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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
16-2 夏休み
 ミンミンゼミのけたたましい鳴き声が夏の盛りを知らせる。
 今はもう7月の下旬。
 昼間でも汗が流れ、夜は寝苦しくなってきた。
 家の中にいても良いのだが、生憎仮に住まわせて貰っている身分の為か、中々居づらさがある。
 それは未だに日和がこの家に慣れていない原因もあるかもしれないが、それでもやっぱ気にしてしまう部分は気になってしまう。
 置野家の使用人達はいつも甲斐甲斐しい。
 飲み物や温度の心配から、「部屋を好きに使っていい」「何かあればすぐに呼ぶように」と口々に言うので、日和は少しずつ溜まっていた対人に対しての疲労を消すべく、今日は避暑地へと逃げてきた。
 場所は先週から夏休みで通っていない高校のはす向かい、図書館だ。

 白を基調とした大きな建物は3階建てであるが、地下もある広々とした空間。
 個人で使える勉強スペースからビデオ機器に音楽を聞くブース、更にはカフェスペースを含めたエントランスは地下から3階まで見渡せる、吹き抜けになっている。
 ちなみに地下は子供達用の絵本や紙芝居。
 1階は貸し出しカウンターに一般書物やカフェスペース。
 2階は学術用本と勉強スペース、3階は専門書、とコーナー分けがされている。
 食と寝る場所さえあれば余裕で1カ月は引き籠れそうだと感じるほど立派なこの施設で、日和は毎年夏休みだけ数回通っていた。

 今日は夏休みの宿題に加えて入学から夏休みまでの授業を全て、自分のノートを見ながら手持ちのルーズリーフに書き込む予定で来ている。
 ちなみに宿題は自分用、ルーズリーフは竜牙として妖と戦い休学している正也の為だが、特に本人からは何も言われてはいない。
 ただ最近になって夜な夜なカリカリとペンが走っている音は聞こえるので、日和が気にしているだけの自己満足だ。
 最初は玲も誘おうとしたが、生憎今日は追試があるらしい。
 寧ろ基本職員室の張り紙で上位に名前を出している優秀な玲の事だ、多分何の心配もないだろうと日和は一人でやってきていた。

 早速ではあるが、いくつかの参考書を纏めて両手に本の山を作った日和は2階の勉強スペースで自分の城を築く。
 周りに二度見されたり変な顔や視線を受けている気がするが、一切気にも留めない。
 開館10時に入ってから6時間前後でどこまでやれるか……日和は無意識の中でも少し、うきうきとしていた。
 そして早速、授業を思い出しながら、かりかりとペンを走らせる。

「あれ……もしかして、日和さん?」
「……ん?」

 集中し始めた頃、声をかけられた気がする。
 声があった方を向くと、夏樹が3冊ほど辞書サイズの本を持って日和の隣に立っていた。

「あ、夏樹君……! ごめん、気付かなかった。夏樹君も宿題?」
「うん、そう……なんですけど……えっと、すごい量ですね……」
「そうかな? そんなものじゃない?」

 久しぶりに顔を見た夏樹の表情は心なしか引き攣っているようにも見えるが、日和は涼しい顔を向けている。
 夏樹は思わずにこりと笑って毒を吐いた。

「結構すごいと思うよ。控えめに言って、おびただしい……かな」
「おび、ただしい……。でも楽しいですよ」

 言われた言葉に不可思議そうな顔を向けつつも、釣られるように笑う日和も大概だ、と夏樹は心の中で思う。
 日和の前にそびえる本の山は数冊程度では済ませない。
 まだ夏休み、更には1年生であるのに明らかに受験勉強でもするかのような量だ。

「そっ、か。こんなの見たら波音さんは発狂しそうだなぁ……。あ、隣いい?」
「はい、どうぞ。波音も優秀だよね?勉強、実は嫌なのかな?」
「いや、あの人のことだから宿題は全部済ませてる筈。予習復習はちゃんとしてるし、半端も間違いも許さない完璧主義者の自信家だから、勉強に追われてるの見ると波音さんが賑やかそうだなぁって」

 夏樹は日和に対して少し誤解をしているらしい。
 しかし波音評についてはすごくよく分かる。
 それは既に麻婆豆腐を作った時に確認していた。

「あぁ、私の宿題はあと1/4ほどなんです。残りは入学してから今までの分の授業を纏める予定です」
「そうなの!?金詰さんも中々の勉強家だね……。まだ夏休み始まって1週間も経ってなのに……」
「学校に行けてないと、戻ってくる時大変だと思ったので……無駄ならそれでいいんですけど」

 にこりと微笑む日和は楽しそうに見える。
 しかしその文脈に、夏樹は疑問が沸いた。

「えっ、この勉強って誰の為のものですか……?」
「ん? あぁ、置野君のです」

 夏樹はその答えに目を丸くした。
 同時に温かい気持ちが込み上げて、くすっと笑ってしまった。
 なんだ、出てくる感情が薄いだけで心はちゃんと温かな優しい人じゃないか――。
 しかもペンを走らせながら少し楽しそうにしている。
 そんな日和の様子に、夏樹は少しだけ正也が羨ましくなった。



***
 日和は先に宿題を済ませ、参考書や自分のノートを見ながらルーズリーフに取り纏めていく。
 そして長く集中し続け、ふう、と息を吐いた時――ぐうぅぅぅ、とお腹が鳴った。

「んぅっ!? ……あれ、夏樹君?」

 割と大きく聞こえたために少し恥ずかしくなったが、隣に夏樹は居ない。
 思わず周囲を目線で探しても、どこにも見当たらない。
 あまりに集中しすぎて居なくなってしまったことに全く気付かなかった。
 もしかしたら夏樹はもう、帰ってしまったのかもしれない。
 次に会った時、ちゃんと謝ろう……そう思っていると、背後でがさっと音が響いた。

