R-15
(あるいは、サヨナラは/×言わない→○言えない/笑ァビューリフォーワールド)
本年の「久遠祭」は、天候に恵まれたこともあり過去最大の集客動員数を記録したという。
僕ら「1Q85団」の催し物はと言うと、二日間で約五名の動員があったと記憶している。奇しくも団員数と同数の、仮に何らかの利権が絡んでいたのであれば、詰め腹を斬らされるレベルの爆死であったことは想像に難くはないわけであって……
「なごッ……!? 弾かれた…だと?」
「フハハハハ、相手の出方を待ち、パッシブフレーム相殺リバウンドカウンターにて多角より放り込むッ!! これこそがこの『ぺんぎんくんWARS』の真骨頂なのだよアライくんッ!!」
暇を持て余した我が団は、繋ぐのに結構時間を費やされたファミコンで大画面のブラウン管の前にみんな並んで正座しながら対戦したり、露店を冷やかしつつ買い込んだたこ焼き・焼きそば・お好み焼き・今川焼などの粉ものづくしのフルコースをのべつまくなし食べたり、お化け屋敷などの体験型スポットに誰と誰で入るかをくじ引きで決めて3回連続でアライくんと僕がペアになったところで御大のイカサマを見抜いた天使からの割と本気の謝罪要求があったり、「DEP」を撃ち合って団内のヒエラルキーをこれによって見直そうとする動きがあったり、結果僕がダントツで四階級くらい特進したり。
とにかく度し難くぐどぐどでありながらも、よく食べよく遊びよく笑った。みんながみんな高止まりのテンションのまま過ごしていたのは祭りの雰囲気に煽られてってのもあったのだろうけど、みんながみんな、翌日に迫ってしまった別離の、ぽっかり開いた黒い巨大な穴のような空虚さから、目を逸らしたかったからなのかも知れない。
そして祭りはあっという間に終わって、
……そして出立の朝は無情にも訪れたわけで。
「出発二時間前過ぎたよね……そろそろ来てないとだけど……だいじょうぶかな……」
羽田空港第3ターミナル。
月曜の朝とは言え、人の多さはいつかの土曜の秋葉原を凌駕するほどであり。いや、空港ってそんなものなのかも。僕はこの初めて見る開放感のある大空間におお、とか思うばかりであったけれど、三ツ輪さんは冷静に天上の瑠璃紺のような(やはり意味略)言葉を紡ぎ出している……今日の出で立ちはシンプルなゆるっとした灰色のセーターにジーンズ、だがその美しさは抑えきれていない……例の聖子ちゃんカットを自分流にアレンジしたのか、これまた絶妙にゆるふわな感じにマッチして仕上がっており周りの輩の視線を集めておる……
そしていやそれにしても本当に遅いなアライくん……
「……」
ひょっとして。だけど、僕らとはあまり最後の時間を共有しないで、慌ただしく出発してしまおうとか考えてるんじゃないだろうな……こういうの苦手そうだしな……
「おお、来た来た来た来たぁッ!!」
「フッ、同志アライ……どうやら手荷物を預けていた模様……」
とか思っていたら、僕の背後からいつもの二重騒が。それに促されるようにして目線を上げると、遥か遠くの手荷物カウンターからこちら向けて小走りで駆けてくるのは、見慣れた感じのいつもの御大の御姿であったわけで。
「お、おうげ、何ちょら、雁首揃えち」
髪型戻したんだね……張り出した前髪が復活しているよ……でも一度聖子ちゃんカットにしたもんだから、外ハネてた部分が今も勇ましいカーブを描いてクセとして残っていて何かカブトムシの角を思わせる威容へとパワーアップしてるよこれで東海岸に出張っていくのかやっぱブレないな……
いつもの赤白スタジャンの袖口からはヒートテックのようなババシャツのような肌着が露出していて、緑白フライトパンツの裾からもレギンスのような黒い布地が覗いていることに出会った時からの季節の移り変わりを感じる。そんな浸るとこでもないか。いつもながらの粗野だけど憎めないその言葉に、何か安心する反面、鳩尾のところからせり上がってくるものもある気がして。
