残酷な描写あり
第四話 不穏な気配
「申し遅れました。私はシェイド。シェイド・レインフォールと申します」
もう一度慇懃に紳士の礼をとって、シルクハットの青年、シェイドは優雅な微笑みを浮かべる。
その洗練された仕草に、甘いマスクに、そして何より彼が纏う何処か儚げな雰囲気に、サニーは再び心奪われた。言葉を返すのも忘れて、吸い込まれるように目の前の美貌を眺めている。
「……あの、もし良ければ貴女のお名前もお聴かせ頂けないでしょうか?」
黙っているサニーに対し、シェイドの微笑が僅かに崩れる。眉尻の下がった、苦笑いに。
その言葉が、熱に浮かされて夢の世界に片足を突っ込んでいたサニーを現実へと引き戻す。弾かれたようにピンと背筋を伸ばし、上ずった声で彼に答える。
「はっ!? ごご、ごめんなさいっ! あ、あたしはサニーでしゅっ! サニー・サンライト! 王都在住の18しゃいっ! アンダーイーヴズへは旅行で来まひはっ!」
慌てすぎた所為で舌がもつれた。サニーは恥ずかしさに顔を背けたくなるのを頑張って堪える。その顔は熟れたトマトのように赤く染まり、高まる体温で茹で上がっていた。
「サニーさん、ですか。良いお名前ですね」
内心の混乱ぶりを隠せていないサニーと対照的に、シェイドは落ち着いた物腰で如才なく社交辞令を返す。
一杯一杯になっていたサニーは、彼の優しげな態度に導かれるように言葉を迸らせる。
「あ、ありがとうございますっ! じ、実を言えばサニーは愛称で、本当の名前は“サン”って言うんですよっ!?」
「ほう? それでは《サン・サンライト》というのが正式なお名前ですか?」
「そーですそーです! 名前と苗字で韻を踏んじゃってるなんて可笑しいでしょ!? その所為で昔から“サンサン”とか“S・S”なんてアダ名を付けられちゃったりして! あは、あはは……っ!」
と、自分から名前をネタにするサニー。気まずさを感じた時によく使う手だ。
昔から、名前の事でよくからかわれた。それが嫌だと思った時期もある。今ではもうすっかり慣れてしまったが。むしろそれで相手が笑ってくれるなら良いかな、という方向に考えを持っていけるまでサニーの気持ちは軟化している。
だから、シェイドにもこれが受けると良いな、くらいの軽いノリで言ってみたのだが……
「いいえ、とても素敵だと思います」
目の前の美青年紳士は、生真面目そのものな顔で真っ直ぐサニーを見つめたのだ。
「……へっ?」
ポカンとするサニーに畳み掛けるように、シェイドの称賛は続く。
「“太陽”、そして“太陽の光”を冠する素晴らしいお名前です。貴女の未来が輝かしいものであるように、との願いが込められているのでしょう。ご両親が貴女に注がれた愛情が、私にも見えるようですよ」
「あ……ぇ……っ! 〜〜〜〜!!」
(何なのこの人!? 何でこんな台詞をこうもあっさり言えちゃうのっ!?)
サニーは内心で悲鳴を上げた。自分の名前を笑わず、こんなに真摯に褒めてくれた人なんて他に居ない。容姿といい性格といい、このシェイドという青年は自分の知っている人々と違いすぎる。少なくとも自分の友人達は、こんなセリフを恥ずかしげもなく真顔で言ってのけるような精神構造を持っていない。
「しかし……」
と、そこで俄にシェイドの表情が曇る。
「因果な街に来てしまわれましたね。アンダーイーヴズにとって、太陽の光とは忌むべきもの。貴女のような方に、この街は恐らく相応しくないでしょう」
「……」
そのシェイドの言葉を聴いて、ようやくサニーの心に冷静さが戻ってくる。顔の熱さが冷めていき、代わって停滞していた思考が回り始める。
「さっきの事なんですけど……」
サニーは、探るような目付きでシェイドの様子と、アングリッドが入っていったドアを交互に見比べて口を開いた。
「どうして、あの子はあんなに怒っていたんですか?」
「アングリッドは私が雇用している坑夫です。良く働いてくれる少年なのですが、今日は少々……機嫌が悪かったみたいですね」
奥歯にものが挟まったような言い方だ、とサニーは思った。あのアングリッドの剣幕からして、それだけでは片付かない何かがある。
「坑夫って、バース炭鉱の?」
