▼詳細検索を開く
作者: 柊 雪鐘
残酷な描写あり
8-2 引っ越し
「日和、いいか?」

 朝、ノックで合図を送って竜牙は日和の部屋に入る。
 中にいた日和は起き上がるどころか既に制服に着替え、髪を梳いて勉強机につけた椅子に腰かけていた。

「あ、竜牙……おはようございます」
「ああ……。眠れたか?」
「はい、ありがとうございました。……あ、こう言うと何だかもう帰る気みたいですよね……! えっと、大丈夫です」

 にこりと笑ってみせた日和に頷いておく。
 それにしても時刻はまだ7時前であるのに、随分と朝が早いものだ。
 いや、主が中々起きないだけなのかもしれないが。

「そうか。ならよかった。今日は、どうするつもりだ?」
「えっと……家に戻って、荷物纏めたいと思うのですが、いいですか?」
「ああ、わかった。じゃあ朝食後……いや、昼食後でもいいか?」

 少し思う所があり、念の為時間をずらす。
 日和は首を傾げるものの、理由を聞かずそのまま頷いてくれた。

「私は大丈夫です」
「すまない。変な報告を聞いたので……念の為だ」
「分かりました」
「後でまた来る」

 日和は特に変わった様子などなく、無事に確認し終えた。
 あとは現場が元に戻っている事を祈るしかない。
 それから正也の部屋に向かい、身体を少し休ませた。
 目を覚まして再び顔を見に行けば、日和は丁度昼食をとっていた。

「そろそろ行こうか」
「そう、ですね……」

 ぎこちない返事をする日和と共に竜牙は金詰家へと向かっていた。
 勿論結界の中なので二人を視認できる人間はいない。

「……」
「日和、浮かない顔をしているな」
「すみません……。母がいると思うと、少し気が重たくて……」

 日和は心配そうな表情で歩いている。
 言葉通り、やはり母親の存在が気になってしまうのだろう。心なしか足の進みも遅い。
 竜牙はその心配の必要が無いことを知っている。
 しかし日和がそれを知ったとして、余計に足取りは遅くなるだろう。
 まだ日和には母が死んだ事実を伝えていない。

「……そう、か。傍にはついている。何かあったら呼べ」
「はい、ありがとうございます」

 にこりと笑う日和の表情はまだ不安が残っているが、幾分かは軽減されたらしい。
 いつもの演技混じりの笑顔とは違う笑みだ。

「荷物はどれほどありそうだ?」
「全く無いです。学校関係と……服をいくつか持って帰れれば、それで」

 普段の表情に戻った日和は淡々と答える。
 しかし竜牙にはそれが心底意外に思えて、目を丸くした。

「それで、って、それだけでいいのか?女はもっと物があると思ったが……」
「私はあまり物に興味がなかったので、そんなに執着もないんです」
「そう、か……」

 にこりと笑う日和に竜牙は視線を落とす。

「あ、えと……もし興味を持てるものを見つけたら、買いますから」

 日和は昨日、佐艮から「欲しいものがあったらちゃんと言うんだよ」と言われた。
 視線を落とす竜牙の姿が日和には、憐れに思われていると映ったらしい。
 実際には視線の落ちた場所に、日和の母親と大量の血痕が残されていた。
 その跡がしっかり消えているかの確認である。

「無理して見つけるものでもない。だが、そうだな……人の家で暮らすのは色々と気にしてしまうだろう。暇つぶし等を準備しておくのは悪くないとは思う」
「暇つぶし……なるほど、そうですね」

 取り繕うこと無く言う竜牙に日和はこくりと頷き、同意する。
 日和の家へはあと少しだが、問題の家についての情報は無かった。
 竜牙からすればそちらの状況の方が今は心配だ。
 それから更に少し歩き、昨日見た家が目の前に現れる。
 見た目ではなんの変わりも無ければ家主である日和もなにも疑っていない家の前に立つ。

「すぅー……はぁー……」

 大きく深呼吸する日和は意を決して家のドアに手をかけた。
 がちゃりとノブを動かすが、ガコン、と引っかかったような音が響く。
 どうやら開かなかったようだ。

「あれ?鍵がかかってる……そっか、もう行ったんだ」

 日和に顔を向ければほっと、どこかで安心している姿がそこに居た。
 ポケットに入っていた鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
 かちゃりと音が鳴って、今度こそ扉は開いた。
 日和は依然としてなにも疑っていない。
 それだけで竜牙の心配はひとつ、落ち着いた。
 そんな家の中はしん、と静まり返っている。

