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作者: 清水レモン
受験会場がどこか知っておかないとだな
勝負は一回きり。2月2日、土曜日。
中学受験は義務ではない。
じゃあ、なんのためにおれは、いったい。
いつも胸に疑問符を抱えて、結局こうやって流されて生きているんだよな。
自分の意思? そんなのどこにあるの、っていうかどこで誰に許されるのさ。
おれは戦うことしか許されていない。
与えられているのは文房具、これでいったいなにをどうやって。
 『あらかじめ調べておいたとおりだな』
 おれは会場へと続く道を歩きながら思う。
 いよいよだ、いよいよだよ。中学受験の総決算、いまから挑む入試本番。
 『こんなもん…か』
 焦りはない。やれることは、やってきた。
 緊張? してるのか。どうだろう。
 
 自分の体に意識を向けてみた。指先が冷たい。冷たいのは空気か、それとも自分自身か。わからない。あいまいな境界線で区別が難しい。
 ふるえてる?
 まさか! まさかな? まさかだよ、ほんとうに。
 しっかり着込んだコート、念入りに直しては直してのリピートで首に巻いたマフラー。
 手袋は、していない。電車を使うからね、改札口を通るとき不便なんだ。
 なんてったって、落としたくないだろ? 切符。
 おれは経験済みなのさ。手袋したままでも細かい作業は可能だが、うっかり指と指とのすきまから滑り落ちていってしまうことがあるのを。
 結論、手袋はやめておけ。そのかわり。
 ハンドクリームを、しっかり塗っておく。
 なんならキッチンから米油でもオリーブ油でもサラダ油でも、なんでもいい。油分で指紋を埋めるように塗っておくんだ。無防備な素肌のいちばんうえ、皮膚。じんわり、じわじわ、確実に潤いを与えておくことが勝利への第一歩となる。
 間違いない!
 肌がカサカサしてなければもうそれだけで無敵なんだ!!

 ジャリッ…

 『ん?』
 おれは絶妙な違和感を覚える。
 足元から聞こえる砂利の音。いやまあ普通に砂利道ってことなんだけど。それだけなんだけど。
 地図からは読み解けなかったな。
 なにしろ、恐れるべきは雪道だった。いつ雪が降ってもおかしくない天気なのは変わりがないが、天気予報は曇りときどき晴れ。降っても小雨程度だろう。ここ数日間まったく雪が降っていないから路面の凍結も心配ない。
 砂利道か。凍結の心配がない。だったら滑りようもない。
 ふ。
 なんだ。
 なんだよ、これ。むしろ幸先のいい舗道じゃないか。
 滑りようのない道。見たところどこも凍りついていない。
 ただひたすら線路沿いにまっすぐ、砂利道が続いている。それだけだった。

 ふぅーっ…
 無意識のうちに息を吐くのが長くなる。
 白くなるのが面白かった。ふぅーっと吐いて息が広がる。
 『ああ、そういえばマスクしろって言われてたんだっけ。忘れてたよ?』
 思わずコートのポケットの中で手探り。うん、あった。マスクだ、あるあるある。つけるつもりはない、だがちゃんと持ってきているというこの安心感。
 どうだ、おれ。すごいだろ、準備万端でスキなどない。持つべきものは持ち備えている。
 しかも、どのタイミングでどのように使うのかは、おれの気持ちひとつ。自分次第だ。
 『当然だろ? 主役は、おれ。おれが主役で主人なんだ、いつどれをどのように使うか使わないかを決めるのはこの、おれ!』
 家族の誰かではない。塾の先生でもない。中学受験は私的な行動ゆえに義務教育課程の小学校が関与する余地などない。いや、正確には少しあるな。内申書、あったし。でも、だからどうしたって?
 おれは、おれ。おれこそが、おれ。おれがおれを支配する。おれを支配していいのは、おれだけだ!

 ちがうか?
 
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