「あ、日和さん休憩ですか? はい、これ」

 そこには夏樹がコンビニの袋を持ってにこにことしていた。
 更に袋からペットボトルのお茶とおにぎりが現れ、差し出された。

「いえ、悪いです……」

 口で拒否はしたものの、再びお腹が鳴る。
 前に玲に怒られた事を思い出し、どうにも拒否しきれなかった日和はしぶしぶ受け取った。
 この図書館は入館料が500円かかる。
 しかし飲食できる場所はしっかり決まっているが、持ち込みをokとしているので特に問題は無い。
 本を借りるときは一人2週間10冊までで学生は無料、延滞が入れば図書館から該当生徒が在学する学校へ督促が来る安全サポートがある。
 この図書館は設備だけでなくルールも飴と鞭をしっかり備えていた。

「なんだか申し訳ないです……ありがとうございます」
「気にしないで下さい。休憩も大事ですよ」

 にこりと優しく笑う夏樹に感謝をしておにぎりを頬張る。
 空腹には身に染みる美味しさだ。
 ちなみに昼食代の金銭は後にしっかりと返した。
 それから数刻。

「えっ、僕が出たことに気付かなかったんですか!?その集中カ羨ましい……」

 おにぎりを頬張りながら、夏樹はため息を吐いて恨めしそうな顔をする。

「寧ろごめんなさい、わざわざお昼ご飯買ってきてくれてたなんて……。本当に帰ってたら、次会う時に謝ろうと思ってました……」
「気にしなくていいのに。それにちゃんと休憩しないと疲れちゃいますよ?」
「そうよね。いくら机に20冊積まれてたって、それでぶっ倒れて勉強の内容忘れました、なんて元も子もなさすぎてドン引きレベルよね」
「波音!?」「波音さん!?」

 勉強スペースの角、日和と夏樹で始まった昼食会にさりげなく大きな棘が会話に混ざった。
 聞き覚えしかないその声に、日和も夏樹も声が揃う。
 振り向けば不機嫌な様子で両耳を塞ぐ波音の姿があった。

「貴方達、ここが図書館だって分かってる?」

 波音の強い眼力と言い放つような高圧的な態度はやはりデフォルトか。
 それより日和が築いた参考書の城よりも、揃った声の大きさが勝ったらしい。
 周囲にはとても悪目立ちしていた。

「と、ところで波音、どうしたの?」
「特に何もないわ。暇だったから来ただけよ」

 ふわぁ、と大きく欠伸をする波音は日和の正面に座る。
 幅は1.5mほどある大きな机だが、それでも波音は近くに感じた。

「へぇ……僕ならともかく、よく日和さんがここに居るって分かりましたね?」
「……? そりゃ分かるわよ、GPS登録してるもの」

 当然のように、波音はさらりと言った。
ほら、とスマートフォンの画面を見せてきたが、赤と緑、そして見覚えのない桃のアイコンが見える。

「いやいや勝手に何してんの!」

 夏樹は勢いよく立ち上がり、また注目を浴びる。
 それからゆっくりと丁寧に座り、ゴホンと空咳をした。

「……なんで日和さんの位置情報を個別に登録してんですか? いる?必要です?許可とりました??」
「いるでしょ。襲われてたらどうするのよ。許可は……良いわよね?」

 ずい、と前のめりになる夏樹に対して、波音は眉一つ動かさない。
 ひとつ言えることは、否定できる空気ではないことだ。
 大変お世話になってるのでそもそも否定する必要もないが。

「私は大丈夫だよ」
「か、監視社会……」
「寧ろびっくりしたのは私の方よ」

 頭を抱える夏樹に、波音はにたりと悪魔的な笑みを浮かべた。
 そして「ふーん……」と声を漏らすと、両手を組んで口を開く。

「貴方達ってそういう関係だったのね。朝から二人でここに集まって、一緒に2時間半ほど勉強して、一緒にごはんを食べて……ふふっ、これが図書館デートってやつね?」

 にっこりと楽しそうに笑う波音。
 夏樹はみるみる真っ赤になって、全力で否定する。

「ちちち、違うからっ!!」
「え? 違うの?」
「……? 私は勉強始めた時に、夏樹君が声をかけてくれたので一緒に勉強してるだけだよ?」

 真面目に返事する日和に波音はけらけらと笑う。

「あっはは! もう振られてるー」
「も、もうっ、本当にそういうのじゃないからっ! ……僕はこっちに戻りますっ!!」

 そう言って夏樹は机に勉強道具を広げ、不貞腐れながら勉強を始めてしまった。

「素直じゃないわね。……さて、私もやろうかしら」

 そう言って波音も筆箱やノートを取り出し、勉強の準備を始める。
 先ほどの夏樹の言葉を思い出し、日和は口からつい疑問を吐いた。

「あれ、波音は宿題終わってないの?」
「終わったわ。でも私達はできる時にやらないと、簡単に置いてかれるもの。正也になっちゃうわ」
「なるほど……」

 やっぱり、ルーズリーフに纏めようと決めて正解だったようだ。
 日和は緩んだ口元でふと夏樹を見ると、耳を赤くしながら難しい顔をして勉強に集中している姿があった。
 その姿に内心可愛さを感じながら、日和も勉強の続きを始めた。
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