「良くご存知ですね。ええ、バース炭鉱は我がレインフォール家が所有していますから。一昨日採掘した石炭を隣街まで運んで、取引も無事に終了したので今夜帰路につくつもりだったのですが、彼には急ぎの事情がありましたから、私が馬に乗せて一足先に連れ帰ってきたのです」
シェイドが傍で大人しく控えている愛馬の首を撫でる。撫でられた馬は、嬉しそうに頭を震わせた。
「ところが、彼にとってはそれでも遅かったみたいでしてね。日頃の待遇にも不満を持っていたのでしょう、こうして怒りを買ってしまいました」
ははは、と誤魔化すようにシェイドが笑う。サニーはその笑顔に、言い知れない悲しさと遣る瀬無さが滲み出ているように思えた。
「だからと言って上司に……いえ、上司相手じゃなくてもあんな態度は許されないと思いますけど……?」
アングリッドの“急ぎの事情”とは、恐らく先程家の中から聴こえてきたあの咳き込む声に関係しているのだろう。そこから想像出来る彼の暮らし振りに、同情の念が起きないとは言わない。
それでも、それはそれ。あんな風に心無い言葉をぶつけて良い理由にはならないだろう。
しかし、シェイドはそう考えていないようだ。
「仕方がないのですよ。アンダーイーヴズの人間にとって、日中は危険な時間。とりわけ隣街まで輸送に当たる人員は、いつも以上に太陽の動きに気をつけなくてはなりません。経済を回す為とは言え、私は危険な仕事を坑夫達に押し付けています。彼らの身になってみれば、私に恨み言のひとつもぶつけたくなるというものでしょう」
達観と諦観を宿した瞳で、シェイドは寂しそうにアングリッドが消えたドアを見る。
人間が出来ているなぁ、と呑気に納得する気は無い。シェイドは、きっと何かを隠している。
なぜなら、シェイドの言葉と佇まいには、明らかな矛盾があるからだ。
「シェイドさん。それならどうして、あなたはそんなに平気そうなんですか?」
「……」
動揺するかと思ったけど、シェイドの目の色は変わらない。諦観に包まれた顔をサニーの方へ向けただけだ。
「アンダーイーヴズは『影無しの街』だって、此処に来る前に聴きました。そして実際、この街の人達は日中ずっと閉じ籠もっています。先程あなたも太陽の光を“忌むべきもの”だと言いましたし、アングリッド君も馬から降りると慌てて日陰に入っていきました。それなのに、あなただけはこうして平然と太陽に身を晒しています」
慎重に言葉を紡ぎつつ、サニーはシェイドの表情に表れるどんな変化も見逃すまいと彼の顔を注視する。
シェイドの視線が、ふっと地面に落ちた。つられてサニーも下に目を向ける。
シェイドが見ているのは、自分の影だった。それは確かな存在感を持って、彼の足元から長く伸びている。
そうだ。彼にも、隣の愛馬にも、ちゃんと影がある。あのベニタとは違って。
「お願いです、教えて下さいシェイドさん。何故、皆は太陽を怖がってるんですか? どうして、あのベニタさんには影が無かったんですか?」
「……ちょっと待って下さい」
シェイドが弾かれたように顔を上げる。空気が一変した。彼の強張った目が、射抜くようにサニーを凝視する。
「ベニタさん、と言いましたか? 彼女に会ったのですか!?」
「えっ!? は、はい……! 先程大通りで……。それで、宿屋の場所を教えてもらったんですけど……」
豹変したシェイドの様子に気圧されて、質問を質問で返されたにも関わらずサニーは素直に答える。
「……」
シェイドは青い顔で黙り込んだ。……かと思えば、俄に身体を翻して飛び上がるように馬に乗る。
「っ!? ちょ、ちょっとシェイドさん!?」
「申し訳ありません、急用が出来ました。サニーさん、続きはまた後ほどお話し致しましょう!」
言うが速いか、彼は馬腹を蹴った。愛馬がそれに嘶きで応え、立ちどころに駆け出してサニーを背後に置き去りにする。
「ああっ!? ま、待って〜〜〜!!」
と、叫んでみても当然効果は無し。埃を巻き上げながら、シェイドと馬は大通りに飛び出して角の先へと消えていった。
彼らが角を曲がる一瞬、馬の尻の辺りから何やら青い光が瞬いた気がするが、今のサニーにとっては取るに足らない瑣末事だった。
「急にどうしたんだろ……」
置いてけぼりにされたサニーは、ただその場に呆然と立ち尽くすしかない。シェイドの緊迫した顔からして、何やら嫌な予感がするが……。
――ガチャリ!
と、出し抜けに背後で扉が開く音がした。
(今度は何!?)