「み、見送りだよ当然……これみんなからの餞別。まだ現役で販売してるんだって、だからこれしかないかなって……」
意味ない補足の言葉がカラんでしまうけれど、必死に平常心を装って紙袋を手渡す。おぅ、星丸くんTシャツげか、黒っちゃるのがシブかとね……とか渡した相手の方も極めてフラットに中身を確認して、お礼を返してくる。「これしかない」とか言ったけど、何か、身に着けるものをプレゼントしたかった。それを着て僕らもアライくんの闊歩していく世界へと連れて行ってもらいたい、みたいな。いや意味わかんないかもだけど。
じわじわ迫ってくるその時に、僕は何だか押しつぶされそうであり。
「……ちゃぁ、我ぁは何も用意しちょらんげった、ほならご、こいをジローばに授けるちゃがい。我ぁと思って大事にいつも身に着けしちょばりおうと? 何てか、げか、げかかかか」
思いついたようにアライくんは声を上げると、首に嵌めるようにして掛けていた真っ赤なペコペコした質感のサンバイザーを差し出してくるのだけれど。いやぁこれ四六時中身に着けるにはいちばん難易度高い代物ですぞぉ……とか何とか気の抜けた返事を返した僕だったけれど、表情の変化を悟られたくなかったから、そのド派手な贈り物をありがたくこめかみ辺りにねじり差し込むように深く被る。
そして。
唇をへの字に結んで何とか耐える笑顔をしていた三ツ輪さんとの抱擁を済ませると、アライくんはこちらに向き直って、何か決意を込めたように姿勢を正すのだけれど。
「……ひとつ、大事なことを伝えて行こうか、思うてば」
改まってどうしたの? その真っすぐな視線は、心なしか僕に向けられているように感じられたけれど。場に立ち込める何ともいえない空気。そして、
刹那、イコールエムシースクエア、だった……
「ついおとといくらいの事ばっじょ、ピッツバーグがばの義理のおばちゃなんちゃげな、なんら、調停中らった離婚ばが成立するとかて、年内には日本に親権ば取った五歳の息子と一緒に戻るそうなんげな」
瞬間では理解が及ばなかった僕の枯れた唇から放たれたのは、今まで授業とかでうまく発音しようとして叶わなかった、「æ」の音の葉であった。
ジロ「ぇぁ? ていうかええ? おかしいな、どういうことか皆目分からないのだけれど……」
アラ「いやいやいや、言葉通りがばいて、ジローは本当に不感症なやっちゃっちゃでぇ」
ジロ「いやいや? 何か極めて普通に流そうとしてるけどSTOP、僕は騙されないからね? えじゃあ何なのこの流れ? この哀切はどこに漂着すればいいっていうの?」
アラ「いやいやそない青筋ば立てよる話がば無いっちょらいよ……だからいったんピッツーバーグげば行くちょるて、ほんでごら二か月くらいのちょいと長めのホームステイみちょぱな事かましてちょの無事凱旋帰国と、簡単に説明するとそういうことになります……あそれとこれが傑作ながばんち、その出戻り先がばい、あの春日井のババアんとこやっちゅう、かっは!! しごろも笑えるちゃがと?」
ジロ「いやいやいやいや? そういうの分かってて何でここまで引っ張ったかっていうのを先ほどから聞いているのだけれ↑ど→?」
アラ「あ、何てか違うんちゃろよ……決して青春の一ページば彩りたぎゃからっと、こげんドマラティックがるイベンツに仕立てようと思ったわけでは決してないのです……」
ジロ「ああー、そうかそうかそうなんだ。わかった。じゃあ真然汰氏と伊右衛朗氏……悪いんだけど、そこのイキれツッパリを押さえてもらってていいかな?」
アラ「何ちょこッ!? 我ぁは団長ごぞッ!! 放せがじゃッ!! こげな不条理造反、許されるが無かがとッ!!」
マゼ「……時代の風向きは変わったんですぜ……今やジローくんは『書記長』クラスにまで登り詰めたる御方……団長風情が何を言ってももう無駄なんでやんす」
イエ「フッ……同志アライ……我らは理によりてのみ翻る……覚えておくといい……」
アラ「ファッ!?」
ジロ「アライくん……餞別をもう一つ忘れていたよ……旅の無事を祈願する、『幸福の黄色い胃液溢るる超絶ぶちかまし』をね……」
