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作者: 丘多主記
彰久とチームの現状
 明林高校の二年生にして主将であるキャッチャーの堂城彰久どうじょうあきひさは、一人だけグラウンドから去っていくのをチラッとみた。

「ん? 今帰った子。学ラン来てるのに女の子みたいなカワイイ顔に、百六十〇なさそうな身長……。見た目だけなら……」

 彰久は頭の中で、自分の知っている伸哉の顔と特徴を思い浮かべていた。

 実は彰久は伸哉のリトルリーグ――主に九歳から十二歳を対象とした硬式野球の組織――時代チームメイトであった。

 現在の彰久はキャッチャーのみを守っているが、当時は伸哉と一試合交代でピッチャーをしていた。

 中学生になってからは、親の都合で彰久が長崎の方へ引っ越して以来、一度も会っていない。なので今の顔は知らない。

 それでも、さっきの人物伸哉じゃないかと確信に近いような感触を得ていた。しかし、

「いや、そんな筈はないか。あいつは幸長みたいに、こんなところにわざわざくるわけないか……」

彰久はさっきの人物が伸哉ではないだろうと考えた。

 明林高校は福岡県南部にある二つの高校の統廃合によって出来た、開校十年も経たない歴史の浅い県立校である。

 もちろん幾つか強い部活はある。毎年九州大会に一人は出場する陸上部。二年前に県大会ベスト四のサッカー部。四年連続県ベスト八以上で、弱小県の代表チームレベルならば圧勝してしまうラグビー部。

 こう言った輝かしい実績を誇る部には、毎年地区の有力選手が入ってくる。

 一方で野球部の戦績はというと、統廃合以前の二つの学校を含めても五十年以上前の三回戦が最高成績である。

 そして現在夏の大会は十年連続初戦敗退と、野球漫画などでよく見られる典型的な弱小チームだ。

 そのため地元の有望な選手の大半は強豪や名門校、あるいはそこそこレベルの高い公立校などに逃げられている。

 稀に入って来る物好きな選手もいたが、周りのレベルと温度の違いでその才能も瞬く間に潰れていった。

 では伸哉の実力はどのくらいなのか。ズバリ天才や化け物、怪物などそう言った類で語られるレベルだ。

 伸哉は中学生になるとともに地元のリトルシニア――中学生を対象とした硬式野球の組織――のチームに入団した。

 すると、中学二年時には後に”浜川カルテット”と呼ばれる程の強力な投手陣の背番号一番を任された。

 その時の伸哉の活躍はまさに無双の一言で語られるものだった。

 なんと地区予選から全国大会まで投げた試合の全てで無四球かつ無失点という、圧倒的なピッチングを見せつけたのだ。

 また打撃でも通算で五割近い打率を残し、打者としての可能性も見せつけた。

 この大活躍でチームを全国大会準優勝に導き、近年のシニア界では誰もが知る名選手となった。

 ただそんな伸哉だが、三年生の時には何故か試合に出ていなかった。

 それでもあの実績を考慮すれば、数多の名門校や強豪校からのオファーが来ていても不思議ではない。

 普通の人間であれば当然強い高校を選ぶ。

 そんなことは誰だってわかる。ましてや、伸哉はわざわざ弱い高校に来る程の物好きな性格ではないということを、彰久は重々承知していた。

「俺も運が良ければ、もっと考えていれば伸哉のような選手がいっぱいいるような高校に行けたんだろうけどなあ」

 彰久は悔しそうにそう呟いた。

 彰久は自分の能力には関して、多少なりとも自信があった。

 本来の予定では、長崎県内の名門校で野球をやっているはずだった。

 だが、現状はそれとは正反対の弱小校である明林にいる。

 そうなってしまったのは、環境を含めた運の悪いという一言に尽きる。

 彰久の転校した先の近所にはリトルシニアのチームはおろか、硬式野球のチームが一つもなかった。そのため、渋々中学校の軟式野球部に入る羽目になった。

 だが、部の環境は彰久にとって最悪のものだった。

 上手くなりたい彰久に対し、周囲はあまり野球に真剣ではない選手ばかりだった。その温度差のせいで部員たちと馴染めず、常に衝突していた。

 当然チームが強くなるはずもなく、三年間練習試合を含めてたった一勝をすることも出来ないまでに、チームは弱体化していった。

 個人でどうにかできる身体能力は大きく成長したが、最も伸ばしたかった捕手としての能力は全く伸びなかった。

 そんな選手に、強豪校からお呼びの声がかかることは当然なかった。

 それでも、この暗黒の三年間は水に流して、県内の強豪校に一般組――特待生や野球推薦以外で強豪校の野球部に入る選手――で入り、そこで頑張ろうと思っていた矢先、今度は親の都合で故郷へ戻る事になった。

 急転直下の出来事に、とにかく入る高校を探すことに手一杯となってしまった。それで、明林に入学し現在に至っている。

 不本意な三年間と進路決定だった。それでも、後悔しても始まらないと気持ちを引きずらずにここまで頑張ってきた。

 お陰で中学時代からは全てが着実にレベルアップできていた。

 しかし、彰久には全く満足出来るものではない。むしろこの程度では自分の大きな目標に近づくことすらままならないと、常日頃から感じていた。

 彰久の目指す先にあるもの。

 それは球児にとっての全てであり、目標でもありそしてなんといっても憧れである大舞台、甲子園に出場することだ。

 美しい芝生に土の内野グラウンド。全国様々な地区の厳しい予選を勝ち上がってきた同世代のライバル達。常に歓声が湧き上がるスタンド……。

 それら一つ一つが彰久の好きなところであり、練習で苦しむ自分をいつも奮い立たせる場所であった。

 いつかはあそこに立って試合がしたい

 全国大会の中継を見るたびに彰久は思っていた。だが、現実はそう上手くはいかないということを、今の酷い惨状が物語っていた。
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