「私、2階に行って荷物を纏めてきますね」
「ああ、分かった。少し中を調べるぞ?」
「はい、もう用は無いので何でも好きに見てください」

 真っ直ぐに2階へ上がろうとする日和に竜牙は声をかけた。
 日和は何かを気にすることもなくそのまま上がって行き、竜牙は早速1階を調べていく。
 台所等はここ1日くらいで一切使われた気配は一切ない。
 洗濯物もある程度山にはなっているが、問題は無いだろうとスルーする。
 玄関こそ妖の気配が少しあったが、今は然程感じないのはきっと家の入口から妖が入ってきたのだろう。
 しかし、母親は何故外へ出て行ったのだろうか。
 妖はそのまま母親を追いかけて出て行ったようなので、特に問題だとは感じない。

 次に奥の階段裏に位置する部屋に向かった。
 男性物の服等が室内に出ている。
 先日亡くなった祖父の部屋と思われるが、部屋の中央には赤色の光沢感のあるキャリーバッグが鎮座していた。
 これは日和の母親のものだろう。
 本人はもう居ないとはいえこのまま手を出すのも失礼だろう、手を合わせて中身を空けてざっと見回す。
 特別な目的はない。
 だが、このままこの親子が別れるには……寂しすぎる。
 これはそう思っての探索だ。

 トランクの中にめぼしいものは見た所ない。
 衣服にカメラ、日用生活品、タオル……いや、タオルに包まれて2種類のファイルが見つかった。
 流石に中を見るのも気が退けるが、ここで止めるなんて事はしたくない。
 まず、A4サイズのファイルから手に取った。
 中を開くと、どれも国外の風景写真。
 人物こそ映っていないが、街並みや自然を相手にした写真、どれも見入ってしまう程で写真家というのも頷ける。
 一通り見てファイルを片付け、もう一つのファイルに手に取った。
 もう一回り小さいサイズでやや薄め。
 その違いはあるのだろうか、と中を覗く。

「む……?」

 中には先程と似たような風景写真。
 しかし、どれも大人の影が混じっている。
 相手こそ誰か分からないが、写真の端に印字された撮影日時は金詰蛍が生きていた頃。
 まるで写し、どれも現像したばかりと言わんばかりに時を感じさせない綺麗な写真で気付かなかった。
 どうやら全てに写る影は同一人物、日和の父親である蛍らしい。
 ぱらぱらと1枚ずつ流し見ると、半分を超えた所で手が止まった。
 写真は途中までしか入れられておらず、あとは真っ白だ。
 どうやら求めていたものは収穫できなかったらしい。
 仕方なしにファイルを片付けようと畳むとと、最後に挟まれていたのだろうか、白い封筒がぱさりと落ちた。
 ただの白封筒なのにやけに目に引く封筒、その中を覗くと焦げ茶の長い髪をツインテールに束ね、ふわふわとした可愛らしいワンピースを着る少女の写真があった。

「これは……」

 竜牙は写真を指先で触れ、撫でるとファイルを元の場所に片付けた。
 それから玄関に戻り、先程は探索しなかったポストを覗く。

(……エアメール。海外から届く手紙)

 もう一つの意識の声が聞こえた。
ということは日和の母親が出したものだろう、中を覗く。

「……!」

 中を確認した竜牙は急ぎ封筒を戻し、先ほど戻さなかった白い封筒と共にポストに突っ込む。
 師隼なら、きっと気付いてくれるだろう。
 そのまま玄関で待機していると、日和は2階から大きなリュックサック1つを持って降ろしてきた。

「荷物はこれだけです」
「そうか、私が持とう」

 竜牙が鞄を肩にかけて外に出ると日和も続いて家を出る。
 再び鍵は閉められた。
 これでこの家に戻る事は、もうないのだろう。

「すみません、ありがとうございます……」
「気にするな。ところで、残りの中の物はどうする?」
「私にはもう、必要ないです。お母さん次第、ですので……」
「……そうか」

