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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
13-3 トラウマ*
「へぇ、それで日和は休んだの。今は大丈夫なのかしら?」
「容態は落ち着いている。すまない、完全に気が抜けていた」

 友人が居なくて退屈なのか、一層不機嫌な波音の言葉や表情は少しやさぐれていた。
 頭を下げる竜牙に玲は首を振り、頭を上げるよううながす。

「仕方ないよ。その姿になってからあまり休めてないでしょ? 正也は?」
「さっきまでは起きていたが、徹夜をさせた。今はまた休んでいる」

 竜牙の答えに玲は「そっか……」と短く答え、言葉を続ける。

「それよりそんなことがあったなら、今日は本格的に女王探しをしないと」
「そうなのだが……玲、後で日和の過去を聞きたい」
「…………なんで?」

 ひやりと、玲の言葉の温度が下がった。
 表情に変わりは無い。
 それでも、共に仕事をしている術士でも流石に警戒をしているようだ。

「昨夜、酷くうなされていた。何度も同じ夢を繰り返し見ていたようだ。朝には覚えていない様子だったが……」
「それって重要なの?」

 首を傾げる波音に玲は口を閉じ、息を吐き出す。
 まるでいつかの、諦めた様な表情だ。

「……はぁ。魘されていた日和ちゃんは、何て言ってたの?」
「家族を呼び、夜は嫌いだと苦しんでいた」

 竜牙の答えを聞いた玲は顔を押さえ、悲痛な表情を浮かべる。

「そう……」
「なによ、なんなの?」

 眉をハの字にして理解に苦しむ波音は玲に顔を向ける。
 話す決心がついたのか、玲は眉を落として口を開いた。

「日和ちゃんが一番怖い景色は、街灯が照らす明るい夜。それが彼女のトラウマなんだ」
「夜なら普通、暗い方が嫌じゃないの?」
「いや、日和ちゃんは目の前で血まみれの父親が死ぬ姿を見てるから……。先日のおじいさんの事もあるし、ね」
「……あれを、か」

 少し青くなる玲の表情に合わせ、竜牙も苦い顔を見せる。
 日和の父、金詰けいが殺された現場には佐艮に連れられ竜牙も行った。
 到着した頃には既に保護され、少し離れた所で少女がぐったりとしてはいたが、まさかそれが日和だとは。

「私は死んだことしか聞いていないわ。そんなに酷かったの?」

 当時現場に来ていたのは波音の母だった。
 彼女にも、あまりにも酷い状況は見せないよう配慮をしていた記憶がある。
 当時の状況が想像もつかないであろう波音に、竜牙は口を開く。

「日和の祖父は被害者の中では多い姿だったが……蛍は、あれはいくらなんでも非道だった。四股は離れ離れ、内臓も出ていた。顔も半分は潰れていたし、清掃係が何人も交代した程に悲惨だったからな」
「想像がつかなすぎてモザイクものじゃない……。グロ映画かしら?」
「しかも街灯が照らしてよく見えただろうね」
「最悪だわ……気持ち悪い」

 竜牙と玲の説明に波音は明らかにげんなりした。
 陽気な佐艮も変わり果てた親友の姿に流石に黙り、立ち尽くし、何も言わず震える手で冥福を祈っていたのを覚えている。
 あれほど酷い現場は中々に無い。
 それを見ての悪夢なら、それは最高の恐怖だっただろう。
 それだけでなく祖父も夜に襲撃され、日和にはまだ伝えていないが母も妖に殺されている。
 なんとも夜に嫌われたものだ。

「で、日和はその夢を見ていたっていうの?」
「ああ、恐らく。父、母、祖父を繰り返し呼んではうめいていた」
「僕が最初に会った時にはもう日和ちゃんの母親は居なかったから、流石に分からないや……」
「それにしても、自分勝手な母親ね。目の前で父親が死んでショックを受けている娘を放置して普通消える?」

 首を横に振る玲に、波音は苛立たしげに吐き捨てる。
 確かにあの母親は自分勝手だった。
 だが竜牙は日和の家を片付けていた時、ファイルに纏められた日和の母が撮ったであろう沢山の写真で理解したが、あの母親はきっと蛍を愛し、心酔していた。
 そんな人間が死んでしまえば……後を追うことも想像できる。
 それが出来なかったのは日和と、その祖父……自分の父が居たからだろう。

