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作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
13-1 女王襲来*
タイトルに「*」(シルシ)をつけたものはグロや胸糞表現がされた話になります。
苦手な方は回避・あるいは注意を払って見て頂くようお願いします。
ちなみに程度が大きくなるとシルシも増えますので、一つの指標にしていただければと思います。
「日和ちゃん、どう?ウチには慣れた?」

 廊下で鉢合わせした佐艮は嬉々として日和に問う。
 一応この置野家に住むようになり、ひと月が経つか経たないかといった頃合いだ。
 6月は終わりが近く、丁度梅雨が明けた。

「えっと……そう、ですね。いつもありがとうございます」

 佐艮の声に頭を下げた日和は、正直に言うとこの家の環境に慣れた訳ではない。
 どちらかというと問題がこの先にある。
 テスト週間を抜けた大型の休み、夏休みだ。
 それが何の問題になるのかというと、日和の生活上、今まで家には祖父しか居なかった。
 対してこの家には二十人程の人がいる。
 あまりにも人が居過ぎるのだ。
 騒音等には一切困ってはいないが、この家に居る住人にはそういった仕事柄とはいえ常に気にかけられるのがどうも落ち着かない。

「いえいえ。なにかあったり欲しいものがあれば言ってね」
「はい、その時はよろしくお願いします」

 悪く言うつもりは一切ないが、そもそもの家主がこれなのだ。
 やっぱり落ち着かない。
 何かあればすぐに竜牙が来て気にかけてくれることも助かってはいる。
 が、たまにそれすらも一種の罪悪感を感じる。
 多少の息苦しさに日和の表情から少しずつ疲れが見えている。
 その様子も竜牙にはお見通しらしい。

「日和、大丈夫か?」
「え?」

 学校から帰った日和は部屋に帰る途中、竜牙に出くわした。
 その表情は相手の深い部分を覗くようだ。

「疲れていそうだ。あまり休めていないのか?」
「すみません、休めているとは思うのですが……」
「気疲れか。家の者には言ってるのだが……なにぶん世話を焼きたがる不躾な者が多いからな。すまない」
「そんな、不躾だなんて……」

 小さなため息が竜牙から漏れる。
 竜牙はそこそこにため息が多い。
 大小あるが、何かあればすぐに出てしまっている。
 元から苦労性なんだろうとは思うが、かなり重症ではないだろうか。

「竜牙、私は大丈夫ですので」
「出かける時は呼んでくれ。今、女王の気配が出ている」
「女王……分かりました」

 日和は頭を下げ、自室に戻った。
 さて、それはつい2,3日前の事だ。
 無事に生きてはいるが、狐面が数人、女王に襲撃され倒れたらしい。
 術士総員で巡回に街へ出ているものの、姿は見えず未だに足取りも掴めていないまま数日が経っている。
 脳裏に先日の『憧憬の女王』と名付けられた女王が浮かんだ。
 あれはまだ異形、完全に人とは言えない姿だったが、女王に成ったばかりの姿だと言っていた。
 女王自体は完全に人の姿になりきれるという。
 師隼から講習と呼ばれる授業を受けたが、妖と戦わないといけない皆が心配になった。
 その"講習"とやらは後日話そう。

「――あれ」

 部屋に戻った日和は早速勉強道具を広げた。
 しかしポーチ型の筆箱から取り出された消しゴムは割れて、片側が消えていた。
 替えも無いしその分残りが少なくなっている。
 念のためノートを見ると、白紙ページが少ないものがある。
 竜牙に先ほど言われた事を思い出してため息が漏れた。
 これでは竜牙と一緒だな、と思いつつ、仕方なく財布を手に取って日和は部屋を出た。



 ――コンコン。
 隣の部屋、その扉をノックをしてみる。しかし返事は無い。

「竜牙、いますか……?」

 そっと中を覗いてみると、ベッドに机、本棚――日和と同じシンプルな部屋の奥で、出窓に片足だけを乗せくつろぐ竜牙の姿があった。
 少しだけ傾き始めた光に照らされた銀色の髪は金色に輝き、美しさが増しているように見える。
 思わず見とれてしまいそうだが、寝ている竜牙を起こすのは忍びない。
 日和は机にメモを置いて静かに部屋を出た。

「あら日和様、どちらへ?」
「あ、この辺に書店はありますか?文房具が足りなくなってまして……」

 階段を下りると丁度女中が気付き、声をかけてきた。
 まだこの安月大原に慣れた訳ではない日和は念の為に訊いてみた。

「文房具、ですか。一応文房具店として小さな店は知ってますが、学校区域との境ですし、こちら側には他に無いと思います。私が買いに参りましょうか?」
「いえ、急いで帰るようにします。15分で戻ります」
「それはまた大急ぎですね……。分かりました、お気を付けて」

 「申し訳ありません」と言いながらも丁寧に教えてくれた女中に見送られ、日和は走って文房具店を目指す。
 女中が言っていた店は登下校の際に通るので日和もよく知っている。
 なので道に迷うことも、何かしらの危険になることもなく、行きはなんの問題もなく入店し、早速消しゴムとノートを手に入れた。
 ついでにルーズリーフとペンを1本買った。多分、何かに使うだろう。
 ちらりと店の時計を見る。
 あまり長居をしたつもりはないが、家を出てから10分近くが経っていた。

「早く帰ろう」

 急いで帰ると言ったのだ、急ごう。
 外はまだ明るさを残している。
 多分、大丈夫。何があっても振り返らず、帰ろう。
 そう心に決めて日和は真っ直ぐに走って来た道を戻る。