アラ「ジロちゃんッ!? 誰か止めてッ!? 高々と天突く四股が、妙にサマになっているからッ!!」
両肩を後ろから押さえつけれた御大が、前髪を振り乱しながら助けを求めるように、一部始終を腕組みしながら俯瞰していた三ツ輪さんの方を見やるけれど。
「……」
見たことも無い満面の笑みにて、親指を下に向けた右拳で喉笛をカッ切って下に振り落ろすという仕草を返されただけだった。しかして、
「ぐぉうらァッ!! ま、まだまだ貴様等に遅れば取る我ぁが無かがぁッ!! け、ケッ!! 帰ってきたら『1Q86団』ば設立してツブしてやるじゃじぇに、首を洗って待ってるがとぉぉぉぉぉぉッ!!」
極められている所を支点に、逆上がりのような後方回転をキメて拘束を解いた御大は、そんなこれ以上ないほどの小悪党的捨て台詞を残し、保安検査場まで走り去っていく。
それを見送りながら何だか全身の力が抜け落ちてしまった僕は、力無く三ツ輪さんの方を向いて力無い笑顔を向き合わすのだけれど。
し、しばしのアッサラームじゃばでぃぃぃ、との相変わらずよく通るしゃがれ声が、離れたこちらまで響いてくる。ここに来て初めての御大の言語に戸惑う僕だけれど、アラビア語での別れの挨拶は確か「マアッサラーマ」だったんじゃないかな。
でもこれで「さようなら」では全然ないからね。だから別れの言葉は言わないよ。
相変わらずのくしゃ顔ウインクをしながら、その前髪を金属探知の輪っかにくぐらされながら、
「……」
大きく手を振って来たので、こちらも全員振り返す。御大の揺れる胸元にはあの赤いウォークマンが繋がれたストラップがいつものようにπ/的に嵌まりこんでおり。
「……」
その下には三色のボブ・マーリーの顔が、今日も穏やかな笑みを浮かべていて。
安定の日常通りのアライくんに、どうしても笑顔を止められなくなっている自分に気付く。どこへ行っても、何があっても、きっとアライくんはアライくんなんだろう。だから。
帰ってきたら、その時に言うよ。
アッサラーム! アライくん、って。
(終)
僕ら「1Q85団」の催し物はと言うと、二日間で約五名の動員があったと記憶している。奇しくも団員数と同数の、仮に何らかの利権が絡んでいたのであれば、詰め腹を斬らされるレベルの爆死であったことは想像に難くはないわけであって……
「なごッ……!? 弾かれた…だと?」
「フハハハハ、相手の出方を待ち、パッシブフレーム相殺リバウンドカウンターにて多角より放り込むッ!! これこそがこの『ぺんぎんくんWARS』の真骨頂なのだよアライくんッ!!」
暇を持て余した我が団は、繋ぐのに結構時間を費やされたファミコンで大画面のブラウン管の前にみんな並んで正座しながら対戦したり、露店を冷やかしつつ買い込んだたこ焼き・焼きそば・お好み焼き・今川焼などの粉ものづくしのフルコースをのべつまくなし食べたり、お化け屋敷などの体験型スポットに誰と誰で入るかをくじ引きで決めて3回連続でアライくんと僕がペアになったところで御大のイカサマを見抜いた天使からの割と本気の謝罪要求があったり、「DEP」を撃ち合って団内のヒエラルキーをこれによって見直そうとする動きがあったり、結果僕がダントツで四階級くらい特進したり。
とにかく度し難くぐどぐどでありながらも、よく食べよく遊びよく笑った。みんながみんな高止まりのテンションのまま過ごしていたのは祭りの雰囲気に煽られてってのもあったのだろうけど、みんながみんな、翌日に迫ってしまった別離の、ぽっかり開いた黒い巨大な穴のような空虚さから、目を逸らしたかったからなのかも知れない。
そして祭りはあっという間に終わって、
……そして出立の朝は無情にも訪れたわけで。
「出発二時間前過ぎたよね……そろそろ来てないとだけど……だいじょうぶかな……」
羽田空港第3ターミナル。