「……日和の母は耐えきれなかったのだろう。幼い娘を守って夫は死んでしまった。そんな夫の血を引く娘は「父を守れなかった」と悲しんでいる。少しでも術士の力を使ったからこそ、あの金の髪を持っている……それが証拠だ。
 母親も日和も、互いが向き合うのは難しかったのだろう。その事に対して、責任の追及はできない」

 そう考えれば祖父はまた別なのだろう。
 術士の力があってもなくても、一緒に住んでいたのに守れなかった。
 母からすれば日和は2度裏切ったことになる。
 それでも。

「だからといって、日和の母を擁護することはできないが……」

 竜牙の呟きのような言葉に、波音は「はぁ?」と眉を寄せた。

「とは言っても当時の日和は小さかったんでしょ?そんな娘を道具だと思ってんの?力の使えない人間に何を期待してるっていうの?自分の身すら守れない癖に……」
「波音」

 少しずつ、早口になってヒートアップしていく波音に玲の制止が入る。
 そういった問題は波音の地雷だ。
 いつの間にか踏み越えていたらしい。

「……それで日和は落ち着いている、のよね……?」

 冷静になり、静かになった波音が息を吐く。
 話題は最初に戻ってしまった。
 その姿に大した気遣いは出来ないが……日和の様子は見たいだろう、と考えるより先に口から言葉が漏れた。

「後で来るか?」
「……何か持って行くわ」
「ああ、分かった」

 みるみる小さくなる波音に竜牙は頷いた。



***
「うっ、すみません……」
「あまり具合が良くありませんね。無理なさらなくていいんですよ?」
「すみません……」

 日和の口から出た嘔吐物がテーブルと床に広がり、日和は今日も謝り倒す。
 それを華月が処理し、目の前では佐艮が日和の隣に屈んで腕の痣を確認していた。

「日和ちゃん、範囲が広がってる。少し抑え込んでみるね」
「すみません……」

 竜牙に説明して貰った時は小指ほどの円形だった黒い痣。
 それが今は中指ほどに近い楕円形に広がっている。
 黒い痣に指を向け、佐艮は言葉を紡ぐ。
 指先に黄色の光が灯るものの、弾けるようにかき消えてしまった。

「く、だめか……」

 昼食後、日和はふと訪れた睡魔に誘われうとうとしてしまった。
 そして目を瞑った途端、また父が目の前で殺された。
 それがあまりにもリアルで生々しく、その衝撃に目を覚ました日和は食べた物を全て吐き戻してしまっていた。

「すみま、せん……」
「被害を受けた狐面もそうだったけど、どうやら眠ると、夢となって悪化させるみたいだね……。大丈夫だよ、落ち着いて」

 それから日和はずっと謝り倒している。
 最早誰に謝っているのか分からないくらい。
 夢の中にさえも、謝っているのかもしれない。

「すまない、戻っ……――どうした?」

 帰ってきた竜牙が部屋の状態を見るなり、目を見開いて日和の元へ近寄る。

「さっきまで食事をしていたんだけど、戻してしまったみたいでね。刻印が広がったんだよ」

 佐艮は竜牙に説明をする。
 その表情は佐艮の生業、解呪師の顔だ。
 日和は小さく震え、俯いている。

「日和、一度部屋で休もう。ほら……」

 手を伸ばす竜牙だが、日和の反応はない。
 声をかけても反応はなく、結局日和が汚れないよう気を付けながら、竜牙が抱き上げ部屋へと運んだ。
 ベッドの上で座らせられた日和はそのまま固まって、小さく震えている。

「……~っ!」

 日和の目に溜まっていた涙がぼろぼろとこぼれ落ち、日和は口元を押さえる。
 その様子はぎりぎりまでその言葉を溜め込んで、飲み込もうとしている……そんな風にも見えた。

