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作者: 丘多主記
山場
 内野陣が再び元の位置に戻りプレーが再開される。この試合最大の山場といっても過言ではない場面。さらに迎えるバッターは大地。

 ここまでの打席はすべて伸哉が抑えているとはいえ一切気が抜けない。彰久が慎重にサインを出す。指示はアウトローへのストライクになるストレート。伸哉は頷き構える。

 伸哉と大地。二人に間に張り詰めた空気が漂う。それを嫌ってか大地が一度打席を外す。伸哉もロジンバックを手に取り気を落ち着かせる。

 静寂に包まれる中、セットポジションから投じられた一球。それは要求したコースよりもボール二個分高く、スピードも打ちごろな速さだった。

「俺の勝ちだっ! 伸哉!!」

 木場はコンパクトにボールを斬るようにスイングする。

 カキィィィン、という金属バット特有の音が響きながら、打球はセンター前に落ちる。さらに、二塁ランナーは勢いよくスタートを切っていたため、既に三塁を回っていた。

「終わった……」

 伸哉は失点を覚悟しながら、作業的に本塁のベースカバーに入った。




 幸長は打球を取る。その時、頭の中の自分がこう囁いてきた。僕のアームじゃ間に合わないと。

 幸長の中学時代からの唯一の欠点は弱肩であることだった。その弱点を突かれ中学生時代の最後の夏は涙を飲んだ。

 その経験は野球で受けた初めての屈辱だった。完璧主義者の幸長には、それが悔しくてたまらなかった。

 幸長は送球練習の時間を増やしたり、監督やコーチ、さらには後輩も含めたチームメイトにアドバイスを聞いたりしたが、今まで何一つとして変わらなかった。

 けれど今は違う。投手の練習として何十、何百キロと走り込んできた。何百球と投げ込んできた。その走り込みや投球練習が、自分が最も苦しんだ時期が自分の肩を強くしていた。

 大きく左足を踏み込み腕を振り切る。幸長の右腕からスゥー、とレーザー光線のような送球がホームベース上の彰久のミットに収まる。

 それと同時にホームベースからは荒々しく土埃が上がっていた。

「アウトォォ!!」

 土埃が晴れるとともに、審判のコールが幸長のいるセンターまで高々と響き渡った。

 今までこの選択をどれだけ馬鹿にされただろう。そして、投手をさせられた時。どれだけ自分の運命を憎んだことだろう。

 けれど、今なら自分の運命はそう悪いって訳ではない。そして、この選択は決して間違って無かったということを幸長は堂々と答えられるだろう。

「しゃあああああっ!!」

 幸長はセンターで自分らしくもない雄叫びをあげていた。




 だがまだ、八回の表はまだ終わっていない。

 ツーアウトランナーが一、三塁で古賀に変わって入った西浦が右バッターボックスに入った。

 普段は小柄な体格通りそんなに打つことはない。だが、ここぞというチャンスにめっぽう強かった。その事から中学時代は“必殺仕事人”と言われ恐れられ、対戦経験のある伸哉もそのチャンス強さに何度も苦しめられた。

 なるべくなら投げずに切り抜けたい。伸哉はそう考えていた。となると、ランナーをどうにかするしかない。幸いにも伸哉はそれを実行する技術が十分にあった。

 伸哉はマウンドから彰久のサインを覗き見る。じっとじっと、そのタイミングが来るのを待つ。焦らされた大地は一歩、二塁の方へとリードを広げてしまった。

 今だ!

 伸哉はくるっと身体を反転させて一塁に送球する。意表を突かれた大地は一塁へ戻るも、タッチアウト。結局ワンアウト一、三塁のチャンスを生かせず、八回の表もゼロに抑えられた。

「くっ、騙された……」

 大地は肩を落とした。
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