月曜の朝とは言え、人の多さはいつかの土曜の秋葉原を凌駕するほどであり。いや、空港ってそんなものなのかも。僕はこの初めて見る開放感のある大空間におお、とか思うばかりであったけれど、三ツ輪さんは冷静に天上の瑠璃紺のような(やはり意味略)言葉を紡ぎ出している……今日の出で立ちはシンプルなゆるっとした灰色のセーターにジーンズ、だがその美しさは抑えきれていない……例の聖子ちゃんカットを自分流にアレンジしたのか、これまた絶妙にゆるふわな感じにマッチして仕上がっており周りの輩の視線を集めておる……
そしていやそれにしても本当に遅いなアライくん……
「……」
ひょっとして。だけど、僕らとはあまり最後の時間を共有しないで、慌ただしく出発してしまおうとか考えてるんじゃないだろうな……こういうの苦手そうだしな……
「おお、来た来た来た来たぁッ!!」
「フッ、同志アライ……どうやら手荷物を預けていた模様……」
とか思っていたら、僕の背後からいつもの二重騒が。それに促されるようにして目線を上げると、遥か遠くの手荷物カウンターからこちら向けて小走りで駆けてくるのは、見慣れた感じのいつもの御大の御姿であったわけで。
「お、おうげ、何ちょら、雁首揃えち」
髪型戻したんだね……張り出した前髪が復活しているよ……でも一度聖子ちゃんカットにしたもんだから、外ハネてた部分が今も勇ましいカーブを描いてクセとして残っていて何かカブトムシの角を思わせる威容へとパワーアップしてるよこれで東海岸に出張っていくのかやっぱブレないな……
いつもの赤白スタジャンの袖口からはヒートテックのようなババシャツのような肌着が露出していて、緑白フライトパンツの裾からもレギンスのような黒い布地が覗いていることに出会った時からの季節の移り変わりを感じる。そんな浸るとこでもないか。いつもながらの粗野だけど憎めないその言葉に、何か安心する反面、鳩尾のところからせり上がってくるものもある気がして。
「み、見送りだよ当然……これみんなからの餞別。まだ現役で販売してるんだって、だからこれしかないかなって……」
意味ない補足の言葉がカラんでしまうけれど、必死に平常心を装って紙袋を手渡す。おぅ、星丸くんTシャツげか、黒っちゃるのがシブかとね……とか渡した相手の方も極めてフラットに中身を確認して、お礼を返してくる。「これしかない」とか言ったけど、何か、身に着けるものをプレゼントしたかった。それを着て僕らもアライくんの闊歩していく世界へと連れて行ってもらいたい、みたいな。いや意味わかんないかもだけど。
じわじわ迫ってくるその時に、僕は何だか押しつぶされそうであり。
「……ちゃぁ、我ぁは何も用意しちょらんげった、ほならご、こいをジローばに授けるちゃがい。我ぁと思って大事にいつも身に着けしちょばりおうと? 何てか、げか、げかかかか」
思いついたようにアライくんは声を上げると、首に嵌めるようにして掛けていた真っ赤なペコペコした質感のサンバイザーを差し出してくるのだけれど。いやぁこれ四六時中身に着けるにはいちばん難易度高い代物ですぞぉ……とか何とか気の抜けた返事を返した僕だったけれど、表情の変化を悟られたくなかったから、そのド派手な贈り物をありがたくこめかみ辺りにねじり差し込むように深く被る。
そして。
唇をへの字に結んで何とか耐える笑顔をしていた三ツ輪さんとの抱擁を済ませると、アライくんはこちらに向き直って、何か決意を込めたように姿勢を正すのだけれど。
「……ひとつ、大事なことを伝えて行こうか、思うてば」
改まってどうしたの? その真っすぐな視線は、心なしか僕に向けられているように感じられたけれど。場に立ち込める何ともいえない空気。そして、
刹那、イコールエムシースクエア、だった……
「ついおとといくらいの事ばっじょ、ピッツバーグがばの義理のおばちゃなんちゃげな、なんら、調停中らった離婚ばが成立するとかて、年内には日本に親権ば取った五歳の息子と一緒に戻るそうなんげな」
瞬間では理解が及ばなかった僕の枯れた唇から放たれたのは、今まで授業とかでうまく発音しようとして叶わなかった、「æ」の音の葉であった。