予期しない物音に驚いて振り返ったサニーの目に、先程の口論の時以上に血走った目をしたアングリッドの姿が飛び込んできた。
もう一度慇懃に紳士の礼をとって、シルクハットの青年、シェイドは優雅な微笑みを浮かべる。
その洗練された仕草に、甘いマスクに、そして何より彼が纏う何処か儚げな雰囲気に、サニーは再び心奪われた。言葉を返すのも忘れて、吸い込まれるように目の前の美貌を眺めている。
「……あの、もし良ければ貴女のお名前もお聴かせ頂けないでしょうか?」
黙っているサニーに対し、シェイドの微笑が僅かに崩れる。眉尻の下がった、苦笑いに。
その言葉が、熱に浮かされて夢の世界に片足を突っ込んでいたサニーを現実へと引き戻す。弾かれたようにピンと背筋を伸ばし、上ずった声で彼に答える。
「はっ!? ごご、ごめんなさいっ! あ、あたしはサニーでしゅっ! サニー・サンライト! 王都在住の18しゃいっ! アンダーイーヴズへは旅行で来まひはっ!」
慌てすぎた所為で舌がもつれた。サニーは恥ずかしさに顔を背けたくなるのを頑張って堪える。その顔は熟れたトマトのように赤く染まり、高まる体温で茹で上がっていた。
「サニーさん、ですか。良いお名前ですね」
内心の混乱ぶりを隠せていないサニーと対照的に、シェイドは落ち着いた物腰で如才なく社交辞令を返す。
一杯一杯になっていたサニーは、彼の優しげな態度に導かれるように言葉を迸らせる。
「あ、ありがとうございますっ! じ、実を言えばサニーは愛称で、本当の名前は“サン”って言うんですよっ!?」
「ほう? それでは《サン・サンライト》というのが正式なお名前ですか?」
「そーですそーです! 名前と苗字で韻を踏んじゃってるなんて可笑しいでしょ!? その所為で昔から“サンサン”とか“S・S”なんてアダ名を付けられちゃったりして! あは、あはは……っ!」
と、自分から名前をネタにするサニー。気まずさを感じた時によく使う手だ。
昔から、名前の事でよくからかわれた。それが嫌だと思った時期もある。今ではもうすっかり慣れてしまったが。むしろそれで相手が笑ってくれるなら良いかな、という方向に考えを持っていけるまでサニーの気持ちは軟化している。
だから、シェイドにもこれが受けると良いな、くらいの軽いノリで言ってみたのだが……
「いいえ、とても素敵だと思います」
目の前の美青年紳士は、生真面目そのものな顔で真っ直ぐサニーを見つめたのだ。
「……へっ?」
ポカンとするサニーに畳み掛けるように、シェイドの称賛は続く。
「“太陽”、そして“太陽の光”を冠する素晴らしいお名前です。貴女の未来が輝かしいものであるように、との願いが込められているのでしょう。ご両親が貴女に注がれた愛情が、私にも見えるようですよ」
「あ……ぇ……っ! 〜〜〜〜!!」
(何なのこの人!? 何でこんな台詞をこうもあっさり言えちゃうのっ!?)
サニーは内心で悲鳴を上げた。自分の名前を笑わず、こんなに真摯に褒めてくれた人なんて他に居ない。容姿といい性格といい、このシェイドという青年は自分の知っている人々と違いすぎる。少なくとも自分の友人達は、こんなセリフを恥ずかしげもなく真顔で言ってのけるような精神構造を持っていない。
「しかし……」
と、そこで俄にシェイドの表情が曇る。
「因果な街に来てしまわれましたね。アンダーイーヴズにとって、太陽の光とは忌むべきもの。貴女のような方に、この街は恐らく相応しくないでしょう」
「……」
そのシェイドの言葉を聴いて、ようやくサニーの心に冷静さが戻ってくる。顔の熱さが冷めていき、代わって停滞していた思考が回り始める。
「さっきの事なんですけど……」
サニーは、探るような目付きでシェイドの様子と、アングリッドが入っていったドアを交互に見比べて口を開いた。
「どうして、あの子はあんなに怒っていたんですか?」
「アングリッドは私が雇用している坑夫です。良く働いてくれる少年なのですが、今日は少々……機嫌が悪かったみたいですね」
奥歯にものが挟まったような言い方だ、とサニーは思った。あのアングリッドの剣幕からして、それだけでは片付かない何かがある。
「坑夫って、バース炭鉱の?」
「良くご存知ですね。ええ、バース炭鉱は我がレインフォール家が所有していますから。一昨日採掘した石炭を隣街まで運んで、取引も無事に終了したので今夜帰路につくつもりだったのですが、彼には急ぎの事情がありましたから、私が馬に乗せて一足先に連れ帰ってきたのです」
