に玲の体が揺れた。

「……一応。あまり口に出したくないけど、和音みこ、本人だと思う」

 玲は小さなため息をつく。
 よほど嫌なのだろうか。
 その表情は苦虫を噛み潰したようで、きつく口が結ばれた。

「そうか。ならば波音の様子も仕方ないな。……可哀想に」

 師隼は目を伏せ、大きなため息を吐いた。

「あの……」

 何も知らない日和は事態についていけない。
それでも気になってしまって、思わず声が出てしまった。

「すまない。まだ、4年前の話だ。もしかしたら、君にも関係のある話かもしれないしね。話しておこう」
「師隼!」
「隠す必要はないだろう? 日和、実は君の父を襲った妖はまだ倒せていないんだ」
「……っ」

 日和をまっすぐに見る師隼を玲は止める。
 しかしいさめられ、口を噤む。
 師隼の表情は悔しさが滲んでいた。

「4年前に応援の術士が来たんだ。磁力を操る少女で、こちらでも共にやっていけるような有能な子でね。波音や正也の妹と仲が良くて、明るい子だった……」

 練如が現れ、淹れたての茶を配る。
 師隼は受け取った湯呑みを見下ろすと懐かしむような声を発して語り始めた。
 手に持つ茶の水面には悔恨の表情を見せる師隼の姿が浮かんでいる。

「でもね、彼女は正也の妹と共に、妖に出会ってしまったらしい。玲達、ここの術士が駆けつけた時には既に事切れていた……それは無残な程にね。波音がトラウマに感じてしまうほどだ。丁度、今の時期だね」
「波音が……」

 日和は先程まであんなに取り乱していた波音の姿を思い出す。
 きっと凄惨な現場だったに違いない。
 もしかして竜牙が話していた応援術士の事だろうか。
 そうであればそれが原因で師隼の兄は光に焼けたと思うと、師隼もその話は辛いのではないだろうか。
 そう、思った。

「波音自身は正也の妹との接点はなかったんだけどね。……さて、そろそろ帰ってくる頃じゃないかな」

 そう言って師隼が見据えた先の入り口で物音がした。
 大広間に来てから20分ほどが経っただろうか。
 竜牙と夏樹が大広間に入ってきたが、二人共どこか暗い表情をしている。

「おかえり。……焔は先に波音の所へ?」
「……ああ。師隼、すまない」

 師隼は竜牙に問うが、言葉は重く、短い。
 その様子では、どうやら女王に逃げられたようだ。

「報告を聞こうか」

 師隼は眉一つ動かすこともなく、空いた座布団へ座る二人をまっすぐに見た。

「……僕と波音さん、それと日和さんが、最初に女王に出くわしました……。でもその女王は――」
「――和音みこだったと」

 言葉を濁す夏樹に師隼ははっきりと斬るように答える。
 夏樹の表情は固くなり、竜牙の表情は歪んだ。

「師隼、あいつは……」
「竜牙、この妖にはもう関わるな。お前達全員だ。発見次第、すぐに私を呼べ。例外はない」

 竜牙が口を挟むが、師隼は声を強くして言う。
 師隼の表情は先ほど、玲と話していた時とは別人かと思えるほど冷たい。

「師隼、悪いが俺はあいつを追いたい。さっきは一切襲って来なかった。あの時何があったのか、知りたい」
「それで私が良い、とでも言うと思うのか? 攻撃されてないだけでその女王が安全な奴だと? お前まで妹のようになったらどうする? 波音の次に冷静でいないといけないのはお前だ。今冷静でなくて、誰が彼女を対処できる?」

 竜牙は口を一文字にし、悔しそうにしている。

「報告は分かった。今日は解散でいい。波音は2日ほど安静、お前達は警戒だけしろ。相手がそうなら私は大丈夫だ、私が行く」

 師隼の言葉に誰も返事をせず、頷くだけとなった。
 居づらい気持ちはあったが、何もできない。
 重たい空気が日和に重く、圧し掛かった。



「日和ちゃん、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 一人ずつ、玄関までは一緒だった皆がゆっくりと離れていく。
 神宮寺の大きな門の前で玲が先に帰路へついた。