ジロ「ぇぁ? ていうかええ? おかしいな、どういうことか皆目分からないのだけれど……」
アラ「いやいやいや、言葉通りがばいて、ジローは本当に不感症なやっちゃっちゃでぇ」
ジロ「いやいや? 何か極めて普通に流そうとしてるけどSTOP、僕は騙されないからね? えじゃあ何なのこの流れ? この哀切はどこに漂着すればいいっていうの?」
アラ「いやいやそない青筋ば立てよる話がば無いっちょらいよ……だからいったんピッツーバーグげば行くちょるて、ほんでごら二か月くらいのちょいと長めのホームステイみちょぱな事かましてちょの無事凱旋帰国と、簡単に説明するとそういうことになります……あそれとこれが傑作ながばんち、その出戻り先がばい、あの春日井のババアんとこやっちゅう、かっは!! しごろも笑えるちゃがと?」
ジロ「いやいやいやいや? そういうの分かってて何でここまで引っ張ったかっていうのを先ほどから聞いているのだけれ↑ど→?」
アラ「あ、何てか違うんちゃろよ……決して青春の一ページば彩りたぎゃからっと、こげんドマラティックがるイベンツに仕立てようと思ったわけでは決してないのです……」
ジロ「ああー、そうかそうかそうなんだ。わかった。じゃあ真然汰氏と伊右衛朗氏……悪いんだけど、そこのイキれツッパリを押さえてもらってていいかな?」
アラ「何ちょこッ!? 我ぁは団長ごぞッ!! 放せがじゃッ!! こげな不条理造反、許されるが無かがとッ!!」
マゼ「……時代の風向きは変わったんですぜ……今やジローくんは『書記長』クラスにまで登り詰めたる御方……団長風情が何を言ってももう無駄なんでやんす」
イエ「フッ……同志アライ……我らは理によりてのみ翻る……覚えておくといい……」
アラ「ファッ!?」
ジロ「アライくん……餞別をもう一つ忘れていたよ……旅の無事を祈願する、『幸福の黄色い胃液溢るる超絶ぶちかまし』をね……」
アラ「ジロちゃんッ!? 誰か止めてッ!? 高々と天突く四股が、妙にサマになっているからッ!!」
両肩を後ろから押さえつけれた御大が、前髪を振り乱しながら助けを求めるように、一部始終を腕組みしながら俯瞰していた三ツ輪さんの方を見やるけれど。
「……」
見たことも無い満面の笑みにて、親指を下に向けた右拳で喉笛をカッ切って下に振り落ろすという仕草を返されただけだった。しかして、
「ぐぉうらァッ!! ま、まだまだ貴様等に遅れば取る我ぁが無かがぁッ!! け、ケッ!! 帰ってきたら『1Q86団』ば設立してツブしてやるじゃじぇに、首を洗って待ってるがとぉぉぉぉぉぉッ!!」
極められている所を支点に、逆上がりのような後方回転をキメて拘束を解いた御大は、そんなこれ以上ないほどの小悪党的捨て台詞を残し、保安検査場まで走り去っていく。
それを見送りながら何だか全身の力が抜け落ちてしまった僕は、力無く三ツ輪さんの方を向いて力無い笑顔を向き合わすのだけれど。
し、しばしのアッサラームじゃばでぃぃぃ、との相変わらずよく通るしゃがれ声が、離れたこちらまで響いてくる。ここに来て初めての御大の言語に戸惑う僕だけれど、アラビア語での別れの挨拶は確か「マアッサラーマ」だったんじゃないかな。
でもこれで「さようなら」では全然ないからね。だから別れの言葉は言わないよ。
相変わらずのくしゃ顔ウインクをしながら、その前髪を金属探知の輪っかにくぐらされながら、
「……」
大きく手を振って来たので、こちらも全員振り返す。御大の揺れる胸元にはあの赤いウォークマンが繋がれたストラップがいつものようにπ/的に嵌まりこんでおり。
「……」
その下には三色のボブ・マーリーの顔が、今日も穏やかな笑みを浮かべていて。
安定の日常通りのアライくんに、どうしても笑顔を止められなくなっている自分に気付く。どこへ行っても、何があっても、きっとアライくんはアライくんなんだろう。だから。
帰ってきたら、その時に言うよ。
アッサラーム! アライくん、って。
(終)