シェイドが傍で大人しく控えている愛馬の首を撫でる。撫でられた馬は、嬉しそうに頭を震わせた。
「ところが、彼にとってはそれでも遅かったみたいでしてね。日頃の待遇にも不満を持っていたのでしょう、こうして怒りを買ってしまいました」
ははは、と誤魔化すようにシェイドが笑う。サニーはその笑顔に、言い知れない悲しさと遣る瀬無さが滲み出ているように思えた。
「だからと言って上司に……いえ、上司相手じゃなくてもあんな態度は許されないと思いますけど……?」
アングリッドの“急ぎの事情”とは、恐らく先程家の中から聴こえてきたあの咳き込む声に関係しているのだろう。そこから想像出来る彼の暮らし振りに、同情の念が起きないとは言わない。
それでも、それはそれ。あんな風に心無い言葉をぶつけて良い理由にはならないだろう。
しかし、シェイドはそう考えていないようだ。
「仕方がないのですよ。アンダーイーヴズの人間にとって、日中は危険な時間。とりわけ隣街まで輸送に当たる人員は、いつも以上に太陽の動きに気をつけなくてはなりません。経済を回す為とは言え、私は危険な仕事を坑夫達に押し付けています。彼らの身になってみれば、私に恨み言のひとつもぶつけたくなるというものでしょう」
達観と諦観を宿した瞳で、シェイドは寂しそうにアングリッドが消えたドアを見る。
人間が出来ているなぁ、と呑気に納得する気は無い。シェイドは、きっと何かを隠している。
なぜなら、シェイドの言葉と佇まいには、明らかな矛盾があるからだ。
「シェイドさん。それならどうして、あなたはそんなに平気そうなんですか?」
「……」
動揺するかと思ったけど、シェイドの目の色は変わらない。諦観に包まれた顔をサニーの方へ向けただけだ。
「アンダーイーヴズは『影無しの街』だって、此処に来る前に聴きました。そして実際、この街の人達は日中ずっと閉じ籠もっています。先程あなたも太陽の光を“忌むべきもの”だと言いましたし、アングリッド君も馬から降りると慌てて日陰に入っていきました。それなのに、あなただけはこうして平然と太陽に身を晒しています」
慎重に言葉を紡ぎつつ、サニーはシェイドの表情に表れるどんな変化も見逃すまいと彼の顔を注視する。
シェイドの視線が、ふっと地面に落ちた。つられてサニーも下に目を向ける。
シェイドが見ているのは、自分の影だった。それは確かな存在感を持って、彼の足元から長く伸びている。
そうだ。彼にも、隣の愛馬にも、ちゃんと影がある。あのベニタとは違って。
「お願いです、教えて下さいシェイドさん。何故、皆は太陽を怖がってるんですか? どうして、あのベニタさんには影が無かったんですか?」
「……ちょっと待って下さい」
シェイドが弾かれたように顔を上げる。空気が一変した。彼の強張った目が、射抜くようにサニーを凝視する。
「ベニタさん、と言いましたか? 彼女に会ったのですか!?」
「えっ!? は、はい……! 先程大通りで……。それで、宿屋の場所を教えてもらったんですけど……」
豹変したシェイドの様子に気圧されて、質問を質問で返されたにも関わらずサニーは素直に答える。
「……」
シェイドは青い顔で黙り込んだ。……かと思えば、俄に身体を翻して飛び上がるように馬に乗る。
「っ!? ちょ、ちょっとシェイドさん!?」
「申し訳ありません、急用が出来ました。サニーさん、続きはまた後ほどお話し致しましょう!」
言うが速いか、彼は馬腹を蹴った。愛馬がそれに嘶きで応え、立ちどころに駆け出してサニーを背後に置き去りにする。
「ああっ!? ま、待って〜〜〜!!」
と、叫んでみても当然効果は無し。埃を巻き上げながら、シェイドと馬は大通りに飛び出して角の先へと消えていった。
彼らが角を曲がる一瞬、馬の尻の辺りから何やら青い光が瞬いた気がするが、今のサニーにとっては取るに足らない瑣末事だった。
「急にどうしたんだろ……」
置いてけぼりにされたサニーは、ただその場に呆然と立ち尽くすしかない。シェイドの緊迫した顔からして、何やら嫌な予感がするが……。
――ガチャリ!
と、出し抜けに背後で扉が開く音がした。
(今度は何!?)
予期しない物音に驚いて振り返ったサニーの目に、先程の口論の時以上に血走った目をしたアングリッドの姿が飛び込んできた。