「日和さん、今日は……お疲れ様でした」

 眉を八の字にして夏樹は苦し紛れの笑みを見せる。
 釣られて日和も「夏樹君もお疲れ様」と夏樹を労う。

「最後にばたばたしたけど、色々と捗りました。よかったら、また一緒にいいですか?」
「寧ろ私も沢山進んだし、こちらからもお願いします」
「ありがとう、二人共気を付けて帰って下さい。おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」

 夏樹は笑って帰っていく。
 日和の事を気にかけていたのかもしれない。

「俺達も帰ろう」
「あ、はい!」

 残った日和と竜牙は目を合わせると竜牙を前にして歩き出す。
 辺りは完全なる夜になっていた。
 少し前までは怖かった街灯が並ぶ中を、日和は普通に歩いている。

「そういえば、日和は今日何していたの?」

 腕を袖の中に入れて歩く竜牙が問う。

「え、あ……えっと、夏休みの宿題をしようと図書館に行っていました。すみません、伝えた方が……よかったですよね?」

 竜牙の足が止まり、日和の方へ向く。
 日和の表情はほとんど無に近いのに口は一の字になっている。
 竜牙の見え透くような目が、じっと日和を捕らえ、伏せがれた。

「いや、いい。ごめん、少し過保護だったかもしれない……」
「いえ、あの……その、すみません。まだ、慣れなくて……」

 日和の頭が申し訳なさそうに少しずつ下がる。
 竜牙の伸ばしかけた手は握り締め、再び袖の中へと片付けられた。
 小さなため息が竜牙の口から漏れ、口を開いた。

「早く慣れろ、とは言わない。自分の家という訳ではないし、難しいことも理解しているつもりだ。だが、せっかく共に住んでいるのだから……困った事があれば相談できる程度でいい、あの家が日和の休める場所となって欲しい。……これは俺の我が儘だ」
「竜牙……。その、ありがとうございます」

 顔を上げる日和。
 目の前には既に相手が背を向け、歩き出していた。
 日和はその背を追うように帰路につく。
 帰宅すると荷物は使用人に回収され、既に夕飯が準備されていた。

「勉強は進みましたか?」

 一人の女中がにこりと微笑みかけてくる。
 日和に付く女中の華月だ。

「はい、結構捗りました」
「ふふ、よかったですね。日和様は努力家です」
「いえ、そんな事は無いです……!」

 ちなみに日和が正也の勉強について相談をしたのも華月だが、こうしてくすくすと笑ってくるので少し恥ずかしい。
 食事を終えて部屋の前。
 隣の部屋のドアをノックすると、竜牙が顔を出した。

「ん……、どうした?」
「あ、あの……さっき図書館で、書いてたんです。その……置野君が授業に出られてない分です。
 夜……いつも書いてますよね? まだ足りない教科があるんですが、少しでもお役に立てればと思って……」

 手に持っていた今日の勉強の成果、ルーズリーフの束を竜牙に差し出す。
 受け取った竜牙は目を丸くした。

「ありがとう……。その、大変だっただろう……?」
「いえ全然! 私も復習になったし、途中波音にも手伝って貰ったので。まだ書けてない教科の方はもう少し待って貰っていいですか?」
「あ、ああ……、助かる。ありがとう……。えと、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 にへら、と日和は笑顔を見せ、部屋へと戻る。
 竜牙は頷きしばらく固まっていた。

(……正也、大丈夫か?)

 暫く眠っていた式神から、声がかかった。
 何かが膨れ上がるような気持ちと共に顔が熱くなって、小さく呟く。

「た……っ、竜牙……こういう時はどうすればいい……?」

 少しの間を置いて、「好意は受け取っておくものだ」と返事があった。
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