「……あれ?」

 行きは一本道だった筈だ。であれば帰りも当然一本道である。
 それなのに、先ほどの文房具店に着いた。
 日和は思わず後ろを振り返る。
 しかし当然今通ってきた道と同じ道が広がっていた。
 店内の時計を見ると、出た時間から5分進んでいる。

「嘘……」

 足が完全に止まってしまった。
 夕暮れの赤い光が気持ち悪い程に目に焼き付き、ぞわりと悪寒が走った。
 蒸し暑さと走ったことで上昇した体温を下げる為の汗が、逆に寒気を与えて一気に冷える。
 ――明らかに、まずい。
 今ここには日和の身一つしかない。
 助けてくれるような人間は、この場所には誰一人居ない。
 走っている間にも空は刻々と夜の時間を告げ、辺りは暗くなっていた。
 日和のトラウマが掘り起こされる時間が近付いている。

「い、嫌……!」

 一目散に、必死で足を動かした。
 よく分からない道を走り、視界に入った角を曲がる。
 今自分がどこを走っているのかは検討もつかない。
 ただ必死に、"何か"に、恐怖に見つからない道を、捕まらないように走った。

「あ……――」

 しらばらくして見覚えのある建物が目の前に見えた。
 恐怖から逃げるつもりで、日和は転がり込むようにその門を潜る。
 ――ドン!

「わぷっ!」
「おわっ、日和!?」

 明らかに何かにぶつかった。
 倒れそうな体を支えられ、顔を上げるとそこには竜牙が驚いた顔で立っている。
 どうやら無事に帰って来られたらしい。

「た、竜牙!すみません、勝手に出てしまって……」
「いや、こちらこそすまない。呼んでくれと言ったのに休んでしまって……大丈夫だったか?」
「あ……はい、大丈夫でした。ありがとうございます」
「……とりあえず中に入ろう。ここじゃ結界が薄い」

 竜牙に促され、屋敷の中へと帰る。
 ほっと安心の息が漏れ、敷地に足を踏み入れた。
 横目で見えた空はまだ明るさを残しているはずなのに、帰り道は深夜のように真っ暗だったことだけが引っかかった。



***
 優しい父が横にいる。
 手を繋いで、笑顔で母のもとへ遊びに行った帰り道。
 外でご飯を食べて、「少し遅くなったね」と街灯が明るく照らす公園を遊びながら歩く。
 肩車をしてくれた。
 鬼ごっこで追いかけられた。
 影踏みしたら父の影に私は消えた。
 ブランコで何度も押してもらった。
 滑り台の先で、父が笑顔で腕を広げていた。
 そんな楽しい気持ちに彩られてキラキラしていた記憶。
 大切な、大切な、パパと思い出……。

「パパ!おうち帰ったら絵本読んでー!」
「日和は絵本が好きだなぁ。今日は何の絵本にしようかな」
「んっとねー、んとねー!」

 あんなに、大事だったのに……。
 ぐるりと視界が変わり、気付けば私は地に伏せていた。
 真っ赤な地面、手を握ってくれる父の手の先は、目線の先にある。
 そんな腕のない父は何度も私を呼ぶ。

「ぐ……っ!ひよ……り、大……丈夫、か……」
「パ、パ……」
「お前の、未来を……皆に預ける……」

 父の掠れた声が聞こえた。

「ひより……ごめんな……」
「――嫌、嫌だ!パパ、置いてかないで……――パパ!!」

 涙が溢れる。
 手を伸ばす先の父は離れていく。
 何も触れられないまま公園はいつの間にか自分の元居た家に変わり、次は母がキャリーケースを引いて家を出ようとしていた。
 父親に伸ばした手は、気付けば去ろうとする母親に伸ばしている。

「ママ、どこ行くの?パパの所行くの?」
「日和、ママはパパがいないと生きていけないの……。ママはパパを探してくるから、おじいちゃんと仲良く暮らしてね。たまに帰ってお外の写真見せるからね……」
「――待って、ママ!ママまで居なくならないで! なんで?なんで行っちゃうの!? ママ!!」

 誰も映っていない風景写真と父なんて比べなくても、どちらが大切かなんて分かる。
 私も父が好きだったけど、母はもっと父が好きだった。
 母の個展の作品にはどれも父の影があった。
 母の写真はもう、ただの風景なのだ。
 私の居場所なんて何処にもない。
 この夫婦の間に――私の入る場所は無い。
 私は立ち上がって背を向けた。
 そこには祖父が優しい笑みでこちらを見ている。

「おじいちゃん……。おじいちゃんは、一緒に居てくれるよね……?」

 母が居なくなってからずっと傍についてくれた祖父が、今まで離れた事なんてなかった。
 声をかけた優しい祖父は、にっこりと笑った。

「私は、日和ちゃんが元気でいてくれるのが一番だよ」

 祖父に、手を伸ばす。
 しかし触れられそうなところで、目の前の祖父は血を吐いた。

「――……っ!」

 バタバタ、と音を立てて足元に真っ赤な血が広がり、腹部の脇から中心にかけてぽっかりと空いていた。
 まるで大きな口に噛み千切られたように。

「大丈夫。日和ちゃんなら一人でも生きていけるよ」
「ゃ……嫌……っ! 嘘、でしょ……?おじいちゃん、おじい、ちゃ……――」

 ――優しい父が、横にいる。
手を繋いで、笑顔で、母の元へ遊びに行った帰り道。
外でご飯を食べて、少し遅くなったね、と街灯が明るく照らす公園を遊びながら歩く……。

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