「日和、口に出して楽になることもある。あまり抑え込むな……」

 横に付き添う竜牙が腕を伸ばし、日和の頭を撫でる。
 途端に塞がれていた蓋が外れたように、日和はぼろぼろと泣き出した。

「ふ……、ぅぐ……ぅっ……すみ、ま、せ……」

 抑えつけ、溜めて、耐えて。
 さっきまで本当に何ともなかったのに、心が限界だった。
 夜中の酷い夢を思い出した。
 死に、別れ、離れ、真っ暗な夜と、それを照らす残酷な光。
 全てが、怖い。
 その気持ちはすべてが始まったあの日から、何も変わっていない。
 いっそ、全てを捨てた昔に戻りたい。

「日和」

 そう、思いたいのに。

「た、つ……が…………」
「何度も言っている事だ。術士ではないのに、巻き込み過ぎた。これは、私達の責任だ。もっと前から、守ってやらないといけなかった。すまない」

 頭に乗っていた竜牙の手が日和の頬に触れ、ぼろぼろと落ちる涙が竜牙の腕を伝う。
 その表情は心配そのもので、日和の心を汲み取ろうとしている。
 嬉しさよりも、申し訳無さばかりが溢れて仕方ない。
 だけどその優しさはずっと心の奥底にまで沁みてばかりだ。

「竜、牙……」
「今は守れる。やっと守ってやれる。だから……守らせて欲しい。日和の、その心も」

 竜牙の顔が近付いて、コツンと額同士が当たる。

「……っ」

 あまりの近さに日和は息を飲み、自分の心音が破裂しそうなほど大きく聞こえてきた。
 竜牙の目は、真剣だ。
 どうすればいいのか分からず、いつの間にか止まった涙と震える声で「はい」と小さく答える。
 悪夢を見たことを忘れそうなほど、何に涙を流していたのか分からなくなるほど、何度も助けてくれる存在に日和の頭は真っ白に埋め尽くされた。

「あああああの、も、もう、大丈夫です……! だから、その……ありがとう、ございます……」

 日和は両手で何とか竜牙の体を離す。
 悲しさよりも恥ずかしさが強まってきて、ただでさえ目が腫れぼったいのに顔全体が熱く感じる。

「そうか」

 短く答える竜牙は小さく笑うと日和の頭を撫で、立ち上がった。

「あ……何処かへ、行くんですか……?」
「女王を討伐しに行く」

 一瞬にして竜牙は術士として戦う表情へと変わった。
 この呪いを与えた女王を倒しに行くのだと日和は気付いた。
 記憶に新しいのは、先日の『憧憬の女王』。
 今回も女王の仕業であるならば、きっと再び彼女の心を言い当てなければならないだろう。
 そう考えると、日和の思考は急速に回転を始めた。

 ――何度もこの悪夢を見せる女王はどうして私の過去を知っているのだろうか?
 他人に悪影響を与えるのが、妖の呪い。
 物理的な影響も精神的な部分に影響を与えるものだと佐艮は言っていた。
 だけど精神的にダメージを与えるなんてどうやって?
 そう考えた時、ふと、別に過去なんて知らなくても関係ないのではないだろうか?と思い至った。
 他にも数人の被害が出ているとは聞いた。
 だけど日和のように、そんなに多くの人間が家族が死ぬ経験をしただろうか?
 実際に自分は夢を見て心が苦しくなったけど、誰もが皆同じような体験なんてしていない筈だ。
 
(私が夢を見て苦しかったのは、もしかして夢に成り得る事象が私の過去にあったからでは……?)

 きっと、答えは違う。
 きっと、この女王はもっと沢山の人間を無差別に襲っている筈だ。
 その中で引っかかったのは、だけなのではないだろうか?
 じゃあ、どうして私達が被害を受けたのだろうか?
 まるで仲間を求めるかのように。
 その答えは、きっと、もっと、幼稚だ……――。

「――あ、あの……私も連れていって下さい」
「危険だ」
「……お願いします。気になる事が、あるので」
「前みたいに上手く行くとは限らない」
「……そうかも、しれないです。でも……私、多分この妖に言わないといけない事があるんです……!」

 日和は真っ直ぐに視線を向ける。
 すると少し悩んだ竜牙は小さく息を吐き、「わかった」と短く、嫌そうに答えた。
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