 竜牙の心は複雑だ。
 本当はもう死んでいる、など口が裂けても言えまい。
 身近な人間が死ぬ衝撃をこの少女は2度も経験している。
 これ以上苦しませる必要はない。

「……師隼にはこちらから伝えておこう。お前の母親に連絡をつけて、残りの作業を頼んで貰える筈だ」
「ありがとうございます」
「……荷物を運んだら、師隼に会いに行く。問題はないか?」
「はい、大丈夫です。……えっと、ありがとうございます」

 日和の方へ向けば2回目の感謝の言葉に笑顔がついてきていた。
 思わず面食らい、声が上ずった。

「……何がだ?」
「沢山気にかけてくれるので。普通は多分、もっと……自分一人でしなくてはいけない気がして」
「……ふっ、気にし過ぎだな。どうやらお前は人を頼るのが苦手とみた。もっと気楽にしていればいいものを」

 日和の心が詰まり過ぎている様子が気にかかり、頭に手を伸ばす。
 不思議な感覚だった。
そういえば、昔もよく、誰かにそうしていた。

「えっと……よろしくお願いします」

 言われた日和は案外素直で、あとは静かに家に戻るだけ。
 竜牙と日和は置野家への道を辿った。

「あ、お帰りなさいませ日和様! お荷物お運びしますよ。どこですか?」
「これだ」

 家に戻れば華月が風のような速さで玄関に現れた。
 日和が「自分でやります」と早速癖が出そうだったので、竜牙は先に鞄を手渡す。
 荷物を受け取った華月は一瞬首を傾げ、顔を歪めた。
 何度か自分に言い聞かせるように頷いている。
 その後「畏まりました」と笑顔で去っていったが、一方の日和は目を瞑って俯いたままだ。

「どうした、行くぞ?」
「え?あ、はい……」



 先に帰宅した後の話をしてしまうが、師隼に報告を済ませて日和を家に送り届けた。
 送り届けると言っても主の家だ。
 金詰家向こうに居るよりはこちらの方が様々な面で楽になる筈だろう。

「日和、そろそろ夕食の準備をしている。空腹なら用意させるが、どうする?」
「えっと、あの……よろしくお願いします」

 慣れないのは仕方がないとも思うので何も言わないが、日和は消極的で一歩引いた様子だ。
 昼間でも頼るということを気にしていたが、そう簡単にうまくはいかないらしい。
 食事も大人数よりは少ない方がいいようで、個人用の食事席に用意させるよう指示した。

「あの、竜牙様…………少しよろしいですか?」
「ん……?」

 日和が食事中、正也の部屋に入ろうとすると呼び止められた。
 一体なんだろうと振り返れば、華月が体を震わせて立っている。
 まるで、爆発寸前の何かみたいな……――

「――竜牙様! 日和様の物が衣装と勉強道具しかありません! 本当に荷物はあれで全てなんですか!?」
「……え?」
「衣類なんて制服の他に季節ものの服がそれぞれ2,3着しかないじゃないですか! 持ってきた鞄自体も外出用のお洒落なものじゃないし、本当に花も恥じらう女子高生の荷物なんですか!? これで!? こんな量で生活なんてできる訳がないじゃないですか、本当にこれで全部なんですか!?」

 それはあまりにも早口で、"すごい"としか言えない形相で捲し立てられた。
 それでも用意をしたのは日和だし、日和自身も荷物は少ないと言っていたのだが……。

「そう、言われても、な……」
「女性には用意するべきもの、あるべきものが沢山あるんです! 生活品にしても日用品にしても身だしなみも何もかも全部です! なんで化粧品や本類も一切ないんですか!? まさか勉強道具一式が日和様の本だとでも言うんですか……!?」
「とりあえず落ち着け。これは日和が荷物を用意したもので……」
「落ち着いていられますか! たった一日のお泊り会じゃないんですよ!? 竜牙様がちゃんと目の前でお手伝いしたんですか!? 日和様が重たくて持ってこられなかっただけかもしれないじゃないですか! 日和様、なんておいたわしい……!!」

 あまりの荷物の少なさに華月が壊れている。
 寧ろその感覚は置野家女中ならではの職業病じゃないだろうか、とも言いたくはなるが、実際の女性というものを知らないので何とも言えない。
 それにしても被害妄想まで増えると流石に面倒だなと感じるしかない。
 いや、荷物の少なさは確かに多少思ったのだが……。
 ……忘れよう。
 足りなければきっと本人が言うだろう。



 ……ちなみにこれも後に問題となる。
Twitter